19
「僕が、言うのも何だけどさぁ……」
「んー?」
「兄上、頭おかしくない??」
けほ、と血を吐きながらルイは言った。
「普通、いくら弟が聞き分けがないからとって、こんなところに押し込めたりしなくない?というか仮にも僕、まだ王配なんだけど。これ一応、王族の拉致監禁事件なんだけど」
「わぁ、お前案外しぶといね?よくこれだけ痛めつけられてそんなに口が回るね?」
倒れ伏せたルイの背中に座る少年。斜めに切られた前髪のドゥイードル・リトル。
『ドゥイードル』という全く同じ名前を持つ双子のうち、弟である為便宜上リトルと付けられて呼ばれている彼は、それにケラケラと笑って「でも言えてるー」と頷いた。
「てか、そうでもなきゃ麻薬農園とかはじめないでしょ。本来何の苦労もせず生きていられたはずの貴族のおぼっちゃまが、中毒者が集まる汚くて卑しいアヘン窟のオーナーやってたんだよ?そりゃイカれてなくちゃ務まらないって」
「で、事業拡大の末にゴッドファーザー?」
「そうそう。家の力にも金にも頼らず事業を大きくして、そうして得た金でどんどん組織を大きくしていった。孤児を育ててファミリーにしてさぁ。並の人間じゃないよね、本当。死んじゃったのが勿体ないよ」
「ウグッ」
流れ作業のようにナイフの柄で殴られて、視界がまた一瞬白む。衝撃でうっかり噛んでしまった舌が痛い。本当に碌なところじゃない。
百歩譲ってここに弟を閉じ込めさせたのはまだ良いとしても、こんな扱いをさせたのは納得がいかない。勝ち逃げのように先に死なれてしまったのも腹が立つ。
やっぱりのんびり話なんか聞かないで、自分の手で殺してやれば良かった。
「っ、たいなぁ……。少しは手加減してくれないかな。僕、もう今日は十分頑張ったと思うんだけど」
「んー。うーん……。どうしよっかなぁ」
「というか、そもそもこの拷問って本来予定になかった時間でしょ。仕事はちゃんとこなしたし、今日僕が怪我一つしなかったのは、僕の涙ぐましい努力と素晴らしい発想力のお陰ってだけ。見張りの彼らからも報告を受けなかった?」
「うわウッザ。でもそうなんだよね、そこなんだよね!」
持っていたナイフを放り投げて、パチン!と両手を叩いて、ドゥイードル・リトルは溌剌とした声を上げた。
そこでやっと、リトルがルイの背中の上からぴょんと起き上がるようにして退く。「不思議なんだよねえ」としみじみと呟く不気味な少年。ルイの目の前にしゃがみ込んで、不思議そうにルイの顔を覗き込んだ。
「お前、ボスから聞いてた話と全然違うんだもん。王都で可愛い女王様に毒されて、ゲロみたいな味の正義感に酔ってたんじゃないの?」
「……それは、兄上が?」
「そう。あとはそんなお前の心を適度に折っておけ、だってさ。今日お前にやらせた仕事は、そんなお前のトラウマになるようなものだったはずなんだけどなぁ……。なのになんでお前、無事で帰ってきちゃったの?何であそこであんな可哀想な親子を、躊躇なく殺せたのかなぁ?」
「うーん……。それは君の考え方が固いんじゃないかな?あそこまで脳みそを薬にやられていたのなら、いっそ殺してあげるのが慈悲、みたいなところはあったと思うよ」
乾きかけの血を額に残しながら、ルイは空々しく笑った。
今日ルイが向かわされたのは、いわゆる抗争の一種だった。生前のエドガールが関与していなかった、つまりはいつの間にか勝手に作られていた他組織の阿片窟。そこの客は全員その組織にすっかり取り込まれていて、密売、売春その他諸々と手伝わされて搾取されていた。要するに、客も含めて構成員のようにっていたのだ。
生前のエドガールの言葉を借りるのなら、全く『美しくない』事業を行っていたところである。ルイはそこに行って、まずはか弱い女子供を殺すようにと命じられた。
複数の見張りをつけられ、逃げられない状態。また相手はか弱い女子供とは言っても、それぞれ薬で理性を無くした獣同然。シクシク泣いて狂乱しながら襲ってくるのだから、下手を打てばルイだって無事では済まない筈だった。
が。
それはあくまで、ルイが所謂『善き人』で、彼らに情けをかけてしまうような人間であった場合の話である。
ルイはその点少しも躊躇わなかった。
油を撒いて建物を焼いて、阿片窟そのものを簡単に燃やしてしまったのだ。狭い建物に何十人といて、そのほとんどが理性も碌にない中毒者達。昼間にはぐったりとしてほとんど外に出られない、吸血鬼のような病人達。
監視役達にも手伝わせて入り口塞がせれば、後は簡単だった。女子供どころかその他に重症者も多数出た。
ルイのためらい一つない所業に、いっそ同行していた見張たちが引いていたほどである。
「ねえ。お前本当はちっとも優しくなんかないでしょ。ゲロみたいな正義感もどうだって良いし、自分以外が死のうと売られようと心は少しも痛まない。ボスはお前が変わっちゃったって言ったけどさ、それってボスの勘違いだったりしない?」
「ええ……。それってつまり、僕が悪人だって言いたいわけ?」
「ボスはお前のこと、元々すごく人でなしだったって言ってたよ。でもオレが見たお前は、今だって立派な人でなしだ。だからこそ不思議なんだよね」
「すごい好き勝手言うな……」
「ねえ、ルイ・カリスト。お前みたいな人間が、どうして他人のために労力を割いて、その上ボスに楯突こうなんて思ったわけ?馬鹿じゃないんだからさぁ、一筋縄じゃ行かないことくらい分かってたでしょ。特にお前は、あの人の弟だったんだから」
オーロラみたいな色をしたリトルの目が、不気味にルイを見下ろしていた。
ルイはすると、思わずと言ったような様子で小さく笑ってしまった。
リトルは、そんなルイにきょとんとまばたきをした。ムッとする。どうして笑うのだろう。ちょっとムカついたから、後でブタの餌でも食わせてやろうかな。
「どうしてって、嫌だな君。僕が誰だか忘れたのかい?」
「誰って、ルイ・カリストだろ。あんまりオレを馬鹿にするなよ!ボスの弟で、カリストの息子で、王配の出来損ないだろ?」
「何だ、分かってるじゃないか。そうだよ。利用して使い捨てる筈だった女王に、うっかり救われてしまった、カリスト家の出来損ない。それが僕だ」
「救われたぁ?」
「そう。僕に両親を殺された可哀想な女の子に、僕は身勝手にも救われた」
怪訝に顔を顰めるリトルに、けれどルイは淡く微笑んで頷いた。
思い出すのは、あの薔薇のような赤い髪。無邪気に跳ねる少女の姿。「お兄さま」とルイを呼んだ、華奢な背中の女の子。けれど時折、驚くほどに静謐な横顔を見せた年若い女王。
何も知らないと思っていた。
だから敢えて、苦しいことを教える必要はないと、ただ優しい世界だけを見せようと思った。だからルイも何も知らせないまま、全部を解決してあげようと考えたのだ。
けれど、そうではなかった。
ルイはそれを夜会の時になって、あの血塗れの処刑を見て、はじめて理解したのである。あの子は全部知っていて、その上で愚鈍な女の子のふりをしていたのだと。
愕然とした。それはどれだけ、どれだけ苦しい道のりだっただろう。酷く苦痛だったに違いない。ルイのことだって、憎くて憎くてたまらなかったはずだ。それでも来たる日のために、あの子はずっと耐えていたのだ。
あの子はこれまでの間、ちっとも幸せなんかじゃなかった。
「好きな子に幸せになって欲しいって思うのは、人としてごく当たり前のことだろう?」
「………はぁ??」
意味が分からない、とでも言いたげにリトルが顔を顰める。ルイはそれに苦笑して、まぁ、そうだろうなぁと思った。ルイだって二年前なら、きっと同じ反応をしただろう。
今更善人ぶるつもりはない。
いつだってルイは人でなしのままだし、今だってルイは目的のためなら人を殺すのにも、兄を殺そうとすることすら躊躇わないような人間だ。
人間を物のように売買するし、権力の為なら不正はするし、命だって何とも思わない。貴族だろうと平民だろうと、ルイにとっては等しく『物』だ。
昔はそうでも無かった気がするけれど、少年時代。あまりにも役に立たないルイを矯正する為、父が何人かの奴隷を引き合わせてくれた時から、ルイは今のルイになったのである。
ナイフを握り、仲良くなった『ともだち』と殺し合ううち、自分以外の人間などただの『物』なのだと理解した。
だからルイにとって他人とは、役に立つかどうかが価値基準だった。本当の意味で他人を慮ったことなんて一度もない。人格も何もかも、誰がどう傷付こうがどうでも良い。
そう思っていたのだ。自分でも驚くほど、呆気ないくらいあっさりと、十も年下の女の子に救われてしまう日までは。
あの瞬間、はじめてルイの世界に、ルイ以外の誰かが『人』として現れたのだ。
アリアが喜べば、それだけでルイも嬉しくなった。アリアが泣くと、それだけでルイはどうしたら良いか分からなくなった。
他の誰かが泣いていても、他のどんな女が駄々をこねても、ルイは簡単に宥められるし慰められる。けれどアリアが泣くと、ルイは途端にどうしたら良いか分からなくなって、ただ泣き止んで欲しくてオロオロと立ち尽くすことしか出来なかった。
アリアが嫌がると知ってからは、出来るだけ身分のない者達のことも慮るようにした。
アリアが嫌がると知ってからは、出来るだけ自分の傲慢な仕草もやめた。ごく平凡な、人の良い人間のように振る舞うようになった。
好かれたいと思っていたわけではない。
見返りが欲しかったわけでもない。
ただアリアのために何かをしたかった。アリアに幸せになって欲しかった。アリアが誰にも傷つけられない世界を作りたくて、はじめて真面目に政治をやって、カリストの為ではなく自分の為に政敵と戦った。
いつの間にか死んでいた王権派の貴族達は、全部ルイがやったのだ。アリアが襲われた時には、アリアを庇って毒矢に当たったこともあった。
青白い顔で立ち尽くすアリアを見て、けれどその時ルイの心に満ちたのは、幸福なほどの安堵であった。
アリアに幸せになって欲しい。
アリアのために、出来る全てをしてあげたい。
その為に自分の命が必要なら、それもそれで良いかと思った。ルイはアリアに救われて、生まれて初めて、何かに必死になった。
恋ではない。愛ではない。だってそれは、とても綺麗なものだ。ルイには相応しくない。ルイの持つこれは、決してそんな純粋でお綺麗なものではない。
恋と呼ぶには醜悪で、愛と呼ぶには烏滸がましい。ひとりよがりで悍ましい、押し付けるような勝手な献身。
分かっている。それでもルイには、他の誰かを好きになったことなんてないから、これしか分からなかったのだ。
「僕はただ、好きな人に幸せになって欲しいだけだ。僕にとっては、それがアリアであったというだけ。さっき君が言った通り、僕は王配なんだ。女王を慕うのは当然だろう?」
アリアはすごい。だって思い浮かべただけで、勝手に頬が緩んで幸せになる。口の中は切れていて、奥歯は砕け、きっと肋骨だって折れている。馬から落ちた時よりもよっぽど痛いかもしれない。けれどそれでも、あの子を思い出したら、それだけで心が満たされる。
「……ふ、あはっ!あははははははっ!!」
「ええ……?ここで笑うかなぁ?普通。一応真面目な話だよ?」
「いやだって、お前やっぱりボスの弟じゃん!」
「今更ぁ?」
呆れたようにジト、とリトルを見上げる。
人の真剣な行動原理を聞いて、腹を抱えて笑うのはいかがなものか。というか、そろそろこの鎖を解いて欲しい。いい加減起き上がりたいものである。
ため息を吐くルイを他所に、やっと笑い終わったドゥイードル・リトルは、「はーっ!」と満足したように天井を仰いだ。
「いやぁ……。靴下に隠したナイフといい、良い根性してるなぁとは思ってたけど、まさか動機が女とか!くっだらなーい!そんなものに命かけられるとか、やっぱお前イカれじゃん!」
「すごく楽しそうに人を狂人扱いするね、君。モラルとかデリカシーって言葉知ってる?」
「知らなーい!」
にこにこと笑うリトルに、ルイはため息を吐く。本当は舌打ちしたいところだったけれど辞めた。
今日行かされた阿片窟でひっそり調達し、隠し持っていたナイフを見破られていたのは痛いが、ここで苛立って見せてもこの男はむしろ喜ぶような気がしたのだ。何となくだけれど。
「ね、ルイ。お前やっぱり新しいボスになりなよ!」
「……はあ?何それ。面白くない冗談言うね。僕に兄上の作った組織を継げって?」
「継ぐんじゃなくて、成り上がるの!下っ端から、一から!知っての通り、今この穴倉にはボスがいない。ボスは死んじゃったからね。でもあの人は滅多に姿を現さなかったから、そのことを知ってるのは一部の、それこそ片手で足りる程度のやつだ」
歌うように話しながら、リトルは持っていたナイフの柄でガン!とルイの鎖を壊す。ようやく自由になった手首足首をさすりながら、ルイは怪訝な顔でリトルの話を聞いていた。
「他の奴らがボスの不在に気付くまで、まだ時間がある。それまでにさ、次のボスを狙えるくらいでっかくなりなよ。そうしたらオレ、ルイに教えてあげるよ、エルシーの場所!」
「!」
「エルシーは今、オレ達の仲間の元に潜んで力を付けてる。大丈夫、あいつに事を起こさせるまでは、まだ時間があるんだ。きっとルイが頑張れば間に合うよ、女王を助けられる!」
地面に両手を付き、ズイ、と身を乗り出すようにしてリトルは言った。ルイは唖然として、「正気かい?」と問う。
「君達は兄上に忠誠を誓っていたんじゃなかったのかな。僕がエルシーを止めるということは、兄上の最期の望みを潰すってことだ。それを、君が許容するって?」
「ボスのことは好きだよ。今も大好きだ!オレと兄さんを拾って育ててくれた。でもさ、だからこそ、許せないことってあるんだよ。……あの人があんな女と、あんなつまんない終わり方を選んだこと、オレはまだ許してない」
「………」
「ルイは面白いから好きだ!お前みたいなイカれがどうやって他のやつらを蹴落とすか興味がある!まぁ茨の道だろうけどね。オレの兄さんみたいなボス絶対マンは、ルイが成り上がることを良しとはしないだろうから。しかもそういうやつに限って最高幹部!」
でも、それを含めてルイが成り上がるところを見たいのだとリトルは言った。
ただそうなるとルイがあまりにも不利だから、その為に少しは手助けしてやるとも。
「好きな子を助けたいんだろう?そんなくだらないことの為に命を懸けられるくせに、どんな命も殺せるんだろう?やってみてよ、ルイ!それで、オレに……」
一瞬、リトルはきゅっと口を引き結ぶ。
ルイはその時、なるほど、と思った。ほんのわずかに見えた、瞬きのような短い時間。親を失った迷子の幼い子供のように泣きそうな顔。
「……オレに、あの世のあの人を、ザマァ見ろって笑わせてよ!」
静かな横顔で、ルイはふむと判断する。どうやらリトルの言葉は本心からのものらしい。
「……本当に、間に合うんだね?」
「もちろん。ま、それもルイ次第だけどね」
ニッと笑った斜めの前髪。親のように慕った長に、置いてけぼりにされた哀れな少年。
差し出された条件は破格のものだ。ここで彼を刺して逃げ出しても、匿われているエルシーを見つけ出すのは容易ではない。
断る理由は無かった。ルイは立ち上がり、にこりと笑う。
「そういうことなら受け入れよう。これからよろしく、ドゥイードル・リトル」
握手の形に差し出した右手が、強く強くと握られる。
こうしてモントタルテ王国では、王配がマフィアのボスを目指し成り上がろうとする、前代未聞の事態と相成ったのであった。
本当は幕間にして、18.5とかで出そうとしていたんですが、質量が中々になっちゃったのでもう普通に19話ってことにしました。
ここだけ何か世界観が違う気がしてなりません。小説って本当に不思議ですね。気付けばどんどん話が勝手に進んでいく。
次からようやくアリアのターンです。




