019 仲間
迷宮を脱出した俺たちは、一通りクライブとシルヴィアを労った後、港町に戻ることにした。
クライブは修理したばかりの装備を、また直さなければならないことに閉口気味だったが、それはそれで彼にとって丁度良い休養になるだろう。
一方のシルヴィアは、港町に戻るまでは若干興奮気味だったのだが、街に着くと電池が切れたように大人しくなった。
一応夕食にも誘ったのだが、「疲れたから早めに寝る」とだけ言い残して、去って行く。
俺とグレイスは宿で装備を解除した後、軽装に着替えて改めて夕食に出かけた。
「――今日の危機を招いたのは、俺の判断ミスだ」
食事の後、俺は葡萄酒を飲みながら、ポツリとグレイスに言った。
対面に座ったグレイスは、優しげに、そして少し不満そうに俺を見ている。
「ケイ、わたしはそうは思いません」
グレイスは俺に向き直って言った。
「結果的に、あなたの次善の策が、クライブだけでなく全員を救いました。それが事実です。
――わたしはあなたの修練に付き合いはしましたが、それがああいった――予約回復という形で実を結ぶとは、思いも寄りませんでした。
あなたは自分がしていることを、それほど重く受け取ってはいないのかもしれませんが、わたしはあなたと共にいて、驚くことが沢山あります」
そういって和やかに笑いかける。
久々にまじまじとグレイスの顔を見た気がした。
白い肌に結い上げた黒い髪。美しい切れ目に長い睫毛。
相変わらず魅力的だ。
俺はグレイスの長い睫毛を見ながら、口を開く。
「――グレイス、ヤツは“使徒”だ。
蛮族が迷宮にいることが不自然だという話があった時に、その可能性をもっとしっかり考えておくべきだった」
そこで一旦言葉を切る。
そして、俺は右手を伸ばしてグレイスの左頬に触れた。
グレイスはその行動に少し驚いたようだが、微笑みながら、ゆっくりと俺の手に自分の手を重ねる。
「――俺は明日からヤツを追う。
というより、追わざるを得ないような気がしている。
一緒に来てくれるな?」
そう問いかけると、グレイスはクスリと笑った。
「――ケイ、それはわたしの台詞です。
わたしにはわたしの宿命があります。
ですが、わたし一人の力では、敵を倒すことは出来ません。
わたしには、あなたの能力が必要ですから――」
真剣に見つめられると、さすがにドキリとしてしまう。
グレイスは“魔人を倒す武器”を持っている。
だがグレイス自身がそれを取り出すことは出来ない。
武器を取り出す人間がいて、初めてその武器は、意味を成す――。
お互いの依存関係が解けない限り、俺たちはグレイスの言う“一蓮托生”の状態だ。
俺はグレイスの頬から手を下ろして、グラスを取った。
「因果な話だ。
追えば死ぬかもしれないのに」
「ええ。
――では、死ぬかもしれないのに、ケイは何故、敵を追うのですか?」
その質問に即答しそうになって、俺は一旦言葉を切る。さすがにグレイスが魔人を追っているからとか、彼女のことが心配だからといったような恥ずかしい台詞を吐くのは憚られた。だから俺は思わず、間の抜けた答えを返してしまう。
「そんなの決まってるじゃないか。
――“何となく”、だ」
その発言にグレイスが吹き出して笑った。俺も少し照れながら笑う。
実際クランシーの制約という名の“加護”を受ける俺は、グレイスに比べると死の危険が極めて低い。
であれば、宿命という言葉で死地に赴こうとするグレイスを、どうしても黙って見ていられなかったのだ。
俺は一口葡萄酒を飲むと、溜息をつく。
「問題は、その“何となく”にあの二人を巻き込むことは出来ないということだな」
グレイスはそれを聞いて、神妙な顔になる。
「――納得してくれるでしょうか?」
「――。
してくれるといいが――」
簡単にはいかないだろうな、という予想をして、俺は再び溜息をついた。
「あのね、そんなの納得出来る訳ないじゃないの!」
机を叩いて、シルヴィアが大きな声を上げる。
冒険者ギルドにいた殆どの人間が、何のトラブルかと視線を向ける。
二人の美女に挟まれ、怒鳴られている俺は、見ようによってはいい笑いの種だろう。
元々説得は簡単ではないと予想はしていたが、想像以上に反発を食らってしまった。
ただそれには少し理由もある。
クルトを追うことを決めた翌日、多くの冒険者からの抗議と、俄かパーティの増加によるトラブルが増えたことで、迷宮の四人パーティ制限が解除されたことを知った。
それもあって、俺とグレイスは二人だけで再び迷宮を探索し始めた。
クライブが防具の修理と休養に三日間を要したことから、シルヴィアとも合流はその後に、と申し合わせていたのだ。
結局その日の探索では何も見つけることが出来なかったのだが、その翌日に、クルトに捕縛を受けた広間から、隠し通路があるのに気づいた。
だが、その奥の扉は魔法で施錠されてしまっている。
俺とグレイスは、魔法で施錠された扉を開けることが出来ない。
身近にいて、解錠出来るのは――シルヴィアだけだ。
だが、クルトを追う闘いには、クライブとシルヴィアを巻き込みたくはない。
結果として、無理があるな――と思いつつも、「見つけた魔法の扉を解錠して欲しい」「だが、その奥の探索には付いてきて欲しくない」ということを、懇切丁寧に伝えてみたのだが――。
――それがこの結果だ。
「――何が目的なの?」
シルヴィアは、すっかり膨れっ面になって、俺に問いかける。
「――あの黒妖精を倒したい」
俺は嘘を付かずに、シルヴィアに答えた。
「お宝が目的、って訳じゃないのね?」
「何なら報酬はシルヴィアに譲ってもいいぞ」
だが俺の発言が気に入らないのか、シルヴィアはまたピクリと目を吊り上げた。
「じゃあ何で四人で行けない訳?」
「――危険だからだ」
それを聞いて、シルヴィアはまたドンッと机を叩いた。
弾みで胸元も揺れる。
「ハァ? あんた、頭はいいと思ってたのに、どういうこと?
四人で行って危険なところに、二人で行ったら、余計危険でしょうが!
阿呆?」
「ひ、酷い――」
さすがに面と向かって言われると、俺だって傷つく。
「真面目な話、してんのよ!!」
ダメだ、シルヴィアを怒らせる方向にどうしても向いてしまう。
俺が若干困り果てたところに、シルヴィアの隣に座ったクライブが仲介に入った。
「ケイさん、このお話は正直オレも納得はいきませんが――」
そう前置きした上で、クライブは俺を見つめて言った。
「ハッキリ言って貰った方が良いんだと思います。
――なので、言ってください。
オレたちが足手まといなんだと」
悟ったように、クライブが言う。
だが、俺はそれを即座に否定した。
「――いや、そうじゃないんだ」
一つ溜息をついて言葉を続ける。
「君たちを巻き込みたくない。
――俺とグレイスは理由があって、あの黒妖精を追わなければならない。
だが、アイツを追うことが、どれくらい危険かということは、判って貰えると思う。
この前は運良く助かったが、死ぬ可能性も低くない」
俺がそこまで言った後、シルヴィアが立ったまま静かに話し始めた。
俯いているせいで、赤い長髪が顔に掛かり、その表情は見えない。
「ケイ、理解して。
あたしが一番ムカついてんのは、それなのよ。
あたしね、この前クライブが追い込まれた時、帰還で逃げろと言ったあんたの発言に驚いたのよ。
何ふざけたこと言ってんの、あたしを殺す気!?ってね。
でもクライブのことを考えたら、それは言えなかった。
――だけどその後、予約回復なんてものが飛び出して――。
あたし、その時思ったの。
あんたはクライブに逃げろと言った瞬間、全員が助かるかもしれない不確かな未来よりも、確実に一人が助かる方を選んだんだって。
自分が生きる可能性を考えたら、絶対にクライブに逃げろとは言わない。
なのに、自分を捨てて、それが出来るヤツって何なんだろう――って。
ケイ、あんたにとって、自分を捨ててまで助けようとした人は何なの?
何でクライブを助けようとしたの?
“仲間”だからじゃないの?
あんたがあたしたちを仲間だと思ってくれたのに、あたしやクライブは、あんたたちの危機には、手を差し伸べられないの――?」
感極まったのか、シルヴィアの顔の辺りから、ポツ、ポツと、涙の滴が落ちて来た。
グレイスは無言のまま席を立って、そっとシルヴィアの頭を抱える。
シルヴィアはグレイスの胸にしがみつくように、嗚咽を上げ始めた。
グレイスはシルヴィアを慰めつつ、俺に向けて無言で頷き、微笑んでくる。
これは――俺の完全敗北だな。
俺はクライブと、グレイスに慰められているシルヴィアを見て一つ息を吐くと、二人に向けて改めて言った。
「シルヴィア、クライブ、俺が間違ってた。
――俺とグレイスは、黒妖精の男を追わなければならない。
それには相当な危険を伴うだろう。
だから――」
俺はクライブの肩に触れる。
「手を貸してくれ。
――同じ、“仲間”として」
それを聞いて、クライブが微笑み、シルヴィアがまた泣き始めた。
少しして、グレイスの胸から顔を上げたシルヴィアは、涙声で俺に悪態をついた。
「何であんたは最初からそう言えないのよ!!
あたしが泣いた分、損したでしょうが!」
俺は怒ったシルヴィアにポカポカと殴りつけられる。
「あいたたた! すまん――!」
それを見て、グレイスもクライブも声を上げて笑った。
翌日、俺たち四人は再び迷宮に集結した。
昨日のうちに、黒妖精のクルトが“魔人”であり、俺たちがそれを倒すために追っていることは、シルヴィアとクライブに伝えてある。
伝えた当初は話の内容にピンと来ていなかった二人だが、この世界における魔人という存在を改めて頭の中で考え、認識してからは、相当にゾッとしたようだ。
そもそもこの国において、魔人というものは子供の時に聞かされる御伽噺の中での存在であり、自分の身近に実在する存在ではないらしい。
その魔人が、今自分たちの近くに存在し、人間に対して害をなそうとしているというのは、あまり信じたくない話のようだった。
だが、それも昨日の話だ。
今は迷いなく、闘う決意をしている。
俺たち四人は迷宮に入り、つい先日死闘を演じた広間に到達する。
その広間から、判りづらく隠蔽された隠し通路を通り、奥の魔法で施錠された扉に到達する。
きっと、この中にはとてつもない危険があるに違いない。
「――準備はいいか?」
俺の問いかけに、三人は三様の答えを返す。
「はい」
「大丈夫です」
「いいわ」
シルヴィアが解錠の魔法を使った後、クライブがゆっくりと扉を開いた。
そして俺たちは、その後の運命を変える闘いに身を投じることになった。