第12話 炎の翼を広げた天使
里菜と俺は、一気に高隅山※を飛んで下る。眼前の桜島を左側に迂回するルートを取る。
※鹿屋市と垂水市との境界付近に横たわる山地の総称。
しかしこの姿、とにかく目立つ。海上の間際を飛んで、遠目には漁船の灯り位にしたい所だ。
それにしても速い。時速なんて分かりはしないが、気を抜いたら振り落とされそうだ。
海に浮いてる訳でもないのに、海上には白い波の軌跡が出来る。
炎に照らされた白波が、言葉では言い尽くせない程に幻想的だ。
「里菜っ! 目指す突堤は間もなくだ。ここからゆっくり飛んでくれ」
「はいっ!」
里菜が翼をより大きく広げると、これまでのスピードが嘘の様になりを潜める。後方に物凄いGがかかる。
「さて、頼むぞ。まだそこにいてくれ…」
俺は里菜の翼に照らされた防波堤の脇に沈められたテトラポットの山を、祈る思いで探りを入れる。
里菜も手を合わせて自分の信じる神に祈っている様だ。
「いっ、いたっ! 里菜、あそこだ。見えるな?」
「うんっ!」
里菜はさらにゆっくりと慎重に近づいてゆく。風圧で吹き飛ばしては元も子もない。緊張のランデブーだ。
腫物を触る様に歌奈ちゃんの身体を拾い上げる。けれども意識がない。
里菜は堤防の上に着地すると歌奈ちゃんをゆっくりと下ろす。突如、里菜の手が炎を上げる。その手を女の子にそっとあてがう。
「う、うぅ…」
「よ、良かったっ! 間に合ったっ!」
女の子が意識を取り戻した。俺は思わず歓声を上げ、里菜はホッと胸をなでおろす。
「気を失っていただけみたい。友紀くん、この子のお父さんの居場所って判る?」
「それは簡単なんだが…」
里菜の姿を歌奈ちゃんのお父さんに見せる。それは流石に避けたいが、どうしたものか。
「あっち」
歌奈ちゃんは、鴨池港から少し離れた木の生い茂る場所を指差す。まるで俺達の気持ちを汲んだかの様な行動だ。
「あと、お姉ちゃん達の事は絶対内緒ね」
「うんっ、わかった」
なんて聞き分けの良い子だろう。里菜は言われた通りの場所に、歌奈ちゃんを送り届けると、笑って手を振りお別れをした。
「さて、雨も本降りになってきたし帰りますか」
「だなっ」
俺と里菜は再び空の人になった。再び里菜の背中にしがみつく。この美しくも不思議な出来事を生涯忘れる事はないだろう。
そして母さん。俺、自分の星を見つけたよ。俺はこの女性が……。
「ち、ちょっと待ってよ」
「えっ?」
「それを心の声にするのは流石にズルいし、男らしくないっ!」
ムッとした里菜に怒られて、俺は思わず苦笑いした。
「そ、そっか。俺の心の声、聞こえていたんだっけ」
「そうよ、そして友紀も私の声を聞いていたんでしょ?」
「嗚呼…聞いてた。鈴木里菜」
「う、うんっ…」
「そう、全て君の心の中から聞かせて貰った。君は里菜でありながら、少し昔の時間から来たリイナなんだな」
「………」
「初めて会った時には、鈴木里菜の魂の意識が少しだけ残ってて、今の君は完全なリイナって訳だ。だけど、そんなの関係ない。俺、君の事が大好きだ。里菜もリイナも全て。一生愛し続けると誓うよ。これは流された想いじゃない」
これだけ心を込めて告白をしたのは初めてだ。きっと今まで好きだった相手は、心底好きではなかったのだろう。
「友紀…私もまだ会って3日目だけど、貴方の事が大好きになった。この鹿児島と2018年に流れ着いたのは偶然だったけど」
「……」
「でも流れ着いた先に貴方がいた。う、嬉しかった。この平和な日本に、私と昔の仲間達が、命を賭けて守り抜いた意志と力が、友紀の中に息づいていた。これからは、鈴木里菜としての人生を歩むよ。そして本来行きたかった刻へ、友紀と一緒に行きたい」
「勿論だよ、何処へだろうと必ず一緒だ」
俺達の顔が赤いのは、炎に照らされているからではない。大好きな鹿児島の海の上で、空を舞いながら互いの気持ちを伝え合う。
間違いなく生涯の思い出になるだろう。この想いを一生繋げていきたいという気持ちが一つになった。
輝北に戻って来た俺達は、雨中のダウンヒルを全開で走行し、そのまま闇の中に消えた。
翌朝、俺は姉貴からの執拗なLINEの通知音で目を覚ます。
”Twitterのトレンド見た? これどういう事? 炎の翼を広げた天使が現れた。一緒にいる男は何者!?”
”此奴、お前の弟だよな? こればかり聞かれて仕事になんないわよっ!”
”それに貴方達…今、一体何処に泊まっているのやら? ウシシ…”
まあ、そうなるわな。どうすんだこれ? 暫く外を歩けねえぞ……。
と、思っていたのだが数時間後、その手のツイートは全て消えた。こんな世界レベルのハッカーみたいな事出来る知人なんて勿論いない。
彼女の方は疲れてしまったのか、未だにベッドで寝息を立てている。全く可愛いものだ。
この神がかった情報操作をやった人間に心当たりがあるのは、間違いなく彼女の方だろう。
けれど俺は眠り姫に追及はしない。真相は闇の中。俺達の中だけに潜んでいればいい話だ。
里菜は起床後、会社に出来る限りの事情を説明。
会社もこの手の鬱的な対応には、慣れているらしく、来週の月曜日には取り合えず出勤して様子を見ようという事になった。
さらに里菜は、東京に帰宅後、社会復帰の事を考えたら、せめて次の土日は、東京で迎えたいと言ってきた。
里菜と一緒にいられるのは、あと5日。勿論、応援するが、寂しくない訳がない。
会社への連絡が終わると、俺達は墓地にいた。
里菜が母と祖父の墓参りをしたいと言い出したのだ。
彼女は墓に飾る花に、青い薔薇が混ざった花束を用意してくれた。
日本の墓参りには似つかないが、とても彼女らしいとも思えた。
青い薔薇の花言葉は"希望"らしい。
里菜は、墓の前で丁寧に手を合せ、こう告げた。
「友紀のおじい様、そしてお母様。いきなりの来訪をお許し下さい。私は彼にこの青い薔薇の様な希望を頂きました…」
「り、里菜……」
里菜が俺の母さんを"母"と呼んだ。ただの言葉のアヤとは思えない。確かに昨夜、生涯添い遂げたいと、互いには伝えあった。
けれども改めて自分の親に伝える姿を見ると、くるものがある。
「か、母さん。そしてじいちゃん。お、俺の方こそ彼女から貰ったんだ。今までずっと甘えててごめんっ!」
里菜には荒平天神を降りる時に見えていた事だろう。母は信号の見間違いから道路に跳び出してしまった俺を庇って帰らぬ人になった。
血まみれの母が最期に告げた言葉は、”ゴメンね”だった。
俺はその詫びに自分の不甲斐なさを、押しつけて生きてきた。本当に子供だった。
─友紀、良かったね。里菜さん、息子をよろしくね。
「お、お母様っ!?」
「か、母さん!?」
俺達は聞こえる筈のない母さんの声を確かに聞いて、目を合わせた。
その夜、俺と里菜は、仕事を終えた姉貴。そして"俺も混ぜろ!"と、勝手に現れた孝則とも合流した。
孝則は、俺達の手を固く握りながら泣いた。小学校からの腐れ縁だが、此奴が泣いたのを見るのは初めてだ。
しかし集まったとはいえ酷い雨天。ドライブでこれ以上の思い出は、作れそうにない。
さてさて、屋内で遊ぼうとなると、悲しくなる程、娯楽がないのが、我が街、鹿屋である。
カラオケ、ボーリング…後は飯を食いに行くしかない。映画館すら存在しない。
まずカラオケは、アニソン好きな姉貴の独壇場かと思いきや、里菜も一緒になって大いにはしゃいだ。
ボーリング。俺と孝則、里菜と姉貴でペアを組んで、その日の晩飯をかけたのだが、なんと俺達が負けてしまった。
特に里菜がペンギンの様に歩いて投げる玉が、予想の斜め上を行く破壊力。
ボーリングの深さを思い知った。
そんな楽しい日々はあっという間に過ぎてゆき、遂に土曜日がやって来た。




