ついに出会うは熊女!?
ついに目的が果たせる。
そんな思いに支配され、駆け足で斜面に分けいる透陽。顔目がけて飛んでくる羽虫も、湿気をはらんで滑りやすい地面も、彼を妨げるものにはならなかった。
「シャグマさーん!」
相変わらず声は張り上げる。人の声無き林野に、透陽の声は十分に染み渡った。
落ちている小枝を踏みしめ、時折咲いている野の花にちらりと視線をやりながら、先へ先へと向かった、その先。
地面の上に違和感を感じた。枝葉や草花、石ころなどとは全く違う、立体物。
透陽は息を呑んだ。鼓動が高鳴る。今にも心臓が口から飛び出そうな程に、血が沸き立っている。
――シャグマアミガサタケ。図鑑で見たその姿がそのまま目の前に現れた。
興奮冷めやらぬ透陽は、意味のない雄叫びを上げる。
荒い鼻息を立てながら、地面に食らいつくようにそのキノコの雄姿を目に焼き付けた。
皺の寄った太い円柱の柄に、暗い赤色の傘。ぼこぼことしたそれは、まるで火山が上げる噴煙のようだ。
「うおっしゃあっ! あった! あったよ!」
一人で騒ぎまくる透陽。
しかし。肝心のあの存在の姿が見えない。
そう、シャグマアミガサタケの娘、シャグマ・エスクレンタ。彼女が居ない以上、まだミッションコンプリートと言い切ることは出来まい
よし。と、透陽は一際大きく息を吸い込んだ。
「シャグマさあん! シャグマ・エスクレンタさーん! 出てきてくださーい!」
しゃがんだ体制のまま、一転、息をひそめる。これだけ間近で叫んだのだ。聞こえているに違いない。
だが視界に変化はない。一本のキノコそのものが佇んでいるだけだ。空しく風が吹く。
「……恥ずかしがり屋さん、なのかな」
大人びてきりりとしたコニカに、天然溌剌娘なモリーユ。そこに並ぶシャグマ嬢が、シャイガールでも不思議ではない。透陽は勝手に想像した。
だったら悪いことをした。これだけアピールすれば、逆に出てきづらくなっても仕方があるまい。
苦笑して、溜息を吐いた。その時だった。
ざわり、と背中を嫌な気配が撫ぜる。背後に何者かの息遣いを感じる。
「おい」
低く絞り出すような、女の威圧の声が頭の上に振って来た。
透陽は慌てて振り返る。勢い余って尻餅をついた。
もっさりとボリュームのある髪型の女は、どこかで見たようなシンプルなワンピースを纏い、ふさふさと毛羽立つ長い手袋をつけた腕を組んで仁王立ちしている。
彼女の赤く吊り上がった目は、透陽のことをギラギラと睨んでいた。
「っるせーんだよ! 何だよてめぇ! さっきから人の名前気安く呼びやがって!」
「あ、わ……すいません」
「すいませんってなぁ。だいたいてめぇ、何モンだよ。あたしのことを探りに変な人間がきたって、山のキノコがうるさくってしゃーないんだよ!」
ふん、と鼻息荒く、シャグマは透陽の眼前に迫る。目には見えない凄みが、その体から放たれている。眉間に深く刻まれた皺が恐ろしい。
透陽はたじろぎつつも、最低限のマナーを守る方へ頭は働いた。
まずは、名乗ること。初対面の相手に対する基本ではないか。
「えーと、俺、奥羽透陽って言います」
「ふーん。で? このシャグマさまに何の用だ? トウキ?」
「トウヒです!」
「何だっていいだろうが、トウシ。んで、用件は?」
「その……」
透陽は言葉に詰まった。警鐘が頭の中で鳴り響いていたのだ。
今更ながらコニカが言っていたことを思い出していた。『シャグマはすぐに頭に血が上る。顔を見ただけでもアウト』だと。
そして先ほど出会った埃原茶孤の忠告もだ。『命が惜しくば、下手に刺激するな』と。
茶孤の言っていた『熊』との意味もようやく分かった。シャグマ・エスクレンタの外見は、茶孤がキツネであるのと同程度に『熊』なのだ。彼女の赤黒く波打つ髪の中から、丸い熊耳が飛び出している。
透陽の額を冷や汗が伝う。何か良い言い回しがないか。脳味噌をこねくりまわすも、彼の頭の辞書には、対人スキルに関する項目はやや欠如していた。
そうこうしている間に、シャグマの苛立ちは募るばかりだったらしい。
ちっと言う舌打ちが聞こえる。毛深いブーツで小刻みに地面を叩いているのも見える。そのつま先には、鋭く光る四本の爪。
「何だよ。さっさと言えよ。あたしゃウジウジした奴は嫌いなんだよ! それか何だ? 言えないようなことなのか?」
ほとばしるプレッシャー。もう限界だ。透陽は生唾を飲んだ。
拍動を整えるべく、一呼吸置く。
正直者が得をするか、はたまた馬鹿を見るか。シャグマがどう反応するかわからないが、ええい、ままよ。
「では、単刀直入に聞きます。シャグマさん。あなたがコニカさん、モリーユさんを遠ざけるのはどうしてですか?」
「……コニカ? モリーユ!? ……ははーん」
シャグマは不気味な笑みを浮かべた。
嫌な予感がする。透陽は身震いした。
シャグマの表情が豹変する。怒気を孕んだ真顔。ただでさえ血のように紅い目が、さらに強烈な警告色に彩られる。
わなわなと肩を震わせるシャグマ。作ったような静かな声が、すっかり小さくなっている人間の男に釘を差しに来た。
「てめぇはあいつらの刺客なんだな?」
「え!? いや、そんな物騒なものじゃ……」
「うるせえ! あいつらの仲間ってことは、あたしの敵だ! 出てけ! この林から消えろ!」
目を見開いてシャグマが吠える。空気が震える。樹がざわめく。
透陽は戦慄した。触れる地面は、冷たい。
(ああ……やばいって、これ)
一度退散だ。と言いたいところだが、腰が抜けてしまって立てない。情けなく腕で体を引きずるように後ずさりしていた。
その間にも、溜まっていたシャグマの鬱憤が、後から後から放たれる。
髪をかき乱し、腕を振り上げ振り下ろし、地団太を踏んで、虚空に向かって息を荒げる。幸い、透陽のことは目に入っていないようだ。
「ああもう! ムカつく! 全員滅べ! 畜生――」
言葉にならないシャグマ・エスクレンタの叫び声が響き渡る。それが透陽の身体をさらに鞭打った。
ちょうど背中に当たった一本の木。それに捕まって、幼子のようにふらふらと立ち上がる。
少し気持ちに余裕ができた。心情が口から洩れて来る。
「やべえって……あいつキノコっていうか熊じゃん! 勝てるかって、俺! 人間だもん!」
透陽は見ていた。振り上げられた腕の先も、太く毛深い熊のそれだった事実を。ご丁寧に、爪も鋭く手入れされていた。
野生動物の恐ろしさは重々承知だ。勝つ負けるの話ではなく、死ぬ。
「まてよ……」
透陽は思考を巡らせた。確かに見た目は熊だ。性格も凶暴極まりない。
が、その実はキノコではないか。その体は所詮菌糸だ。キノコという物体は意外と脆く、崩れやすいのも理解している。
だったら意外とパワーは大したことは無いのではないか? あれは名前のイメージがつくりあげる、見かけだけの記号では。そんな疑念がよぎる。
その思いが、彼の動きを鈍らせていた。そして、シャグマと目が合う。
「あんだよ! てめぇ、まだ居やがったのか! 死ね! 消えろ!」
彼女の喚き声が遠くから響いてくる。言うだけだったら、全く怖くない。透陽に余裕と希望の笑みが浮かんだ。
が、それはたちまち吹いて消された。
シャグマがこちらに駆けて来るのだ。自転車で全力走行する程の、人間の足とは比べ物にならない速さで。
透陽があっけにとられている内にも、シャグマは襲い来る。
いよいよ眼前に迫る。咆哮と共に、鋭い腕が振り上げられた。
――駄目だ、逃げられない!
透陽は反射的に、横に飛び出した。地面をごろごろ転がる。
土と草にまみれた体を起こそうとした途端。みしみしという不安を煽る音が聞こえて来た。
まさか。透陽は慌てて顔を上げた。
唖然とする彼の目の前で、先ほどまで己がつかまり立ちしていた木が、急加速しながら角度を変える。たちまち、それは轟音と共に地面を打った。
「ちょ……洒落になってないぞ……」
声が裏返った。口はからからだ。
えぐりとった木くずを手から払い落としているシャグマ。その熱さと冷たさを同時にはらむ目がぎろりと動く。獲物である人間を再び射止めた。
彼女は何を思うたか、倒れた木にゆらりと近寄る。そして、自分の胴より太いそれを、いともたやすく抱え込んだ。
次に叫ぶのは透陽の番だった。
恥ずかしげも無く喚きながら、脱兎のごとく逃げ出した。
それは正解だった。つい先ほどまで透陽が居たところ目がけて、特大の丸太が飛んできた。地面をえぐり、滑り、他の木々を根幹から震わせる。目では見えずとも、気配で察知して、透陽は身震いした。
逃げる透陽の背後からは、常に平和ではない音が聞こえていた。木がぶたれる音。山鳥が騒ぐ声。シャグマの叫び。とにかく、それらの音から遠ざかる方向へと、透陽は駆けていた。どこへ向かっているのか。どこから来たのか。そんなことにも構っていられずに。
ようやく静けさの残る林内に戻って来たところで、透陽はエネルギーが切れたように足を止めてへたり込んだ。
「……あんなもん、どうしろっていうんだよ」
まさか熊の通りの腕力まであるとは。どうやらあの娘たちの能力は、人智の外にあるらしい。透陽が相手をするのでは、話にならない。
いや、問題はそうではない。文字通り、話にならないということが、問題だ。
言葉を交わすこともできない相手を、どう説得しろというのだ。
憂いを秘めた二人のモリーユの顔を思い出しつつも、透陽は途方に暮れていた。
「……あれ?」
透陽は嗅覚に意識を集中し、とにかくあたりの空気をかぐ。
何故だろう。こんな山の中で、かすかに緑茶の香りが漂っているではないか。
キノコ目録
シャグマアミガサタケ/シャグマ・エスクレンタ
柄に類球形の傘をつける子嚢菌類のキノコ。春に発生する。
アミガサタケと名はつくが、傘は網目状ではない。「赭熊」と言う髪型に似た形状であることから、シャグマアミガサタケの名が付いた。
猛毒キノコ。毒成分ジロミトリンは肝臓や腎臓に致命的なダメージを与える。
が、沸点が低いためとことん煮沸して毒素を抜けば食べられる。実際に、ヨーロッパでは食材として売られていることも。
ただし、茹でこぼす間の蒸気ですら中毒する危険があるため、命が惜しければ安易に手を出すべからず。




