第1話 黒冠の噂
黒冠のアルク I
―― 航路のはじまり
プロローグ 黒冠の噂
辺境星域は星が遠い。
帝国輸送艦レグルスは辺境星域の中を進んでいた。
積んでいるのは帝国第七観測基地向けの補給物資だ。
静かな艦橋。
通信士が、帝国の全域配信を読み上げる。
『辺境星域の治安悪化により、航路を一時封鎖する。
期限、今夜零時。
未登録船舶の航行は違法扱い。
航路税は三倍に改定し、安全保障費に充当。』
この航路の先にある植民コロニーは、帝国の補給が途絶えれば数週間で干上がる。
封鎖とは物流停止であり、物流停止とは餓えだ。
中央の決定ひとつで、人々の生活は揺らぐ。
医薬も燃料も、薄い空気のように尽きていく。
そのときだった。
艦橋の雑音が、ふっと薄れる。
警戒音が艦橋に響く。
「通信ノイズ増大、センサーに異常!」
艦長が眉をひそめる。
長距離センサーが示したのは、微細な重力歪曲。
自然現象に紛れるほど微弱な反応。
「電子妨害! センサーがブラインド!」
レーダーの表示は乱れ、砂嵐のノイズが走る。
「赤外線センサーも使用不能!」
すべてのセンサーが同時にノイズに覆われる。
「重力歪曲パターン……人工的だ。何かいるぞ!」
「未確認反応、接近! 小惑星帯の陰!」
前方スクリーンに、黒い影が浮かぶ。
宇宙の闇よりも黒い、細身の船体。
装甲は光を吸い込み、輪郭だけが闇に溶け込んでいる。
艦首には一つの紋章が刻まれている。
紋章は王冠を思わせるが、栄光を示す金ではない。
光を呑み込む、黒い王冠。
輪郭だけが残り、中心が黒く沈んだ王冠のシルエットだった。
「識別信号なし。……武装反応あり!」
艦橋に緊張が走る。
「右舷側面に砲門構造を確認。スペクトル解析、一部軍用規格。
武装しています!」
通信が割り込んだ。
『停止しろ。積荷を置いていけ。』
通信の主は若い声だった。
ブラッククラウン号の艦橋。
少年が静かに前方スクリーンを見ている。
船長アルク。
『抵抗するな。怪我はさせない。』
艦長が即座に命じた。
「海賊だ! 砲門開け!」
だが砲の照準は合わない。
レーダーの表示はすべて乱れ、砂嵐のノイズが走る。
電子戦。かなり洗練された妨害だ。
「目視で攻撃しろ。」
艦長が慌てて命じる。
その間に、黒い船は、まるで空間の折り目を見つけたように砲の死角へ滑り込む。
そして“そこにいない”ように消えた。
***
帝国は航路で宇宙を支配する。
だが、その航路の終わりでは――
辺境星域は星が遠い。
光は届く。だが、助けは届かない。
そして帝国正式航路の終端では、沈黙が支配する。
帝国アウレリウムの中心圏では、航路は血管のように張り巡らされ、巨大な交易船が規則正しく行き交う。
だが外縁星域へ行くほど、その血管は細くなり、正式な航路は地図の端で途切れる。
そこから先は「自己責任」と「経済合理性」という言葉で片づけられた空白。
帝国辺境航路と非公式航路で結ばれた、辺境星域だ。
だが、空白の中にも人は生きている。
***
輸送艦の艦橋では、警告灯が激しく点滅を続ける。
数秒後、接舷警報。
「外装ハッチに接触反応!」
「警備兵を現場に向かわせろ!」
艦長が命じる。
「駄目です!
艦内通信にジャミング!
警備兵を誘導できません!」
艦長は唇をかみしめた。
警備兵たちは各個に突入予測ポイントへ向かう。
だが、最初の警備兵が到着したとき、視界が白く弾けた。
閃光弾。
続くのは短く的確な動き。
急所を避けた打撃、武装解除、拘束。
続けてバラバラに到着する警備兵たちも次々と倒された。
怒号も、残酷な笑いもない。
抵抗は数分で終わった。
「貨物を運ぶぞ。
医薬品が最優先だ。」
貨物搬送が静かに始まる。
***
十五分後。
艦橋の乗員は拘束されたまま座らされていた。
貨物区画では、コンテナが搬送レールに接続され、自動搬送ドローンが静かに往復している。
迅速。無駄のない手順。
荒々しさはない。
略奪というより、作業に近い。
やがて、最後のコンテナが送り出される。
「搬送完了。」
低く落ち着いた声が告げた。
侵入者たちは来た時と同じように、音もなく撤収していく。
電子妨害が解除され、センサーが復帰した時、そこに敵影はなかった。
残されたのは、
積荷が消えた貨物室。
死者ゼロ。
重傷者ゼロ。
撃ち合いの痕跡すら薄い静寂。
そして、ブラッククラウン号は航路の闇に消えた。
だが、この宙域を行き来する船乗りたちは知っている。
闇の中に、道を作る者たちがいることを。
帝国にとっては犯罪。
辺境にとっては救済。
そのどちらも、嘘ではない。
辺境では、彼らをこう呼ぶ。
航路をひらく者たち。
黒冠。
艦長が歯を食いしばる。
「……ブラッククラウンめ。」
遠く離れた辺境コロニーでは、
今夜、灯りを消さずに済む者がいるかもしれない。
***
同じ頃、帝国中央星域では一人の士官候補生が報告書を読んでいた。
海賊団ブラッククラウン。
その船長アルク。
その名前を見た瞬間、彼女の指先がわずかに止まる。
リア・ソーン。
やがて帝国艦隊で、この海賊を追うことになる少女だった。
捕まえるために。
第1章 賞金首の少年船長
海賊船ブラッククラウン号の艦橋は、騒がしい。
機械音より人の声が大きい船は生き残ると言われている。
「搬送完了。作戦成功。」
ルナが笑顔で言う。
「でも、帝国の護衛艦が接近してくる。駆逐艦。」
ノアの声は冷静だった。
「連中、ずいぶんとごゆっくりな到着だな。」
ガロンが笑う。
「救助信号、妨害してたからね。」
ノアもつられて笑う。
前方スクリーンに浮かぶ光点が、急速に距離を詰めてくる。
「ルナ。」
アルクは短く呼ぶ。
「加速するよ。
大丈夫。射線には入れない。」
操縦席の少女が叫ぶ。
軽やかな操縦桿操作に応じ、船体がわずかに姿勢を変え、急加速する。
少女の名はルナ。
短く切り揃えた赤い髪に、油汚れのついた作業服。
工具ベルトが腰で鳴る。
細身だが、座席に収まる動きは機敏で、エンジンの癖を身体で覚えている。
「食いついてくる。振り切れない。
船長、どうする?」
艦橋中央の船長席。
背もたれに、だらしなく寄りかかっている少年。
船長、アルク。
黒い瞳が、窓の外の星を“測る”ように眺めている。
まるで見えない航路を読んでいるように。
指先で空間をなぞりながら、静かに言った。
「少し待て。三秒。そのまま直進。」
「またそれ!
“宇宙の機嫌”ってやつ!?」
ルナがあきれて言う。
「機嫌じゃない。……星間流の癖だ。」
星の並びと見えない星間流を、アルクは感覚で読んでいる。
アルクは指を一本立てた。
一……二……三。
突然、近くにあった小惑星帯付近で星間流が不安定になる。
星間乱流が発生した。
小惑星の岩塊が乱れた空間に吸い込まれていく。
ブラッククラウン号の艦橋でも警報が鳴る。
「今!
進路変更。方位角七、仰角マイナス三。
星間乱流の影に。」
アルクが指示する。
ルナが姿勢制御用スラスターでブラッククラウン号の向きを変える。
機首をわずかに沈め、乱流の影に“潜り込む”。
船体が滑る。
「アルク、船体の向き、これでいい!?」
「いい、そのまま。
敵センサーの死角になる。」
船は乱流を影にして加速する。
通信席では、ノアが無言で端末を叩く。
痩せた背の高い少年。
反射を抑えた視覚デバイス越しに世界を見ている。
表情は薄いが、指先の動きは異様に速い。
火器管制席では、大男が後方砲塔の砲身を操作している。
ガロン。
元帝国軍の兵士。
傷の残る顔と、岩のような体格。重装甲スーツを着れば“人型の装甲”だ。
「船長、牽制する。」
アルクの指示を待たず、駆逐艦に向け牽制射撃を放つ。
狙いは、敵艦の姿勢制御を乱し、進路修正を強制すること。
数十秒後。
「抜けた! 脱出成功!」
ルナが叫んだ。
「敵艦のセンサー反応なし。
振り切ったみたいだね。」
ノアの落ち着いた声。
アルクは無言で肩をすくめた。
その時、船内通信端末に帝国からの告知が入った。
『指名手配:ブラッククラウン号船長アルク。懸賞金:更新……。』
ルナがその金額を見て顔を引きつらせる。
「……ねえ船長、これ桁が増えてない?」
ガロンがルナを無視して低い声で言う。
「船長。コーヒーが切れてるぞ。」
ノアがぼそり。
「さっき、船長が最後の一杯を飲んだ。」
アルクは真顔で言った。
「重要案件だな。」
「今それ!?」
ルナのツッコミが艦橋に響く。
ブラッククラウンは、海賊だ。
だが略奪者ではない。
“守るために奪う”という矛盾を、当たり前みたいに背負っている。
そしてクルーは、無茶を知りながら従う。
この船長が“勝率”より“生存率”を選ぶ男だと知っているからだ。
ガロンは民間人を撃てという命令を拒否して軍を追放された。
ノアは帝国の腐敗記録にアクセスし、追われる身となった。
ルナは腕を見込まれて強制的に徴兵されかけたところを、アルクに救われた。
彼らにとってブラッククラウン号は、ただの船じゃない。
居場所だ。
ガロンが低く言う。
「しかし船長、相変わらず星の読み方が普通じゃねえな。
ただ勘がいいというレベルを超えてるぜ。」
アルクは苦笑する。
「ただ、なんとなく流れが分かるだけだ。」
説明できない感覚。
星の間を流れる見えない道が見える。




