23.休憩時間~タコのオイル焼き(レモンペッパー風味)を添えて~
ティモとモンテが抱えたタコの足は、一足先に拠点で休憩の準備をしていたみんなの手を一瞬止めさせた。
一瞬の沈黙の後に、一同を代表するようにコイランが口を開く。
「あの……それは何デスか?」
「えーっと……」
私が説明しようとしたところで、セロが溜息をついた。
「どうせそれを焼いて食いたいんだろ。そのタコが美味いってのは俺も聞いたことがある」
アロイもその隣で同意した。
「まぁ戦闘の後でお腹は空いてるだろうし、特に君たちは荷物をあまり持たないまま流されてきたようだからね。とはいえ、いくらこの空間が広くてもここは洞窟だ。あまり火は使いたくないよ。君たちの食料なら、僕とセロが余分に持ってる分を分けるから……」
ですよねー、と納得しかけたところで、制止の声を上げたのはコイランだ。
「ちょっと待ってクダサイ。……ベルさんたちが流れてきた水路は広かったデスか? かなり長い時間流されてきマシタか?」
「水路に落ちたのは昼休憩の後だったから、多分2時過ぎくらいかな。だから少なくとも1時間以上は流されたと思う。途中、上陸して戻れるところがないか見渡しながら来たけど、水路はかなり広かったよ。流れの緩いところでは深い淵になっているところもあった。上陸できれば天馬で戻れるかと思ったんだけど、都合のいい場所がなくてそのまま流れてきちゃったんだ。最後がいきなり急流になって、あんなことになったけど……」
私が答えると、ふむ、とコイランが頷いた。
「水路に向けて、風の妖精に空気の流れを作ってもラエば、ワイバーンたちを刺激スルことなく、火を使った調理が出来るカモしれマセン」
「コイランさん、わざわざそんなことをしなくても、アロイたちと同じく、我々にも余分な食料くらいありますよ」
ジュドが少し呆れたようにそう言う。
それはおそらく全員そうだろう。私だってある程度遠出をする時には日数分以上の食料を用意する。行った先で何があるかわからないからだ。
コイランが小さく首を振って笑った。
「だって……美味しいんデショウ? ボクはそのタコを食べたことがないんデス」
雇い主の意向というやつだ。
エスリールは好奇心旺盛だというのは本当らしい。
手近にあった平たい石を浄化で綺麗にして、火の魔法で熱してから、薄く輪切りにしたタコの足を焼き始める。皮は固いとティモが言うのでそれは剥いでから焼いている。モンテの要請により、セロの荷物から油と塩と香辛料が提供された。
「Üllatus! 美味しいデスね! むっちりとして……最初はクニュクニュしてるノニ、途中でサクッとした歯触りに変わるデスよ」
コイランが嬉しそうに食べ進める。上級チームの面々も、調理をすると決まった時からもう割り切ったようで、焼けるのを楽しみに待っていた。
「これ、トマトソースで煮込んでも美味しいんじゃないかしら」
魔術師のアリシアがそう言うと、隣でディミトリも頷く。
「ニンニクとハーブで香りをつけたいね。僕らもあとで少し切り分けて保存袋に入れておこうか」
ジュドとフォルカーも気に入ったようで、ティモやモンテと協力して次のスライスに取りかかっている。
アロイは焼けたタコを皿に取って、ミランジュに手渡し、自分の分も確保している。
「セロ、食欲は? ああ、先にもう1本、例の薬を飲んだほうがいいかな。いつもは魔力切れからどれくらいで回復する?」
「頭痛はもうないな。今はだるくて眠いだけだ。いつもなら丸2日ってとこか」
まだ食欲はないのか、皿ではなく水を入れたカップを持ってセロが答える。
「雷属性はまだ必要なんだろう。回復しといたほうがいい。甘くて飲みにくいなら水で薄めてもかまわないよ」
言いながら、アロイは短い試験管のようなものを取り出した。銀色の蓋がついている。試験管の中身は濃い青色をした液体だ。初夏にフェデリカも試飲した魔力回復薬だろう。研究の途中とはいえ、安全性と効力はある程度担保されていると見ていいはずだ。
「そういえばさっきも、薬がどうこうって言ってたよね。それって何の薬? さっきは頭痛薬かと思ったんだけど、痛み止めなら薬より魔法のほうが早いじゃない? っていうか、魔力切れの頭痛に回復は効かないはずだけど」
ミランジュがタコにフォークを突き刺しながら言う。
本来はまだ部外秘なんだろうけれど……私もタコを口に運びながらなんとなくアロイの返事を待った。ちなみにタコは思っていたより遙かに美味しい。軽く焦げ目がついたところは香ばしく、コイランの言うようにむっちりとした歯ごたえがたまらない。
セロはアロイから試験管を受け取って、蓋をねじって外すとそのまま一息に飲んだ。手元のカップに水は入っていたが、薄めることはせず、薬を飲み終えてから後味を水で流し込むほうを選んだようだ。
「魔力回復薬だよ」
特にもったいぶった様子もなく、アロイがそう答える。
「……まっ、魔力!?」
ミランジュが持っていたフォークの先端からタコが落ちた。
「魔力回復ですって!?」
「ははは、また冗談を……アロイくんは時々真顔で冗談を言うよね? ……冗談だよね?」
アリシアが裏返ったような声で叫び、ディミトリは冗談か本気かを疑うような様子でアロイを見る。
まぁ、そのあたりの反応はわかる。
最初に九聖教のエリクサーがほんのり魔力を回復させたとわかった時に、ティモは「全回復じゃないんスか」とむしろがっかりしていたし、セロも「多少なり効くならありがたい」くらいの反応だった。けれどそれは彼らが稀人で、高等院以上の魔術を習っていないからだ。怪我や病気を治療したり、体力を回復させる魔法があるのなら、魔力を回復させる方法だってあるはずだと彼らは思っていたのだろう。
けれど、それは無いのだ。魔力の回復は安静と休息でしか得られない。眠ってしまうのが一番手っ取り早いのだ。
だから九聖教のエリクサーの効果に、私とアロイはひどく驚いた。
――私たち魔術師や、アロイやミランジュのような回復術師たちは魔力を効率的に回復させる方法も心得ている。体内で魔力を循環させるコツみたいなのがあって、魔力を使う時にその余分を体内でぐるぐる回していくとそれが魔力袋に貯まっていく。要は魔法を使うための魔力から、“お釣り”をもらうのだ。魔力の節約になるし、魔力袋に残っている魔力が多いほど回復が早い。
けれどセロは妖精魔法をほぼ独学で使っている。中等院までは通っていたらしいが、当時の――稀人になる前のセロは、学校をサボりがちだったという。魔力の節約や回復のコツなども習っていないだろう。……今度、教えたほうがいいかもしれない。
ただそうやって、魔力の節約や回復のコツをわざわざ学校で習うのは何故かというと、即効性のある回復方法がないからだ。
そう、今まではなかった。
今、アリシアやディミトリ、ミランジュが驚愕していることに、私はとても共感していた。そういえばフェデリカも興奮していたっけ。
ジュドとフォルカーは、「へぇ」みたいな顔をしていたけれど、それよりタコをいかに手際よく食べやすく切るかということに気が向いていたし、ティモはもとから魔力回復薬を知っている。モンテも魔法にほとんど縁がない上に今は稀人だ。興味はないだろう。
コイランは……と見ると、こちらもあまり興味はないようだ。そもそもエスリールは魔力が足りなくて困ったことなどないのかもしれない。
「ちょっと! どういうこと!? あなた、先輩に黙ってそんなものを研究していたの!?」
ミランジュがアロイに詰め寄る。
「先輩に黙ってはいましたけど、そもそもあなたが卒業した後ですよ。というか、本当に直近の話なんです。夏の初めに偶然出会った薬品から開発が進みまして……でもまだ試作段階ですけどね。一応、医術院の教授との共同研究なのでこの薬の存在はここだけの話にしてください」
「わー! ムカつくわ、この秀才真面目少年め!!」
アロイとは高等院で先輩後輩の間柄だったというミランジュは、抑えきれない感情を悪口に……ん? 悪口……?
「そういえばあなた、造血の魔結晶も開発してたわよね! うわ、勤勉すぎてムカつく!」
「それは医術院の先輩たちとの共同開発です。そっちはもう実用で販売も開始してるので、部外秘じゃないですよ」
ミランジュとアロイが掛け合いをしているところへ、アリシアとディミトリが近づいてくる。
「え、じゃあ本当に魔力回復薬なの!?」
「いやいや、まさかまさか……セロくん、回復した? いや、もし本当だとしてもそんな即効性はないか、はは、僕としたことがそんな話を真に受けて」
現実逃避をするかのようなディミトリの言葉に、セロは気軽に頷いた。
「ああ、ちょっとマシになってきて、腹減ってきたな。――おい、ベル、そっちのタコ焼けてるんなら分けてくれ」
セロが私に皿を差し出す。
私がセロの皿にタコをのせて返すと、そのやりとりをちらりと見たミランジュがまた声を上げる。
「あ、本当だ。セロの顔色がさっきより良くなってるじゃない! うわ、ムカつく! セロの顔がいいのがまたムカつく!!」
「なんだ、それ!? 俺は今、褒められてるのか? それとも貶されてるのか?」
――もう混沌だ。
アリシアとディミトリ、ミランジュに問い詰められているアロイのそばから、私はそっと離れた。何切れ目かのタコを焼いているジュドやコイランたちのほうへ向かう。
その移動に、セロもついてきた。自分の皿とカップを手にしたまま、私の隣に腰をおろす。ついでに、調味料が入った袋も持ってきていた。
「こういうのは柑橘系の酸味を加えると美味いんだ」
レモンの果汁を瓶詰めにして持っていたらしい。さすがに用意がいい。
「うわ、レモンかけるとマジ美味いっスね!」
ティモも喜んでいる。その声に釣られるように、私とコイラン、モンテ、ジュド、フォルカーもレモン掛けのタコにフォークを伸ばす。我々が使っているのはフォークだが、セロとティモが使っているのは箸だ。慣れるとフォークより箸のほうが便利なのだという。私も時々使うけれど、稀人たちほどには上手くない。ただ、箸は野営先でも適当な小枝で作れるので、野営の多い冒険者には身近なものだった。
「――セロさん、さっきの状況を詳しく聞いていいデスか?」
ひととおりタコを堪能して満足したのか、フォークを置いてコイランがそう切り出した。私たちが到着する前の話らしい。セロの魔力切れの原因か。
「ああ。池の向こうに何かの気配を感じたから、俺は妖精を飛ばさないで様子を見ていたんだが、卵のほうから靄を伸ばして食いついてきた」
「そこまではボクも見ていマシタ」
「最初の試しと同じように、妖精には魔力の糸を繋いでた。靄はそれを辿るようにして俺の手のひらから中に入り込んできたような感じだ。そこから魔力をごっそり抜き取られた」
靄……卵の周りに不規則に漂っていたアレだろうか。
「あの時、雷の妖精にはどの程度の魔力を込めてマシタか?」
コイランの問いにセロは小さく肩をすくめた。
「1割程度だよ。それが最初と同じように食われるだけなら、最後に5割か6割くらい込めて今日の分は終わりにしようって提案しようと思ってたんだ」
なるほど……聞いた話をまとめると、セロが雷属性の魔力を使っている時に、魔力切れ寸前まで吸い取られたってこと、かな?
「一瞬で体が重くなって視界が暗くなった。やべぇと思って、アロイから預かってた魔力回復薬を飲んだんだが……間に合ってよかったよ」
……ん?
セロは保存袋から紙包みを取り出した。包みの中からは白いおにぎりが現れる。稀人たちは海苔を巻いたおにぎりを好むが、今回は海苔を巻いていないようだ。そして私のほうを見て口を開く。
「ベル、石をもう1回熱してくれないか。これ、石の上でタコを刻んで米と一緒に炒めても美味いと思うんだよな。具の入ってない握り飯を持ってきてるからさ……」
「……いや、セロ。君はそうやって軽く言うけどさ」
今になって、リナの気持ちがわかる。
――怖かった、いつも怖い、とリナは言った。
「あ? え、石を熱する魔法ってそんな難しいのか?」
セロがきょとんとした顔をする。
「ボクがやりマショウか?」
「セロ、米と一緒に炒めるなら、おれがニンニクを持っているよ」
コイランとジュドが口を挟む。
「醤油を少し足すと香ばしいと思う」
フォルカーまでそんなことを言う。
「そうじゃないよ! いや、石は私が熱するけど! 【竜の息吹たる炎】! セロ、君はただの魔力切れじゃなくて、魔力枯渇で死にかけたんじゃないか!?」
平たい石の裏側に向けて魔法を放つと、石はチリチリと音を立てた。
「あー。多分そうだろうな。アロイから薬預かっててよかったぜ」
「だから、なんでそんな軽く……っ!!」
「軽かろうが重かろうが、事実は変わらねえし。結果的に薬が間に合って枯渇はしなかったし。っていうか、うっかり魔力枯渇しかけたっていう点に関していえば、おまえは何も言えなくね?」
にや、とセロが笑う。
そう言われて1年前の事件を思い出す。一番最初に私の魂がリナの体に入った時だ。最初は原因がわからなかったけれど、後からフェデリカに言われて理解した。召喚の魔法陣に、思っていたよりも多く魔力を吸い取られて、一瞬枯渇したことが魂の入れ替わりの発端だった。
「……う。そ、それは……そうだけども!」
「まぁまぁベルさん。その危険性を予測できなかったボクのせいでもありマス。それに、アロイさんの薬がよく効いたようでよかったデスが、もしそれがなくても、ボクの魔法で多分助けられたと思いマスよ」
コイランがそう声をかけてくる。
「え? 魔力の枯渇を……?」
まさか。アロイの薬……九聖教のエリクサーが見いだされる前は、魔力回復の手段は休息しかなかった。それも体内を巡る魔力がゼロになる、いわゆる魔力切れまでだ。そこからさらに魔力袋の中身まで根こそぎ吸い取られるのが魔力枯渇だ。そこまで行くと魔力はもう回復できない。魔力を巡らせられない人間は……いや、人間に限らない。ドラゴンの卵に平伏すように死んでいた魔獣たちのように、生き物は魔力が枯渇すると枯れ果てて死ぬのだ。
「医術院で、アロイさんが話していたのを覚えていマスか? ボクたちが使う命の妖精は、妖精自身の魔力を患者の体に還元しマス。なので、魔力が枯渇しかけた人に対して大きな魔力を込めた命の妖精を送り込めば……」
怪我や病気があればその魔力は治療のために使われる。けれど、魔力枯渇以外に体の異常がなければ? 妖精の持つ魔力が魔力袋に注がれる……のか?
「そんなことが……?」
やや呆然とした声を出してしまった私に、コイランが頷いてみせる。
「できるんデスよ。それがあなたたちの回復術と、ボクたちの命の妖精との違いデス。もちろん、回復術ほど細かい調整が利くわけではないんデスが、健康な人に命の妖精を送り込めばそのまま魔力になりマスよ。多少は……なんというか、目減りしマスけどネ。セロさんの時は、セロさんの意識があったノデ、ボクが下手に魔力を送り込んで魔力過多になるよりアロイさんとミランジュさんにまかせたほうがいいと判断しマシタ。それに、他人の魔力って居心地悪いじゃないデスか」
他人の魔力を受け入れたことなどないからわからない。けれど――そうか、そういえばコイランは以前セロを誘った時に、来てくれるなら万全の体制を整えると言った。魔力を吸い取られることまでは予測していなかったとはいえ、セロに魔力を要求する以上は、それを回復させる手段もあったということか。
魔力を回復させる術は今までなかった。――人間たちの世界では。
あらためてエスリールの規格外ぶりを知る。
私は一気に肩の力が抜けた。
「……なんだよ、もう……」
熱した石の上では、タコ炒飯ができあがりつつある。ニンニクと醤油の焦げる匂いがとてつもなく香ばしい。
その匂いに気がついたのか、アロイを問い詰める声もやんだようだ。問い詰められてもアロイは飄々としていたけれど。
「まぁ気にすんなよ、ベル。死にかけるなんて、たいしたことじゃねえじゃん。本当に死ぬことに比べればさ」
セロがそう言って笑う。
匂いに釣られて近づいてきたアロイもくすりと笑った。
「セロ、ナイス稀人ジョーク」
ナイスじゃないよっ!?




