『夕景の呼び声と、結び直す糸』
美月が立ち去ったあとの図書室には、重く息苦しい沈黙が残されていた。
机の上に置かれたままの美月のノート。丁寧に書かれた文字の余白に、諒の視線が吸い寄せられる。そこには、二人が初めてここで一緒に勉強した日に二人で書き込んだ、世界史の小さなメモが残っていた。
(俺は……何を迷ってたんだ)
佳鈴の明るさや親しみやすさに一瞬心が揺れたのは事実だ。けれど、自分の胸の奥を一番深く満たしてくれるのは、誰の存在なのか。この図書室で、言葉を交わさずとも通じ合っていたあの甘く穏やかな時間と、美月の微笑み。それを失うかもしれないという恐怖が、諒の頭の中を駆け巡った。
「宮川、追わないのか」
静かに声をかけてきたのは幸星だった。いつもの冷めた表情ではなく、どこか真剣な、まっすぐな目が諒に向けられている。
「角谷があんな顔して出て行ったの、お前ならわかるだろ。……俺は角谷の丁寧なところや優しさをいいなと思ったのは本当だけど、角谷が本当に向いてる視線が誰なのかくらい、分かってるよ」
幸星の言葉に、諒の背中が強く押された。佳鈴もまた、少し寂しそうに、でも優しく微笑みながら諒に頷いてみせる。
「行ってきなよ、宮川くん。ノート、ちゃんと預かっておくから」
「……ありがとう!」
諒は二人に短く礼を言うと、図書室を飛び出した。
ひんやりとした秋の廊下に、自分の靴音が慌ただしく響く。新校舎へと続く渡り廊下を進むと、夕日を浴びた手すりに寄りかかり、一人で外を眺めている美月の姿が見えた。肩がかすかに震えている。
「美月!」
名前を呼ぶと、美月がビクッと肩を揺らして振り返った。その目には、こぼれ落ちそうなほどの涙が溜まっている。
「諒……どうして……」
「ごめん。俺、美月を不安にさせた」
諒は一息に距離を詰め、美月の目の前で足を止めた。風が二人の髪を揺らす。茜色の光が、美月の綺麗な瞳を濡らす涙をキラキラと輝かせていた。
「東さんと話してる時、楽しそうだなって思ったのは本当なんだ。でも……俺にとって特別なのは、ずっと美月だけなんだよ。他の誰かが隣にいても、俺が一番大切にしたいのは、美月と過ごすこの時間だけだ」
まっすぐに伝えられた言葉に、美月の瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「私も……横田くんと話しながら、ずっと諒のことばかり見てた。東さんと楽しそうにしてる諒を見て、すごく苦しくて……やっぱり私、諒の特別な一番になりたい」
美月は溢れる涙を制服の袖で拭いながら、自分の気持ちを絞り出すように伝えた。
二人はどちらからともなく一歩を踏み出し、渡り廊下の夕日の中で、互いの手をしっかりと握りしめた。今度は惑いも迷いもない。強く、固く、互いの温もりを確かめ合うように指を絡め深めていく。
「……ねえ、諒」
「ん?」
「来週、クラスで球技大会の準備があるでしょ? 黒川くんも同じ実行委員だから、ちゃんと話してみようと思うの。私たちがちゃんと向き合ってること、逃げずに見せたいから」
泣き止んだ美月の顔には、いつもの柔らかく、けれど力強い微笑みが戻っていた。
「ああ、そうだな。俺も一緒に話すよ」
すれ違いかけた二人の心は、秋の夕暮れの中で再び強く結び直された。学校という日常の大きな輪の中に戻りながらも、二人だけの特別な絆は、より揺るぎないものへと変わっていこうとしていた。




