035 市場
俺たち三人は、親衛隊長から「加減を知れ」という、何とも同意せざるを得ないありがたい言葉を貰い、王宮地下の修練場を追い出された。
結局時間を掛けて、深淵の迷宮の次に王都から近い迷宮まで移動し、装備確認の続きをすることになる。
迷宮に移動したからといって、建築物や構造体を破壊することがないということではないのだが、王宮よりも闘いに向いた場所であるし、何より動く的がいるのが大きい。
グレイスとシルヴィアはそれぞれの装備を闘いながら確認すると、その能力と使い具合に満足したようだった。
「これは装備だけじゃなくて、スキル自体も上げないとダメね」
シルヴィアが嬉しそうに言う。
新しい杖を得てからというもの、機嫌が良い。
「ええ、スキルも必要ですが、今思うと装備以外の準備も不十分かもしれません。
迷宮探索に備えての一通りのものは持っていると思いますが、明日は王都にいる最終日でもありますし、皆さんで必要なものを買い出しに行った方が良いかもしれませんね」
グレイスがそう提案する。シルヴィアは買い出しと聞いて、それだけで目を輝かせた。
「いいわね、それ!
ちゃんと王都を見て回れてなかったから、行ってみたい店が何カ所かあるのよね。
前に来た時にはなかったカフェもあるみたいだし」
何となく、それは迷宮探索に必要なものなのか?とツッコミを入れたくなるが、聞き流しておくことにする。
「ところでケイ、あなたの装備の確認は十分ではないように思いますが、よろしいのですか?」
グレイスが俺の表情を窺って尋ねてくる。
俺自身も自分の装備に対する理解は不十分だと思ってはいるが、俺が受け取った装備はどちらも武器ではないため、試すと言っても試しにくい。
グレイスやシルヴィアを相手に使ってみるということも考えたのだが、彼女たちが持つ装備がそもそも強化されたものになったし、試してみてどちらかを破損でもしようものなら悔やみきれない。
「――グレイス、実は装備を試すよりもやりたいことがある」
俺がそう言うと、グレイスが俺の次の言葉を待つ。
だが、その内容を伝える前にシルヴィアが横から口を挟んだ。
「あたしも手伝おっか?」
「すまん、シルヴィアでは無理なことだ。
――グレイス、闇属性魔法を教えて貰いたい。一番基礎のやつでいいんだが」
俺の言葉にグレイスが微笑む。一方のシルヴィアはちょっと白け顔だが、取りあえずそれは無視しておくことにした。
グレイスは迷宮の中で広い空間を選ぶと、手前に何もないことを確認して、俺に話し始めた。
「――ケイ、闇属性魔法は火水風土の四属性魔法とは、全く別の存在です。
光属性魔法とは、概念が近いのですが、その効果は異なります。
四属性魔法は、基本的に対象に対して物理的な働きかけをするものです。
ですが、光と闇は違います。
――ケイは以前光弾を撃ったことがあるでしょうから、何となく判りますよね?」
グレイスの言わんとすることは何となく判る。
光弾は確かに攻撃魔法として有効ではあるのだが、物理的な衝撃を与えない。いわばレーザー光線みたいなものだ。
それに対して四属性魔法は程度の差はあるが、どれも物理的な衝撃がある。
闇属性魔法は光属性魔法に近いというのだから、物理的な衝撃を与えない、ということになるのだろう。
「一応、判っていると思う。
――それで、光と闇で効果が違うというのは、どういうことだ?」
「光属性の攻撃魔法には衝撃はありませんが、それでもぶつけた相手にそのまま損傷を与えることができます。
ですが、闇属性魔法はそれがありません」
それを横から聞いていたシルヴィアが、疑問の声を上げる。
「――え? だとしたら闇属性の攻撃魔法って、何の効果があるの?」
質問を聞いたグレイスが苦笑した。
「――シルヴィアからそれを尋ねられるとは思いませんでしたけど。
闇属性の攻撃魔法は、言わば“呪い”です。
なので、その場では損傷を与えませんが、徐々に対象の身体に損傷を与えることになります。
どちらかというと、状態異常魔法に近いですね」
「へぇー」
「なるほど」
グレイスの解説に、俺とシルヴィアが声を合わせて感心する。
闇属性魔法は、どうやらDOTと呼ばれる、時間経過ダメージを与える魔法ということのようだ。
よくよく考えると、俺はこれまでグレイスが闇属性魔法を使ったところを、一度も見たことがない。
グレイスの持つ魔法スキルとしては、確か火や風よりも、闇が一番レベルが高かったはずだ。
魔人との闘いで使わなかったのは、魔人自体が闇属性で効かないからという理由だとは思うが、それ以外の戦闘においても使わなかったのは、恐らく即時性がないからということなんだろう。
グレイスは引き続いて前方の空間に向けて手を挙げる。
「では、今から試しに撃ってみます。
闇属性魔法の基礎、呪弾です。
呪弾には沢山の種類があるのですが、わたしは合計四種類の呪弾を撃つことができます。
今から撃つのは相手のHPを継続的に奪う呪弾です。
見えづらいので、ここを良く見ていてください」
そう言われて俺とシルヴィアが、グレイスを凝視する。
――と、丁度手の高さにある、魅惑の谷間が俺を呼んでいた。これは呪弾どころではない。
流石にグレイスもその視線に気づいたのか、呪弾を撃とうとした手がスッと俺の方を向く。
「――どこを見ているのですか」
「ちょっ! いや、待った! 何だろう? おかしいぞ、身の危険を感じる」
そう言って降参のポーズを取ると、グレイスはジト目になりながら、再び手を元に戻した。
「――おバカ」
「なはは――」
シルヴィアが呆れて悪態をつく。
グレイスは自分の手に視線が集まったのを確認すると、闇属性の呪弾を撃ち出した。
一瞬、グレイスの手から黒い弾のようなものが発射されたのが判る。
だが、そもそも迷宮自体がそこまで明るいわけではないため、すぐに空間に溶け込んで見失ってしまった。
「――へ? まさか今のやつなの?」
シルヴィアが拍子抜けした声を出す。
「はい。非常に判りにくいと思います。
しかも、光弾に比べると、射程距離も長くなく、弾速も速くありません。
なので非常に使いどころが難しいのですが、使いどころを間違えなければ、避けるのは難しい強力な魔法です」
なるほど――これは使えるようになったところで、相当に工夫の必要がありそうだ。
俺は基礎的な概念と撃ち出し方をグレイスから学ぶと、周りの空間に見よう見まねで魔法を放ってみる。
しばらくの間、試行錯誤を重ねたが、十五分もしない内に、最も簡単な呪弾を撃ち出すことに成功した。
「ちょっと! あんた、何でそんなに簡単にマスターできんのよ。インチキでしょ!」
俺と共に試行錯誤していたシルヴィアが、俺の習得の速さに抗議の声を上げる。
「そう言われても、困るんだが――」
「ケイ――ホントに相変わらずですね」
グレイスが呆れた表情になる。
以前、迷宮内で、立ち読みで付与をマスターしたのと同じ流れだ。
俺としては、特に反則して覚えているつもりはないのだが――。
「ところでケイ、賢者の杖を持たない状態では、光属性魔法は使えないのですか?」
グレイスが話題を変えて、質問してくる。
「どうだろうな? 一度試してみるか」
直後に俺は光をイメージして、光弾を手前の空間に放ってみた。
目前の空間には、高速の光の弾が、複数撃ち出される。
――普通に成功してしまった。
「――どうも魔人の武器を持って一度使った魔法は、それで使い方のコツが判るのか、魔人の武器がなくなった後でも使えるようになるようだな」
「日々、魔法習得のために研鑽を積んでいる人たちには、絶対に聞かせられない台詞ですね――」
グレイスがまた呆れた表情になる。
「ケイ、ひょっとして全属性制覇しちゃった感じなの?」
確かにそうだ。シルヴィアに言われて初めて気づいた。
「そうなるかな? どの属性も大したレベルではないが――」
「フフ、そうなるとまさに賢者ですね」
グレイスが笑みを浮かべて言った。
翌日、俺とグレイス、シルヴィア、それにセレスティアを加えた四人は、深淵の迷宮へ向かうための最後の準備ということで、王都の市場へ買い出しに出ることにした。
朝からシルヴィアの機嫌が良いのは予想通りなのだが、意外なことにセレスティアも上機嫌なのが判る。
「セレス、買い物が好きとは、意外だな」
俺がセレスティアにそう言うと、彼女は微笑んだ。
「ケイ、貴方が私をどう見ているかは判らないが、市場が嫌いな女はいない。
特に私はここ何年も王都の市場を見て回る機会などなかったから、どうしても期待が高まるんだ」
あまり女性を意識させることのなかったセレスティアのこれまでを考えると、俺にはその様子が非常に新鮮に映る。
彼女は清楚なブラウスとスカートという出で立ちで、ワンピースを着たシルヴィアと共に、楽しそうに談笑しながら俺の前を歩いていた。
「ケイ、消耗品の購入が殆どだと思いますので、市場できっと事足りるものと思いますが、武器屋にも寄ってください。ケイには失った砂の短剣の代わりが必要でしょうから」
俺はグレイスの発言に頷く。
砂の短剣は先の内務卿との闘いで壊してしまったのだが、元々グレイスに買って貰った武器だった。
買い与えて貰ったものを壊してしまった訳だから、そう考えると、グレイスに対して悪いことをしたように思う。
俺たち四人は王都の市場に付くと、身近な露店から商品を物色し始めた。
市場の露店には、食料品はもちろんのこと、工芸品や衣服、家庭用品や装備にいたるまでの品揃えがある。
それぞれの露店はそれなりの賑わいを見せており、人が少ないことも多いこともない状況だったのだが、露店を物色している内に、次第に自分たちの周りの人集りの厚みが増していることに気づいた。
――というか、明らかに俺たちが目立っている。これだけの美女が三人集まって露店漁りをしているのだから、仕方ないかもしれないが。
その中でも一際、セレスティアに群がり、その様子を見ようとしている人が多い。
王国で有名な白銀の戦乙女が、そもそもこんなところの露店をウロウロしていること自体が珍しいことだし、しかも今のセレスティアは武装を解き、普通に女性らしい姿をしている。
人の注目を集めてしまうのも、仕方のないことだろう。
俺は取りあえず注目を集める三人とは独立して、特に食料や消耗品を買い込んでいった。
買ったものは全て資産に収めていく。こういうときに魔力量が多くて資産に沢山のものが入るのは便利でいい。
俺が保存用の食料品を買った露店で支払いを済ませていると、急に背中から誰かに抱きつかれた。
「なぁに? 食べるものばっかり買ってんの?」
シルヴィアはそういって、俺の買っているものを覗き込む。
――というか、さっきから柔らかいものが背中にグイグイ押しつけられている。
スキンシップは嬉しいが、色々面倒なことが起こりそうで困るのだが――。
「シルヴィア、もう買い物はいいのか?」
「まだまだこれからよ。セレスの周りの人が凄いんで、逃げて来ちゃったわ」
「グレイスはどうした?」
「どこかしらね? ――まあグレイスはいいんじゃない?」
そう言うとシルヴィアは俺の身体を掴んだまま、妖しくフフフと笑う。
だが、俺はそのシルヴィアの後方に立ち昇る、冷たい殺気を見つけてしまった。
「――ここにいますよ、シルヴィア。
わたしから隠れて、何をしようとしていたのですか?」
シルヴィアはその声を聞いて、慌てて俺の身体から離れる。
「あ、あらグレイス。
もう買い物はいいの?」
「――それはわたしの台詞です。
さあこちらへ。ケイの買い物を邪魔しないよう」
そういうとグレイスは、シルヴィアを引っ張って人混みの中に消えていった。
――何だかんだ言って、あの二人はあれはあれで仲が良いのかもしれない。
その後、俺は一人離れて露店を見て回っていた。
その中の、とある露店の店主から声を掛けられる。
「おや、いつぞやの。
あんた、白銀の戦乙女のお仲間だったんだね」
そう言われて露店の店主の顔を見ると、確かに見覚えがあるような気がする。
――よくよく考えたら、以前西方騎士団の噂話を聞かせてくれた、果物を売っていた露店の店主だ。
彼のいる露店を見ると、果物を売っている訳ではなく、売っているのはアクセサリーの類いだった。複数の露店を経営しているのかもしれない。
「あの時は世話になったな」
「いえいえ、単なる噂話でしたが、お役に立ったなら何よりですわ」
露店の店主はそう言って笑う。ただ、さっきからチラチラ露店の商品を見ているが――。
俺はそれに苦笑すると、仕方なくオススメの商品を教えてくれ、と店主に話を振った。
店主は俄然やる気を出して、片っ端から商品を説明していってくれる。
「お客さんは美人を連れていらっしゃるから、女性への贈り物がいいでしょうな」
そういいながら、いつの間にか女性もののアクセサリーを紹介してくれる。
正直実用性のない装飾品など買うつもりもなかったのだが、途中でふと思い直して、結局品物を見繕ってもらうことにした。
「店主、予算は三万セルジュで、実用性の伴った魔法の品を一点だけでいいから見繕ってくれ」
俺がそういうと、店主はいくつかの品物を並べてくる。
その中から俺は一点、青い宝石と金色の鎖のついた、腕輪に目を奪われた。
「お客さん、これは“生命の腕輪”と言って、自分の無事を知らせることができる腕輪です。
お客さんが無事な時は青く光って、お客さんの命に何かあると赤く光ります。
昔はよく戦争に出る男が、街で待つ女に送ったりした代物です」
「――なるほど。
これがいい。これを頼む」
俺は説明を受けて、少し考えると、それを買うことにした。
さして期待していなかった客が、大きな買い物をしたこともあって、店主のテンションは上がりっぱなしだ。
俺は商品を受け取ると、それを資産にしまい、何もなかったかのように、グレイスやシルヴィアのいる方へと戻っていった。
その日、買い物を終えた俺たちは、外で食事を済ませて宿に戻った。
明日はいよいよ深淵の迷宮に挑むことになる。
早朝から向かうこともあって、今日は早めに各自就寝することになった。
それぞれが部屋に戻ったのを確認すると、俺は再び一人部屋を出て、グレイスの泊まる部屋の扉をノックする。
流石に夜、就寝しようというタイミングで、俺が部屋を尋ねてくるとは思っていなかったのだろう。
グレイスは随分緊張した表情で、部屋の扉を開けた。
「グレイス、渡したいものがある」
俺はそういうと、昼に買った“生命の腕輪”を取り出し、グレイスに手渡す。
「――これは?」
「砂の短剣を壊したお詫びだと思ってくれ。
あとはいつも世話になりっぱなしだからな。
一応――普段の感謝を込めて」
俺がそういうと、グレイスの顔がパッと明るくなった。
手渡した“生命の腕輪”をギュッと握ると、感謝の言葉を述べる。
「ケイ、ありがとうございます。
砂の短剣のことは、特に気にして貰わなくても良かったのですが。
でも――嬉しいです。大切にします」
グレイスが若干涙ぐむんじゃないかという仕草を見せたのを見て、さすがにちょっと喜びすぎやしないかと思ったのだが、まあ贈った側としては、喜ばれないよりは喜んでくれた方がいい。
俺はグレイスにおやすみの挨拶をすると、部屋に戻り床についた。
明日からは、王都で過ごしたこの一週間とは全く別の日々が待っている。
だが――俺はこの時、この後に訪れる過酷な境遇を、知る由もなかったのだ。