2.稀人初心者
「名前は?」
セロがそう聞くと、赤毛の彼はやや呆然としながらも小さな声で答えた。
「ヒロキ……あ、いや、こっちの体の名前だとティモ。……えー? どういうことっスか……」
ティモと名乗った彼は、私たちのテーブルの上を見て、目を丸くした。
「え、アイスコーヒー……そっちは明太子スパ? それに……タピオカミルクティー!? え、ストローは……そのストローは何製っスか!」
リナがストローから口を離し、私に目を向ける。
「……何製? プラスチック、じゃないよね?」
「魔導樹脂製。君たちの言うプラスチックって、使い捨ての合成樹脂なんだろう? こちらのは魔導樹脂と呼ばれる、薄く魔力を帯びた天然樹脂だよ。少し魔力を加えればほぼ素材に戻るから、捨てる部分がほとんどない」
私がリナに答えているのを聞いて、ティモは「はぇー……」と驚いているのか感心しているのかよくわからない声を出した。
「おまえ、体の記憶は? まだこっちの知識を読み込めてない感じ?」
テーブルに肘をついて、セロがそう尋ねる。
「あ、えっと……そうかもしんないっス。オレ、10日くらい前にいきなりこっちで目覚めて……あ、こっちっていうか、あの、ここよりもっと北の方にある漁村で、この体の人は漁師やってたみたいなんスけど」
そこまで言い終えて、ティモは、「うわー、マジかー……ヤベー……」と小声で呟いた。
「私の名前はベル。私はいわゆる“現地人”だけど、ここにいる他の3人は君と同じ稀人だから、何か疑問があれば答えられると思うよ? なにか、その……ヤバい?ことがあるなら」
具体的に何がどうヤバいのかは伝わってこないが、ティモは受け入れがたい現実を突きつけられているかのようにオロオロしていた。
「あざっス……。いや、でも、あー……何から聞けばいいのか……」
口ごもるばかりのティモを見て、口を開いたのはアロイだ。
「僕はアロイ。こっちの金髪がセロ。そっちでタピオカ飲んでるのがリナ。稀人はだいたいこちらの体の名前で呼ばれることが多いけれど、リナだけはちょっと例外的な事情があって、魂のほうの名前で呼ばれてる」
アロイの紹介に合わせて、リナはストローから口を離してぺこりと頭を下げた。
その様子を見て軽く微笑みながら、アロイが続けた。
「リナはまだこちらに来て日が浅いし、そもそも中身が大人じゃないんでね。もし何か質問があるなら僕かセロに聞いてくれていい」
「はい……あざっス。あ、あの……まれびと、って……? ていうか、あの、みなさんもその……いせ……いやいや、あの、アレっスか」
「そう、異世界転生組だよ。つまり稀人だ」
ティモが言い淀んだ言葉を、アロイはあっさり口にした。
「あー……そっか、漁師のオヤジたちが言ってたのはそのことか! こっちでは転生者が稀人って言われてんスね!? あー、なるほど、そうか。そしてオレも稀人って言われるようになったってことっスね?」
今さらながらに得心がいったという様子のティモにセロが首を傾げる。
「ん? そう言われてギルドに来たんだろ? それにおまえの体の年齢なら稀人ってのが日本からの転生者だっていうのは知ってたんじゃないのか。見た感じ、20歳くらいか?」
「中身も体も21歳っス。それが……技術の発展とか、新しい料理とか言われても、オレの体のほうはあまり興味がなかったようで……田舎の漁村ではあまり最新のものを見かけなかったし」
よく知らないんスよ、とティモは大きな体を縮めるようにして言った。
きょろきょろとあたりを見回してさらに続ける。
「あ、あの……ステータスもレベルもないんスよね? でも、冒険者ギルドがあるし、なんかそのへんを冒険者っぽい人たちが歩いてるし……冒険者ランクとか、パーティーを組んだらそのランクとか、それで受けられる依頼が変わるとか、そういうのはあるんスよね!?」
ぜひそうあって欲しい、というような視線と鼻息で、ティモはセロとアロイを見つめている。
「なるほど。稀人の申請じゃなくて、冒険者登録に来たのか。それは別にいいけど、稀人の申請を先に済ませといたほうが、当座の生活費とか援助してもらえるぜ?」
そう言うセロの横で、ティモの疑問に答えたのはアロイだ。
「ランクも別にないよ。一応、掲示板に貼られてる仕事の依頼は、ざっくりと初級、中級、上級に分かれてるけど、自分がいけそうだと思ったら早い者勝ちだし、少し厄介だと思えばその場で仲間を募ったり、知り合いに連絡したりする感じだ」
魔法屋を構えてからは、冒険者稼業から遠ざかっているけれど、アロイの言っていることは私の知識にも合致している。私が知らない間に、パーティーランクというものが導入されたのかと思ったけれど、そんなことはないようだ。
ただ、ランクみたいなものがないとはいえ、明らかに未熟な者が大型の魔獣退治をソロで受けようとすれば、冒険者ギルドの受付に引き留められる。
「え、早い者勝ちって……そんな、ダメだったらどうするんスか!」
「駄目だったら、まぁ生きてれば逃げ帰ってくればいいし、生きてなかったら、どうしようもないから本人が心配することじゃないよね?」
アロイが小首を傾げながら答える。
その隣でセロが肩をすくめた。
「だからギルドの仕事は冒険者登録をした奴じゃないと受けられないってことになってんだよ。冒険者登録の時には自分の魔力を登録するからな。死体が骨だけになってても魔力なら判別できる。一応、死体の名前くらいはわかったほうがいいだろ?」
ティモは予想外なことを聞いたとばかりにぽかーんと口を開けている。
何が予想外だったのか、私にはよくわからない。
冒険者が請け負う仕事は様々だ。街の中でちょっとした探し物をしたり、街の外壁からすぐのところで薬草を摘んでくるといった、便利屋的な仕事もあるが、そういった仕事は報酬もたかが知れている。それなりに腕に覚えがあるなら魔獣退治をしたり、スケジュールを確保できるなら隊商の護衛をしたりするほうが金になる。
そして、報酬の高さはそのまま危険度の高さに結びついている。アロイのように腕の良い回復術師が仲間にいれば幸運だ。冒険者稼業をするような回復術師は、命に関わらない程度の外傷ならなんとかできて、解毒も2種類くらいならぎりぎりどうにか……というような見習いが多い。街から離れた場所で大怪我を負えば、生きて戻れないことだってある。
「そ、蘇生魔法とかって……」
ティモが恐る恐ると言った風情で口を開く。
蘇生魔法!? まさかニホンにはあるのか? いや、他の稀人たちからは聞いたことがないし、そもそもニホンに魔法はないと聞いている。
「ははっ」
ティモの言葉をセロが爽やかに笑い飛ばす。あるわけねぇだろバーカと、口には出していないが、顔に書いてある。
「もし開発できたら、その功績だけで子々孫々まで生活に困らなさそうだね」
アロイが真顔で呟く。……開発しないよね?
「なんかまだ混乱してるみたいだから、先に言っとくけど」
にや、と少しからかうような微笑みを浮かべてセロが言う。
「レベルもないし、パーティーランクもない。もちろん、魔王だっていないし、竜王だっていねえよ。この世界は別に、わかりやすい邪悪な者に脅かされてるわけじゃないんだ。それに、冒険者ギルドには不思議な技術のギルドカードもない。……あ、カードはねぇけど、一応、魔力を登録した小さい魔石は渡されるな。死体になった時に照合しやすいように」
そう言って、セロは服の襟元からペンダントを引っ張り出した。銀の鎖の先端に小さな銀のプレートがぶら下がっていて、そのプレートに、平たく切り出した正方形の魔石が嵌められている。石の色はオスロンの所属を示す深い青色だ。日が昇る前の夜空の色とよく言われる。プレートには名前と、登録した拠点都市を刻み込むのが普通だ。
ギルドからは登録した時に石だけを渡されるけれど、それを私たちのような魔道具屋や宝石職人なんかが、プレート作成も含めてアクセサリーに加工する。セロが持っているようなペンダントや、腕輪、指輪などにするのだ。私とアロイも同じものを持っているが、街の中にいる時には身につけていないことも多い。
「死ぬ前提ってヤバいっスね。そしてやっぱりゲームの世界じゃないんスね」
マジかーヤベー……、とティモが呟く。
「まぁでも一応、回復魔法はあるよ。僕がその回復術師だ。外傷なら、死んでなきゃ助けられると思う」
多分ね、と付け加えてアロイが笑う。
「じゃあ……たとえば、誰かを守れるくらい強くなろうと思ったら、どうすればいいんスか。できれば、その……剣とか、ごつい武器みたいなもので」
「手っ取り早く、ってのは無理だな」
ティモに答えたのはセロだ。ティモの体つきをざっと眺めて続ける。
「まぁ体格には恵まれてるようだから、しっかり鍛錬すればどうにかなるかもな?」
「あの……えーと、とりあえず座ったら? そこの椅子、空いてるからこっちに持ってきてさ」
私の言葉にあらためて自分が立ったままでいることに気がついたようで、ティモは椅子をがたごとと運び始めた。
「ティモ、だっけ。気をつけろよ。回復魔法があるって言っても、ゲーム感覚でやってたら痛い目見るぞ。武器を扱おうとするならなおさらだ」
セロの忠告にアロイも頷く。
「そうだね、回復魔法だって万能じゃない。傷を塞いだり骨を繋いだりくらいはできるけれど、それなりに時間もかかるし反動だってある。ゲームみたいに詠唱ひとつでHP満タンってわけにはいかないよ。それに、本当に命だけは助かっても後遺症まではどうにもできないことも多い」
「まぁでも、冒険者になる稀人なら、しばらくはギルドで講習があるよね?」
私がそう言うと、ティモは驚いたようにこちらを見た。
「講習? そんなもんがあるんスか?」
「そりゃあるだろ。おまえみたいにゲームと勘違いした浮かれポンチにそのまま依頼受けさせたら、依頼が達成できないどころか死体探しの手間が増えるだけだ」
セロの言葉は極端で少々口が悪いけれど、おおむねその通りだ。ゲームがどうのというのは私にはよくわからないけれど、少し楽観的過ぎる稀人は今までにも見たことがある。
「よ、予習! 予習させてください! 講習って何やるんスか! それに、オレはどうやらこの世界のことあんまりよくわかってないんで、いろいろ教えてくれたらありがたいっス!」
ティモが鼻息も荒く、身を乗り出す。
「予習もクソもねえよ。稀人の申請をすりゃ、稀人向けの教師がつくだけだ。こっちの世界のことをまず教えてくれる職員がな。冒険者登録をするのは、それがひと通り終わってからのほうがいいぜ? 物価の相場くらいは最低限教えてもらってからじゃねえと、報酬が高いのか安いのかも判断できねえだろ」
セロが肩をすくめてそう言った。
私はちらりとリナを見る。リナは稀人の申請をしていない。以前は犬の体に入ってしまっていたからだったけれど、なんとなくずるずるとそのままになってしまっていた。
こちらの世界のことは私とセロ、アロイの3人で教えたので、今のところ間に合ってしまっているというのもある。
もちろん、稀人は必ず申請しなければいけないというものでもない。申請すればさっきセロが言ったように、生活費などの補助があるというだけだ。
「冒険者登録をするなら、君の戦い方についてもだよね」
アロイがティモの顔を見てそのまま続ける。
「武器を扱いたいってさっき言ってたけど、ティモは前世で何か武道とかスポーツの経験はある?」
「しょ、小学校の時に剣道を少し……でもやめてからはそれっきりで、何も……」
ティモが目に見えてしょんぼりとする。
「たとえばセロも前世では何もやってなかったけど、こっちの体が狩人だったからそのまま弓を使うようになったよ。ティモの体のほうは? 漁師だっけ?」
アロイの質問に、ティモが頷いた。
「はい、網を引いてたんで、力はあるみたいっス」
「じゃあ、魔法の適性をひと通り調べてもらって、魔法職に向いてるならそれぞれの専門で勉強すればいいし、体格を生かして武器を扱うなら傭兵ギルドで……」
「あ、あの!」
アロイの言葉をティモが途中で遮った。遮ってしまったことに後から気づいたようで、大きな体を少し縮める。
「あ、すんません。……オレ、魔法の適性がどうのっていうのはまだわかんないっスけど、頭悪いんで……やっぱ、武器で……あらためて言うと恥ずかしいっスけど……オレ、誰かを守ってみたいんス」
ぼそぼそと紡がれた言葉にアロイが頷いた。
「そうか。じゃあギルド職員に傭兵ギルドを紹介してもらえばいいよ」
「はぁぁ……」
ティモが大きなため息をついた。
「どうしたの? 何かがっかりした?」
私がそう聞いてみると、ティモは力なく首を振る。
「なんか……異世界転生ヒャッホウ!みたいな気分でいたんスけど、結構ハードモードっつーか、何もできそうにないっつーか……」
「地味だろ?」
にやにやとそう言ったのはセロだ。
「そうだね、地味だ。ひとつひとつ勉強していかなきゃいけないし、すぐに何でもできるわけでもない」
アロイもしみじみと頷く。
「つまり……現実ってことっスね? ヤバいっスね」
ようやくいろいろなものが腑に落ちたのか、ティモが諦めたように笑った。
「まぁでも、オスロンでこれから生活していくなら、私の店のチラシを渡しておくよ」
商用でギルドに出向いていたので、鞄の中にはチラシが何枚か入っている。
そのうちの1枚をティモに手渡した。
「チラシに地図もあるからわかると思うけど、私は魔道具の店をやってるんだ。冒険者登録をした時の魔石も加工できるし、生活や仕事に役立つ魔道具も売ってる。こちらの世界に来たばかりならいろいろ心許ないだろうから、少しは割引もできるよ」
営業スマイルを向けると、ティモは嬉しそうにチラシを握りしめて頭を下げた。
「……あざっス! ハードな地味モードっスけど、ギルドに来たその日に、初めて知り合いができて嬉しいっス!」
「よろしくね。講習がんばって」
新生活のスタートとなれば、必要な魔道具類はたくさんある。こちらもいい商売ができそうだ。




