15.午後の店先で
セロが私の店を訪れたのは、9月も末になってのことだった。
「うぃーっす。補充補充」
店に入るなり、セロが言う。
「はいはーい。獣避けと煙幕と冷却? 虫除けはもういらないかな?」
魔結晶の在庫を出しながら問いかけると、セロはやや考えるような顔をした。
「あー……いや、一応虫除けも少し。あとは浄化もだな。煙幕と虫除けは5つずつ、他は20ずつ頼む」
「わお、結構な量だね。グレートベア狩りがまだ終わってないの?」
頼まれた数を用意しながら聞いてみる。
「先月末に仕入れた分をグレートベア狩りで使い果たしたんだよ。狩人組合総出で10頭以上は狩ったからな。ここから先は来月の収穫祭に向けての準備だ。馴染みの肉屋から急かされてる分もある」
なるほど。狩人にとってはこれまでのグレートベア狩りが義務のようなもので、ここから先が個人的な稼ぎというわけか。
「浄化の分はいつものようにサービスね」
言われた20個よりも多い数を出して私がそう言うと、セロがかすかに笑った。
「なんだよ、まだサービス期間続いてんのかよ」
「当たり前だよ。エリノアの命を雷撃蘇生で救ってくれたんだ。私がこの仕事を続ける限り、セロは浄化の魔結晶を使い放題だよ。まぁぶっちゃけて言うと、浄化はそんなに高価なものでもないしさ。それに、最近はリナが作れるようになってるんだ。セロさんが使うならあたしが作る!って張り切って作ったものも混ざってるよ」
そう言うと、セロはカウンターの上に広げられた魔結晶を見つめた。
「なんだよ、混ぜちゃってんのかよ。むしろリナだけのほうが……んー……いや、こうやって並べると区別つくな。この、少しだけいびつで色が薄いのがリナ作か?」
基本の魔結晶は、動物の魔力袋から採取する無属性の小さな魔結晶を使って作る。いくつかの素材を魔法で液状化させて、そこに無属性の魔結晶を入れてさらに魔法を込めて作るのだ。魔法を込める前は、ごつごつと固まった樹脂のような塊だが、素材と魔法を吸い込むと、ぷるんと柔らかくなる。リナはそれを「グミみたい」と言っていた。
柔らかくなった魔結晶を台の上でくるくると丸めて、固まるまで放置すると、魔結晶は自重で少しだけ偏平になる。
大きさは込める魔法や素材の量、もとの魔結晶の大きさにもよるが、だいたいは大人の親指の爪サイズか、親指の第一関節くらいのサイズになる。私はほとんど作らないが、攻撃魔法を込める魔結晶は、ものによっては握りこぶし大にもなるというから、さぞかし素材の確保が大変だろう。
魔結晶のほとんどは半透明でそれぞれの魔法ごとに色合いが違う。これは魔術師ギルドでだいたいの決まりがあるので、多くの店で同じ色合いだろう。アロイが作る回復系のも色が決まっていて、回復は水色、解毒は黄色だ。
私が作るのも、獣避けは橙色、虫除けは濃い緑色、冷却は濃い青と透明な部分が渦を巻いたような模様になっている。そして浄化の魔結晶は薄い桃色だ。本来、属性的には青か緑にしたいという意見が多かったけれど、咄嗟の時に回復と間違えないように、ということで決められた色合いだ。
セロがリナ作と看破した魔結晶は、確かにリナが作ったものだ。製品としては何の問題もないので、在庫の中では私が作ったものと混ざっているけれど、確かに、比べてみると若干違いがわかる。
「セロ、正解。これとこれと……こっちもかな」
「まぁでも、リナも随分作り慣れてきたな」
「うん、助かってるよ。……あ、ちょうど来たかな」
店の奥、生活スペースのほうから、チャッチャッチャッと犬の爪の音がする。同時にぱたぱたと走る軽い足音。
「ベルさん、セロさんの声がしたけど……あ! やっぱり来てた!」
作業スペースを通って、仕切っていたカーテンからリナが顔を出す。下を見ると、黒い犬も同じように顔を出していた。モモだ。
「よう。今、リナが作った魔結晶を分けてもらってたところだ」
私に対するよりも格段に柔らかい笑みを浮かべて、セロがリナとモモを迎える。
「あ! 浄化のやつだね! 少し前にやっとベルさんのOKが出たやつ。ねぇベルさん、ちょっとお茶にしない? 昨日アンネさんが持ってきてくれたお菓子もあるし」
リナの提案で、少し休憩することにした。と言っても、精算カウンターから直角に繋がっている、素材引き取り用のカウンターテーブルだ。ここなら客がきても私が対応できる。
お茶とお菓子をテーブルの上に並べて、そういえば私も気になっていたことがあったのを思い出した。
「セロ、あの後……モンテはどうしてる?」
多少落ち着いたとの話は聞いたけど、詳細は聞いていない。
姉はお菓子と一緒に、柑橘の香りがするお茶も持ってきていたので、せっかくなのでお茶はそれにした。いつもより高級な香りがする。
そのお茶を口元で冷ましながらすすって、セロが頷いた。
「ああ、アロイから聞いてねぇのか。あいつ、日本ではマッサージ師だったんだ。それもちゃんとした資格を持ってたらしくてな。要はリハビリの専門家だよ」
「へぇ? じゃあこっちでもそれで仕事ができそうだね」
「俺の肩もあいつのおかげで思ってたより早く完治したよ。んで、グエンとも話し合ってさ。モンテは狩人組合を脱退して、アロイに紹介してもらった外科系の診療所でリハビリを担当してる。その合間に回復術系の私塾で……なんて言ったっけ、けん……?」
セロが疑問形で私の顔を見る。
「見気法だね。回復術の基礎で体の状態を内側まで見るやつだ」
「そう、それだ。それを習いに行ってるよ。そこである程度まで見気法を修めれば、自分の診療所を開業できるからってな」
そう語るセロの声も顔も穏やかだった。つまり、モンテはいろいろと受け入れて前を向き始めたということなんだろうか。
「あたしはモンテさんに会ったことなくて、ベルさんから聞いただけだけどさぁ……あ、それにあたしは日本でも今でも大人じゃないからさ、モンテさんの気持ちがわかるなんて言えないけど。……モンテさんって、奥さんと子どもを残してきたんだよね?」
リナがそう言いながら、姉が持ってきたお菓子――ナッツのタルトだ――を口に運ぶ。
「そうだな」
そう答えるセロの顔を、リナがそっと見上げる。
「もちろん、みんなそうなんだけど。あの……なんていうか、家族も友達もいない人なんてあんまりいないでしょ? 家族がいなくたって、学校の友達とか、同じ会社の人とかさ……」
「ああ、そうだな」
セロが優しく頷く。
「あたしは……ベルさんがいたし、セロさんとアロイさんもいた。モモだって一緒にきてくれた。フェデリカさんも優しい。あたしは、みんなが甘やかしてくれるから、ここでもまだ子どもでいられるけど……」
それでもリナは私の仕事を随分手伝ってくれるし、率先して家事もやってくれる。けれど、多分リナが言いたいのはそういうことではないんだろう。
セロが、ふ、と小さく笑う。
「大人だって同じだ、リナ」
言われてリナが、お茶のカップを両手で持ったまま、セロをもう一度見上げた。
セロはナッツのタルトを手に取って1口かじり、「美味いな、これ」と呟いて、再びリナに視線を合わせる。
「同じなんだよ、リナ。日本に残してきた家族や友人のことを思えば辛い。大人だろうと子どもだろうと、辛いもんは辛い。けど、自分がいなくてもせめて幸せに暮らしてほしいと思う。自分がいなくなったことで悲しい思いはさせるかもしれない。だから本当なら、自分は異世界で元気にやっているからと一言伝えるすべがあるならどんなにいいか、そんなことをぐるぐる考えて……でも、大人だって周りに人はいるんだ。冒険者ギルドの人間たちや元の体の身内、知り合い……新しい関係が必ずしも良いものになるとは限らねぇけど、それでもリナが俺たちと出会ったように、大人の稀人たちもいろんな人間に出会う」
リナの両親はリナよりも先に亡くなっている。私たちはそれを知っているが、リナだけはそれを知らない。だからセロはそれには決して触れない。もちろん私も、アロイも、フェデリカもだ。
「でも大人の人はさ、こっちで1人で生きて行かなくちゃでしょ? 寂しくないのかな。……死んじゃいたく、ならないのかな」
リナの言葉にどきりとしたのは、あの日、モンテの悲痛な叫びを実際に耳にしていたからだろう。今すぐ戻せ、家に帰せ、と叫んだ声は私の胸に迫った。それがかなわないならいっそ、と思っても不思議はないんじゃないかと思ってしまった。1度死んでこちらにきたというのが本当なら、どうせならこっちでも本当に死んでやる、と……。
「リナはちょっと特殊だったから実感はないかもしんねぇけどさ」
私は頭の中で勝手に不穏な考えを並べていたが、セロはリナを安心させるかのように笑いかけた。足もとにいるモモをわしわしと撫でながら。
「実感?」
小首を傾げるリナに、セロが頷く。
「稀人たちの間でもそういう話題は出るんだ。ただ、ほとんど全員に共通してるのは、向こうで死ぬ間際に、死にたくないと強く願ったってことだ。俺だって気がついた時には目の前に車があってさ、ヤバいと思った次の瞬間には……まぁ、走馬灯ってやつかな。家族や友達や同僚の顔がばーっと流れて、こんなとこで死にたくないと思った。アロイも言ってたよ。助からない病気だとわかってたし、冷たくなっていく体を実感もしたけど、それでもイヤだなと思ったって」
セロの言葉に、リナよりも先に私が反応してしまった。
「セロ……それは、つまり、そう強く願った人が稀人になるってこと?」
「絶対そうだとは言えねぇけどな。ただ、稀人としてこちらに来るのは、だいたいが10代から40代、50代でも前半だ。死ぬには早いだろ!と、自分に突っ込める年齢なんだよな。逆に日本でまだ小学生だったっていう稀人はいない。死の概念がまだ実感できてないのかもな」
そう、セロが言う。
興味深いと思った。死にたくないと……死に直面すれば誰もが思うだろう。けれど確かに、その思いの強さは年齢に関係するのかもしれない。もちろん、個人差はあるだろうけれど。
ニホンの平均寿命は知らないけれど、老齢になればなるほど、死にたくないと思いつつ、どこかで仕方ないかと思うものじゃないだろうか。そして、死を身近に感じたことのない子どもなら、死の概念がまだ飲み込めてなくても不思議はない。
「じゃあ……死にたくない、と思ってこっちに来た人は、こっちでも死にたくない?」
リナが、それまで両手で持っていたカップをそっと皿に戻す。
「多分な。絶対とは言えねぇけどさ。たとえばモンテなら……家族を守るために絶対に死にたくなかったんだろう。住む世界が分かれてしまったとはいえ、あいつの家族は生きてるんだ。そう思ったら、自分から死を選ぶことはできねぇだろうさ。もう一度、自分が先に死ぬなんてのはごめんだってな」
――少なくともセロはそう思ったのだろう。「もう一度」とか「また死ぬかと思った」なんていうのは、いわゆる稀人ジョークだ。けれど、今のセロの言葉には冗談の気配などみじんもなく、切ない実感がこもっていた。
「そっか……うん、それならいいなぁ」
リナなりに、モンテのことを心配していたのだろう。
「そういえば……子どもに関する話だけどさ。いや、子どもが死んじゃう話なんて私だってしたくないんだけど……」
紅茶で喉を潤してから私は口を開いた。姉が持ってきた紅茶はとても香りが高くて美味しい。
「なんだ? さっきの、死の概念云々の話か?」
「いや、ユラルの……というか、こちらの世界の話なんだ。稀人になる体はアロイがこっちに来た7歳くらいが最年少なんじゃないかって、フェデリカと話したことがある。それは、ニホンから子どもが転生してこないことと関係してるのかなって」
セロが答えを知っているとは思わなかったけれど、私はなんとなくそう聞いてみた。
「んー……こっちで同じ考えがあるかどうかは知らねぇけどさ」
少し考えるようにセロが言う。
ちょっとばかり意外だった。「知らねぇよ」と言われておしまいだと思っていたのだ。
「日本では、“7歳までは神様の子ども”っていう考えがある」
そう言いながら、セロは黙ってこちらに空のカップを差し出した。お代わりの要求だ。
お湯を温め直して、お代わりを注ぐと、セロが話を続ける。
「まぁ、民俗学的な考え……ん、民俗学の話はモンテにもしたな。まぁいいや。多分ユラルでも同じだったと思うけど、むかーしむかしの日本では、たとえば食糧事情、衛生環境、医療技術……そんないろいろで、子どもが無事に成長するのは難しいことだった。小さな子どもは怪我や病気で命を落としやすかったからな。だから7歳までは神様のところに戻ってしまっても仕方がないっていう……まぁ親への慰めだよな。そういう考えがあったんだ。そして、無事に7歳を迎えられたら、あらためて人の子として迎え入れられる」
「あ、ひょっとして、七五三のお祝い?」
リナが気がついたように声を上げる。セロが、正解、と笑った。
シチゴサンというのはよくわからないけれど、確かに子どもは大人よりも弱い。ユラルでは年齢でそう区切っているわけではないけれど、幼いうちに亡くなった子どもは、天の御使いになると言われている。
それは幼くして亡くなった子どもの魂を慰めるため、子を見送ることになってしまった親を慰めるためだろう。幼い子どもの魂は創世神の庭で遊ぶことを許されて、そこで成長する。そしてそこで大きくなったら御使いとして、誇らしい仕事をもらえるのだと。
「こっちでの常識は知らねぇけどさ。俺はアロイが7歳の体に入って、それが最年少記録に近いって聞いた時に、7歳になって人の子になったからかとなんとなく思った。日本での考えで解釈するのも乱暴だし、日本でだっていわゆる“諸説あり”だけどさ。――人の子になって、人間の体になったから、異世界の魂を受け入れられるようになったのかなって。これを聞いたらアロイはともかく、スコットたちは複雑だろうから、今まで誰にも言ってねぇけど」
アロイの父親の名前を出して、セロはそう言う。
「ベルさん、七五三のお祝いってね、3歳と5歳と7歳で、神社……えっと、こっちで言う教会みたいなところに行ってお祝いするの。少し前に従妹のお祝いがあったから、その時にお父さんが意味を教えてくれたんだよね。子どもの成長の節目で、この歳まで無事に育ちました、ありがとうございますって神様にお礼を言うんだって」
リナがニホンでの風習をそう説明してくれる。
「それが7歳で終わりなの?」
「うん、7歳が最後のお祝い」
ニホンでの考えで言えば、ちょっとしたことで命を落としやすい子どもが無事に育つごとにお祝いをして、神様の手元から離れる7歳で、今までありがとうございましたって感じなのだろう。ユラルで、創世神の庭に年齢制限があるとは聞いたことがないけれど……確かに、初等院入学前の子どもに対して御使いになるよ、と言っていたように思う。
――いや、年齢制限はないのだ。だから、本来のアロイの魂はきっと今、創世神の庭にいる。そうでなければもう御使いとして誇らしく働いている。
そうでも思わなければ、アロイのご両親――スコットさんとマリーさん――が可哀想だ。神様の手元から離れた途端に、親の手元からも離れてしまうなんて。
セロもそう思って、今まで誰にも言ってなかったんだろう。
「こんにちは。今いいデスか?」
ちりんちりん、とドアの鈴が鳴って、同時に柔らかい声が響いた。
午後の光が店先に差す。その光を背に受けて、白いローブから銀色の糸が幾筋も零れてきらめく。
――天の御使いのような……。
違う。コイランだ。
以前、モンテが天使の話をしていた時に、こちらで言う天使、つまり天の御使いはエスリールであるコイランの外見が、一番イメージに近いかなと思った。そしてついさっきまで私が頭の中で思い描いていた天の御使いも、コイランのような姿だった。
だから話の流れ……というよりも、私の頭の中の流れで、天の御使いが店に来たのかと思った。
「……? ボクの顔に何かついてマスか?」
フードを脱ぎながら、コイランは小首を傾げながら頬に手を当てた。




