第四話 準備
眠い。
薄く目を開けると、天井が視界に入った。
……何時。
ソファからゆっくり起き上がり、壁に掛けられた時計を見ると午後三時だった。
ゆっくりとソファから起き上がり、周りを見渡した。
「……さて」
今日は深層探索だったよな、眠い頭を覚ますためふらつきながらコーヒーメーカーの電源をつけた。
***
ババアの武器屋に来ると珍しく扉が開いていた。
「いる?」
「いるよ」
奥から聞き慣れた声が返ってきた。
店の中へ入ると、ババアはライフルを分解しながらこちらを見て笑った。
「今日はちゃんと来たじゃないか」
「約束」
「律儀だねぇ」
ババアは工具を置くと、店の奥へ向かって声を掛けた。
「結衣、澪が来たよ」
奥から慌ただしい足音が聞こえた。
「それと」
「なんだい?」
「深層に行く」
するとババアの動きが止まった。
「……そうかい」
「いいのか」
「そういう機会でしか深層は行かないからねぇ」
バタバタと降りてくる階段の方を、ババアは静かに見ていた。
「澪さん!」
階段を駆け下りてきた結衣は、私を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた。
「こんにちは!」
「……ん」
短く返すが結衣はそれだけでも満足そうに笑った。
「今日は市場ですか?」
「違う」
「え?」
結衣は首を傾げる。
「深層」
「しんそう?」
聞き慣れない言葉だったのだろう。結衣は不思議そうに私とババアを見比べた。
「深層って何ですか?」
私は答える前にババアを見た。
ババアは「話すならあんたが話しな」というように肩をすくめた。
「……昔の市場」
「昔?」
「今の市場が出来る前」
「えっ」
結衣は目を丸くした。
「市場って昔からここじゃなかったんですか?」
「違う」
それだけ答える。
「警察の一斉検挙で使われなくなった」
「じゃあ今は?」
「放置」
「人はいないの?」
「いる」
「え?」
「住んでる」
結衣の顔から笑みが消える。
「住んでる……?」
「帰る場所がない人」
それだけ言うと、結衣は小さく息を呑んだ。
ババアが静かに口を開く。
「正確には、住み着いた人たちさ」
「……」
「昔の市場が閉鎖されても、そこから出ていかなかった連中がいる。新しく流れ着いた奴もいるけどねぇ」
結衣は黙ったまま聞いている。
「危ないんですか?」
「危ないねぇ」
ババアは迷わず答えた。
「道は崩れかけてるし地下だ。でもちょうど一年前か……」
ふとババアは昔を思い出したかのように、ふっと微笑んだ。
結衣はゆっくり私を見た。
「澪さんは……何回も行ってるんですか?」
「少し」
「怖くないんですか?」
「別に」
そう答えると、結衣は困ったように笑った。
「やっぱり澪さんって凄いですね……」
「違う」
「え?」
「必要だから行くだけ」
別に深層が好きなわけじゃない。
まだそこに残ってるものがあるから行くだけ。
警察の一斉検挙で急いで逃げてきたから、残っているものがまだ多い。
「頼んだよ」
じっとババアは私を見つめてきた。
「間違っても、結衣が死ぬような事ないように」
「……善処する」
「善処じゃダメだ、絶対だよ」
「……守れない約束はしない」
だがそれを聞いたババアはフッと微笑んだ。
「……なに」
「なんでもないよ、さっさと行きな」
本当によくわからない人だ。
ババアを背にして、扉を開けて立ち去ると後ろからピッタリと結衣がついて来た。
「あぁ? なんだそのガキ」
入口の前にいる男が嫌そうに言ってきた。
「つれ」
「つれって……」
「いいでしょ」
「だがなここは——」
「一時的」
「……」
困ったように、ため息を吐いた。
その後しばらく考えていたが、
「……まぁ、お前ならいいよ」
観念したように言い、ガラッと扉を開けた。
……あれ、合言葉……
チラッと見たが男は肩をすくめた。
……あぁ、なるほど結衣はまだだからダメなのか、知られたら。
その間も私を盾にしていた結衣だったが、好奇心からかじっと男を見ていた。
私が中に入ると慌ててくっついてきた。
カウンターの裏にあるジジイはチラッと私を見て、後ろにもいる結衣を見つめた。結衣はジジイと目が合うとビクッと震えて、私の背中に顔を埋めた。
「あ、おい澪」
声がする方を向くとカウンターの端に洋平と麗音が、既に座って待っていた。
二人の方に歩いて行くと、私に気づいた洋平は立ち上がった。
「よ、澪」
「ん」
「どうだ調子?」
「……そんなこと聞く?」
「え、不自然……かな」
いつもだったら絶対に洋平が口にしないセリフ、原因はおそらく……。
「別に見栄張る必要ない」
「なんのことかなー」
「はぁ」
思わずため息が出た。
その隣で、麗音は私の後ろを覗き込んだ。
「あっ、その子?」
結衣は私の背中から少しだけ顔を出す。
「……」
「こんにちは!」
麗音は人懐っこく笑って手を振った。
「俺は神代麗音」
「えっ……」
結衣は驚いたように私を見る。
「……だれ?」
だれ……か、
「麗音」
「仲間だよ! 澪の」
ニコッと麗音は微笑むと、
「よろしくね!」
麗音はしゃがみ込み、結衣と目線を合わせた。
「怖くないよ」
「は、はい……」
少しだけ緊張が解けたのか、結衣も小さく頭を下げる。
「佐藤結衣です」
「結衣……、うん」
麗音は嬉しそうに笑った。
「澪から話は聞いてた?」
「……少しだけ」
「本当に少しだろ?」
洋平が苦笑する。
「こいつ説明しねぇからな」
「必要ない」
「ほらな」
洋平は立ち上がり、結衣を見る。
「俺は洋平。麗音の先輩……というかリーダーだ」
ポンポンと麗音の肩を洋平が軽く叩いた。
「よろしくお願いします」
「そんな固くならなくていいよー」
洋平は笑った。
「今日は深層の新しいルートを行くぞ」
新ルート、昨日聞かされたやつか。
「そのルートは全然住民に遭遇しないけど」
洋平は私をまっすぐ見つめた。
「澪がいるから大丈夫だとは思うが、俺たちから絶対離れるなよ」
結衣は真剣な顔で頷く。
「はい!」
「あと」
麗音が笑いながら指を一本立てる。
「勝手に何か拾わないこと」
「え?」
「深層には色んな物が落ちてるけど、罠だったり持ち主がいたりするから」
「そうなんですか……」
「うん。だから見つけても最初に澪へ」
いや困る。
「私じゃなくて麗音に」
「は?」
「麗音の方が詳しいから」
面倒事を押し付けてくるなよ麗音。
結衣は私と麗音を交互に見るが結局。
「澪さん……」
「……」
はぁ、全く。
「指名だね」
「まー頑張って」
コイツら……。
少し考えた後、私は短く頷いた。
「ん」
仕方がない、こればかりは。
私が頷くと、結衣はほっとしたように表情を緩めた。
けれど、深層は遊び場じゃない。観光気分で歩ける場所とは訳が違う。
「で、ルートは?」
「あ、そうそう」
麗音がカウンターから手書きの古びた地図を広げた。
昔の市場の構造図――だが、随所に赤い線やバツ印が書き込まれている。
「今まで市場中央に使ってた西の階段は、半年前に崩落して通れなくなっただろ?」
麗音が指先で地図をなぞる。
「でも、大型換気用通気ダクトの奥に、旧搬入路へ抜ける作業通路を見つけたんだ」
「……狭そう」
「狭い。だけど、そのおかげで深層の『住人』たちが立ち入らない。奴らは広い中央区画や倉庫街を縄張りにするから」
なるほど。住人に会わない理由はそれか。
「ただし」
洋平が真剣な顔で口を挟む。
「足場は悪いし、光は一切届かない。それに……昔の防犯用ワイヤーや罠がそのまま残ってる可能性がある」
「だから俺と先輩がルートを確認しながら歩く」
麗音が私と結衣を見上げた。
「澪は殿と周囲の警戒。結衣ちゃんはその真ん中」
まぁ、そうなるか。
前に洋平と麗音。真ん中に結衣。後ろに私。これなら前後どちらから何かが来ても対応できる。
「わ、私は何をすれば……?」
不安そうに尋ねる結衣に、洋平が指を三つ立てて見せた。
「一つ、ライトは勝手に向けない。光で場所がバレる」
「はい……」
「二つ、走らない。暗闇で転んだら一発でアウトだ」
「はい」
「三つ」
洋平は少しだけ声を落とし、私を指差した。
「澪の指示には絶対に従うこと。たとえ『ここに残れ』と言われても、だ」
「……それは嫌」
即答だった。結衣は私の袖をぎゅっと掴んだ。
「残るくらいなら……一緒に」
「駄目」
「えっ……」
「危なくなったら逃げろ。足手まといは要らない」
私が冷たく言うと、結衣は目を伏せて押し黙った。
隣で麗音が「言い方……」と苦笑し、洋平が呆れたように頭を掻く。
「お前なぁ、もうちょっと優しく言い含めてやれよ」
「事実」
「だからお前は洋平に似て頑固なんだよ!」
「誰が頑固だ麗音!」
「はぁ……」
二人のやり取りに、結衣が少しだけ顔を上げて不思議そうに私たちを見る。
「あの……」
「何」
「みなさん、いつもこんな感じなんですか?」
「そうだよ」
麗音が笑いながらバッグのジッパーを開け、中から小型のLEDライトを取り出して結衣に渡した。
「はい、これ借り物。ちゃんと着けてね」
「ありがとうございます……」
靴の紐を締め直す。
「……準備」
顔を上げると、洋平と麗音もすでに荷物をまとめ、表情を引き締めていたさっきまでの冗談めいた空気が一瞬で消え、裏の顔になる。
結衣はその変化を敏感に感じ取ったのか、息を呑んで背筋を伸ばした。
「よし」
洋平が腰のライトに手を掛ける。
「行くか」
そういい扉を出て、市場のさらに奥、深層に向かって歩き始めた。
市場の喧騒や光がどんどん遠ざかり、街灯も明かりも少なくなり暗くなる。その様子に前にいる結衣は、周りを執拗に見回すようになり歩くスピードが落ちていた。
「……前を見て」
私が背中越しに声をかけると、結衣の肩がビクッと跳ねた。
「あ、えっと……」
「遅い。先頭と離れる」
少し歩調を速めさせようと促すが、結衣は恐る恐る足元の暗闇に視線を落とした。
「あの……さっきまであんなに人の声が聞こえてたのに……急に誰もいなくなって」
「そういう場所」
「ここ、本当に道合ってるんですか……?」
「合ってる」
振り返りもしないで前を歩いていた洋平が、口を挟んだ。
「おっかねぇよな、初めての時は。けど安心しろ、ここまで来れば一般のチンピラや奴隷商は寄りつかねぇよ」
「寄りつかない……?」
結衣が不思議そうに洋平の背中を見る。
「なんでですか?」
「あいつらは金になるものを探してる。こんな暗くて誰も来ないような道、張ってても意味がねぇからな」
「それだけじゃないですよ」
隣を歩く麗音が、持っていた懐中電灯を壁の一角に向けた。
コンクリートの壁には、スプレーで書かれた剥げかけの古い矢印と、×印の目印が並んでいる。
「ここから先は『深層』の入り口に近い。普通の人間なら、気味が悪がって引き返す線引きのエリアだよ」
「線引き……」
「そう。だから今は、人より床の溝や頭上に気をつけて。暗いから転ぶよ」
麗音が明るい声で言って再び前を向く。
その言葉に余計に不安になったのか、結衣は私のほうを振り返り、また袖を掴もうと手を伸ばしてきた。
「澪さん……」
「離して」
「えっ」
「歩けない」
すると結衣はしょんぼりと引っ込めた手を胸の前で握りしめた。
……少し言い方が厳しかったか。
そう思ったが、ここで変に甘やかしても危ないだけだ。
「……足元」
「え?」
「転ばないことだけ考えて歩いて」
「……はい」
結衣は息を吸い込み、視線を少しだけ前方に戻して、歩き始めた。
「澪、ほんと不器用だな」
前方を歩きながら、洋平が笑いを含んだ声で呟いた。
「誰が」
「お前だよ。優しい言葉の一つでも掛けてやりゃいいのに」
「必要ない」
「はいはい、出たよ事実」
「先輩、でも澪の言う通りですよ。そろそろ階段ですから」
麗音の声が少し一段低くなった。
懐中電灯の光の先に、下へと続く階段が浮かび上がる。さっきまで少し漂っていた風が止み、代わりに湿った、鉄と埃の混じった独特の冷気が下から這い上がってきた。
……いつ来ても、不気味で懐かしい。
「……ここから?」
結衣が小さく声を漏らす。
「あぁ」
真剣な横顔で振り返った。
「ここから先が『深層』だ。何が聞こえても、何が見えても、絶対に叫ぶなよ」
「……っ、はい」
結衣は小さく頷き、私のほうをちらりと見た。
「……」
何かを言いたげで、だけど勇気を出せずじっと見つめあっている。
「……何」
「澪さんは……昔の市場のこと知っているんですか?」
もちろん、たくさん知ってるし実際当時そこにいた。
ただ……。
「……澪さん?」
気づいたら結衣は、心配そうに私を見ていた。
「何」
「……なんでもないです」
なんなんだ本当に……。
ムカつく。
「そろそろ行くぞ」
「……あぁ」
洋平が一瞬振り返ったが、すぐに前を向いて階段を降り始めた。
洋平、麗音と順に降りて行ったが、結衣は下を見たまま立ち止まっていた。
「……進むよ」
私が背中を軽く小突くと、やっと階段を降り始めた。




