透陽の道は菌糸上にあり
心には菌糸がはびこっている、それで何を嘆こうか。キノコたちは小さいなれど、愛おしき隣人なのだから。
よく目を凝らしてみれば、どこにだって菌たちは居る。どこに行っても、キノコたちの息遣いは聞こえる。そして彼女たちの姿が見える。もうそうなれば、透陽の人生向かう先、誰かの菌糸が付きまとうのは当然だ。
だがそれが何より誇らしい。他人には見えないその菌糸の道を、自ら舵を取って進めるのが、何よりうれしい。上等だ、光栄なことだ。
だから透陽は堂々胸を張って、ヴィロサの前に立てるのだ。彼が菌糸と共に歩む人生の道、その始点にはヴィロサが立っている。そしてこれからも人生の里程標のように、彼女とは親交を深めることになるだろう。
それだけではなく、彼女から始まった道は、彼女に収束する。そうあることを願いたいものだ。
自分が往生するとき、隣にはヴィロサが居て、やりきったと笑って死にたい。素晴らしい人生だったと満足した魂は、ようやく人間の肉体と言う枷を外れて、精神としてたゆたう彼女たちと同格になれるだろう。そして透陽の体は灰になり、世界を構成する無数の粒子へと化し、大自然の中を巡り、キノコたちと一体になる。人生の果ての向こうには、これまた菌糸の道が続いているとしか思えない。
だが、それはまだずっと先のこと。今はまだ、ヴィロサたちキノコが息づく大地の上で、彼女たちと共に歩んでいくだけだ。
話したいことも聞きたいこともお互いに尽きない。透陽はヴィロサにキノコたちの話を聞く、するとヴィロサは色々愉快な話を教えてくれるから。それは人間の友だちがするような話と大して変わらない。どこだかに隠れた名店のようにおいしいブナの森が合って、ブナ好きのキノコの娘たちがこぞって足を運んでいるだとか、今年は人間の真似をして七夕まつりをやってみただとか、そんな他愛のない話だ。
逆にヴィロサも透陽に聞く。大学のこともそうだが、今人間社会で流行っているファッションや、最近話題の観光名所など、そんな他愛のないことをだ。やはり携帯電話――いや、スマートフォンに関して興味があったらしく、透陽の持っているそれを見せると、目を輝かせならも恐る恐る指で触れるものだ。
「まるでおばあちゃんみたいじゃないか!」
ふと感想を素直に口に出してしまったせいで、ヴィロサにはそっぽを向かれてしまったが。
話しても話しても話題が尽きない。いやむしろ、言葉が途絶えても、隣に彼女が居るというだけで幸せであった。二人で風を浴びながら肩を寄せ合う何もない時間、なんと贅沢なものだろうか。
だが楽しい時間はあっという間だ。高く上った太陽は、やがて低く沈み始める。透陽の家は森ではない、町だ。あるべき場所へ、人間の世界へ、帰らなくてはならない。透陽は腕時計をちらりとみて、落胆の息を吐いた。
ヴィロサも同じ気持ちだ。眉を下げ、寂しげな微笑みを浮かべる。
「お別れね、透陽。夜の森は人間には酷だわ。暗くて、怖くて、ああ、肝の小さいあなたには耐えられない」
「そうかな、俺は夜の森で、月夜にもあったんだ」
「……そうだったわね。あなたって、本当に、頼もしくなったわ。あの時とは全然違う、昔のあなたとは全然違う」
そう言って、ヴィロサは誇らしげに透陽の頭を撫でたのだった。
それにしても名残惜しい。透陽は一つ手を思いついた。それは、シャグマ・エスクレンタを家に連れ帰った時や、榎ゆきを家に呼ぶときに使うのと同じ手だ。
「なあ、ヴィロサ。まだまだ話したいことはたくさんあるんだ。だから、一つ手折って、俺の家に連れていくから――」
「それでは面白くないわ。それとも、土から離れて弱りゆく私を眺めるのが、あなたのお好みなのかしら? ひどい人なのねえ」
「そっ、そんなつもりはないよ!」
「じゃあなおさらよ。でもね、この方が楽しいわ。だって、四六時中一緒に居たら、すぐにお話しが無くなってしまうもの。あなたと同じものを見ることになるのだから。まるで私が人間になったみたいにね」
「……うん。それじゃあ、つまらないな」
言われてみればそうだ。自分は人間、彼女はキノコ、だからこそ価値がある繋がりだというのに。
もう少し近くに居られたらとは思うが、別に山に入るのは苦でない。ヴィロサに会えると思えば、それだけでなく他のキノコにも遭えると思えば、心がうきうきして仕方ない位だ。
透陽はようやく腰を上げた。
「また来るよ、何度でもね。俺がこっちに居る内は、だけど」
「そう言えば、西に戻ったら何をするの? 楽園に入り浸って、そこの私のそっくりさんを身代わりにするのかしら?」
「違う」
即答だった。少々きつい口ぶりだったと自分でも思うが、それだけは否定しておかなければと思ったのだ。
じゃあ何をするのか、以前からぼんやりと浮かぶヴィジョンを、透陽は初めて他者に打ち明けた。
「今すぐには無理だけど、俺は旅をしたい」
「旅?」
ヴィロサが幼子のように興味津々の顔を見せる。透陽は黙って頷いた。
「この国は、いや、地球は広いから。場所が変わればいろんな奴が住んでいるって、みんな教えてくれたから。だから、俺は色々なところに行って、色々な奴に会ってみたいんだ。でも、まずは、その準備をしないといけないけど。お金とか、色々。人間世界って、君たちの世界に比べるとずっと不便だと思うよ」
「だからあなたたちは『成長』できるのよ。それにそんな夢を描けるなんて、素敵だわ、本当に素敵。あなたって本当に……!」
ヴィロサは大地にすっくと立つ透陽を見上げて、涙ぐんでいた。子の成長を喜ぶ母のように温かな目で。
照れた笑いを隠して、ぐしぐしと目をこすりながら、ヴィロサは不敵な笑みを作る。
「じゃあ、次に会う約束は富士山にしようかしら? あそこも私の好きな場所。あそこにいるとね、力が沸いてくるのよ」
「うわあ、いきなりハードル高いな」
「あらそう? でも、不死の山に死の天使が居るって、洒落が効いてていいと思わない? うふふ、不死の者に私の毒はどう聞くのかしらねえ」
何でも貫く矛と何でも防ぐ盾のような話だと透陽は思った。もちろん死なない人間などいないから試しようが無い。ヴィロサの毒を考えると、試したくも無いが。
それにしても帰郷を果たした次のステージは、日本で一番高い山ときた。これは少々気合を入れて挑まなければならない。
「じゃあ、来年の夏までには、頑張るよ」
「待っているわ、約束よ」
「ああ、約束だ」
そうして指を切った。二人の約束の地はこうして次々移ろうのだろう。日本一の山の次は、海の向こうの大陸だろうか。それはどんどん積み重なって、果てには宇宙を飛び出してしまうかもしれない。不可能だとも言い切れないだろう、未来へと延びる道がどこまで続いているのかなんて、誰にもわからないのだから。
一体透陽はどうなるのか。何になって、どんなものを見て、いかなる話を聞いて、誰と出会っていくのか。決して平坦な道ではないだろう、だからこそ楽しみだ。
ふっとヴィロサが右の手を、透陽の左胸にあてた。温かい指先が透陽の心に光を灯す。
「忘れないで。私はいつでも、あなたの側にいる」
体は無くとも心は共に。わかっているよ、と透陽は彼女の手を握った。白いドクツルタケの花が、心の中ににょきにょきと咲き誇った。
かくして透陽の菌糸の道は続いていく。
来年、また来年。そうして、命尽き果てるまで、彼はキノコと共に歩いていくのだ。死の天使が、彼の死を許すまで、永遠に。
終




