058 地震 ★
※世界観把握のためのもので、細かな距離感などは反映できていません。
耳を劈く咆哮と、金属同士が激突する音が、空間に響き渡った。
陽の光のない薄暗い場所を、魔法の光が照らし出している。
魔法の光源は、その空間にいる者の動きに合わせて、躍動しているように見えた。
そして揺れ動く光は、その空間に犇めく影の表情を次々に変えている。
光と影が織りなす明滅が、そこで行われている闘いの激しさを物語っていた。
「――グレイス、シルヴィアを護れ!」
「了解」
攻撃対象がふらつき、何匹かの大鬼が、シルヴィアの元へと進んでいく。
俺はグレイスにフォローを指示し、それに対応しようとした。
今俺たちの姿は、獣人の国の首都サリータから西の方向にある、“イオ”という街近くの迷宮にある。
俺たちは竜人や豹男と闘い、試練の塔を踏破して、ロアール西方にある転移門へ近づくことを許された。
転移門というのは、竜人いわく、魔人が転移してくる門のことである。
この転移門を叩けば、魔人はこの世界に転移してくることがないという。
それが判っているなら、一軍を上げてでも叩きに行くべきではないかと思ったのだが、その疑問には豹男が丁寧に答えてくれた。
「転移門がある場所が問題なのです。
転移門は、首都から西にある街、イオの西にある迷宮に入り、そこを抜けたところにある“竜の狩り場”から、さらに西に行った迷宮の中にあります。
問題はこの迷宮を抜けるというところと、竜の狩り場です。
ご存じの通り、迷宮は軍隊が容易に通り抜けられるような場所ではありませんし、竜の狩り場は文字通り竜が狩り場にしているところでして、そこに軍隊など放り込めば、忽ち竜の餌になってしまいます。
竜は活動期と休眠期があって、休眠期を狙えば通り抜けられなくもないのですが、それでも身を隠せない多人数で行って、竜を刺激するのは危険です」
竜を見たことがない俺が、その驚異を正確に理解するのは難しいのだが、取りあえず屈強な獣人たちが、束になって掛かっても敵わない存在だということは判った。
そうしたこともあって、俺たちは転移門を目指して、身を隠せる四人だけで竜の狩り場へ向かうことを計画する。
だが、それも豹男にすんなり止められてしまった。
「今は竜が活動期です。
活動期には、竜の狩り場に至る迷宮も閉鎖されています。
なので、転移門から魔人が来たとしても、魔人もロアールに入ってくることはできないはずです。
もうひと月もすれば休眠期に入ると思いますから、そこまでは鋭気を養われると良いでしょう」
宿敵クルトは、もはやこの世にない。
ここまでクルトを追う旅を続け、その手がかりが失われることを恐れ、駆り立てられるように進んで来た。
だが、ここから先は充分に時間を掛け、準備をして転移門に向かうことが出来るはずだ。
それもあって俺たち四人は、暫くの間、西の街イオに滞在することを決めた。
このイオの近くには、二つの迷宮がある。
一つは竜の狩り場に至ることができる迷宮で、もう一つはイオの冒険者ギルドが管理する、冒険者向けの迷宮だ。
後者の冒険者向けの迷宮は、魔物の出現数が多く、上級者向けになっている。
俺たち四人はここで、たっぷり一ヶ月ほどを掛けて、連携強化とそれぞれの鍛錬を行っていた。
ところが――。
「ちょっと、これ何なのよ!
どんだけ出てくるの!?」
シルヴィアが慌てた表情で抗議した。彼女の目の前には、数匹の大鬼がいる。
「喋る暇があったら、魔法を撃て!
どんどん増えていくぞ!」
俺が叫ぶと、シルヴィアは不満げな表情を見せて、目の前の大鬼に炎弾を放った。
見ると、多くの攻撃対象を引き受けたセレスティアの周りには、何匹いるのか判らない数の大鬼が群がっている。彼女は重装騎士の防御技である守護砦を発動し、全方向からの攻撃にひたすら耐えていた。
「ケイ、早く何とかしてくれ!
残り時間が余りない!」
セレスティアから、叫び声があがる。彼女の守護砦の有効時間が残り少なくなっている。
だが、先ほどから俺たち三人が倒し続けている大鬼は、どんどん現れ、増え続けていた。
「――グレイス、仕方ない。
セレスを巻き込んでしまうが、風塵で行く。タイミングを合わせてくれ」
「わかりました」
グレイスはシルヴィアに向かった大鬼を始末しながら答える。
「セレス! 痛いかもしれないが、耐えてくれ!」
「何でもいい、早くしてくれ!」
その発言を聞いて俺とグレイスは目配せし合い、タイミングを合わせてセレスティアの左右に、風塵の魔法を繰り出した。
二つの風塵を同時に使ったのは、セレスティアの姿勢を安定させるためだ。
一つだとセレスティアは発動した風塵に引っ張られ、吸い込まれる可能性がある。
俺は二つの風塵を同時に展開することで、間に挟まれたセレスティアをその場に安定させようと考えた。
――ただしその分、セレスティアは二つの風塵のダメージを受けることになる。
「くっ――」
放たれた風塵は、土属性である大鬼の反属性であることに加えて、俺とグレイスの魔法力に応じて、かなり威力が高い。
二つの風塵は反発し合いながら大鬼を吸い込み、風の嵐に巻き込んでダメージを与えている。
セレスティアは意図通り、二つの風塵の間で安定しているように見えた。
だがその表情は、ぐっと目を瞑りながら、ダメージを堪えているようだ。
数秒後に魔法が収束すると、セレスティアの周りの大鬼は半数ほどに減っていた。
彼女の周囲には、散らばった憑代が落ちている。
十体以上がセレスティアに群がっていたはずだから、風塵だけでかなりの数が倒せたことになる。
直後、セレスティアが側に残っていた大鬼に向けて、聖乙女の剣を振るった。攻撃を受けた大鬼は、忽ち葬り去られる。
ところが、大鬼の数が減って一〇秒も経たないうちに、また大鬼の数が増え始めた。
俺は、HPの減ったセレスティアに大回復を使い、傷を癒やす。
「上級者向けって、こういうことなの?
これ、終わりがないっぽいんだけど!」
シルヴィアが再び炎弾で大鬼を撃ち落としながら、叫び声を上げる。
先ほどから倒した分だけ、大鬼が部屋の奥から現れて来ている。
セレスティアの挑発は、若干の冷却期間が必要になるため、連射ができない。
そのため、先ほどから新しく現れた大鬼の攻撃対象は、若干ふらつき気味だ。
恐らくこの部屋の奥に大鬼が湧いてくる場所があるはずなのだが、数が減らないので進んで確かめることもできない。
「――ケイ、先に進んでください。こちらは保たせます」
グレイスが大鬼に斬りつけながら、俺に提案してくる。
俺はグレイスの提案を受け入れ、隠密の魔法を掛けて、一人部屋の奥へと進んで行った。
「――これか」
大鬼の発生源と思しき場所は、それ程苦も無く見つかった。
判りやすく部屋の奥の床に、光を発する魔法陣のようなものがあったからだ。
俺はそれに近づき、魔法陣を確認しようとする。
――と、魔法陣から二匹の大鬼が生まれてきた。
大鬼の出現の仕方を見ていると、どうも他の場所から転移して来ているように見える。
俺は紙に書かれた帰還の魔法陣や、開門による転移は何度も見たことがあるが、固定された魔法陣による転移を見たことがない。ひょっとしたら、これもある種の“転移門”なのかもしれないという考えが、頭を過ぎる。
魔法陣から生まれた二匹の大鬼は、キョロキョロと周囲を見渡し、攻撃の対象になるものを探しているようだ。
俺は隠密で姿を隠しているため、大鬼には見つかっていない。
だが、大鬼を攻撃したり魔法陣を壊そうとすれば、瞬時に隠密は解けてしまう。
俺は二匹の大鬼がセレスティアの方へ歩き出し、背中を見せたのを確認すると、すぐさま床にある魔法陣を魔弾で突き崩した。当然、隠密が解けて、俺の姿が露わになる。
「――グオオォォォッ!!」
魔弾が床で弾ける音を引き金に、背中を見せた二匹の大鬼が俺の方へと振り返った。上がる咆哮が、俺を攻撃対象にしたことを示している。
俺は片方の大鬼の前に濃霧の魔法を使うと、もう一方の大鬼に風刃を連射した。
風刃は曲線を描いて飛び、大鬼の両脚を切り刻む。
脚を切り刻まれた大鬼はその場で転倒し、完全に足が止まった。
だが、濃霧で煙に巻こうとした方の大鬼は、残念ながらそのまま濃霧を突っ切り、突進して来る。
俺は大鬼が右手に持った棍棒の一撃が来ることを想定して、魔壁を二重に展開した。
大鬼は透明で見えにくい魔壁が認識できないのか、そのままの勢いで棍棒を叩きつけてくる。
ガシャンと魔壁が砕ける音が二重に響き、俺は充分に勢いの弱まったその攻撃を、左手の支配者の籠手で受け止めた。
「悪いが、手加減している暇がない」
俺はそう呟きながら、突進してきた大鬼に魔弾・特大を叩き込む。
ゼロ距離でその攻撃を腹に受けた大鬼は、声を上げる間もなく、消滅していった。
俺は動けなくなっているもう一方の大鬼を軽々始末すると、三人の美女に聞こえるように声を上げた。
「大鬼の発生源は止めた! それぞれ、数を減らしていってくれ」
それに応えるように、グレイスとシルヴィアから笑みが返ってくる。
「了解! じゃあ、ガンガン行くわよ!」
元気のいいシルヴィアの返答と対照的に、セレスティアは――少し、しんどそうだ。
俺はセレスティアに再び大回復を掛けると、彼女に再生も合わせて重ね掛けする。
その後はシルヴィア、グレイスと並び、魔法で一体ずつ確実に大鬼を仕留めていった。
この迷宮の大鬼は、余所の迷宮の大鬼よりもレベルが高く手強いのだが、数さえ無尽蔵に増えなければ、大鬼は特に怖い相手ではない。
次第に大鬼の数は減り、セレスティアが散々殴られた恨みを晴らすように、最後の一匹を斬り倒した。
「――ふぅ、何だか臭くて堪らない。
消えたはずなのに、臭いが残るとは――」
大鬼に囲まれていたセレスティアが、不快そうに言う。
魔物は傷を負っても血を流したりすることはない。
あまり気づかなかったのだが、臭いだけは残ったりするのだろうか。
「じゃあ風呂にでも入るか? 特別に背中を流してやるぞ?」
俺がそう言うと、セレスティアは瞬時に赤面して抵抗した。
「ばっ――馬鹿なことを言うな!
貴様! また私をからかっているな!」
そのやりとりを聞いて、呆れたようにシルヴィアが言う。
「セレス――。
からかわれてることに、ようやく気づくようになったのね――」
グレイスはその発言に、苦笑するばかりだった。
俺たち四人がイオの街に戻ったのは、陽が落ちる前の時間だ。
身分としては冒険者に相当する俺たち四人は、冒険者ギルドに魔物の憑代を収め、収入を得ることができる。
お金稼ぎを優先している訳ではないのだが、日常生きていれば普通に腹が空けば、眠くもなる。
四人所帯をちゃんと賄おうとすれば、それなりの収入が必要なのも確かなことだった。
俺は迷宮から戻ると冒険者ギルドで憑代を精算し、宿に戻って全員に収入を分配する。その後、休憩を挟んで四人で夕食を取り、自室に戻ってからは魔法書を読むという生活を繰り返している。
今日もご多分に漏れず、同じパターンで床についた。
――だが、今日はこのまま寝てしまう訳にはいかない。
俺たち四人は首都の兵舎生活で慣れてしまったこともあり、男女に分かれず一つの大部屋で寝泊まりしている。理由は簡単で、この方が経済的だからだ。それに、さすがに四人が一緒だと、間違いが起こることもない。
ただ、兵舎の時は何も言わなかったセレスティアが、妙に抵抗感を示してはいたのだが――。
俺は他の三人が寝静まったのを確認すると、そろりとベッドを抜け出し、部屋から外へと出て行く。
隠密を使うことも考えたが、魔力の動きで逆に起こしてしまう可能性があるため、魔法は使わない。
ベッドからは、「くー」と、セレスティアのものと思われる可愛いイビキが聞こえて来ている。普段の彼女とのギャップを考えると、思わず声を出して笑ってしまいそうになった。彼女が同室に抵抗感を示すのは、これが原因だろうか? 兵舎にいるときは、気にならなかったのだが――。
そんなことを考えながら、俺は宿を出て、人気の無い裏庭に出る。
夜になると、この辺りは明かりもなく、完全に真っ暗だ。
俺も最低限の光源で、ここまでの足下を確保している。
俺は周囲を見渡して視線がないことを確認すると、開門の魔法を発動した。
夜の帳の中、開門の魔法は、夜闇よりも更に深い漆黒の“穴”を作り出す。
俺は楔を打った上で、その穴に飛び込むと、目的の場所まで転移した。
ゆっくりと目を開けると、そこには見慣れた風景がある。
あれから何ヶ月も経った訳ではない。だが、妙に懐かしく感じてしまうのは、何故だろうか――?
俺は目の前に広がる“本”の洪水を見て、思わず笑みをこぼす。
ここで闘い、ここで寝て、ここで語ったことを、何となく脳裏に再生してしまう。
俺は開門を使い、レーネの書庫へと転移していた。
だが、見渡したところ、少なくとも書庫の中にはレーネの姿はない。
俺はあれ以来、ここには来ていない。
クルトを倒したことも、クローヴィス――名前を変えていたが――に会ったことも、報告には来ていない。
あの時レーネは「どうしても書庫に戻る必要があるとき」に、戻って来いと言っていた。
俺が成し遂げたことを報告するのは、その「どうしても戻る必要があるとき」に相当しないと思ったからだ。
だが、今日は彼女に確かめておきたいことがある。
俺は寝室に向かうと、そこにもレーネの姿がないことを確認した。
書庫にも寝室にもいないとなると、完全に不在なのだろうか?
ひょっとしたら迷宮の管理のために、迷宮内で何かをしている可能性はある。
だが、そのために彼女が向かった場所については、俺には心当たりがない。
ふと、書庫を見渡した俺の視界に、上の階層の書棚が見えた。
そこには数々の書籍と共に、例の銀の魔法陣で囲まれた書棚がある。
俺は何かに導かれるように上の階層に上がると、銀の魔法陣の前まで足を進めていく。
目の前には何やら良く分からない背表紙の本が多数収められている。
そして、そこには以前と同じく「クランシーとアラベラ」という、一冊だけ背表紙の読める、気になる本が並んでいた。
「――――」
妙な背徳感に苛まれながら、俺はゆっくりとその“本”に手を伸ばしていった。
自分の鼓動が大きくなったように感じ、口の中が乾いてくる感覚がある。
――その時。
「――!? 地震か!」
俺は本棚の向かいの手すりにしがみつき、振り落とされないように脚を踏ん張る。
地面からわき上がる大きな揺れに、俺は周囲の本や本棚が倒れてこないか気になった。
だが、どういうメカニズムなのか、一冊の本も飛び出したりはしてこない。
数秒の揺れが続いた後、地震は徐々に静まり、俺はホッと胸を撫で下ろす。
元の世界で何度も体感した揺れとは言え、実際に揺れるとどうしても緊張してしまう。
俺は必死に手すりにしがみついていた自分の姿を思い起こして、思わず笑みをこぼした。
「――お主、そこで何をしておる?」
突然階下から掛けられたその声に、俺はハッとなった。
俺の中の既視感覚と、このシーンがピッタリと重なり合う。
俺は笑みを浮かべると、振り返って階下を見下ろした。