42.命を得る人形
「【解かれる結び目、巻き戻される糸車……】」
フェデリカのよく通る声が呪文を紡ぐ。その手には、細長い八面体の立体魔法陣が握られていた。紡がれる言葉に応じるように、魔法陣は中心部から少しずつ光り始める。
私とアロイ、セロ、ティモの4人は、私の家のリビングでそれを聞いていた。
午後の光が差し込むリビングの床には毛布が敷かれ、その上にリナの体が寝かせられている。隣にはリナが魔力を込めた人形も横たえられていた。
リナと人形は、事前にフェデリカの結界で包まれていた。淡く光る薄緑色の結界は、例えば私たちがどちらかの体に触れようと思えば触れられるけれど、よそから別の魂が入ってくることはできないのだそうだ。物理的なものを遮らない代わりに、魂の出入りを強力に制限したと聞いている。別の魂も入り込めないし、中にいる魂も結界の外には出られない。つまり、リナの魂は今の体から出たら、人形の体しか行き先がないのだ。
リナと私の魂そのものを、輪郭を定める魔法で包んだことと合わせて、二重の安全装置なのだとフェデリカは言った。
人形はのっぺりとした乳白色の石像のようで、7歳前後の子どものようだ。先日までは服を着せていなかったけれど――それでも性別を表すような特徴はなかったけれど――今は一応、私の昔のシャツをワンピースのように着せている。そうしたほうがいい、とフェデリカが言ったからだ。
そう助言してくれた理由はすぐにわかった。
「【……人型の魔力を標として、自らの魔力を依り代として、来たれ、現世の魂よ】」
フェデリカが呪文を終えると、立体魔法陣は一番表面に描かれている模様に柔らかな光を走らせて、全体が一度強い光を放った。その光にまぎれるようにリナの体からすうっと白い玉が浮かびあがり、そのまま、結界の中を人形のほうへと漂っていく。
去年の儀式と似たようなものかと思っていた。前回は白い玉が体に近づくと、玉の表面を構成している繭のようなものがするするとほどけて、体の上で玉が溶けていった。
けれど今回は白い玉のまま、人形の中に吸い込まれるように消えていった。
そして、つるりとした乳白色の人形に、色がついた。
人の姿になったのだ。
人形は一体が巻き毛で、もう一体は肩のあたりで切り揃えたかのような直毛だった。リナの魔力を込めたのは直毛の人形のほうだ。髪の先から足のつま先まで、色の濃淡もなく乳白色だった樹脂製の人形は、見る間に色を変え、髪は黒く、肌は柔らかな薄桃色になった。固まっていたはずの髪の毛も、重力に従ってさらりと落ちた。
――これは確かに、服を着せていなければ、全裸の少女になってしまう。
「……リナちゃん、聞こえる? ゆっくり目を開けて」
「んー……」
人形は、7歳の黒髪の少女になっていた。
リナの返事は、今の私の声よりも少し幼い。
ぱちりと開いた目は黒に近い、深い深い焦げ茶色。髪の色も目の色も、肌の色さえも、今の私の姿とほとんど同じだ。年齢だけが違う。
人形の顔立ちはもともと整っているだけであまり特徴がなかったが、今は、数年前のリナはこんなだったろうという顔立ちになっている。
「体は動かせそう?」
「うん、動かせそう。どこも変な感じはしない。起き上がってみるね」
フェデリカの問いに、幼い声でリナが応じて、ゆっくりと起き上がった。
「大丈夫そうね」
フェデリカはひとつ息をついて、それまでリナの体と人形を包んでいた、薄緑色の結界を解除した。その手に握っていた立体魔法陣もいつの間にか光を失っている。
「ふはぁーー……っ! 魔法ってマジヤベーっスね!」
感嘆の声をあげたのはティモだ。
多くの稀人たちは、「危ない」とか「まずいことになった」という意味合いで「ヤバい」を使うけれど、ティモに限っては「すごい」とか「信じられない」とか「美味しい」とか、とにかく感情が大きく動くことに対して「ヤバい」と言っているらしいことが最近わかった。
「魔法の中でも魂を扱う魔法は、そうそう見られるものじゃないよ。あと、魔法人形に人間の魂を移すのは禁忌だと言われているから、ここで見たことはよそで言わないでね」
そう言うと、ティモは少し首を傾げた。
「キンキ……つまり、ヤベーってことっスか?」
「そう……かな?」
ヤバいという言葉の守備範囲が広すぎるような気もするが、とりあえず今回は危機感を抱くほうの「ヤバい」だろうから間違ってはいなさそうだ。
少し前に臨時休業の予定を店の入り口に貼ったら、たまたま買い物に来たティモがそれを見つけて何かあるのかと聞いてきた。だから、この入れ替わりの予定を告げたのだ。そうしたら、ティモは見学したいと言ってきた。
魔法に関することは生活魔法くらいしかわかっていないようだけれど、そもそもティモは私の姿が変わることを惜しんでいたので、ひょっとしたらその送別の意味合いもあったのかもしれない。もともとセロとアロイを立会人として呼んでいたので、ティモを拒む理由もなかった。むしろ、ティモがいてくれたら、何か力仕事が発生した時に便利かもしれないとも思った。
実際、それぞれの寝室に置いてあった魔法人形をリビングまで運んでくれたのはティモだった。
「これで、人間の使い魔のできあがりってわけか。外にバレたらヤバそうなやつ。……とはいえ、フェデリカの使い魔ってわけでもないんだよな?」
リナが手を握ったり開いたりしている様子を見ながら、セロがそう言う。
そうね、とフェデリカが頷いた。
「人形の魔力はリナちゃん本人の魔力だもの。わたしは魂の移動を手伝っただけだから、わたしの使い魔には当たらないわ。強いて言うなら、リナちゃんの使い魔かも?」
「あたしの使い魔に、あたしの魂が入ってるってこと? ふふ、なんか不思議だね。でも大丈夫そう。使い魔の体って、前にモモの体に入ってた時と似た感じだけど、今回は人間の形だからいろいろ不便はなさそうだよ」
手足を動かしていたリナは、動きに確信を得たらしく、その場でゆっくりと立ち上がった。
キッチンまで歩いていって、またリビングに戻ってくる。そしてソファに座るアロイの隣に腰を下ろした。
そんなリナの動きを見守っていたアロイが、我慢できなくなったように、リナに声をかける。
「リナ……こういう言い方は誤解されるかもしれないけど、ちょっと触らせてもらってもいいかな」
「うん、いいよ」
はい、とリナがアロイに手を差し出す。アロイはその手を受け取って、肌の質感を確認した後、手首のあたりに指を触れさせた。
「ほんのりと温かいけど、人間よりは体温が低いね。脈もない。血液が流れていないのか。質感も、人間に近いけど……」
そこでアロイはぐっと目を近づけてリナの肌を見つめた。
「肌理や産毛が再現されているわけでもない。やっぱり精巧な人形なんだね」
アロイは誤解されるかも、と前置いていたけれど、アロイの触り方では誤解のしようもない。これはただの触診だ。
「動きもよさそうね。人間の体との違いは成長しないこと、魔法が使えないことくらいよ。魔道具に魔力を込めることくらいはできるわ。飲食も必要ないけど、食べたいと思えば可能よ。体の中で分解されて、その食べ物がもともと含んでいた魔力だけを吸収して、残りは排泄されるわ」
フェデリカの言葉にリナが頷く。犬の体と一緒ね、と呟いた。使い魔の体に入るということに関してはリナのほうが“先輩”なのだ。
「使い魔っていうことは、魔力を外から定期的に補充しないといけないのかな?」
リナの髪をまじまじと見つめながらアロイが言う。
そう、本来の使い魔は主が定期的に魔力を補充する。魂自体は、死んだ獣の魂を死後の世界から呼ぶけれど、使い魔の体は召喚した主の魔力で作るものだから。私も、モモの体には月に2回くらいの頻度で魔力を補充している。
いえ、とフェデリカは首を振った。
「もちろんずっとそのままでいるなら補充は必要だけれど、今回は数日間の予定ですもの。人形にたっぷりと魔力を込めてあるから、このままでも……そうね、1カ月近くは保つでしょうね」
「ところで、それはどうすんだ?」
それ、とセロが指さしたのは、床の上に横たえられた私の元の体だ。無駄に背の高い成人男性の体だから、邪魔といえば邪魔なのは確かだけれど。
「数日後にはまたこれに魂を入れるわけだから、ここにこのまま置いといてもいいと思っていたんだけれど」
フェデリカが言う。
「とはいえ、それをそのままってのも邪魔じゃない?」
そう言ったのはアロイだ。
――っていうかみんな、ソレとかコレとかひどくない!?
「あ、んじゃオレがベルさんの寝室まで運んでおくっスよ。ベッドに寝かせればいいっスよね」
ティモの言葉に私は感激した。私の体をきちんと人間のように扱ってくれるのはティモだけだ。
「……私は今、ティモの優しさに感動しているよ」
「うへへ。そっスか?」
照れくさそうにティモは私の――ベルナールの体に手を伸ばし、直後に「うわっ」と言って手を引っ込めた。
「え、この体、生きてんスか!?」
「いや、そりゃ生きてるよ。死んでたら私が戻れないじゃないか!」
ティモとしてはモノを運ぶつもりでいたらしい。
「死体だったら硬直してるから運びにくいぜ?」
「いや、まだ死後硬直が始まる時間じゃないから、死体でも柔らかいよ」
セロとアロイが追い打ちをかける。
だから死んでないってば!
ティモは、「思ってたより重いっスよー!」と文句を言いながら、ベルナールの体を寝室に運んでいった。
「フェデリカ、魔力の消費はどう?」
ふと、アロイがフェデリカに向けてそう聞いた。
「半分くらい、っていうところかしら。だからベルナールの分も無理をすれば今日中にできたんだけれど、何かあった時にわたしの魔力が空だとどうにもならないから、日を分けたのよ」
「じゃあ、ちょっと試してみるかい? 薬草学の教授に相談してみたら、教授のほうも別方面からアプローチをしていたみたいで、材料がそれなりに揃っていたんだ。大急ぎで作った試作の試作だけど、少なくとも安全性だけは保証する」
アロイはそばに置いてあった鞄から、小さなガラス瓶を取り出した。透明なガラス瓶の中に濃い青色の液体が入っている。あれをごくりと飲むなら1口か2口分くらいの量だろう。
「あら、魔力回復薬? もう試作ができたのね、素晴らしいわ!」
アロイが差し出した小瓶を、フェデリカが嬉しそうに受け取る。昔、私と付き合っていた頃に装飾品を贈った時よりも嬉しそうだ。
「個人の魔力量にもよるから、どのくらい回復するかはまだデータがとれてない。それにもっと効力は高められるはずなんだ。それと、まだ味の調整もできてないから、美味しくはないけど」
アロイの説明もそこそこに、フェデリカはガラス瓶の蓋を開け、軽く鼻を寄せた。
「そうね、少しツンとするような……でも甘酸っぱいような匂いもするわ」
「ベルが保管していたエリクサーのレシピにあった、クティナ桃の成分が少し入っているから、酸味はあるね。甘さは……それより先に作った最初の試作品があまりに苦かったから、とりあえず蜂蜜を入れてみたんだよ」
苦笑するアロイに、小さく笑みを返して、フェデリカはガラス瓶を口に当てると、一息に飲み干した。もし私が作ったというのならこうはいかないだろう。フェデリカはアロイをかなり信用しているようだ。
「……甘くて苦くて酸っぱいのね。若干、スパイスに似た香りが……あら、でも即効性があるのかしら。少しずつ魔力が回復してくるわよ?」
「え、そんなにすぐに? ぐんぐんくる感じ?」
私の言葉に首を振ったのはフェデリカではなくアロイだ。
「いや、始まりは早いけれど、ぐんぐん回復はしないんだ。でもじわじわと……そうだね、1時間くらいかけてかな。昨日試したけど、今、フェデリカが飲んだ量で、僕の魔力量の4分の1くらいは回復した」
「わたしとアロイさんの魔力量がどのくらい違うかはわからないけれど、仮に同じくらいだとして、全魔力量の4分の1が回復するのには、本来なら安静にしていて半日かかるわ。それが1時間で回復するのなら、今の段階でもとてもありがたい薬よ」
フェデリカの言葉にアロイが頷く。
「これが画期的な薬になる予感はあるよ。最終的に、僕の魔力量の半分を30分で回復できるようにしたい。僕の魔力量の半分なら、たとえばセロなら魔力量の8割近くが回復することになるはずだ」
セロは魔法系の学習を中等院までしか修めていない。そもそも一般魔法を苦手としていたし、もちろん回復術を学んだわけでもない。だから、魔力量を増やすことや、魔力回復を効率的にすることなどは学んでいないのだ。
それでも幼い頃から妖精魔法を使っていたおかげか、独学にしては魔力量はそれなりにある。ただ、魔力回復が苦手なようで、最近、限界近くまで魔力を使うことが多かったセロは回復に時間がかかっていた。
アロイの言葉を受けて、セロも反応する。
「お、そりゃいいな。あの頭痛と眠気から解放されるんなら、多少高価な薬でも1本は常備しとこうかって気になる」
常の状態ならあまり魔力を多く消費しないはずのセロでさえそう思うのだ。魔術師や回復術師にとっては、喉から手が出るほど欲しいものだろう。
改良にどれくらいかかるのか、もし研究に金銭や人手が必要なら王立魔導院に掛け合ってもいいと、フェデリカはアロイを質問攻めにしている。
私も興味のある話題なのでそこに加わろうとしたところで、テーブルの上に置いてあった通信具から呼び出し音が鳴った。私の通信具だ。
「はい、ベル。姉さん?」
通信具に表示されている名前を見て、私は通信を開始する。
『ベルナール? 今、エリノアと一緒に近くまで来ているのよ。良かったらお茶でもどうかなと思って』
「ああ、ごめん、姉さん。今日はちょっと立て込んでるんだ。ほら、以前話したろう? 魂の入れ替えの件で、家には人も集まってるし……」
姉に魔法の詳細を話してはいないけれど、近いうちに魂の入れ替えをするとは言ってある。ただ、これ以上、禁忌に関わる人間を増やしたくはない。
稀人たちはその出自から、あまり禁忌を気にする人間はいないし、フェデリカは有用な手段があるなら使うべきと言う人間だ。そして私は、これしかないのなら仕方がないと腹をくくった。
けれど、一般人である姉や姪に、人間の使い魔を作る様子を見せたくはない。セロやティモが言うところの「ドンビキ」という反応をされるだろうことは想像に難くない。
『あら、そうなの。じゃあまた今度に……え、きゃぁっ!!!?』
「……姉さん?」
姉の悲鳴と同時に、ガラガラと雷鳴のような音が響いた。そしてそれが聞こえたのは通信具からだけではない。窓の外からも聞こえた。
ゴゴゴ、ガラガラ、ガン、ゴン……雷鳴のような音と、かすかな地響き、通信具は姉の手を離れたようで、すぐに何も聞こえなくなったが、窓の外からはまだ音が聞こえて……そしてすぐにそれはやんだ。
「何の音だ?」
姉の悲鳴より先に、外の音に反応したのはセロだ。少し遅れてリナとティモが窓の外に視線を向ける。魔力回復薬について話をしていたアロイとフェデリカはそれよりさらに遅れて窓を見た。
私は姉の通信が切れると同時に窓の外を見たが、雷が鳴るような空ではなかった。雨も降っていないし黒い雲もない。午後の青空が広がっているだけだった。
かすかに人の悲鳴のようなものが聞こえる。
「なんか事故っぽいな。近いぞ。……おい、ベル、さっきの通信って」
窓を見ていたセロの言葉に、心臓を鷲づかみにされるような衝撃を受ける。
「事故!?」
私は通信具を握りしめたまま、取るものも取りあえず走り出した。玄関に向かう私の後ろにセロがついてくる。
「おまえの通信具からも同じ音がしてたな?」
「姉さんとエリノアが巻き込まれてるかも! 近くに来てるって言ってたんだ!」
私の叫びに、ティモとアロイも立ち上がって玄関に向かってくる。リナも立ち上がったが、フェデリカがそれを制した。
「リナちゃんはここにいて。その体は、見る人が見れば、使い魔の体だとすぐにわかってしまうわ。魔力の流れが人間のそれとは全く違うのよ」
「わ、わかった……! ベルさん、エリノアちゃんに何かあったらすぐに教えてね!」
リナはサイドテーブルに置いてあった自分の通信具を手に取り、私に向けて掲げて見せた。
玄関を出たのは私が一番最初だった。
確か、音がしたのは西側の……。
視線を向けると、何かあった場所はすぐにわかった。土煙が上がっているし、人の悲鳴や、現場に走っていく人々がいたからだ。
「確かあの場所……倉庫の解体工事をしてたな」
私のすぐ後ろにいたセロがそう呟く。
「何かが崩れたんだろう。セロ、ティモ、急ごう。怪我人がいるかもしれない」
走り出しながらアロイが言う。
もちろん私も走り出した。




