第四話 勘違いは加速する(後半)
(……気のせい、だよな?)
バッグのジッパーはしっかり閉まっているはずだ。
だが、その中には、朝どうしても俺についてくると言って聞かなかった、元・化けヒョウの『太郎』が忍び込んでいる可能性が、極めて高かった。
「にゃ〜」
(……気のせいじゃなかった)
静まり返った読書中の教室に、およそ似つかわしくない緊張感のない鳴き声が響く。
「えっ……? 今、猫の鳴き声しなかった?」
「まさか、学校に猫なんて……」
周囲の奴らがキョロキョロと辺りを見回し始めた。
俺は冷や汗が流れるのを抑えながら、机の横のバッグをそっと覗き込む。
すると、ジッパーの隙間から、ふわふわとした丸い頭と、爛々としたヒョウの――いや、今はただの猫の目が、じっと俺を見上げていた。
「にゃん!」
「うわっ、出た!?」
太郎は器用に頭でジッパーを押し開けると、そのまま俺の机の上へと飛び乗ってきた。
教室内が一瞬で凍りつく。
「ひっ、ヒョウ……!? いや、猫……!?」
「おい見ろよ、神樹の机の上に猫がいるぞ!」
「まさかあいつ、猫をカツアゲしてきたんじゃ……」
(だから、どんなカツアゲだよ)
周囲の奴らは、俺が何をするか分からなくて遠巻きに怯えている。
当の太郎はというと、俺の文庫本の上に堂々と居座り、肉球でページを押さえつけて「構え」とばかりに喉を鳴らしていた。
(……おい、いいところだったのに読めないだろ)
俺は深く、深いため息をついた。
いつもなら冷たい目でクラスメイトを睨みつける俺が、目の前の小さな毛玉に対して、完全に困り果てて、心底呆れ返った顔をしている。
「……お前なぁ。帰れって言っただろ」
俺は怒る気すら失せて、肩の力を抜いた。
そして、仕方のない奴だというように、太郎の短い耳の後ろを指先で優しくガシガシと掻いてやる。
「にゃあ〜〜……」
太郎は気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロと音を立てて俺の手に頭を擦り付けてきた。
その瞬間、教室の空気が、これまでにない奇妙な静けさに包まれた。
「あれ……? 神樹くん、猫にすごく優しい……?」
「っていうか、あの猫、神樹くんにめちゃくちゃ懐いてない?」
「いつも怖い顔してるのに、なんか……めちゃくちゃ困った顔してる……」
クラスの女子たちの視線が、怯えから、どこか戸惑いを帯びたものに変わっていくのが分かった。
不良が雨の中で捨て猫を拾うと良い奴に見える、というアレに近い現象かもしれない。
俺は別に捨て猫を拾ったわけでも、良い奴なわけでもない。昨日こいつと命がけで戦っただけだ。
「おい、神樹……お前、意外と……いや、なんでもない……」
遠巻きに見ていた男子の一人が、恐る恐るそんな声を漏らす。
誤解を解く気なんてサラサラないが、この「めちゃくちゃ凶暴な不良」から「猫に振り回されている困った奴」への微妙な空気の変化は、本を読みたい俺にとっては少々居心地が悪いものだった。
(はぁ……。早く放課後にならないか。早くこいつを裏山に連れて行って、特訓を始めたい……)
俺は懐の中で丸くなる太郎の頭を撫でながら、ただそれだけを願っていた。
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