クソな世界
令和4年2月19日(土)
誤字脱字の修正にあわせ、表現なども一部変更しましたが、内容に変更はありません。
「おたくらが羨ましいよ」
「は?」
雑草を抜いていたら、馬車の手綱を握っている見知らぬ男から、やぶから棒に言われた。目線を合わせれば、税金の話だと言う。
意味の分からないことを言う奴だと思いながら、腰を伸ばすと額の汗を拭う。その間もお構いなしに、男は話を続ける。
「この辺りは、ディロ男爵が領主代行しているだろう? またよそでは税金が上がったっていうのに、この辺りも含め、一部は特例地域として例外に免除されているじゃないか。だから羨ましくてね」
とんだデマだ。まったく、どこでそんな与太話を聞いたのやら。
「冗談は止めてくれ。ついこの間、税が上がったばかりだ。畑の賃貸料も上がったし、あんたに羨ましく思われることは、一つもないよ」
「へえ、そうかい。ならあの噂、本当なのかもな」
「噂?」
「男爵が決められた額より多く徴収していて、その差額を着服しているっていう噂だよ」
その話には覚えがある。
ディロが爵位を金で買った頃、どこにそんな大金を隠し持っていたのかと話題にし、冗談で横領しているのではないかと……。もちろん証拠はないので、ただの冗談や噂の域を出ない話。けれど疑わしく思ったのは、ここで暮らす俺たちだけではなかったらしい。
それもそうか。特に王妃となった娘の父親なんて、有名人だからな。なにかと噂になるのだろう。
「これを読みな」
男は後ろを振り向き探り当てると、なにか書かれている紙の束を差し出してきた。おそらくこれは、新聞だろう。
「悪い、字が読めないんだ」
「それなら、字が読める信用できる奴に渡し、読んでもらえばいい。それは、他の領で発行されている新聞だ」
そう言って男は新聞を投げると、馬車を動かし去った。
「なんだ、ありゃ」
このまま捨てても良いが、妙に気になった。だから近所に住む、字の読み書きができる友人を訪ねた。
奴に言わせると、やはりこの紙の束は新聞だった。しかも複数の領でそれぞれ発行されたもので、よく集めたものだと感心していた。荷台に大した荷物はなかったが、あの男、そんなに各所を回っていたのか。
そんなことをぼんやり思っていると、内容に目を通していた友人の顔が、段々と険しくなった。
「……なんだ、これは! うちの地元新聞と、内容が違うじゃないか!」
つい最近、この領も税が上がると説明を受けたばかりだ。だが他の領で発行された新聞には、そんなことは書かれていないと言う。
あの馬車の男が言っていたように、先の増税の際、国が一部の領や地域を増税から除外すると定めた。その除外地域に、この辺りも含まれているとも。
「なんだって? お前が読み聞かせてくれた新聞には、そう書かれていたって……。それに、ディロの使いの者だって、そう言っていたじゃないか。国中、一律に税が上がるって! まさか本当にディロの奴……」
横領していたのか? 学のない俺たちを騙し、その差額を懐に入れ、それで爵位を買ったのか?
「冗談で話していたが、本当だったようだな。地元新聞が嘘の情報を書いているということは、奴ら、男爵に同じく騙されているか脅されているか、手を組んでいるのだろうよ」
顔見知りの多い地域だ。知り合いの中に何人か、新聞屋に勤めている。だから悪事に手を貸していたとは思いたくない。けれど、新聞屋が嘘っぱちの内容を書いたことは間違いない。偽りの情報をそうと知らずに書いたのか? 知っていて書いたのか?
「……字を読める奴らが、いつまでも騙される訳がないんじゃ……」
ぽつりと言えば、だん! 友人が拳を机の上に打ちつけた。
「妙だと思っていた。男爵の祖父の代から、文字の読み書きができる奴は仕事を斡旋するからと言って、なんだかんだと追い出されるよう、引っ越しを余儀無いものとされ……。そうやって読み書きできる奴を減らし、事実を悟られないようにしていたに違いない」
確かにこの友人がいなければ、この新聞はたき火のこやしにするか、暖炉へと直行させていただろう。それか新聞屋に読んでくれと、頼んでいたはずだ。だが新聞屋に頼めば、奴らは文字が読めない俺に偽りの内容を伝え、馬車の男にからかわれたと笑っていただろう。
「そう言えば、ディロはよそ者と会話することを嫌っていたな。この辺りは宿も少ないし、宿泊できる所が限られている」
「宿泊させれば、俺たちと接触する機会が増えるからな」
「そうやって俺たちに、事実を知られないようにしていたのか」
そう、この辺りは料理屋も少ない。ほとんど農業だけで成り立っているような地域だ。
「なあ、もしこの新聞を受け取った所を新聞屋に見られていたら、俺はどうなっている?」
「でっち上げの罪を作られ、罰を受けていたかもな」
慄然となる。
ディロは、気に入らない奴をひたすらに追い詰めた、あの悪魔のような男の息子。ディロは奴より横暴ではないが、でっち上げの罪を作ることはするだろう。危うい所だった。
「さて、俺とお前は真実を知ってしまった。これからどうする?」
「どうするって……」
口をつぐむしかなかった。
ただの農民が声を大にしてどうする。戯言だと言われるのがおちだ。ただの噂を信じている、痛い奴だとも。そんな人間の声は、国には届かないだろう。届いても、無視されるだろう。なぜならディロの娘は、王妃なのだから。
「……誰に言っても、無駄だ」
「そうだろうな」
それから二人とも黙りこむ。
ただの農民、なんの権力もない。それが俺たち。だから不正という事実を知っても、手をこまねくしかない。なにも行動を起こせないことが、悔しい。仮に行動しても、全て無駄に終わるという事実もまた、悔しい。
「黙っていよう」
「そうだな……」
友人の言葉に反対することなく、頷いた。
そうだ、これが正しい。下手に動き目をつけられたら、この先、ろくなことにならないと分かっているじゃないか。そう、分かっているはずなのに、なぜ家までの道程、こんなにも足が重い。
帰宅し安酒を飲んでも、少しも気が晴れない。
悔しい。だけど仕方ない。声をあげても、なにも変わらないから。揉み消され、下手すれば命を奪われる。なら賢く黙っておいて、愚痴ってうっぷんを晴らすしかない。
はっ、なんだよ、このクソな世界は。
「……結局は、権力かよ。でもよう……。俺みたいな学のない農民が、どうやって偉くなれるっていうんだ……。だったら、我慢するしかねえじゃねか……」
涙と鼻水が混じったが、気にせず酒を飲み続けた。
とんとん、とんとん。
音で目を覚ます。いつの間にか、テーブルの上に突っ伏し眠っていた。
「んあ……?」
目を覚まし、自分の状況を理解する間もずっと、窓を叩く音は続いていた。
どうせ近所の子どもの悪戯だろう。なに、ちょっと大声で叱れば、逃げて行くだろう。
窓の向こうは暗くなっているが、そこに立っている人物の顔は、近所の窓から漏れている明かりにより判別できた。
「あいつ……!」
それは新聞を寄越してきた、あの男だった。
そうだ。こいつが新聞を寄越してこなければ、こんな惨めらしい気持ち、味わうことはなかったのに……!
抜けきっていない酒のせいもあり、怒りが湧いた。あいつに一言でも文句を言わなくては、気が済まない。玄関へ向かい、ドアを開けたその瞬間。なにかが飛びこんできた。まだ明かりの点いていない部屋で、誰かに口をふさがれ、倒されていた。
「こんばんは。人を呼ばれると面倒なので、どうかお静かに」
「……っ」
その声は、窓の向こうにいるはずの、あの男だった。
「声を出さないで下さい。この辺りは識字率が低いとは知っていましたが、まさかディロ側の者に、あの新聞をほいほいと渡してしまうとは……。正直、驚きました」
は? ディロ側の者に渡した? 俺が渡したのは、友人だぞ? お互いこの地で産まれ育った、長年の友人だぞ? そんな奴をディロ側の人間だと言うなんて……! こいつ、許せない……! 侮辱され、黙っていられるか!
だが抗おうとしても、男はなにか武術を習っているのか、起き上がれない。
「私を信用できないのは、分かります。見ず知らずの者より、顔見知りを信用する気持ちも。申し遅れました、私は先代の王妃派と呼ばれる者の一人です。さて貴方から見て、現在この国はどう見えます? 腐っていると思いませんか? 極一部の者たちだけが贅沢に暮らし、多くの国民は苦しめられている。そんな現状、変えたくありませんか?」
変えたいさ! こんなクソな世界、変えたいさ! でも変える力が、ただの農民の俺にはないんだよ!
「私も変えたいと思っています。そう、先代王妃と同じように」
少し、男の声が震えた。
……この男も、このクソな世界を変えたいのか……。なぜか、すとんと胸に落ちた。今日初めて会う男なのに、この世界を変えたい。その気持ちが俺とこいつ、通じたのかもしれない。
「では手を離しますが、声を出さないように願います」
そっと手が離れるが、声を出す気はなかった。こいつと通じ合ったからか、興味を持ったからなのか、自分でもよく分からない。
「真実を教えましょう。現在ディロ男爵が管理する地域で、文字の読み書きができる者の大半は、ディロ男爵と手を組んでいます。貴方が新聞を渡した者も、その一人です。彼らはディロ男爵に手を貸すことで、恩恵を受けています。例えば、税率が他の者より低い、とか」
「はっ、思ったよりしょぼい恩恵だな」
「本当にそう思いますか?」
「………………」
そう言えば、新聞を渡したあいつの家で飲む酒は、いつも俺が買う酒より値段が高かった。服だって新品を買う回数が多く、羨ましいと言ったことがある。あいつは金の使い方を工夫しているだけだと、笑っていたが……。
実は俺たちより税が安く、その分、使える金があったからなのか?
「論より証拠、現実をお見せしましょう。この地域で本日、新聞を渡した相手は、貴方だけではありません」
家から出ると人目をつくことを避けたいからと、明かりを持たず夜道を走る。先を走る男は猫の目でも持っているのか、臆することなく、昼間のように走る。ここに長く住む俺でさえ、明かりのない夜道を走ることに苦戦しているのに。こいつ、何者だ?
連れて行かれたのは、この辺りで唯一の新聞屋の建物だった。
俺は読めないから新聞を購入していないが、朝の配達に間に合うよう、真夜中でも働くことがあると聞いたことはある。今日もまだ誰か働いているのか、建物の多くの窓から、明かりが漏れていた。
ある窓の近くにある茂みに案内される。そこには俺と同じく、見知らぬ男と組んでいるように並ぶ、この辺りに住む奴らが何人もいた。その全員が俺と同じく、文字の読み書きができない。
「それでは皆さん、声を出さずにお願いします。ええ、そう。しゃがんだまま……」
全員で腰を曲げ、窓から見えないようにその真下へと移動する。
窓の近くへ行けば、会話が聞こえてきた。
「よくこれだけ沢山の領の新聞、集められたもんだ。商人かなにかか?」
「これで配られた新聞は、全部だろうな?」
そう言えばあの時、あいつに新聞を預かっておくと言われ従った。あいつはその新聞を、それからどうしたのだろう。
まだ男の言葉を嘘だと思いたい気持ちがあった。どうかあいつが新聞を、ここに持って来ないでくれと願った。
「それにしても、まるで狙ったように配られたな。これは男爵へ知らせる必要があるだろう。今日、宿に旅人は泊まっているか? 料理屋へ立ち寄った形跡は?」
「いや、それらしい人物はいないし、宿泊客もいない」
「配るだけ配って、どこかへ行ったのか。何者なんだ?」
複数人の声が聞こえたまま。顔色が悪くなり、震えながらその会話を聞いている者が多い。そして今、俺も同じように顔色を悪くしただろう。恐る恐る助けを求めるよう、知り合いに視線を送れば、相手も似たような目で俺を見ていた。
……ああ、お前も一緒か。お前も新聞を渡し読んでもらった奴に、裏切られたのか。俯き、視線を逸らした。
「この内容を知った全員、今は訴える気がないことは幸いだな」
「あいつらは学こそないが、自分たちの立場は分かっているからな」
笑い声により、顔が熱くなってくる。
「問題はこの全員を、どう処分するかだ」
「一斉に処分するには、多すぎるな。これは理由を作るのが大変だぞ」
ディロや国に苦しめられている仲間だと思っていたのに……。なにより、友人だと信じていたのに……。なんという酷い裏切りだ。本当、この世界はクソだ。
場を離れ、皆、地団駄を踏む。
俺は叫びたかった。叫び、あいつらの所に怒鳴りこみたかった。だが止められ、無理やりのようにあの場から移動させられた。
「つまり俺たちは、ずっとあいつらに騙されていたのか」
泣きながら笑っている知り合いの言葉に、この地域の住民ではない者たちが頷く。
「そういうことです。しかも先程ここにいる皆さんを、処分する話し合いまでされていました」
「皆さん、今後どうされますか? 泣き寝入りし、でっち上げの罪で処分される日を待つか、それとも自分たちで戦われますか?」
「……そりゃあ、戦えるなら戦いたいさ。こんなクソみたいな世界、変えられるなら変えたいさ。だけど、ディロと手を組んでいる奴らに、どう戦ったら勝てるんだ! ディロの娘は、王妃だぞ?」
戦っても勝てない。分かっているが、悔しい。処分されたくない。だけど戦えない。
「なんだよ……。お前ら、なんで俺たちにあんな新聞を渡してきたんだよ。あの新聞がなければなにも知らず、あいつらを疑わず……。処分対象にだって、ならなくて……」
言葉を切り、鼻をすする。
「ええ、ですから一つご提案があります。それが、我々の仲間になるという選択肢です」
「仲間?」
「はい、オルグ殿下を王にするための仲間です」