第9話:ダンジョンの主
全てを飲み込むような洞窟の闇の奥に、二つの紅い光が、憎悪を滾らせて爛々と浮かび上がった。
地響きを伴う凄まじい足音が、凄まじい速度でこちらに近づいてくる。
やて闇の中から姿を現したのは、今まで遭遇したオーガとは比較にならないほど巨大な、禍々しいオーラを纏った一体のオーガだった。その手には、人の背丈ほどもある、粗製ながらも凶悪な大型の戦斧が握られている。
ゼロスは内心で舌打ちした。オーガジェネラルか。厄介極まりないが、魔術タイプではないのが唯一の救いだった。
ジェネラルが、空気を震わせる咆哮と共に右手の戦斧をゼロス目掛けて振り下ろす。
ゼロスは即座に『筋力強化(微)』を重ね掛けし、鋼鉄の棍棒を両手で握りしめて迎え撃った。
耳をつんざく轟音と共に、互いの武器がぶつかり合い、拮抗する。その瞬間、空気が歪むほどの衝撃波が発生し、洞窟の壁から土砂が降り注いだ。
「ゼロスさんっ!!」
アリシアの悲鳴が響く。彼女は恐怖に顔を青ざめさせ、目の前で繰り広げられる死闘を固唾をのんで見守っていた。
その悲痛な声が彼の背中を打ち、守るべき存在を再認識させる。ゼロスは歯を食いしばり、ジェネラルとの膂力の限りを尽くした激しい打ち合いに身を投じた。
一撃ごとに火花が散り、鋼と鉄が軋む音が洞窟内に響き渡る。棍棒に伝わる衝撃に、ゼロスは奥歯を食いしばった。武器の耐久度が持つかわからない、短期決戦に持ち込むしかない。
ゼロスが渾身の一撃を放つ。だが、相手もここの主。その巨体からは想像もつかないほど機敏に反応し、ゼロスの棍棒に寸分違わず斧を合わせてくる。
何合目かの打ち合いで、バキン、と繊維が断ち切れるような嫌な音が響いた。ゼロスの棍棒に、深い亀裂が走った。
「くそったれ…!」
ゼロスは表情を険しくし、内心で悪態をついた。彼はさらに激しい打ち合いに臨む。一撃でも受ければ即死。防御に徹しながらも、好機を窺うしかない。
さらに打ち合いを続けた、その時だった。ジェネラルの斧が、限界を超えた衝撃に耐えきれず、甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
「やったっ!」
アリシアは瞳を輝かせ、歓喜の声を上げる。だが、彼女の歓声とは裏腹に、ゼロスは手に伝わる嫌な感触に顔を顰め、亀裂の入った己の武器に視線を落とした。
「いや…こっちもだ」
そう言った瞬間、ゼロスの棍棒もまた、根元から砕け散り、ただの鉄の棒と化した。
武器を失ったジェネラルは、しかし怯むことなく、その紅い瞳でゼロスを睨みつける。
「よぉ、化け物。ここからは男同士、ステゴロで行こうぜっ!」
ゼロスは不敵な笑みを浮かべた。
『筋力強化(微)』の出力を更に上げるゼロス。それに応じるように、ジェネラルは天を衝くような雄たけびを上げた。
獣脂と筋肉の壁に、ゼロスの拳がめり込む。肉が抉れる鈍い音が響き、鮮血が舞った。だが同時に、ジェネラルの岩のような拳がゼロスの脇腹を抉り、彼の体からも血しぶきが上がる。呼吸が止まるほどの衝撃に顔を歪めながらも、彼は攻撃の手を止めない。スキルの反動と、敵からのダメージ。その両方が、ゼロスの肉体を着実に蝕んでいく。
いくらEランクダンジョンでも、本来単独でやり合う相手ではない。だが、背後で祈るように戦いを見守るアリシアがいる。ここで死ぬわけにはいかないのだ。
痛みを無視して、殴り合いに応戦する。骨の芯まで響く衝撃に耐え、ただひたすらに拳を振るった。
互いに何発も殴り、殴られた後、ついにジェネラルがぐらりと体勢を崩し、片膝をついた。
「…どうやら、我慢比べは俺の勝ちみたいだな…」
荒い息をつきながら、ゼロスは勝利を確信する。
そう言い、最後の一撃を放つために、スキルの出力を上げようとしたゼロスだったが、その瞬間、全身に電流が走ったかのような激痛が襲う。彼の顔から血の気が引き、苦悶に歪んだ。まさか、限界か。
ゼロスは後ろにいるアリシアに振り返らず、最後の力を振り絞って声を掛けた。
「逃げろアリシア!!!こいつはここで俺が食い止める!!」
その言葉に、アリシアは絶望に目を見開いた。
「いっ!嫌です!!」
「うるせぇ!早くしろ!!!」
醜悪な顔に歪んだ笑みを浮かべながら、ジェネラルがゆっくりと立ち上がろうとしていた。目の前の男の身体に限界が近いことを、獣の本能で悟っていたのだ。
ゼロスの厳しい声に、アリシアの肩がびくりと震える。だが、彼女は逃げるどころか、涙の滲む瞳で彼を真っ直ぐに見つめ返し、震える唇で反論した。
「嫌です!ゼロスさんが残るなら私も残ります!!」
彼の命令を、彼女は再び拒絶する。
「黙れ!!」
その怒声にも怯まない。彼の拒絶は、もはや彼女の決意を揺るがすことはできなかった。アリシアは恐怖を振り払うように叫んだ。
「…絶対に嫌ですっ!初めて出来た、私のパートナーなんですからっ!!!」
「…っ!」
アリシアの魂の叫びに、ゼロスの胸が締め付けられる。もっとまともな戦闘スキルがあれば、彼女にこんな顔はさせずに済んだのに。後悔が、彼の胸を苛んだ。その時、アリシアの決然とした声が響いた。
「私が、癒しますっ!!」
彼女はゼロス目掛けて、震える声で、しかし決然と、ヒーリングスキルの呪文を詠唱し始めた。
「光よ、傷を癒したまえ…痛みを和らげ、力を与えたまえ…」
その無防備な姿に、ゼロスは覚悟を決めた。
「フル詠唱の初級ヒーリングか…いいだろうっ!」
本来、スキルに詠唱は不要だ。詠唱中は完全に無防備になるため、リスクが跳ね上がる。だが、そのリスクと共に、効果もまた、通常とは比較にならないほど増幅されるのだ。
彼はアリシアに背中を預けると、再びジェネラルに向き直り、獰猛な笑みを浮かべて挑発した。
「化け物っ!第2ラウンドだ!!」
再び闘志に燃える目の前の男に、ジェネラルの紅い瞳に明らかな動揺が走った。
「天の慈悲よ、この身に宿れ…傷ついた者を癒し、疲れた者に安らぎを…ヒーリング!」
フル詠唱を終えたアリシアの手から、温かい光が放たれ、ゼロスの体を優しく包み込む。
ダメ元で2ラウンド目を開始しようとした、その時だった。先ほどまで全身を苛んでいた激痛が、嘘のように引いていく。力が、体の奥底からみなぎってくるのがわかった。
「…なんだこれは…」
ゼロスは驚きに目を見開いたが、すぐに獰猛な笑みを浮かべた。
「まぁいい!化け物…フィナーレと行こうか」
ジェネラルは雄叫びを上げながら、ゼロスの顔目掛けて渾身の左ストレートを放つ。だが、アリシアの光を纏ったゼロスからの高速の右クロスカウンターが、その顎を強烈に打ち抜いた。
カウンターを喰らったジェネラルは怯むが、すぐに反撃の構えに出ようとする。しかし、ゼロスはカウンターを放った腕をそのまま伸ばし、ジェネラルの後頭部を掴むと、自身の元へ手繰り寄せた。がら空きになった顔面に、強烈な膝蹴りを叩き込み、宙に浮いた頭を、左の鉄拳で地面に叩き伏せた。
堪えきれず、片膝をつくジェネラルがゼロスを見上げる。
「あばよ、化け物」
『筋力強化(微)』の出力を最大まで引き上げる。ゼロスはその力を両腕に圧縮し、彼の腕はありえないほどに膨張した。
もはやそれは人の拳ではなかった。
ジェネラルは反応しようとしたが、ゼロスから放たれる豪打の連打を避けることは出来なかった。
凄まじい爆音の連打が洞窟に響き渡ったあと、そこに残ったのは、肉が剥がれ落ち、ボロボロに死に絶えたジェネラルの骸と、その前で荒い息をつきながら悠然と立つゼロスの姿だった。
緊張の糸が切れ、ゼロスは安堵のため息をついた。
「あっぶねぇ…久々に死ぬかと思った…」
彼は振り返り、「アリシア、ありがとう。助かったよ」と、いつものように笑いかけた。
その時、アリシアは彼の胸に、わっと飛びついてきた。その小さな体は、恐怖と安堵で小刻みに震えている。
「よぐ…ご無事で…」
涙声で、彼女は彼の胸に顔をうずめた。
ゼロスは、震える彼女の頭を、優しく、ただ優しく撫でた。
下層と中層の間にある休憩区画で、二人は休んでいた。
「ゼロスさん、お身体は本当に大丈夫ですか?」
アリシアが、心配そうに彼の顔を覗き込む。彼女の瞳はまだ赤く潤んでいた。
その飄々とした口調とは裏腹に、彼の顔にはまだ疲労の色が濃く残っていたが、アリシアを安心させるように、彼はことさら明るく笑ってみせた。
「だいじょーぶだいじょーぶ。ちょっと休めばすぐ動けるようになるから」
「いや、しっかし、凄いね。あの治療スキル。あれがなかったら、さすがに俺もやばかったかも」
彼の賞賛に、アリシアはふるふると首を横に振る。
「いっ、いえ!!ゼロスさんが居なかったら、そもそも私も今頃生きてませんしっ!」
「…そういう時は休憩できる区画で、じっと身を潜めておくんだ。1週間もすれば、救援部隊が来るから…まぁ代わりに魔核全部没収されちゃうけどね」
アリシアは彼の胸から顔を離すと、潤んだ瞳で彼をじっと見つめた。
「…冗談でもそういうこと言わないでください…その場合、ゼロスさんは私の傍にはいないじゃないですか…」
彼女の真剣な眼差しに、ゼロスは一瞬言葉に詰まった。そして、照れ隠しのようにわざとらしく笑うと、話題を逸らすようにジェネラルの魔核を掲げてみせた。
「あはは…そうなるのかね。怖い怖い。それよりも、ほら!ジェネラルの魔核見てみなよ!これ1個で白金貨1枚になるよ!」
そうおどけようとした瞬間だった。アリシアは、再びゼロスにぎゅっと抱き着いてきた。
「ちょちょちょ!アリシアさん、どうしたの!?」
彼女は顔を彼の胸にうずめたまま、くぐもった声で言った。
「…私はそんなものより、私のパートナーのほうが大事です…」
その真摯な言葉に、ゼロスは少し沈黙してから、「…ごめんって。次からは無理しないよ」と、優しく呟いた。
Eランクダンジョンをあとにした二人。帰路の途中で、アリシアは急に頬を染め、照れたような顔をしてゼロスに話しかけてきた。
「ゼロスさん、あの時、私の事、呼び捨てにしましたよね…」
その言葉に、ゼロスは、え!?という顔をして、記憶を辿る。確かに言った。「逃げろアリシア」と。
「あ、あの時は不可抗力でございますよ…怒ってらっしゃいますか…?」
「いえ!そんなことは…むしろ…」
アリシアは頬を染め、視線を足元に落としながら、指先を絡ませた。その仕草に、ゼロスはごくりと喉を鳴らす。
「む、むしろ…?」
「これからも…呼び捨てで呼んでほしいな…と、思いまして…ダメでしょうか…?」
潤んだ瞳で、彼女が恥ずかしそうに上目遣いで見つめてくる。そのあまりの破壊力に、ゼロスは狼狽した。
「ダメです!!」
予想外の強い拒絶に、アリシアは不満そうに可愛らしく頬を膨らませた。
「…えー?なんでですかぁ?」
「俺たちはパーティーメンバーなんですよ…そんな呼び捨てで呼び合うようなことしたら、周りが変な勘違いしますよ…」
彼の理屈に、アリシアは納得できないとばかりに一歩詰め寄り、熱のこもった瞳で彼を見上げた。
「私はゼロスさんのことはゼロスさんって呼びます。私の事を呼び捨てにしてほしいんです」
「もっとダメっ!!!」
「なんでですかぁぁぁ」
二人は、微笑ましい会話を続けながら、夕暮れのギルドへと戻った。
(第九話/了)




