017 捕縛
食事を済ませた俺たちは、四階層目から五階層目へと降り立った。
五階層目は小部屋が少なく、いくつかの大きな広い空間で構成されているようだ。
迷宮は元神殿ということもあって、比較的装飾が美しいのだが、この五階層目にはあまり装飾が見当たらず、若干無骨な印象を受ける。
グレイスは一つ目の広間を注意深く通過し、二つ目の広間に入った。
入ったところで少し足を止めたが、しばらくして広間の奥の方へ進んでいく。
広間の奥には、冒険者のものと思しき、剣と鎧の残骸があった。
剣は折れ、鎧は大きく拉げている。
相当な力でなければこうはならないだろう。
この剣と鎧を纏った本人は見当たらない。
どう考えても無事ではないが、この場に遺体がある訳でもなかった。
「――大鬼がいるかもしれません」
グレイスがポツリと言った。
「力の強い、大型の魔物です。
魔法には強くありませんが、数がいると相当厄介です」
「――クライブは、大鬼の攻撃には耐えられるのか?」
俺の質問に、今度はクライブが答える。
「大鬼が素手なら、ダメージが無いとは言いませんが、大丈夫です。
武器を持っていたら――武器次第ですね」
「なるほど、判った」
敵が多数になれば、クライブが押さえられる範囲で闘わないといけない。
回避に優れるグレイスはともかくとして、俺やシルヴィアは複数の敵に追い立てられれば、一溜まりもないだろう。
迷宮内は、幸いにして帰還の魔法陣が使えるが、使いどころを誤らないように注意しなければならないな。
結局二つ目の広間にも、先ほど見つけた剣と鎧の残骸程度しか存在しておらず、三部屋目と入っていくことになる。
三部屋目は、先ほどの部屋と同じように、がらりとした大きな空間ではあったが、所々に柱がある点が異なっている。
グレイスは三つ目の部屋に入ろうとした瞬間、動きを止めて急に周囲を確認しだした。
「――どうした?」
「何かの魔法が使われているかもしれません。
魔力の残滓があるように思うのですが、それが何の魔法なのかまでは――」
残念ながら、俺の目にも魔力の残滓までは映ってはこない。
「用心に越したことはないな。
付与を掛け直す」
俺は即座に指示し、敵を迎え撃つ態勢をとることにする。
通常の付与に加えて、昨日習得した接触発動の付与も掛けた。
グレイスの剣に魔弾を、三人の鎧と俺の鉄の籠手に魔壁を掛けた。
「よし、グレイスとクライブは入れ替わってくれ。
シルヴィアはターゲットが固定した後に状態異常から始めるんだ」
「わかりました」
俺の指示に従って、クライブがグレイスと位置を入れ替える。
ふと、視界にクライブの胸元の時計が入った。
脳裏に「二度と目の前で仲間を殺させはしない」と話した、クライブの姿が甦る。
クライブはその話の通り、俺たち三人を護るために、“全ての”力を注ぐだろう。
「――クライブ、ちょっと待て」
「――?」
俺はとある“考え”を思い抱きながら、先頭に出ようとしたクライブを呼び止めた。
準備を整えた俺たちは、隊列を整えながら広間を進んでいく。
別に何かが見えている訳ではないが、雰囲気が重苦しい。
予感に近いのだが、この部屋で何か良くないことが、起こるような気がする。
ふと、俺の視界の片隅に、何かが横切った。
その方向を見てみるが、何もない。
だが、次の瞬間、“それ”はハッキリと判る形で俺の視界に入ってくる。
――文字と数字だ。
目の前の空間には何もいないように見えるが、そこには透明の“何か”がいる。
その存在を指し示すように、それが存在する場所に状態が表示されているのだ。
「気をつけろ、姿を隠したやつがいる」
俺は他の三人に警告する。
姿を消した敵との距離はまだある。
向こうも、こちらの様子を見るように、あまり積極的には近づいて来ない。
「――ケイ、魔法を当てれば、姿を隠し続けることは出来ません」
グレイスが俺にアドバイスする。
俺が目で姿を隠した敵を追っているのに、気づいたようだ。
「判った。俺が攻撃する。
クライブ、ターゲットは頼んだぞ」
俺は十分に狙いを付けて、ピストル大の魔弾を複数放った。
魔弾・特大をお見舞いすることも考えたのだが、敵の姿を暴くことを優先して、命中率が高い小刻みな方法を選んだ。
果たして魔弾はいくつかが敵の身体に当たったようだ。
恐らくダメージにはなっていないだろうが、少しの時間の後、敵は緩やかに俺たちの目の前に、姿を晒し始めた。
「――驚いた。私の姿が見えるヤツがいるとは」
黒妖精らしき男は、俺の姿を見てニヤリと唇を歪ませた。
「――目の前を飛ぶ蠅は、たたき落としたくなる性分でね」
俺は強がって言ってみる。
だが一方で、俺の心臓は早鐘のように鳴り響いていた。
これまでの敵は魔物で、人の言葉を話す敵はいなかった。
会話が成り立つ相手が敵、という時点で、どうしてもロドニーとの対決を思い出してしまう。
どうしても悪い予感しかしてこない。
見れば男はスラリとした長身で、肌は浅黒く、髪は銀髪だ。
耳はご多分に漏れず尖っていて、無駄にイケメンなのも俺が頭で思い浮かべる黒妖精のイメージを外していない。
――もっとも、俺が黒妖精と聞いて思い浮かべたのは、セクシーな女黒妖精だったのだが。
俺の思考が若干脱線しかかったところで、目の前の男が俺に問いかけてくる。
「お前たちは、ここがどのような場所なのか、理解しているのか?」
「――何の話だ」
俺は視線だけ動かし、周りを見渡した。
――何だろう? 僅かだが、何かの足音がしたような気がする。
目の前の男は、俺の返答を聞いて、笑い声を上げた。
「虫は、時に燃えさかる火の中に飛び込み、自らを炎に焼べてしまう。
だが、お前たちはその虫たちを愚かだと笑うことは出来ない。
――何故なら、お前たちは大鬼の餌場に、自ら足を運んだのだからな」
「――――」
男の言葉に、全員が緊張したのが判った。
俺が判断を間違えたのだとしたら、このタイミングだろう。
俺は、目の前の男と悠長に対話する必要はなかった。
全員の身の安全を考え、“足音”を聞いた瞬間に、全員を帰還させるべきだったのだ。
次の瞬間、口元を緩めた黒妖精の男が、右手を振り上げた。
その途端、俺の目の前の景色は黄色く歪んだ。
「――!!」
「こ、これは――!」
「何なの――!?」
全身に耐え難い、強烈な痺れが襲いかかってくる。
しかも俺だけではない。
この部屋全体に捕縛の状態異常魔法が掛けられていた。
「あまり餌が暴れると大鬼たちが怒るのでね。
申し訳ないがじっとして貰うことにした」
男はフッと笑うと、ニヤニヤと俺の様子を見ている。
隠れ身を破った俺が、自分の罠に掛かるのが楽しいのだろう。
俺は身体が動かせないだけでなく、魔法を使う精神集中も阻害されている。
――この状態は、かなり拙い。
「ケイ! どうしたら――」
動けないシルヴィアが悲痛な声を上げた。
グレイスやクライブも、その場から全く動く気配がない。
この状態では当然帰還も出来ない。
周囲には大鬼のものであろう、複数の足音が、もはやハッキリ聞こえるようになってきている。
「ククク――。
では、私はこれで失礼させてもらうよ。
――大鬼の食事は、美的感覚には欠けるのでね」
黒妖精の男はそう言うと、動けない俺たちに背を向けた。
姿を隠さずそのまま、立ち去ろうとしている。
俺は一縷の望みを持って、背後を向けた男を凝視した。
この状態から抜け出せる具体的な方法が判るとは思わなかったが、状態から得られる情報で、何かの糸口が見えるかもしれないと思ったのだ。
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【名前】
クルト
【年齢】
不明
【クラス】
不明
【レベル】
54
【ステータス】
H P:????/????
S P:????/????
筋 力:???
耐久力:???
精神力:???
魔法力:???
敏捷性:???
器用さ:???
回避力:???
運 勢:???
攻撃力:???
防御力:???
【属性】
闇
【スキル】
不明、不明、不明、隠れ身、密偵5、状態異常魔法6、不明、不明、不明、不明、ハーランド語
【称号】
イケメン妖精、不明、不明、不明、不明、不明、アラベラの使徒
【装備】
不明
不明
【状態】
不明
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――俺はこの可能性について、全く考えていない訳ではなかった。
だが、恐らくここに至るまで、積極的に考えようとしていなかったのは確かだ。
そう思うと、自らの洞察力の無さに怒りが込み上げてくる。
黒妖精の男――クルトの状態を見た俺は、カッと身体全体が熱くなるのを感じていた。
だが、情けないことに、俺たちはまんまとクルトの罠を踏み抜き、大鬼の餌場に無防備な姿を晒してしまっている。
正真正銘の、万事休すだ。
クルトが立ち去った後、大きな足音と、くぐもった唸り声と共に、五匹の大鬼が姿を現す。
それぞれが大柄なクライブと変わらない背丈ほどもある、醜悪な魔物だ。
どの大鬼も、手に装飾の無い木の棍棒を持っている。
それ自体は危険な武器には見えないが、人間が持つには大きすぎるぐらいのものだ。
大鬼の膂力で殴られたら、きっとただでは済まない。
俺は自分の状態を確認した。
状態欄に、捕縛の表記がある。効果時間は――あと八分。
「ちょっ――やだ、これ、何とかならないの!?」
シルヴィアがさすがに取り乱して声を上げる。
グレイスは、視線だけを動かして、俺の方を見た。
「ケイ――」
俺はその縋るような視線を、無言で受け止める。
実は俺は、今すぐシルヴィアやグレイスが、大鬼の餌になってしまうことはないと確信していた。
だが、問題は「八分」という長い時間だ。
果たして持ちこたえられるか――。
そう考えた直後、大鬼が声を上げ、涎を垂らしつつ、俺たちに襲いかかって来る。
それを見たシルヴィアが悲鳴を上げた時――恐らく二人が予想していなかったことが起きた。
周囲の空間に“気合いの波”が伝搬する。
先頭に立っていたクライブが不意に動きだし、大鬼に挑発を放った。
四人に襲いかかろうとしていた大鬼が、一斉にクライブを攻撃対象として認識し、方向転換する。
これまで無言で、じっと動かずに様子を見ていたクライブは、状態異常耐性6を持っていた。
――クライブ“だけ”は、クルトの捕縛を、抵抗していたのだ。