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【第3章開始!】チートなき世の稀人たち~美少女(30代・独身男性)による見聞録~  作者: 松川あきら
第3章

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10.まるでラノベのようで



 怒鳴るようなモンテの声を聞いて、私たちは室内へと戻った。

 戻る寸前、セロがちらりと私を見る。

「1時間半は効果あるって言ってなかったか」

「静かにしてたらの話だよ!?」

 寝ている人間が起きるような物音をたてたなら、それは私の魔法のせいではない。


 私たちが室内に入った時、ちょうど休憩室からガシャンとガラスが割れる音が響いた。あまり大きな物ではない……多分、さっきテーブルの上に置いてあった空のコップだろう。

 休憩室へ続く扉から、ヘンリエッタが中を覗き込んでいる。自分が入ってもいいのか、それともそれは相手を余計に混乱させるだけなのか、迷っているようだ。

「あ、セロ! あの……えっと、グエンの通信具が鳴った音がして、その後すぐにモンテが起きちゃったみたいで……」


「通信具か……。それじゃあ仕方ねぇな。いいよ、俺が行く」

 セロがそう言って、ヘンリエッタの肩にそっと手を触れる。安心したようにヘンリエッタは扉の前を私たちに譲ってくれた。

「通信具の呼び出し音は目覚ましのアラームに似てるからね。現代人なら大抵は反応してしまう。――僕も付き合うよ」

 アロイも、セロの後に続いて休憩室へと入る。

 私はアロイの背中と、ヘンリエッタの顔をしばし見比べて、結局、休憩室の中に入った。



「わかった! わかったから落ち着け、な、モンテ! おまえ一応、今日1日は安静にって言われてんだからよ」

 グエンは、さっきコップを置いたテーブルの前に立っている。……ということは、コップを割ったのはモンテではなくグエンか。さっきの私と同じように、下がろうとしてテーブルにぶつかったのだろう。


「だーかーらー! モンテって誰だよ! おれは別に難しいこと言ってねぇだろ!? 電話貸してくれって言ったんだ! 嫁に電話すれば、家にiPadがあるからそっちでデバイスを探せるんだし! それをあんた……」

 デンワは、聞いたことがある。セロとアロイの会話にも出てきた。あいぱ? とか、でばいすというのは聞いたことがない。


 私たちが入室したのに気づいたのか、モンテはそこでこちらに顔を向けた。セロに視線を合わせて、少しほっとしたように続ける。

「あんた! さっきの人! あんたならまともに話が通じるよな? このおっさん、全然話が通じねぇんだよ。そして、言うに事欠いておれが死んだとかここは日本じゃないとか妙なこと言い出して……いや、まぁ確かに? みんな外国人みたいだし、日本じゃないかもしれないけど……となると、なに? おれは拉致とかされちゃったわけ?」

 随分と感情的になっているようで、さっきよりくだけた口調になっている。憤懣(ふんまん)と混乱と疑問が入り交じっている様子だ。


「アロイ、脳震盪の後は安静にしたほうがいいって聞くけど、これって安静の範囲?」

 ほんの数日前に安静の定義について説教を受けたセロが、アロイにそっと確認する。アロイは小さく肩をすくめた。

「いや、少し逸脱してるね。まぁでも……」

 言いながら、アロイは数歩、モンテに近づく。

「な、なんだよ!」

「失礼。手をかざすだけだ。触らないよ」

 アロイがモンテの頭部に手をかざす。ややあって、セロのほうを振り向いて頷く。

「大丈夫そうだ」


「グエン、ちょっと下がっててくれ。――大丈夫。俺とこいつは話が通じるよ」

 セロがモンテの前に出て、後半の言葉をモンテに向けて言う。こいつ、と示したのはもちろんアロイだ。

「そうだね。iPadでもサインインしてるならiPhoneも探せるだろうね」

「だろ!? ああ、よかった。あんたら2人は話が通じる」

 明らかにほっとしたような顔をするモンテに向けて、セロがゆっくりと口を開く。

「ただし、あんたが死んだのは本当だ」

「――は」

 まるでさっきのセロを見るようだった。無音で口を開き、一瞬の後、「は」と感情のない声を出すモンテ。


 セロは奥のほうにあるテーブルから椅子を2脚持ってきた。1つはアロイに差し出し、1つは自分の手元に置く。奥のほうには2脚しか残っていなかったのだ。私は自分のすぐ隣にある椅子を借りることにした。グエンは……と見ると、セロの後ろに立っている。座らずにいることを選んだようだ。


「あんた……ソウマさんだったか。意識をなくす前の最後の記憶は?」

 逆向きに置いた椅子に、背もたれを抱え込むように座り、セロがそう尋ねる。

「……なんだよ、なんだよそれ。これ、あれかよ。ラノベのやつかよ。病院でもねえし、警察もいねえし、こんなレトロな木造の部屋なんて今時は文化財級だし……」

 ぼそぼそと早口で呟いて、モンテは脱力したようにベッドに座りこんだ。


 ややあって、ばっと顔を上げると、セロとアロイの顔を交互に見る。

「だったらさ、あんたらが神様の使いみたいな感じか? そうだよな? 特にあんたなんてそんな雰囲気だよな?」

 モンテはアロイに視線を止めた。


 神様の使い、というのが、私が知っている天使の概念と同じならば……うーん、アロイもセロも少し違うように思う。私が想像する天使は、銀髪で白い肌、小柄な大人のようであり、大人びた子どものようでもあり、そして白くゆったりとした、裾の長いローブを着ている。そう、誰が近いかというなら、エスリールであるコイランが、ユラル人が持つ天使のイメージに一番近いだろう。


 今日のアロイは教授への挨拶だったというから、いつもよりかなりきちんとした格好をしている。薄い水色の上着は太ももの中程まであるような長めの丈で、もちろん布はとても上質だ。そこに、布の色よりもほんの少しだけ濃い色で、控えめながらも手間のかかった刺繍が入っている。上品ではあるが、天使のようではない。


「自己紹介をしようか。僕はアロイ。そしてこっちの金髪がセロ。僕とセロは、君と同じ立場の人間だ。――あらためて聞くよ。意識をなくす前、君は何をしていた?」

 アロイの言葉に、モンテは一瞬考え込んだ。

「覚えてるのは……仕事が少し遅くなって……違うな、もともと遅番だった。深夜の帰り道だ。おれは自転車で通勤していて……そう、ここのところずっと頭が痛かった。何日か前から時々頭が痛くなったり、軽い吐き気や目眩があったけど、季節柄、軽い熱中症だと思ってた。そうしたら、さっき帰る途中で、頭を金属バットで思いきり殴られたような痛みが走って……歩道もない暗くて細い道だったけど、幸い草むらの上に自転車ごと倒れ込んで……でも頭が痛くて立ち上がれなくて……吐き気もしてスマホも取り出せなくて……」

 だんだん、モンテの顔が青ざめてくる。


「雷鳴型頭痛だね。脳出血か脳梗塞か……」

 アロイの言葉にモンテが顔を上げる。

「脳? まさか。おれはまだ33歳だ」

 33歳……私と同じ歳か。


「年齢はあまり関係ないよ。とはいえ、若いと珍しいのは確かだけれどね。例えばもともと血圧が高かった、脳血管に奇形があった、ひょっとしたら(りゅう)があったのかもしれない。もし脳動脈瘤の破裂だったとしたら、“人生最悪の頭痛”と言われることもある。発症の場所や規模にもよるけど、激しい頭痛と意識障害、吐き気、手足のしびれや痙攣を伴うこともある」

 アロイの説明に、ごくりとモンテが唾を飲む。当てはまったのだろう。


「そ、そうだったとしたら……?」

 かすれた声でモンテが尋ねる。アロイが冷静な声で答えた。

「暗い夜道、歩道もない道の草むらで……早期発見できれば後遺症は残っても命は助かったかもしれないけれどね」

「周囲には……人もいなかったし車も通ってなかった。自転車だから……交通量の少ない道を選んだ……」

 モンテの返答には絶望の色がにじむ。


 ――私は今、1人の人生の終わりを聞いているのだ。その当人の口から。

 例えば大変な病気や怪我をした人から、後になって、あの時はとても痛かった、苦しかったという話を聞くことがあっても、その話を聞けているということは、本人は既に回復している。だから「大変でしたね」と答えれば済む。

 けれど、彼は実際に死んでいるのだ。


「さっき、ラノベがどうこうって言ってたな。そういう類の小説や漫画、アニメなんかに馴染みがあるか?」

 セロが聞く。らのべ、というのが何なのかはわからないけれど、小説と並べて話しているということは、似たジャンルの何かなのだろう。


「あ、ああ……いわゆる、異世界転生ものってやつだ。ガチ勢なわけじゃないけど、ラノベは何冊か、あとはコミカライズされたものを時々漫画アプリで読んでたよ……なぁ、本当なのか? そこのおっさんがさっき言ってたんだ。おれがもう日本で死んでいて、ここは日本とは違う世界だって。でも……だって、ついさっきだぜ!? 夜の11時に仕事を終えて、もうすぐ家に着くところだった。日付が変わる少し前だ。ほんとについさっきなんだ……なぁ、夢なんだろ? リアルな夢なんだろ? なぁ!?」

 モンテの言葉の前半はよくわからなかったけれど、彼の焦燥は伝わってきた。


「夢じゃなくて、本当に異世界転生だよ。この世界では、時々あることなんだ。日本で死んだ魂が、こっちで魂の抜けた体に入り込むってことがな。稀人って呼ばれてるよ。もう少ししたら、その体……モンテっていう男でな。19歳だった。その体の記憶もきっと思い出す。そして馴染むんだ。どういう感覚かと聞かれても説明はできない。ただ、自分の中にモンテを感じる。そして少しずつその記憶が流れ込んでくる」

 セロもそうだったのだろう。私には想像することしかできない。


「ここが異世界だという証明は……ああ、そうだ、セロ。妖精を見せてあげればいいんじゃないかな。僕の回復術はただぼんやり光るだけで地味だし、ベルの魔法は建物を壊しかねないし」

 思いついたようにアロイが言う。私だって建物を壊さない魔法も使えるけれど、アロイの言うように、破壊じゃない魔法は地味だ。

「……魔法? 嘘だろ?」

 モンテが眉を寄せる。

「【風の妖精、少し姿を見せてくれ】……ほら、ここが日本じゃないって証明になるか?」

 雑な詠唱をして、セロがモンテに向けて手を差し出した。上に向けた手のひらの上に、音もなく小さな風が巻いて、薄緑色の少女のような風の妖精が姿を現した。少し大きめのリスのようなサイズだ。


 目の前にいる風の妖精に、モンテが乾いた笑い声を上げる。

「……は。はは。なんだよ、それ。それがあんたのチート? じゃあおれにも何かチートがあんの? 無双できるような強いスキルがもらえんの? そんで魔王とか倒しに行くの? はは……は、いらねぇよ! いらねぇから家に帰せよ!! 家に嫁と娘がいるんだよ! 娘は4歳になったばかりなんだ……最近、幼稚園が夏休みで……嫁が大変そうだから……明日はおれの仕事が休みだから一緒に公園行って、帰りに焼き肉でも行こうって……なぁ!!」

 そうか……私と同じ歳だからといって、独身とは限らない。ニホンでの平均は知らないが、ユラルでは私の歳ならば結婚している人間が多いし、子どもがいるのもおかしくない。


「そりゃ気の毒だと思うが……戻れねぇよ。俺たちも同じだ」

 セロは差し出していた手を、ぐっと握る。風の妖精がふわりと浮き上がって、すぐに姿を消した。

「あんたらも、嫁と子どもを残してきたってのか?」

「俺は独身だったよ。アロイもな」

「じゃあ、同じじゃねぇじゃん! おれは死んでる場合じゃねえんだよ! 嫁と子どもを守らなきゃならねぇんだよ!」


 モンテは……いや、モンテの体だけれど、モンテの記憶はまだ戻ってないのか。彼は家族思いなのだろう。誠実であろうとしたのだろうし、実際、幸せに過ごしていたのだろう。けれど、だからと言ってセロとアロイがニホンに何も残してこなかったかのような物言いは少しどうかと思う。

 残してきたもの、諦めたもの、彼らが失ったものに貴賤(きせん)はない。


 少しばかり憤慨した私が何かを言う前に、セロがガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

「――確かに俺は少しばかりの仕事と年取った母親、もう嫁にいった妹くらいしか残してこなかったさ。交通事故だったから痛みを感じる間もなく、気づいたらこっちにいた。けど、アロイが何も諦めなかったと思うのか。てめぇはてめぇだけが一番大事かよ! いいか、稀人はてめぇだけじゃねぇんだ。生い立ちだって残してきたものだって様々だ。不幸自慢大会なら1人で開催しやがれ!」

 そこまで言って、モンテにびしりと指を突きつけてから、セロは息をひとつ吐いて、天井を見上げた。

「はぁ……冷静に説明するつもりだったのにな」

 行き場を失った人差し指を引っ込めて、そのままセロはくしゃりと淡い金髪をかき回した。


 ふ、と小さくアロイが笑った。

「じゃあ僕のために怒ってくれた礼に、残りは僕が引き取ろう。言っておくけどセロ、まだあまり怒鳴ったりしないほうがいいと思うよ。――で、モンテ。君の本当の名前はどうあれ、慣習として稀人は体の名前で呼ばれる。そのほうが周囲の混乱が少ないからね。モンテ、君はまだこちらの体の記憶を思い出していないようだから、今は急がないけれど、そのうち記憶が馴染んだら稀人の申請に行くといい。その時にこちらの世界の常識も教えてもらえる。あと、僕はともかくとして、さっきから無遠慮に接しているセロやグエンが、君にとってどんな人物なのかもきっと思い出す」


 セロに怒鳴られてぽかんとしていたモンテに、アロイは淡々と説明した。モンテが頷くのも待たずに続ける。

「で、さっきからチートだの無双だの言っているけれど、ここは現実だ。ラノベや漫画の世界は忘れてくれ。魔法もあってドラゴンもいる、確かにここは異世界だ。けれど、僕らにはチートはない。いわゆるスキルというものも、レベルもない。もちろん、ステータスオープンと叫んでも何も起こらない。ただただ不器用に誠実に、こちらの世界で地に足を付けて生きていくしかないんだ。神様は……もしかしたらいるのかもしれないけれど、僕らの転生にあたっていちいちスキルの説明に現れたりしないよ」


 ステータスオープンというのは、以前ティモが冒険者ギルドの前で叫んでいた台詞だったように思う。セロが大笑いしていたっけ。あれは夏の初めだった。


「……も、どれ、ないってことかよ」

 たどたどしくモンテが呟く。

 アロイが頷いた。

「僕らは死んで、魂だけの存在になってこちらに来ている。たまたま魂がなくなった体があったから、僕らはそこに入り込めた。戻る手段なんてないし、たとえ戻っても、戻る先は遺体だ」

「嫁と娘が……いても……? いや、あんたも……?」


「ああ、僕は正確には結婚していなかったけれどね。結婚を約束していた女性はいたよ。進行性の……悪性の病気で、別れ話をする間もなく入院する羽目になった。――何度ももう病院には来なくていいと言ったんだけどね。そんなくだらないこと話している時間さえ惜しいと怒られたよ」

 そこまで言って、アロイはふとモンテをじっと見つめた。

 一瞬迷って、でも、何かを決めたように口を開く。

「冷たいことを言うようだけれど、君は奥さんと娘さんを守りたかったなら、頭痛と吐き気を最初に感じた段階で病院に行くべきだった。その段階で処置できれば助かった可能性は高い。“人生最悪の頭痛”は最後の警告だったんだよ」


 私は、ニホンでの医療をよく知らないけれど、アロイは以前、「魔法はないけれど、魔法のように病気を治せた」と言っていた。医療系の知識を持った稀人がこちらの医療を進めることも多い。ニホンの医療は進んでいるのだろう。脳の中で致命的な出血や梗塞が起きても命を救えるような、そんな魔法のような治療法があるのだろう。

 だとしたら……それを今、知らされた、モンテの中の彼は。


「は……そんな、今さら……」

「そう、今さらだ。何もかももう遅い。例えばセロがあと1分遅く会社を出ていたら。ティモ……ああ、これは別の稀人の友人だけどね。ティモがあと1つ違う信号を渡っていたら。そうしたら彼らは助かっただろう。僕の病気は早く発見できても多少余命が伸びるだけだったかもしれない。けれど、君の病気は間に合っていたかもしれないんだ。誰も彼もがそんな後悔を抱えていて……だからこそ、次はちゃんとしようと、そう思うんだよ」


 アロイの言葉は淡々と可能性と事実を並べているだけのように思えるけれど……でも、だからこそなのか、経験がないはずの私の心にも響いた。

 ちらりと、壁際に立つグエンを見る。彼も私と同様、生粋のユラル人だ。グエンは髭もじゃの口元をきつく結び、眉根を寄せて目を閉じている。付き合いの浅い私に、その表情の意味は読み取れなかった。


「【焚き火のひと枝、温かな橙】」

 説明をアロイと交代したセロが、壁際で小さく呟く。……炎の妖精の小さいやつか。セロの指先に小さな火蜥蜴が現れる。もう片方の手にはまた煙草があった。今日は本当に珍しい。

「……セロ、今日はそれで最後だよ」

 アロイが苦笑しながら警告する。

 わかってるよ、と返してセロは煙草に火をつけた。


 ふぅ、とセロが吐き出した煙に気がついたのか、アロイの言葉に呆然としていたモンテが顔を上げる。

「……煙草か。この世界にもあんのか」

「ああ。あんたも吸うか?」

 セロの言葉に一瞬迷い、モンテはゆっくりとベッドから立ち上がった。

「悪い。1本もらえるか」

「両切りだからコツがいるぜ?」

 そう言いながらセロはモンテに1本渡し、自分の煙草をくわえたまま近づけて火を分ける。


 私は紙巻き煙草としか区別していないけれど、稀人たちはそれを「両切りの煙草だ」と表現することもある。曰く、フィルターというものが付いていない煙草のことらしい。つまり、開発中だというフィルターが付いているほうが、稀人にとっては普通の紙巻き煙草なのだろう。


「はぁ……久しぶりだ。嫁が妊娠して1度やめて……でもやっぱりやめられなくて、時々部屋の外や換気扇の下で吸っててさ……でも、娘も大きくなって、パパ煙草くさい、とか言いだしてさ……あらためて禁煙して半年になるんだ」

 モンテの声が震えた。ふと見ると、目から涙も流れている。煙草の煙がしみたというわけではないだろう。


 モンテの涙を見つめながら、セロがゆっくりと口を開く。

「しばらくは混乱する。日本でのことのほうが自分にとっては現実だからな。そのうち、ここがどこなのか、グエンが誰なのか、俺が誰なのかを思い出すさ」

「グエン……?」

「こっちのおっさんだ」

 セロに言われてモンテはグエンをちらりと見る。が、すぐに諦めたようだ。

「この体を知ってる人間にとっちゃ、おれは今、記憶喪失みたいなもんなのかね。それで違う記憶がどこかから入り込んだって? は。とんだファンタジーだ」

 皮肉げにそう言って、モンテは指先に挟んだ煙草を口元に近づける。ゆっくりと煙を吸い込んで味わい、またゆっくりと吐き出す。


「……ん、グエン……さん? と、セロさん……?」

 ふとそう口に出して、モンテはグエンとセロを交互に見た。

 グエンはさっきと変わらず、口を閉じて眉根を寄せていたが、片目だけ開けてモンテを見た。セロは興味深げに煙草をくわえたまま壁に寄りかかる。

 モンテは煙草を持ったまま、何かを振り払うように首を振った。

「いや……違う違う。おれは嫁と娘が待ってるから……急いで帰らないとって思って……だから天馬に飛び乗って……そうしたらスライム鳥が……ははっ、何言ってんだ、おれ」


 セロは、ふん、と小さく言って、吸い終えた煙草をテーブルの下にあるバケツに投げ込む。ジュ、とまた小さな音がした。ここにも消火用のバケツがあるということは、この組合の喫煙人口は割と多いのかもしれない。

 ポケットから出したブリキの煙草ケースを、セロはそのままモンテの手に押しつけた。

「残りはまるごとやるよ。どうせ俺は今日はもうドクターストップだ。火は……グエン、火付けの魔道具持ってたろ」

「ん」

 グエンは短く返事をすると、ポケットから小さな魔道具を出した。手の中に握り込めるほど小さな魔道具で、火属性の魔石をはめ込んだだけの単純な造りだ。燃えやすいものに着火するだけの用途しかない。


「これは……息子同然のやつからもらったもんでな。だから貸すだけだぞ。おまえ、今日はここに泊まってけ。1人にしてやるよう、他の奴らにも伝えておく。あと、飯も運んでやる」

「あ、ああ……わかった、いや、わかり……ました」

 さっきグエンから聞いた話からすると、その火付けの魔道具はモンテからグエンへの贈り物だったのだろう。


「煙草が精神を安定させるなんて、と思ってたけど……多少は認めなくちゃいけないかな?」

 アロイが私の隣にきて、くすくすと笑いながら言う。

「君の立場では公言しにくいだろうけどね?」

 私もそう言ってくすりと笑った。




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