わたしの名は
「何もかも景虎さまのお陰です」
藤若と小燕の結婚の報告を、わたしは真人と直江邸にて受けた。小燕はあの場にいたらしく、あれから藤若にぞっこんだそうな。
「あれからすぐに、結納を!景虎さまのお陰で藤若殿を、見直しました!わたしたち、幸せになりまする!」
「そ、そうか。良かったな」
らぶらぶすぎて、見てるこっちの方が退く。
「気づいておられたのですね、景虎さまは。私に足りぬは勇気、だと言うことを」
「二人、とうの昔に諭されたことではないか。天室方丈に」
わたしが言うと、藤若は恥ずかしそうに苦笑した。
幼き頃、林泉寺でのことだ。わたしは強情で藤若を困らせ、藤若は臆病でわたしを怒らせた。
「お虎は出過ぎ、藤若は控え過ぎじゃ。足らぬおのれを知らずば、武士と言え、僧と言え、到底物の用に足る人物にはなれぬぞッ!」
「それでも生まれ落ちた性質は、変えられぬ。わたしは出過ぎの強情の中で、藤若は控え過ぎの性根の中で、自分なりの抗いを見せねばな」
気弱だけど優しい、藤若なりの戦い方がある。
それに気づけたのは、強情なわたしだけでは無理だったと思う。藤若にはあえて言わなかったが、真人と生きてきたお陰だ。刀も振るえず、弓も引けず。それでも真人は自分なりの戦い方を見つけて、わたしと数々の戦場に立ってきた。まさにそれほどの男が、わたしの見初めた男なのだ。
「それにしても困ったね。あの小燕さんには」
真人は後で、苦笑していた。
「それでそれで?景虎さまと真人さまの御祝言は、いつなのでございますか!?」
切り盛り上手の小燕は、今度はわたしたちの祝言を手伝いに行くと言って聞かないのだ。
「ほっ、本気にせぬでも良いからな。わたしは、もしお前が気が進まぬなら進まぬでこのままっ…」
「何言ってるんだよ。幼なじみが結婚するんじゃないか。前にも家族になろう、って言ったんだし。…僕たちだっていつか」
はっとして、わたしは真人の顔を見直した。柔らかな朝日の中で、真人は朗らかに微笑んでいた。
「結婚しよう」
今日も、春日山の空は青い。
わたしは朝嵐を奏ずる。心地よい風の音が、なだらかに尾根を吹き上げてくる日は、いつもそうしていたくなる。
黒姫たちが立ち騒いでいる。
「虎さまあーっ、大浴場の下見に参りましょうですよお!」
「もう温泉が出てる場所があるそうなんですう☆この備前が、景虎さまのお背中、お流ししますよう!」
「姫しゃまー、置いてけぼりはいやでごじゃいまするぞ!このえもお風呂に!」
この春日山城を、そして今のわたしを支えてくれる皆。
その声を聞くたび、想う。
わたしは、帰って来たんだ。
(この山と、この山を囲んで住む人たちすべてのために)
真人たちが手を振っている。
「虎千代、温泉があるんだって!皆で行こうよ!」
「当たり前だ真人、虎姫、おれとラウラも行くからな!」
「虎千代サン、玲サンも連れて来ていいですか!?」
曇り一つない無謬の蒼天を見上げるとき、わたしは新しい、自分の名の意味を噛みしめる。そうだ、わたしは、この名に集った、一人一人と生きていく。わたしはわたしの持てる力のすべてで、皆を守る。
「わたしはおんな城主、長尾景虎だ」