41.目に見える魂
姉と姪が来た6日後の夕方、フェデリカが魔法陣を持って店を訪れた。その日はちょうど、スコットさんに設計図を渡していた湯沸かしカップの量産第一陣が店に届いた日で、一応、店内の目立つ場所にディスプレイしておいた。ついでに、リナの発案で「新商品・便利な湯沸かしカップあります」と書いた紙も、店の入り口に貼っておいた。
「あら、色と模様が増えたのね」
閉店間際の店を訪れたフェデリカが、湯沸かしカップを見て言った。
「うん、私の手作りではなくなったからね。少し改良した部分もあるから、気に入った色柄があれば持っていっていいよ」
そう言うと、フェデリカはいくつか手に取って色や柄を見比べていたが、結局全て棚に戻した。
「わたしは、あなたが深い赤で作ってくれた、あの試作品が意外と気に入ってるからいいわ。でも、首都に戻る時には同僚へのお土産としていくつか買っていってもいいわね」
ちゃんとお金は払うわよ、とフェデリカが笑う。
「ああ……気に入ってくれたならよかった。君は赤毛だからあまり赤い服は着ないけれど、私にとっての君のイメージは深い赤色だったから」
「そういえば、昔あなたがわたしにくれた贈り物は赤い色のものが多かったわね」
そう言ってフェデリカは、ふふと笑った。癖のある赤毛は、仕事の時には頭の後ろでまとめていることが多いけれど、今は背中でゆるやかに波打っている。とがった鼻の上にちょこんとのっている金縁の眼鏡は、仕事だろうとプライベートだろうと同じだ。
私とフェデリカ、リナの3人は店の近くにある小さなレストランで夕飯を済ませた。ユラル料理と稀人料理がほどよく混在する、庶民的なレストランだ。リナと2人でもよく行っている。
あらためて自宅に戻って、私はフェデリカが持ってきた魔法陣を広げてみた。見覚えがある。
「前も使ったわよね。魂の輪郭を定める魔法よ」
フェデリカの言葉にリナも頷いている。
「覚えてる。なんか、キラキラしてきれいな魔法だったよね」
「魂を繭みたいなもので包むんだっけ」
私の言葉にフェデリカが頷く。
「ええ。3日くらいかかるけれど、ちょうどその頃にわたしの仕事が一段落しそうなのよ。だから下準備ね。もちろん、魂がどこかに飛んでいかないように結界も併用するつもりだけれど、魂の輪郭を定めておけば何かアクシデントがあっても、魂そのものは比較的安全なのよ」
「アクシデントってたとえば?」
リナが首を傾げる。フェデリカが少し悪戯っぽく笑った。
「別の魂が飛び込んでくるとかね」
「ええっ!? そんなことあるの!?」
リナが目を見開く。
「無いわよ、結界で包むんだから。でも、万が一……うーん、もっと低い確率かしら。結界の編み目をすり抜ける魂がひょっとしたらあるかもしれないわ」
フェデリカの言葉に、私はリナの体がこちらの世界に来た時のことを思い出す。万にひとつ……本当に、それよりも低い低い確率だっただろう。異世界から生き物を呼ぶ魔法陣で呼び出されて……それでも、召喚した本人のところでは肉体を実体化させるほどの魔力がなくて、結局私のところで実体化してしまった。私の本来の肉体を弾き出すようにして。
魂と肉体の玉突き事故だ、と後から言っていたのはアロイだったか。クルマが何台も連なって動いていてるところで、どこか1カ所で事故が起こってしまって、その前後で事故が連鎖していくことを、玉突き事故というらしい。
フェデリカが魔法陣を広げ、リナがその上に座る。2度目なので不安はないようだ。フェデリカが陣に手をかざすと、羊皮紙に書かれていた文字が淡く光り、リナの体を取り囲むように文字がくるくるとらせんを描きながら回り始めた。以前にも見た光景だ。
あの時、きれいな魔法だと言った私に、魂に触るのだからきれいなほうがいいでしょうとフェデリカは微笑んだ。
魔法にはそれぞれ、行使する人間の性格というか、美意識のようなものが出る。フェデリカが操る魔法は星の欠片が舞うような美しいものが多い。私は魔道具に落とし込むことを考えているので、なるべく無駄がなく余計な光や熱も出ないようなやり方を選ぶ。そう考えてみると、私が操る魔法はなんと無味乾燥なことか。
リナへの魔法が終わり、次は私の番だ。同じように魔法陣の上に座り、フェデリカが起動させる様子を見守る。
「そういえば……以前、実験をした時に私たちの魂が白い球状になっていたと思うけど、あれってこの魔法のおかげってわけじゃなかったんだね」
そう言うと、フェデリカは小さく首を傾げた。
「この魔法を使うとよりはっきり見えるとは思うけれど……どうして? 何かそれを疑問に思うようなことがあったの?」
「九聖教に拉致された時に、ほら、例の立体魔法陣。あれを使われた人たちの魂が抜けかけるのを見たんだ。今使ってる、輪郭を定める魔法を事前に使われたわけではなかったのに、境界が薄ぼんやりとした白い玉のようなものが浮かび上がるのを見た。でも、例えばユラル人が稀人に生まれ変わる時に、魂が抜けるのを目撃したという人はいないじゃないか。それってどういうことなのかなと思って」
稀人になったというのは、当人が意識を取り戻した時に周囲の人間と話をして判明する。魂の出入りを目視で確認できているわけではないのだ。
ああ、とフェデリカが小さく笑う。ちょうどそのタイミングで、私への魔法も終わったようで、キラキラと私の体を取り巻いていた光る文字が、残滓だけを残して消えていったところだ。
「魂を扱う魔法を組む場合、見えていないと確認できないから、あなたが途中まで内容を描き写していたあの立体魔法陣にも、これと似た作用のある魔法が組み込まれているのよ。わたしは、実はこの眼鏡に魂が見える魔法を組み込んであるから、わたしだけの実験ならいちいち魂を可視化しなくてもいいんだけれどね」
ふふ、と笑ってフェデリカが鼻の上の眼鏡に触れる。付き合っていた頃から眼鏡はしていたから、特に不思議にも思っていなかったけれど、いつの間にそんな魔法を組み込んだのか。
言われて初めて、去年のことを思い出す。私とリナのあれこれを初めてフェデリカに話して協力を求めた時に、フェデリカはまるで私の中の魂を見るかのようにして語りかけてくることがあった。「まるで」じゃなかったのか。フェデリカにはあのときも見えていたのだろう。
「まぁでも、この魔法の目的は可視化がメインじゃないわ。肉体から切り離される魂は不安定になるから、それを安定させるためのものよ。――ところで、例の人形に魔力はもう込め終わってる?」
フェデリカは、私とリナの顔を順番に見つめた。
「私のはもう終わってるよ。リナは今晩と明日やれば充分じゃないかな。一昨日あたりから魔力の流れがよくなってるから今晩で終わるかもしれない」
元は私の体なので、魔力量そのものに問題はない。ただ、魔力を流すという行為自体にリナが慣れていなかっただけだ。それも何度かやって慣れてきたので、もうすぐ人形を魔力で満たせそうだ。
「じゃあ3日後の夕方に始めるわよ。手順を話すわね。――まずは私が作ってきた立体魔法陣を使って、リナちゃんの魂を今の体から人形へ移す。その時には以前よりも小さな結界で、リナちゃんの体とリナちゃんの魔力で満たした人形を包むわ。リナちゃんが今の体から抜けるところまでは私の魔法で手伝うから、体から出たら、自分の魔力を目印にして人形に入ればいいだけよ。人形がちゃんと魔力で満たせているなら、人形に入ることに抵抗はないはずだから安心して」
以前にフェデリカが持ってきて、うちに置いたままにしている立体魔法陣だ。九聖教の魔術師が使っていたのは丸い水晶玉のようなものだったけれど、フェデリカが作ってきたのは細長い八面体だ。細い四角錐を底面でつなぎ合わせたような形。
「今回は確実を期したいわ。結界をより緻密に設計して、目的のものだけを包むようにするの。外から干渉しても魂が絶対に漏れ出ないようにもするわ」
以前は私とリナ、モモをまるごと包むような大きな結界だった。それを小さくするのか。小さくするだけなら魔力の節約に繋がるだろうけれど、より緻密なコントロールをすると逆に魔力の消費は上がる。壁を吹き飛ばすのと、遠くから鍵穴だけを貫くのは、魔力の消費量だけを考えれば同じなのだ。
「フェデリカ、それは魔力の消費量はどのくらい……」
心配になってそう聞いてみると、フェデリカは小さく肩をすくめた。
「だからアロイさんの魔力回復薬? 本当はそれがあればよかったのよ。でも完成してないでしょう? だから日を分けるわ。1日目にリナちゃんの魂を移動させて、2日目にベルナール、あなたの魂を移動させる。3日目に今度はリナちゃんが人形から元の体に戻る。4日目にあなたが元の体に戻る。人形は魂が抜けたらそのまま崩れ落ちるでしょうね。もともと使い捨てだもの」
「使い捨ての人形に、あんなに魔道樹脂を使ったのか……! もっと小さくてもよかったんじゃない?」
私の意見にフェデリカは首を振った。小さいほうが魔力で満たすのも楽だったのに、それではダメだったのか。
「実はそのあたりは実験済みなのよね。あまり小さな体だと、人間の魂を受け止めきれないのよ。……確か、アロイさんがこちらに転生したのが、初等院に入る直前だったって言っていたわよね。報告がある分だけの研究だけれど、多分、そのくらいの年齢が一番幼い例だと思うわ。――不思議ね。元の魂のままなら、生まれた瞬間から人間の魂を持っているはずなのに、外から魂が入る時には6歳か7歳……それ以上じゃないといけないなんて」
「なにか、理由があるのかな」
そういえば冒険者仲間の中でも、アロイよりも幼い年齢で稀人になったという話は聞いたことがない。
「わからないわ。研究の手が及んでいないだけで、ひょっとしたらもっと幼い稀人の例もあるかもしれない。……まぁ、少なくともあの魔道樹脂の分は、実験が成功したらあなたに請求するわね。大丈夫よ、再生処理は可能だから……ああ、人形から元の体に移動する時には、たらいか何かの上に立っていたほうがいいわね。床の上で崩れ落ちたら回収が大変でしょう?」
フェデリカは口元に指を当てて、少し考えるようにそう言った。
「……魔道樹脂加工用の大きめの防水箱があるから、それを使おう」
再生魔道樹脂を大量に仕入れたと思えば、経済的にも痛くない。……痛くない!
「じゃあ、3日後の午後からは臨時休業だね。えっと……4日間? 念のため5日間くらいにしとく? 貼り紙もしなきゃ」
リナがカレンダーにぱぱっと予定を書き込む。
そうだ。店を休まなきゃいけないんだ。……リナのほうがしっかりしてるなぁ。
「リナちゃんのほうがしっかりしてるわね」
はからずも、私の内心とフェデリカの言葉が重なる。
でも、私が店を休んでいる間も、湯沸かしカップはクラクストン商会で売られる。大手の商会に設計図を買い上げてもらえるというのは、そういう利点もあるのだ。もちろんそれだけで膨大な利益が出るというものでもないし、売れ行きにもよるけれど。
少なくともフェデリカに充分な謝礼を払えるくらいに売れればいいなぁと思った。
――そういえば、魂が抜けた後の肉体はひょっとして死体になってしまうんじゃないだろうか。それなら入れ替わりに何日もかけるのはあまり良くないのでは……。
真夏ほどじゃないけれど暖かくなったこの季節、元の体に戻るにも、傷みかけた体に入るのはちょっと……。
そう気づいたのはフェデリカが帰った後だったけれど、翌日、セロとともに我が家を訪れたアロイがそれを解説してくれた。
「魂が抜けた後の体は代謝が極端に落ちるけれど、魂が抜けた状態イコール死ではないよ」
お茶のカップを片手にアロイがそう言う。
セロは禁猟期が明けたからと、スコットさんに頼まれていた夏鹿を届けに行った帰りらしい。お土産だと言って下処理を済ませた山鳥を持ってきてくれた。
「それって、いわゆる脳死みたいなことなのか?」
脳死!? なんか恐ろしい単語がセロの口から出る。
「いや、違うね。どちらかというと遷延性意識障害に近い」
私とセロが同時に首を傾げたのを見て、アロイが解説してくれる。
「脳死というのは、脳が取り返しのつかないダメージを受けて、かろうじて体は生きていても、しばらくすると死に至るのは確定してるんだ。遷延性意識障害は、脳が充分な活動をできない状態で、意識はないけれど必ずしも死に結びつくとは限らない。これは個人の病状にもよるから一概には言えないんだけど」
そこまで言ってから、お茶を一口飲んで、アロイが続ける。
「……というのは日本での話でね。この世界における魂と脳、意識の関係性についてはまだ充分に解明されたわけじゃない。なにせ、体や脳に受けた大きなダメージも、即座に上位の回復魔法を使えばある程度は回復できるんだ。ただ、今までわかってることで言うと、魂が抜けたあとの体はものすごく深い眠りについている状態で、だから適切に管理されていればすぐ死にもしないし、生きたまま腐りもしない」
「っつーことは……例えば、魂が抜けたあと、数日経ってから別の魂が入り込むことはあるのか」
首を傾げつつも理解したらしく、セロが尋ねる。アロイは頷いた。
「あるね。異界の魂が入り込んで稀人になることもあれば、本人の魂が戻ってくることもある。これは本当に、その時々の状況によるとしか言えない。本人の魂が飛び散ってしまってなければ……死後の世界であるアネイラに取り込まれていなければ、の話だし」
そう言って、アロイはこちらを見る。
「だから、大きな事故や病気で魂を失うのではなく、今回の実験のように、健康な状態で魂を失うなら、体については数日間……おそらく10日間くらいは大丈夫だよ。それ以上になると、ある程度のケアが必要になるから、医術院に運んだ方がいいと思うけど」
「なるほど……え、ケアって? どんな?」
私の質問に答えたのはセロだ。
「下の世話だろう。あとは流動食か何か食わせるんじゃないのか」
セロの言葉にアロイが頷く。
「代謝が極端に落ちているとはいえ、体は生きているからね。最低限の水分や栄養は必要だし、それを取り込むとなると排泄も必要になる。魂が入っていなければ意識は戻らないから、それらを自力ではできない。だから医術院でケアするんだよ」
な、なるほど……。説明されればわかるけれど、深く眠ったまま飲食も排泄も他人まかせになってしまうのは、なんかちょっと切ない。
アロイによると、医術院では保存の魔法を応用した特別な魔道具もあるらしく、意識のない患者はその魔道具に寝かせるそうだ。そうすると、さらに代謝を落とした状態を長く維持できるらしい。
「2日後だっけ。それには間に合わないけれど、もう少しで魔力回復薬の原型は出来そうなんだ。効力はまだ充分ではないけれど、九聖教のエリクサー5本分くらいの薬剤は出来るかもしれない」
アロイの報告に、私は嬉しくなる。
「あ、思ったより早いね! 試作品が出来たら試させてもらいたいな」
「もちろん。試してもらってデータをとるつもりだよ。あとは効力をどのくらい上げられるかとか、一般に普及させるならどの程度のコストまで許容できるかとか、そういう問題は残ってるけどね」
以前聞いた、虚構の世界の万能薬、アロイたち曰く“ゲームの中のエリクサー”のように、1本飲めば何もかも完全回復とまではもちろんいかないだろうけれど、今まで魔力を回復する手段が少なかった私たちに、魔力回復薬の可能性が出てきただけでもありがたいのだ。
「セロさーん、この山鳥ってどう料理すればいいの?」
キッチンでリナが声を上げる。
それに応えるように、セロがキッチンに向かった。
「これはあまり臭みのない鳥だから、軽くさばいて、塩とスパイスでグリルすればいい。包丁を入れる時はこっちから……」
セロがリナに説明しているのが聞こえる。
最近は私よりもリナのほうが料理が上手だ。リナがいない間、即席麺ばかりを食べていたとバレてから、リナは以前よりさらに積極的に料理をするようになった。……申し訳ない。
魂と体が元に戻れば、私は見た目も大人になる。そうすれば今度こそ、大人としてリナの面倒をみるのだ。もちろん、料理や掃除もがんばって……リナに少し手伝ってもらうかもしれないけれど、姉さんが言っていたように、年若い子どもの保護者として名実ともにがんばる心づもりだ。
「なんとなく……何を考えてるかはわかるけど、自分もがんばらなきゃと思うなら、鳥肉の付け合わせを作るくらい、今でもできるんじゃないの?」
アロイにそう言われて、私は慌てて立ち上がった。
なんで考えてることがバレるんだっ!!?




