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最終話:新婚クエスト

  (1)


 我ながら信じられない。幸運なくしては絶対にたどりつけない道のりだった。

 あたしたち人間がモンスターや魔王軍を打ち払い、魔王城まで行くことができたのも確かに奇跡だけど。

 それ以上の奇跡が、今始まろうとしている。


 優しく、それでいて荘厳に教会に響きわたるパイプオルガン。

 天窓から降り注ぐ日光が、あたしと彼を包むように白い円を形作っている。

 その真円の中にすっと足を踏み入れてくるメリー。身につけた儀式用修道服は、いつもよりも重厚な漆黒。右手に聖書を持ち、おごそかに問いかけた。

「汝はソニアを妻とし、生涯愛しつづけることを誓いますか?」

「誓おう」

 魔王の迷いのない低い声が堂々と教会に響いた。いつものこいつより輝いて見えるのは、きっと白いタキシードのせいだけじゃない。

 メリーは感慨深げにうなづくと、今度はあたしの方を向いた。ヴェール越しにじっと見つめあう。優しく、感慨深げに、かすかに涙で潤んだ彼女の瞳。きっとあたしも似たような表情をしているんだろうな……

「ソニア」

 ごくりと喉が鳴った。大勢の人たちがじっと見守るこの緊迫した空間にあっては、そんな小さな音も聞こえてしまいそう。

「汝はエルニードを夫とし、生涯愛しつづけることを誓いますか?」

 思えば無数の二者択一があった。「悪い魔物を退治してきてくれ」とか「東の森の薬草をとってきてくれ」とか。そのたびにあたしたち勇者一行は「はい」と「いいえ」を選んできた。もちろんたいていは「はい」だったけど。断る理由もなかったし。

 そして今回の答えももう決まってる。断る理由なんかない。

 エルニードは思慮も情緒も常識も持たない甲斐性なしだけど、それでもあたしは彼のことが……

「……って、ちょっと待って!」

 慌てて右手でさえぎる。

 パイプオルガンがやんだ。

 メリーが、魔王が、お客さんたちが、何事かとぎょっとして目を丸くする。

「あ、いや、その……」

 う……なんか、空気読めない真似やっちゃった? みんなの突き刺さる視線が痛い。

 でも、神様に誓いを立てる以上、この疑問をスルーしちゃうわけにはいかないし……

「えっと、エルニードって……誰?」



 あたしの名前はソニア。

 職業は魔法使い……兼、花嫁。

 女の子から恋人に、恋人から婚約者に、と順調に経験値を重ね、ようやくここまでたどりついた。今はまさに「転職の儀式」の真っ最中というわけだ。

 ちょっとだけ、つまづいちゃったけど……

「貴様な……夫の名前くらい知っておけ」

 ずらっと並べられたごちそうをガツガツほおばりながら、魔王が憮然と言い放った。

「あんたこそ本名があるなら教えといてよ! ずっと魔王が名前だと思ってたわ!」

「そんなはずあるか!」

 う~ん、やっぱり結婚すると違うわね。お互いの知らなかった一面を目にするもんだ。まぁ確かに名前ってのは知らなさすぎだったけど。

「おい、ソニアは食べぬのか?」

 魔王はすでに興味の対象を食事に移したらしい。見ているだけでおなかがいっぱいになるような食べっぷりで、次々と皿をからにしていく。もしコックさんがここにいたら、作ったかいがあったと喜ぶか、もっと味わって食べてくれと嘆くかのどちらかだろう。

「あ~、あたしは後にするわ」

 食欲がないわけじゃないけど、せっかくの結婚式。思い出が料理だけになっちゃ悲しすぎる。あたしは食事には手をつけず、空を見上げた。

 まだ少し冷たい早春の空気を溶かすように降り注ぐうららかな日差し。こんな日でなかったら、思わず眠ってしまいそう。本当に晴れてよかった。やっぱ日ごろの行いがいいから?

 視線を落とすと、小さな庭を埋めつくすかのような大勢の着飾った人々。机の上のフルコースに負けぬほど、こちらもまた豪華で豪勢だった。なにしろ招待客の中には、貴族やら王族やら……本物のお姫様までいるのだから。

「それにしても……ずいぶんと集まったものよね」

 あたしにこんなたくさんの知り合いがいたわけじゃない。ただ勇者の仲間をやってた関係で、王家の方々にも面識があったのだ。

 当然、王女クラスの人が一人でふらりと来るはずもなく、一緒についてきた護衛やら小間使いやらで、式場である庭は満員状態だった。

「こんなことならもっとちゃんとした式場を借りておけばよかったかなぁ」

 堅苦しいのは嫌だから、教会の庭での立食パーティーってことにしたんだけど。お偉いさんを迎えるにはちょっと失礼だったかも……

「構わんだろ。主役は我々だ。文句は言わせん」

 魔王は不機嫌そうに吐き捨てると、招待客たちを冷ややかなまなざしで見回した。

「わざわざ他人の祝い事に。暇なやつらだな」

 まったく……これだから魔族は困る。人間の常識ってものがないんだから!

「失礼なこと言わないの! みんなせっかく来てくれたんだから」

 あたしが叱りつけても、魔王は意にも介さない。今度は視線をあたしのほうに向けて、

「しかし、ようやく我らが結ばれ二人きりの生活が始まるというときだぞ? 楽しみにしてたのに、ぞろぞろ集まって邪魔して、こいつら何のつもりだ?」

「ば、ばかっ!」

 なんでこいつはそういう恥ずかしいことを平気で言えるんだろう。聞いてるこっちのほうが照れるじゃない!

「人間の社会で生きるってことはそういうことなの! 世間体も大切なの! そ、そりゃ、あたしだって……早く二人きりになりたいとも思わなくもないけど……」

 しどろもどろになるあたしの肩に、突然後ろからぽんと手が置かれる。

「ごめんなさいね、邪魔しちゃって」

「うひゃあ!」

 いつの間にかすぐ横にメリーが立っていた。その右手には小さなワイングラス。珍しくお酒を飲んでるみたい。頬がかすかに上気している。

 もっとも顔が赤くなっているのは、今のあたしのほうだろうけど。

「ち、違うのよ? 邪魔って別にそういう意味じゃなくてね?」

「はいはい。分かってますよ~」

 全然分かってない微笑みを浮かべながら、メリーはグラスを近くのテーブルに置きすっと姿勢を正す。

「ソニア。エルニードさん。このたびはおめでとうございます。どうか神の祝福がありますように」

「うん……ありがとう」

 神の祝福か……自信ないなぁ。なにしろ魔王は魔王なんだし……

「あ、そういえばさ。メリーは魔王の名前、知ってたのね? 教えてくれればよかったのに」

「そりゃ名前くらいは知ってますよ。むしろソニアが知らなかったことにびっくりです」

 そこでメリーはきょろきょろと周りを見回してから声を落とした。

「それに、ここには事情を知らない方々もいるのですから。あまり大きな声で魔王魔王と呼ばないほうがいいですよ?」

 そうか、確かにそうだ。

 さっきも言ったように、今日は結構なVIPがそろっている。魔王を倒せと命じた王女本人すら来ているのだ。そして彼女を守る兵士たちもたくさん。

 魔王の正体がばれたら、いきなりあたしは未亡人なんて事態になりかねない。

「じゃあ、あたしもエルニードって呼んだほうがいいのかな」

 う~ん、慣れるのに時間かかりそう。

 悩むあたしにメリーがいたずらっぽく笑いかける。

「あら。ソニアはもう妻なんですから。『あなた』とか呼んであげたらどうですか?」

「あ、あな……っ!」

 そりゃ不自然じゃないけど、結婚したんだから、そういうのもありだとは思うけど……まだ心の準備が!

「いやよ! そんな……恥ずかしいセリフ!」

「あら、まぁ」

 あたしが真っ赤に照れるのを見て、メリーはやれやれと首を振った。

「これくらいで恥ずかしがってちゃ、先が思いやられますね~」

「先って?」

「そりゃあ……」

 メリーの頬がぽっとピンク色に染まる。

 少し言葉を止めてから、ごまかすように笑って肩を叩いてきた。

「もう~。そんな恥ずかしいこと、私の口からは言えませんよ~」

「あ、あんた本当に僧侶かッ!」

 なんか……あたしの交友関係ってこんなのばっかし。

 メリーといい、魔王といい……「職業意識」ってものが欠けてる気がする。

 ああ、一番「らしくない」って言ったら、あいつか。

 あたしはもう一度庭を見回してみる。当然のことながら、そこにあいつの姿はない。

 なんだかんだいって、来てほしかったんだけどなぁ。一番の仲人的存在なんだし。

 今ごろ、どこでどうしているやら……ロン――



(2)


 我ながら信じられない。幸運なくしては絶対にたどりつけない道のりだった。

 たった一人で、しかも竹ボウキなどという最弱装備で、魔王の部屋までたどりつけたのだから。

「やっと会えたな、魔王! さぁ、覚悟しろ!」

 武器を上段に構え、臨戦態勢に入る。その動きに合わせて、甲冑のガチャガチャいう音が石造りの部屋に反響した。

「えっと……」

「何だ、魔王! 誘惑なら無駄だぞ! 世界の半分をもらっても貴様の仲間になどなるものか!」

 そう高らかに宣言して。

『彼』は剣先を俺に向けた。

「さぁ! 貴様の野望、この勇者ガイルが打ち砕いてくれる!」

「いや、あのさ」

 盛り上がってるところに水を差すようで、大変申し訳ないのだが……

 俺は頭をかきながら、おそるおそる真実を口にした。

「勇者は、俺なんだけど」


 俺の名前はロン。

 職業は、勇者、だと思う。いや、分からん。自信なくなってきた。

 俺は勇者。それは間違いない。じゃあ、目の前にいる、このガイルとかいう男は一体誰なんだ?

「ふざけるな、魔王め!」

 ガイルが叫ぶ。

 薄暗い部屋の中で、彼の瞳は闘志の炎で燃え上がっていた。

 筋骨隆々とした体と、それを覆う銀色の鎧兜。

 確かに勇者っぽい外見だ。だが、俺は認めるわけにはいかない。勇者は外見で選ばれるわけじゃないんだからな!

「ちょっと待てよ! だから俺は魔王じゃないって!」

「騙るな、魔王!」

 相変わらず魔王魔王と連呼するガイル。

 むぅっ、他人の話を聞かないな、こいつ。でも己の信念を曲げないってのも勇者にとっては必要な素質だったりするからなぁ。その信念が正しいときはいいけど、間違ってるときはこの上なく厄介だ。

 やっぱり俺もちゃんと正門の方から入ればよかったぜ。一度来て勝手知ったる魔王城。せっかくだからと裏口を利用したのがまずかったらしい。まさか別の勇者と鉢合わせしてしまうとは。それも、よりによって魔王の間で。

「落ち着けって。そもそもお前が勇者ってどういうことだ? 勇者はもう選ばれたはずだろ?」

 そう、つまり俺に。

 王国が認定する勇者は常に一人。二人目なんて存在しないはずだ。

 俺の正論に対し、なぜかガイルは急に涙ぐんだ。慌ててゴシゴシと腕で涙をぬぐい、再び俺をにらみつける。その瞳にはさっきよりも強い憎悪の色が浮かんでいた。

「とぼけるな! 貴様が殺したくせに!」

「…………はい?」

 殺した? 殺された? 誰が? 俺が?

「初代勇者ロン殿は貴様との決戦で負った傷が原因で戦えない体になり、そのまま数ヵ月後に死亡されたのだ! 知らぬとは言わせぬぞ!」

「知らない、知らない!」

 うおぉ、なんで俺そんなことになってんだよ。そりゃ確かにしばらく音信不通だったけどさ! 何も殺さなくてもいいだろ、おい!

 俺は生きてるのに! 俺なりに頑張って生きてるのに!

「ロンは俺だ! 死んだってのは誤報だぞ!」

 精一杯主張してみるが、ガイルは頑なに首を横に振り続ける。

「そんなはずない! もし生きていたのなら、半年間戦うこともせず連絡もとらず何をしていたのか言ってみろ!」

 う……こいつ、痛いところをつきやがる。

 ここで『伝説の武器を探して旅をしてた』とか言えたらよかったんだけどなぁ。そんな嘘、信じてもらえないよな。だって今俺が持ってるの竹ボウキだもん。

 ああ、ちくしょう、本当のことを言うしかないのか。仕方ない。くだらない見栄のために、勘違いされて殺されるわけにはいかないし。

「それは……その、ちょっと、失恋して、傷心旅行に……」

「きっさまあぁっ!」

「うわ!」

 ガイルが突然、怒声とともに俺へ斬りかかってきた。俺は慌てて竹ボウキを横薙ぎに振るう。べしっと金属音とは程遠い愚鈍な音をあげ、はじかれるガイルの剣先。

 危ない! 完全に不意打ちだった。武器の重量の差で、ぎりぎり助かった。

 何だよ、こいつ。そりゃ我ながら情けないとは思うが、そこまで怒ることないだろ。半年前、まさにこの場所でソニアや魔王からも叱責罵倒をされたが、ここまで強烈なツッコミは初めてだぜ!

「くっ!」

 自らの攻撃がかわされたことに戸惑いながらも、すかさずニ撃目を繰り出そうとするガイル。その前に俺は慌てて距離をとった。

「おい、落ち着けよ! 俺だって好きで失恋したわけじゃ……」

「ふざけるな! ロン殿の命を奪っただけでなく、その名誉まで傷つけようというのか!」

「え? いや、信じられないかもしれないけど、本当にただの失恋で、」

「そんなはずない! ロン殿は偉大な勇者であり、勇敢な戦士だ! いついかなるときも決して諦めず、くじけず、倒れず! 正義と平和のために戦っていたのだ! 俺は彼のことを世界の誰よりも尊敬している!」

「あ~、うん、ありがとう」

 自分の顔が赤くなるのを感じる。そこまでストレートに言われると照れるぜ。

 いやぁ、それほどでもないんだけどなぁ?

「そんなロン殿が失恋でやる気をなくしただのと! 戯言もいい加減にしろ! そんな貧弱で後ろ向きで腐ったクズのような思考、勇者がするはずあるまい!」

 自分の顔が青くなるのを感じる。そこまでストレートに言われると傷つくぜ。

 いやぁ、勇者だって失恋くらいするんだけどなぁ……

「ロン殿の無念は俺が晴らす! 彼から引き継がれた、この剣とともに!」

「え? あ、ああ!」

 どっかで見た剣だと思ったら!

 研ぎ澄まされた太い刀身。金色の装飾が輝く鞘。

「それ、覇者の剣じゃないか!」

 何ヶ月か前にソニアに奪われた俺の武器。どこをどう経由したのか、それが今こいつの手にある。

「そうだ。ロン殿の遺志とともに俺が受け継いだのだ」

「いや、勝手に受け継ぐなよ! 返せよ!」

「馬鹿を言うな! 大体ロン殿が生きてるとしたら、なぜこの剣が質屋になど流れたのだ。説明してみろ!」

 う……こいつもさすが勇者を名乗るだけはある。さっきから痛いところばかりついてくるぜ。

 ここで『もっといい武器を見つけたから』とか言えたらよかったんだけどなぁ。そんな嘘、信じてもらえないよな。だって今俺が持ってるの竹ボウキだもん。

「えっと、俺の仲間に無理やり奪われて、そいつが質屋に……」

「きっさまあぁっ!」

「うわ!」

 再びガイルが襲い掛かってくる。今度は剣を闘牛の角のように構えて、そのまま突進してきた。

 すかさず身を伏せ、彼の右足を竹ボウキで打ち払う。重心がかかった瞬間だったため、ガイルのバランスは大きく崩れた。

「くっ!」

 重い覇者の剣が災いし、受身も取りきれない。そのまま床へ転び全身を打ちつける。甲冑がぶつかり合い、派手な音をたてた。

 よし。どうやらスピードは俺のほうが速い。やけになって装備した竹ボウキだったが、思いのほか使い勝手がいいぞ。

「貴様、ロン殿だけではなく、その仲間も侮辱するとは……!」

 よろよろと立ち上がるガイル。その瞳は闘志や憎悪なんて生易しいものではなく、はっきりとした殺意だった。

「いや、本当なんだ。ソニアっていう魔法使いがどうしても欲しいと、」

「嘘をつけ! ロン殿の仲間たちは皆、正義感強く心優しく弱い者を決して傷つけたりせず! 我が身のことより世界平和を第一に考える立派な方たちだ! 伝説の武器を売り払うなどと、そんな私利私欲に走るはずがないだろう!」

 ああ、伝説とか偉人伝とかってこうやって作られるんだなぁ。噂って怖いもんだ。

 誰か来て、こいつに教えてやってくれ。勇者もその仲間も、れっきとした人間だということを。

 本人に来て自白してもらうのが一番早いんだが、今ごろどこでどうしているやら。

「さぁ、次こそ決める! 覚悟しろ、魔王!」

 またまたガイルが剣を構える。二回の失敗にもめげる様子がない。なるほど、さすが勇者だ。こういうところだけは見習うべきか?

「ああ、もう分かった。そこまで言うなら戦おう」

 しぶしぶ俺も臨戦態勢に入る。正直気は進まないけど、話だけしててもらちがあかない。

 二人の視線がぶつかりあい、バチバチと火花が散る。

 人間って愚かだな。そりゃ戦争もなくならんわ。どれだけ言葉を交わしても、最後は結局力に頼ってしまうのだから。

 こんな場面を魔王が見ていたら、それみたことかと笑うだろう。

「あれ……?」

 そういや、すっかり忘れてたけど……そもそも本物の魔王はなんでいないんだ?



(3)


「ソニアさん。結婚おめでとうございます」

 薄紅色のドレスに身を包んだ女性が、にっこり微笑んで祝福してくれた。

 スカートのすそをそっと優雅に持ち上げ、軽やかにお辞儀。そんな何気ない動作一つにも育ちのよさが感じとれる。

「あ、ありがとうございます!」

 あたしは慌てて姿勢を正し、びしっと敬礼して返した。

 そりゃ今日の主役はあたしだけど、さすがに緊張してしまう。

 相手はVIP中のVIP。王女様なんだから。

 緊張するなっていうほうが無茶だ。さすがの魔王だって、彼女に対しては……

「……うむ?」

 魔王は難しい顔で、じいっと王女の顔を見つめている。そんな無礼な振る舞いにも構わず王女様は魔王にもお辞儀した。

「はじめまして、エルニードさん。私はこの国の第一王女、ロー……」

「ああ、貴様か!」

 魔王の大声が王女様の自己紹介をさえぎる。ようやく思い出したというように両手を打ち合わせて、

「あの、余が全面降伏を勧めてやったにも関わらず、その要求を呑まずに戦うことを決意した小生意気で身の程知らずな人間、」

 がすんっ。

 横から魔王のこめかみめがけて肘うちを食らわす。

 くっ、こいつは……! そんなにあたしを未亡人にしたいわけ?

「ぐおお……っ!」

 頭を抱え込んで痛みをこらえる魔王の、無駄に長い耳に向かってこっそりと伝えてやる。

「余計なこと言わないの! あんたの正体がばれたら、何が起きるかくらい分かるでしょ?」

「安心しろ。余は人間ごときに負けん」

「勝ってもらっても困るのよ!」

 ああ、疲れる……こんなことなら沈黙の呪いでもかけておけばよかった。もちろん誓いの言葉をいった後で、だけど。

「まぁ、さっそく夫婦喧嘩ですか? 仲がよろしいんですね」

「え~と、あはは……それほどでも……」

 くすくすと上品に笑う王女様に、あたしも笑顔で合わせる。

 実際にはそんな生易しいもんじゃなくて、この場全員の命を懸けた平和交渉真っ最中なんだけどね。

 あ、平和といえば……

「あの、勇者ロンのことなんですけど……」

 あたしが切り出すと、王女様の顔に初めてかげがさした。

「ええ、分かってます。まさか戦いがあのような結果に終わってしまうとは。仕方ないこととはいえ、非常に残念でした……」

「す、すいません」

 あたしやロンは栄えある正義の使者として、魔王討伐の任を与えられた。が、果たせなかった。

 まぁ形は百八十度違ったけど、平和は取り戻せたんだし、いいかなっとも思うけど。

 それに、ぶっちゃけ……そもそもの元凶は王女本人なわけだし。

「本当はロンにもあたしたちの結婚式に来てほしかったんですけどね」

 あたしはしみじみと呟く。

 これは本心だった。ある意味、あいつは恋のキューピットなのだから。 

 ロンが強くなかったら、あたしは魔王の城にまでたどりつけず、魔王と会うこともなかった。

 そしてロンが弱くなかったら、魔王の城で戦いは終わり、あたしと魔王が結ばれることもなかった。

 だからロンには本当に感謝している。

 それを直接伝えたかった。

 ロン……失恋してくれてありがとうって。

「大丈夫ですよ」

 王女様は遠い目をするあたしを元気づけるように力強い声で、

「勇者殿もきっと空の上から私たちを見守ってくれています」

「……はい?」

 空の、上? いや、その言い方って、まるで……

「ふははははっ!」

 突然、横で魔王が馬鹿にするように笑い出した。

「世迷い言を! やつは余が唯一認めた人間の男だぞ。そう簡単に息絶えるはずがなかろう!」

「ええ、私もそう思ったのですが……」

 王女様は空を見上げる。まるでロンの面影を思い出すように。

「私の結婚式のことで、勇者殿に手紙でお伺いを立てたのです。できたら仲人をやっていただきたくて。そうしたら返事が……『あなたの知っているロンは死んだものと思ってください』と」

 王女様の瞳から一滴の涙がこぼれ落ちる。

「まさか勇者様が死んでしまうなんて、私……」

 感動する場面なのかもしれないけど、あたしと魔王は苦笑いを浮かべることしかできない。魔王が声をひそめて、あたしに尋ねる。

「ソニア、これはまさか、勇者は死んだわけではなく……」

「そういうことでしょうね……」

 いや、ロンの言い方も確かに悪いと思うけど。そこは真意をくみとってあげてよ、王女様……

 小さく、しかし深いため息をつく魔王。

「おいおい……この女、ちょっと世間知らずすぎないか?」

 あんたが言うな。

 勇者は死んだ、か。案外、そう思ってるほうが幸せなのかもしれない。双方にとって。



(4)


「勝った……」

 っていうか、勝ってしまった。

 俺は肩で息をしながら、床に座り込んだ。

 目の前には倒れ伏す二代目勇者ガイルの体。かすかに胸が上下しているところを見ると、気絶しているだけのようだ。よかった。勇者が人殺しなんてシャレにもならない。

 まぁこちらの武器は竹ボウキなのだから、どう頑張っても息の根を止めることなんてできないが。むしろ勝てたことが奇跡に近い。なんで俺はこんなところで武運を使ってしまうのだろう。

「さてと……」

 よっと掛け声をかけながら立ち上がる。

 どうしようかな、これから。

 魔王と再戦するにしてもガイルのせいで俺の体力もゼロに近い。一度は帰るしかないだろう。本当、なにしに来たんだって感じだ。

「帰る、か……」

 その単語を思い浮かべたとたん、急に体が重くなってきた。戦闘後の疲れのせいばかりじゃないだろう。

 帰る……

 どこに? 俺に帰る場所なんてあるのか? 死んだことになっている、この俺に?

 ちっくしょう! どこのどいつだよ、そんな噂流したのは! 絶対ぶん殴ってやる!

 でも、その前に魔王を倒さないと……っていうか、まず探さないと。

 どこ行ったんだろう? もしかして失恋して浜辺で泣いてるとかじゃないだろうな。まさかとは思うが、ありえない話じゃない。というか、それ以外の理由が思いつかない。

 なにしろ魔王が留守という事態が全くの想定外だからなぁ……

「よく来たな、勇者よ! 待っていたぞ!」

 こ、このセリフは!

 突如、部屋に響きわたる低い声。俺は喜びを隠せずに、声の方へ振り向いた。

 本来なら恐怖と絶望を伴うその言葉も、今の俺には何より優しい。

 待っていたは俺のセリフだぜ! やっと本来の目的が果たせ……る……?

「余が魔王である!」

 玉座の上に立ち、高らかに言い放つ……彼女。

 ぽかんと口を開ける俺を見下ろして、満足げに笑っている。

「ククク、恐怖で言葉も失くしたか。よかろう。ならば、無理に戦うこともあるまい。どうだ、余の仲間にならぬか?」

「えっと……それより、あんた誰?」

 俺の至極当然な質問が気に障ったらしい。彼女は怒りで顔を赤くしながら叫んだ。

「質問文を質問文で返すなーっ! だから、魔王と言っとろうが!」

 魔王って……

 体をすっぽりと覆う黒いマント。魔族の証明である、左右にとんがった耳。長い銀髪。目鼻のくっきりした、彫りの深い顔立ち。

 確かに魔王だ。あいつと同じ特徴だ。

 ただ一つ。性別以外は。

 何がどうなってるんだ? 新勇者の次は新魔王? これが光と闇のバランスを保つ、世界の均衡力というわけか?

「で、どうするのだ!」

 新魔王は椅子から飛び降りると、ずかずかと大股で俺の前までやってくる。こうして並んでみると、身長は俺よりも頭一つ分低い。年齢も俺より下か……って、そんな推測は無意味だったな。魔族の年齢なんて何百歳かも分からない。

「余の仲間になるのか、ならぬのか! 否と答えるなら、ただではすまさぬ。生きてこの城から帰った者はいないのだ!」

「いや、俺が前回ちゃんと帰ったけど」

「余の仲間になれば世界の半分をやろう!」

「それも前回聞いたよ」

 やっぱ前の魔王のときに、もらっておけばよかったなぁ。そうすれば半分と半分で合わせて全部になったのに。

「あのさ……お前、本当に魔王なの? 魔王が女なんて聞いたことも……」

「貴様! 貴様まで余を愚弄するか!」

 俺を下から睨みつけながら、その右腕を見せつけるように掲げた。長くとがった爪。確かに攻撃力は高そうだ。

「余が魔王だ! 魔王シィドだ! 女と思ってなめてかかると、痛い目にあうぞ!」

「あ~、うん、それはよく分かる」

 王女とかソニアとかメリーとか。俺に会心の一撃を食らわしたのって、全部女だったからな。

 最後の敵まで女かよ……やりづれぇ。後ろで倒れてる二代目勇者を起こして、代わりに戦ってもらうか? 相手も二代目なんだし。

「いや、それにしたって、前の魔王はどうしたんだよ?」

「やつは……」

 新魔王……シィドが苦虫を噛み潰すように、顔をゆがめる。どうも触れられたくない質問だったらしい。

「先代は……死んだものと思え」

 そんな意味深な。そう言われて、素直に「ああ、死んだのか」とか思うやつはいないよ。

「だって、おかしいだろ? まさか誰かに倒されたわけじゃないんだろ? あいつ、すごく強かっ、」

「強くなどない!」

 突然、魔王シィドが俺の言葉をさえぎってくる。その肩は怒りのためか、わなわなと震えていた。

「やつは最低だ! 史上最悪の魔王だ!」

 そりゃ魔王だからな。むしろ最低最悪っていうのは魔族には褒め言葉じゃないのか?

「力は弱く、魔力は乏しく、頭は悪い! 口だけは立派だが、実行伴わず! 世の中のことを何も知らぬ!」

 シィドの内部告発は続く。魔界なんて忠実な部下と絶対王政で成り立ってると思ったが、その内側はいろいろあるんだなぁ。

 でも、何もそこまで言わなくてもいいのに。そんな、涙ぐむほどに力を込めて。

「大雑把で! 考えなしで! いいかげんで! それで、それで……!」

 とうとうシィドの瞳から涙が一滴こぼれ落ちた。

 ぺたんと床にしゃがみこみ、ひときわ大きく叫ぶ。

「あんなに近くにいたのに……女心をまるで理解してくれなかったッ!」

 そのセリフを最後に、大声で泣き始めるシィド。魔王としての威厳などない。まるで一人の少女……いや、むしろ赤ん坊のように。

「ええ~っと……」

 ど、どうすりゃいいんだ、俺は?

 女に泣かされたことはあるが、女に泣かれたのは初めてだ。

 詳しい事情は分からんが、どうも俺の何気ない一言は予想以上のクリティカルヒットだったらしい。謝ったほうが……? いや、勇者が魔王にダメージを与えて謝るのも意味が分からんけど。

 ただ一つ、今言えることは、だ。

「……元気出せよ」

 俺は励ますようにシィドの肩を叩く。

 こいつ……他人と思えねぇ……



(5)


「エルニードさん、お祝いのメッセージが届いてますよ~」

 メリーがパタパタと小走りでやってきた。魔王に封筒を渡すと「では、次の用意があるので~」と忙しそうに去っていく。

 メリーがいてくれてよかった。シスターという職業柄か結婚式には慣れているらしく、本当に手際がいい。ありがとう。あなたは最高の友人。

 友人といえば……

 隣では渡された封筒を珍しそうに眺める魔王。本人も予想外だったようだ。

「あんたに祝ってくれるような友達いたのね~」

 あたしがバカにすると、魔王はむっと不機嫌そうに反論する。

「無礼なことを。友人くらいいるぞ」

「でも、あんたが招待した客って一人しかいないじゃん」

 ちなみにその一人とは魔王が勤めている喫茶店の店長のことだ。

 王族貴族目白押しのこの式においては、一般人的になかなか居づらいらしく、さっきから庭の隅っこで目立たないようにしている。

「他にも呼んだ! ただ来なかっただけだ」

 結婚式に来てくれないって、結局友達じゃなかったってことじゃないの?

 でも、まぁ向こうにも事情があるだろうしね。メッセージだけでもありがたいもんだ。

「む……むぅ……!」

「どしたの?」

 なぜか文面を目にした瞬間、魔王の表情が曇る。

 どれどれと横から覗き込むと、ミミズがのたくったような意味不明な記号が並んでいた。

「何これ?」

「魔界文字だ」

 ああ、魔界文字ね。存在だけは知ってるわ。人間には読めない、魔族の間だけで使用される……

「って、待てー!」

 あたしは魔王の蝶ネクタイをつかみ、ぐいっと引き寄せて小声で叫ぶ。

「ちょっと! まさかあんたが呼んだ友人って魔族じゃないでしょうね?」

「い、いけなかったのか? だって他に友人などおらぬから……」

 く……、これだからこいつはいやなのよ! もうちょっと人間の常識を考えて行動しろ!

「魔族やらモンスターやらが出席する結婚式がどこにあるっていうの、バカ!」

「いや、それなら余自身が……」

「で、手紙には何て書いてあるのよ!」

 おめでとう? 幸せに?

 バカな。そんな能天気なこという魔族なんて魔王くらいのもの。

 おそらく、その内容は……

「むぅ……『エルニード。この裏切り者。決して許さない。結婚式に乗り込んで、めちゃくちゃにしてやります』だと」

「やっぱりか……!」

 そりゃそうなるわよ。自分たちの王様が、敵である人間と結婚しようってんだから。

 冗談じゃないわ! 夢にまで見た結婚式! 斬るだの倒すだの戦うだの、そんなのとは無縁でいたいのに!

 話し合いって概念はないわけ、モンスターには? 全てを力で解決しようとしないでよ!

 ああ、もう。なんでこんなことに! 魔界には秘密にしとけばいいものを。なんでこいつはベラベラしゃべっちゃうわけ?

 確かに、正直で隠し事無しっていうのは、夫としては美徳かもしれないけど……

「ん? 続きがあるな」

 魔王が二枚目をめくり、はっきりとした声で読み上げた。

「ふむ……『エルニード、私はあなたのことを一人の女性として心から愛していました。だからこそ許せません。決して。シィドより』と……」

「…………」

 なに、だって? 女性? 愛? 裏切り? 裏切り……

「な、何だろうな、これは……?」

 ぎこちなく首をかしげる魔王。

 瞬間、招待客たちの談笑する声が消えた。小鳥のさえずりも、暖かい南風も、全てが消滅する。

 代わりに聞こえたのは胸のうちから湧き上がるような鼓動。全身に熱が伝わっていくような感覚。ああ、久しぶりの……戦闘モード。

 そんな緊迫した空気に気づかず、またメリーがやってきた。

「ソニア~。ケーキカットの準備が整いましたよ~」

「でかしたっ!」

 メリー、あんたは本当に最高の友人ね! タイミングばっちりよ!

 メリーが持っていたものをひったくるような勢いで受け取る。春の陽光を浴びて銀色に光る、とても攻撃力の高そうな長いナイフを。

「さぁ、始めるわよ! 二人の初めての……そして最後の共同作業を!」

 あたしはフェンシングさながらに、魔王の顔へその切っ先を向けた。

「ちょっと、ソニア? ケーキカットですよ、ケーキ! 新郎カットしてどうするんですか!」

 慌てたメリーが魔王をかばうように間に入る。

 新郎? はっ! それはさっきまでの話! こっから先は! 離婚クエスト!

「どいて、メリー! そいつは悪魔よ!」

「えっと……はい、知ってますけど」

「女の敵! 斬り倒してやる!」

「そ、ソニア……『きる』って結婚式ではNGワードですよ」

「じゃあ、ぶっころす!」

「それ、余計アウトですよ! あ~、もう! 何がどうしたっていうんですか!」

 おろおろ戸惑うメリー。その背中から魔王が耳打ちした。

「いや、実はな、さっきの手紙に……」

「え? え、えええっ?」

 さすがのメリーも驚きを隠せないようだ。

 そりゃそうよね。あたしも同じ……いや、それ以上に驚いている。

 まさか! まさか魔王が! そういうことだけはないやつだって信じていたのに!

「分かったでしょ! そいつはもはや夫でも新郎でもない! ただの浮気男よ!」

「ま、待ってください! 魔王さんにもきっと事情あってのことです。話し合いましょう?」

「話し合いなんて概念はないわ! 力が全てよ!」

 いつでも振り下ろせるように剣を空に掲げる。まさか冒険の旅で鍛えた戦闘力がこんな形で役に立つとは。

 さぁ、どこに逃げようと必ず追い詰めて、あんたを……!

「ソニア」

 魔王は……逃げなかった。まっすぐに、堂々と、あたしの射程距離内に足を踏み入れてくる。

「正直言って、余も事情が分からん。この手紙を書いたシィドという魔族は確かに知っている。だが、そんなふうに想われているというのは余も初耳なのだ」

 いつあたしの剣が振り下ろされるかも分からないのに。

 まるで剣など存在しないというように、魔王はあたしの瞳に向かって語りかけた。

「信じてくれ。先ほどの誓い、嘘ではない」

 病めるときも、健やかなるときも、ずっと愛しつづけるように。

 そうだった……あたしだって同じ。ちゃんと誓ったんだ。魔王を信じ、そして愛すると。

「本当に……その人とは何もないのね?」

「もちろんだ! シィドとは何のやましい関係もない!」

 ま……そりゃそうか。あたしも頭に血が上ってしまったけど、冷静に考えればこいつに二股かけるような甲斐性あるはずない。

 ふぅっと抜けていく力。ああ、招待客のみんなにはみっともないとこ見せちゃったなあ。こんな剣まで振り上げて。

「シィドは恋人などではなく……」

 緊張の解けた魔王が、にこやかな笑顔とともに言い放つ。

「血のつながった、余の実の娘だ」


 ざしゅっ。


 こうして、あたしの結婚式は幕を閉じた。

 後に残されたものは、あっけにとられたお客さんたち。

 口をつけられることのなかったウエディングケーキ。

 倒れる新郎。暴れる新婦。それを必死に取り押さえようとするシスター。

 そして、赤く染まったウエディングドレス――



(6)


「えっと、つまりシィドは……前の魔王によって生みだされた、いわば娘みたいなものってことか」

 シィドはようやく泣き止み、鼻をぐずぐず言わせながら小さくうなづいた。

「そうだ。エルニード様の血液、魔力、魔草マンドラゴラ、生命創造魔方陣などを使い作り出された生命体が私だ。だから……」

 ぐすっと再び涙ぐむシィド。

「本来なら持ちえてはいけないのだ。創造主であるエルニード様に……恋愛感情など」

「いや、まぁ……しょうがないだろ、それは。恋に堕ちるのに身分は関係ないよ」

 俺の慰めは耳に届いているのか、いないのか。シィドは自分の膝を抱え込み、半分独り言のように呟きつづける。

「私は初めから恋愛対象としては見てもらえなかった。それでも力をつければ、強くなれば、いつか認めてもらえると思い、頑張りつづけた」

「うん」

「そうこうするうちにエルニード様は他の女性と婚約をし、私に残されたのは新魔王という意味のない肩書きだけ」

「……うん」

「こうなった以上、仕事だけでもやり遂げようと努力はしてみるも、やはりエルニード様の力には遠く及ばず。魔王軍兵士たちの心もやがて離れゆき」

「…………うん」

「私の影響力は消え、その存在は忘れられ。新魔王シィドは死亡したなどとの噂まで流れる始末」

「………………」

「もう駄目なんだ、私は。いくら自らを奮い立たせても、努力は空回るばかり……」

 や、やばい……

 もう……限界だ、俺は……

 他人と思えねぇっ!

「ぞういうごど言うなよぉ!」

 大声で叫ぶ。気がつけば俺の目からは滝のような涙が流れていた。そんなもの放っておいて、言葉をぶつけるように訴える。

「意味のない努力なんてないから! ないはずだから! な?」

「き、貴様に私の気持ちなんて……!」

「分かるよ! 分かりすぎるくらい分かるよ! 分かるけど!」

 突然泣き出す俺に、シィドも戸惑っているようだ。

 自分でも奇妙だとは思うが、もう止められない。

 次々とあふれだす涙、過去、想い。

 半年前、まさにこの場所で同じように俺は泣き崩れていた。

 あれからいろいろなことがあった。

 傷ついたこともあったし、倒れたこともあった。

 一体、何が悪くてこんなことになってしまったのだろう?

 そう思ったこともある。でも、答えは出なかった。出るはずもない。

 だって、誰も悪くないのだから。恋愛の世界に正義も悪もない。

 信じれらない、ありえないような組み合わせのカップルも生まれる。身分も、種族も関係ない。

 それが恋だ。

 目をそらしても、逃げようとしても、かえって傷が癒えるまでの時間が増えるだけ。

 だから……認めよう。

 失恋した俺たちにできることなんて一つしかないということを。

「……笑おう」

「笑う?」

「好きな人がそれで幸せになれるというのなら……」

 王女がそれで幸せになれるというのなら……


「笑顔で、見送ろう」


 俺の言葉が、こだまとなって魔王の間に響きわたった。

 シィドは呆然とただ俺を眺めている。

 やがて反響する声が消え、再び静寂が戻った頃、シィドは、

「馬鹿が……」

 力なく、それでもはっきりと、

「笑顔などと……そう言った貴様が泣いていては、説得力がないぞ?」

 優しく、笑ってみせた。

「はは……そうだな。おかしいな、俺」

 俺も無理やり笑い声を上げる。相変わらず涙は止まらず、顔はぐしょぐしょだけど。

 そんな俺の様子をシィドは楽しむように見つめる。

「くっ……ふふ」

 今にも消えてしまいそうなか細い笑い声。

 まるで暗闇に包まれた魔王の間に、小さな明かりを灯すように。

「は、はははっ」

 笑えば笑うほどに、自分の中の何かが溶けて消えていく。

 ああ、まるで体が軽くなっていくようだ。

 そうか。こんな簡単なことだったんだな。それなのに、ずいぶんと遠回りしてしまった。

 半年前、ここから始まった俺のクエスト。

 それが今ようやく終わったんだ。

 最も強く、そして最も身近にいたラスボスを倒すことによって――



(7)


 本当なら結婚式の後は新婚旅行に行く予定だった。

 南の島。青い海。思い切って買ってしまったちょっと大胆な水着。

 昼はめいいっぱい遊び、そして夜は……二人きりで甘いひととき……

「の、はずだったのにッ!」

「ん? 何か言ったか?」

「なんで結婚式当日にわざわざ魔界になんか足を運ばなくちゃいけないのかって言ってるの!」

 常に夜からなる暗黒世界。鼻につんとくる亜空の瘴気。どの図鑑にも載ってないような奇妙に曲がりくねった原彩色の植物たち。

 どんな格安ツアーを組んだとしても、ここを旅行先に選ぶやつはいない。

 ましてや新婚旅行!

「ええい、くそっ!」

 ウエディングドレスの裾が足に絡まって歩きにくい。それを振り払うようにずかずかと大股で歩く。

 魔王がそんなあたしの背中を慌てて追いかけながら、

「し、仕方あるまい。放っておくわけにもいかぬのだから」

 え~、え~! そりゃ、あたしだって分かってるわよ。ハネムーンと世界平和とどっちが大切かくらいは! 分かってるからこそ腹立つの!

 百歩譲って、魔界ハネムーンも有りとしよう。

 お化け屋敷のようなものと考えれば、きゃ~こわ~いとか言って彼の腕に抱きつくこともできたろう。

 でも、それは……

「せめて、二人きりだったらね……!」

 後ろからついてくる彼女をぎろっとにらむ。

 メリーはあたしの放つ殺気にビクリと震えながら、怯えるように目をそらした。

「そ、そんなこと言われましても……私だって好きでついてきてるわけじゃないんですけど……」

 今にも泣きそうな困り顔で、冒険用の杖をぎゅっと握りしめるメリー。

 うん、それも分かってる。むしろ一番の被害者は彼女のほうだろう。誰が好きこのんで友人の新婚旅行に同行したがるものか。

 だからあたしは二人で大丈夫だと言ったのに。魔王がどうしてもときかなかったのだ。

「余もソニアも攻撃タイプだからな。回復役が一人は必要だろう?」

「大丈夫よ、そんな心配! 世界一の魔法使いと魔王のコンビよ? どんなダメージを負うっていうの」

 自慢じゃないが、有史以来最強の夫婦だと思う。たとえ相手が勇者だって負ける気がしない。

「うむ、それもそうなのだが……」

 魔王は子どものように口をへの字に曲げながら、

「用心は必要だろう。ソニアにもしものことがあったら、余は生きてゆけん」

 だから、なんでこいつは……!

 そういう恥ずかしいことを真顔で言えるのよ……!

「ま、まぁ、それなら、あたしだって……」

 あたしは赤くなった顔を見られないように反対側を向いて呟く。

「あたしだって……同じ気持ちではあるけど……」

 そっと視線を戻し、魔王の様子をうかがう。魔王は嬉しそうにじっとあたしを見つめていた。絡み合う視線……

「あの……私、やっぱり帰りましょうか?」

 はっと気づくと、メリーが気まずそうに立ちすくんでいる。

 あたしは慌てて魔王から離れ、咳払いをした。

「だ、大丈夫! そういうんじゃないから!」

 いけない。気を抜くと、つい二人の世界に入り込んでしまう。今だって、もしモンスターが現れていたら襲われるまで気づかなかったかもしれない。

 スイッチを切り替えなくては! 仕事は仕事、プライベートはプライベート。

「よし、じゃあ……敵のことを教えてくれる? その二代目魔王とかいうやつについて」

「ああ、うむ。といっても、正式に二代目に任命したわけではないのだぞ。余はまだ魔王の任を降りていない。喫茶店のバイトと二足のわらじでやっていくつもりだったからな」

 両立できるか、そんなもん。

「まぁ、そこらへんは何でもいいわよ。それより、その、シィドっていったっけ? そいつはあんたが生みだしたわけね?」

「そうだ。禁断の呪法、生命創造魔方陣によってな。魔界の瘴気と余の魔力を混ぜ合わせ物質化し、さらに生命を与えたのだ」

 すごいだろうと言わんばかりに胸を張る魔王。

 あたしだって魔法使いだから、それがいかに壮絶な奇蹟かは分かる。まさに神の技法。魔王の超魔力あってこその荒業だろう。

 でも、気になるのはそんなところではなくて……

「確認するけど、本っ当に一人で生んだのね? 誰か他の女性の手を借りたりせずに!」

「もちろんだ。余の力をもってすれば一人で十分。協力者など必要ない」

 そうか……ようやく一安心だ。

 冗談じゃないからね! 結婚式当日に隠し子発覚なんて!

 胸をなでおろすあたしに気づかず、魔王は能天気に笑いながら、

「まぁ仲間や家族を増やしたくなったら余に相談しろ。最高最強の生命体を生みだしてやろう」

「冗談じゃないわよ! あたしたちの子どもは普通に作るからね!」

「ソ、ソニア……」

 メリーがなぜか顔を赤くして、あたしの袖をおずおずと引っ張る。

「あの、あまりそういうことを大声で叫ばないほうが……」

「え?」

 そういうことって……

 あたしは自分のセリフをもう一度振り返り、

「あ……」

 ようやく、その意味するところに気づいた。

「ち、違うっ! 普通に作るって、別にそういう意味じゃなくてー!」

 慌てふためきながら弁解する。メリーはそんなあたしから恥ずかしそうに目をそらし、

「あの……やっぱり私、帰りましょうか?」

「変な気をつかうなぁー!」

 あたしの声がむなしく魔界中に響き渡った。



(8)


 俺は立ち上がると、力いっぱい背中を伸ばした。よしっと気合を入れなおし、床に転がっていた竹ボウキを拾って肩に担ぐ。

「じゃ、そろそろ俺は行くよ。まぁ、シィドも頑張れよな」

 現魔王へのエール。勇者としては失格行為だろう。

 でも、もういいんだ。肩書きなんて無意味だ。

 俺はシィドを応援したいと思った。だから励ました。そんなの勇者じゃないと他人が言うのなら、別に勇者と呼ばれなくてもいい。

 これからは過去にはとらわれず、前だけ向いて生きていこう……

「ま、待て! え~っと……ロン、だったか?」

 シィドが歩きかけた俺の袖を引っ張る。すでに涙は止まっていて、無邪気な子どものような笑顔を取り戻していた。

「ロン! お前に世界の半分をやろう!」

「またかよ……」

 この質問に全部「はい」と答えてたら、今頃は地球二個分くらいになってないか?

 とにかく、何度訊かれたって俺の答えは変わらない。

「気持ちはありがたいけど、俺は魔王の仲間になる気は……」

「いや、その、仲間というかだな」

 シィドはぐっと強く俺の左腕にしがみついて、

「大魔王になってみないか?」

「……は?」

 俺が……大魔王? 魔王軍の最高幹部に?

「じょ、冗談じゃねえ! できるか、そんなもん!」

「できるさ! ロンは強い! 困難な仕事だが、お前ならやり遂げられる!」

「そういう意味じゃねえ!」

「ほら、あれを見ろ!」

 シィドが指差した先には、床に転がるガイルの体。いまだに気を失ったままだ。

 ああ、いたっけ。すっかり忘れてた。なんか勇者って職業は、存在を人に忘れられやすいのかな?

「あいつを手際よく倒すところを見ていたぞ。たいしたものだ! しかもそんな攻撃力皆無といえる武器で。ロン、魔王の才能あるぞ!」

 シィドは自信満々に言い切るが、俺は全く嬉しくない。

 まぁ確かに俺に勇者の才能はないな、とも感じていたけど……だからって大魔王かよ。

 さっきはガイルに魔王と呼ばれ、今度は魔王に大魔王と呼ばれ。俺の意思に反してジョブが無意味にレベルアップしていく。

「認めてくれるのはありがたいけどな……俺は一応、勇者なわけで……」

「もういいじゃないか、そんな無意味な肩書きは! 過去にこだわるのはやめよう!」

 俺がさっき考えたのと同じセリフで説得してきやがった。

 それはそれで正しいとは思うけれども。でも、しかし、いくらなんでも!

 勇者という名にこだわらないというのは、過去に振り回されて自分を見失うのはやめようという誓いだ。これで大魔王になったというんじゃ、何がなにやら分からない。

「とにかく、駄目なものは駄目だ!」

 たとえ質問が無限ループになったって、永遠に「はい」なんて答えるもんか!

 俺は強引にシィドの腕を振り払い、出口に向かって歩き出す。

「待ってくれ、ロン!」

 後ろから悲痛な叫び声が追いすがってくるが、俺は振り返らない。

 シィドもシィドで今は混乱しているのだろう。恋も仕事も上手くいかず、そんなどん底の状態だから見せかけの希望にすがってしまっているだけだ。溺れるものは藁をも掴む。気持ちは分からなくもないが……


「ロンが、必要なんだ!」


 ……ヒツヨウ?

 それを聞いた瞬間、心臓がドクンと高鳴った。

 たった四文字の単語が、胸に直撃し俺の足を止める。

 脳が勝手に回転し、冒険の書をめくりだす。

『ロン……』

 今までいろいろなことがあった。

『ごめん、忘れてたわ、あんたのこと』

 仲間に忘れられ、

『勇者か……そういえば、いたな。そんなのが』

 敵に忘れられ、

『先代の勇者殿は死んだのだ』

 世界に、忘れられた。

 最初の魔王が消え。次の勇者が現れ。

 俺の居場所なんて、もうどこにもないと思っていたのに。

 そんな俺が……

「今の魔王軍には、ロンの力が必要なんだ!」

 そんな俺が……必要?

「く……っ!」

 慌てて上を向き、涙がこぼれないようにする。

 いかん! 落ち着け、俺! 大魔王だぞ、大魔王! なってどうする!

 思い出すんだ、勇者になったあの日のことを。決して私利私欲に走らず、誰か他人のために戦うんだと誓ったじゃないか! その誰かって言うのが誰のことかは分からないけど、ん? あれ? 本当に誰だ? ああ、もうわからねえ! 

「え~と、まぁ、なんていうか、あれだ」

 俺はあごに手をあて、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「その……ちょっと考えさせ、」

「ロンー!」

 ばんっと勢いよく扉が開き、懐かしい声が飛び込んできた。

 ああ、本当に懐かしい。半年前もほとんど同じシチュエーションでこいつが割って入ってきたっけ……

 なぜか白いドレスに身を包み、ぜいぜいと肩で息をするソニア。鬼のような形相で俺とシィドをにらみつけている。

 さっき終わったと思った俺のクエスト……なぜか、最初からもう一度になってしまっているらしい――



(9)


「危ないところだったわね、ロン!」

 あたしはすぐさまロンの横に並び、目の前の少女と対峙する。

 なるほど、こいつが新しい魔王か……

 銀髪。長くとがった耳。妖しく輝く金色の瞳。親子みたいなものというだけあって、確かに魔王に似ている。

 もっともあたしは認めないけどね! いきなりお義母さんになる覚悟なんてありゃしないのよ!

「さぁ、いくわよ! ロン、準備はいい?」

 叫びながら杖を構える。

 まさかロンが先に来ているとは思わなかったけど、これは嬉しい想定外だ。

 ロンは誰より信頼が置ける。まぁ……戦闘力においてだけは。

 こいつとあたしのコンビならどんな敵も怖くない。半年前、二人だけで魔王のところまでたどり着くことだってできたのだから。

 あのときは結局引き分けに終わってしまったけど……でも、今回は違う!

「覚悟しなさい、新魔王! 今降参すれば、命だけは助けてあげるわよ!」

「ふんっ、何を!」

 新魔王少女は不敵に笑う。早くもボスとしての貫禄は十分。ニ対一という状況下にありながら、あまりにも余裕だ。

「覚悟するのは貴様のほうだ、人間! さぁ、大魔王よ! 今こそ共に戦おう!」

「だ、大魔王ですって?」

 なんてこと! 魔王がボスだと思ってたのに、その上がいたなんて!

 くっ! 負けるもんか! 二対ニでちょうどいいじゃない! 何が来ようと、ロンとあたしのコンビは無敵よ!

「ロン! 大魔王がいるそうよ! 気をつけて!」

「あ~、うん。いるっていうか、そのな……」

 ロンが困ったように苦笑いを浮かべながら、ぽそりと呟く。

「大魔王って……俺のことなんだけど」

「……は?」

 今、なんて?

 勇者ロン。伝説の戦士。選ばれし者。人類の守護者。それが……大魔王?

「この裏切り者があぁっ!」

 あたしはロンの胸倉を掴み、締め上げた。ロンが苦しそうに首を振る。

「お、落ち着け、ソニア!」

「バカか、あんたは! 一応、勇者でしょうが! なんで大魔王になんかなっちゃうのよ!」

「なってねぇよ、まだ!」

「まだって、なに! これからなるってこと?」

「そうじゃねえ! ただ、ちょっと考えたいかなぁと……」

「ならないなら考える必要ないでしょうが!」

 信じられない! こいつ……全然成長していないじゃん! 半年間、何やってたのよ!

 でも、一体なぜ? ロンらしいといえばロンらしいけど、らしくないと言えば、らしくない。王女に振られたときは確かにフラフラだったが、それ以外では常に不屈。物欲や権力に流されるような男じゃなかったのに、なぜ……?

「おい、貴様!」

 言い争うあたしたちに、新魔王が横槍を入れてきた。

「大魔王に何をするか! その手を離せ!」

 怒りで頬を紅潮させる新魔王の少女。

 その、大きくキラキラと輝く瞳があたしを睨み。

 透き通るような白い肌の腕を威嚇するように振り上げる。

 それにあわせてストレートの銀髪がふわりと宙に揺れた。

「……なるほど」

 そうか、そういうことなのね、ロン……

 この……

「色ボケ男があぁっ!」

 首を絞める両手にさらに力を込める。ロンの顔はどんどん青白くなっていくが、知ったことじゃない。

「なっ、ちが……っ!」

「あんたって男は! 何回、女で痛い目にあえば気が済むのよ! しかも王女の次は魔王って! 何なの、あんたの趣味は!」

「シ、シィドは別にただの友達で、好きとかそんなんじゃ……ッ!」

 必死に言い逃れようとするロン。

 信用できるか! ただの友達とか、恋愛感情じゃないとか! そう言うやつにかぎって、すでに恋に堕ちてるのよ!

 だって……あたしがそうだったから!

「冷静になりなさいよ、ロン! 確かにかわいい娘だけど! でも、魔王よ? 魔族なのよ? 人間のあんたとうまくいくはずが……!」

「お~い、ソニア~」

 唐突に全く緊張感のない、間の抜けた声が飛び込んできた。

 思わずあたしは言葉を詰まらせる。

 しまった……こいつがいたか……!

「やっと追いついた。一人で先に進みすぎだぞ、ソニア」

 小走りで部屋に入ってくると、あたしの肩に手を置きながら、

「夫婦は二人三脚だというのに。結婚式当日からこれでは、これからの結婚生活、先が思いやられるな」

 と、楽しそうに笑いかけてくる……魔王。

「……え?」

 ロンが目を丸くしながら、あたしと魔王の顔を交互に見比べた。

「ちょっ、ちょっと待て、ソニアって……?」

 あたしは顔をそむけ、コホンと咳払いをする。

「ま、まぁ、人間と魔王がうまくいくかは置いとくとして……」

「ソニアアッ?」

 そういえばロンにはまだ伝えていなかったっけ……

 でも、なんでよりによってこのタイミングで!

 ああ、こんなことなら、ちゃんと結婚前にやっておくんだった、身辺整理……

 魔王と新魔王と大魔王。

 魔王だらけの最終決戦が始まろうとしている――



(10)


「ハアアァッ……!」

 シィドの右手がどす黒く染まっていく。着火線に火のついた爆弾を前にしたような緊張感。集中した魔力が爆発寸前に凝縮していくのが分かる。

「待ってくれ、シィド!」

 俺は思わずソニアの前に両手を広げて飛び出した。

「だ、大魔王?」

 そんな俺に、シィドが目を丸くする。前に掲げた右手がピタリと止まった。

「大魔王……そういうことなのか?」

 憎しみを込めた涙ぐんだ瞳で、訴えるように叫ぶ。

「しょせんは人間! 人間の味方をするのか! 裏切るというのだな、貴様も!」

「そうじゃない!」

 ソニアはかつての冒険仲間。そしてシィドは失恋仲間だ。

 どちらが大切で、どちらを守ればいいかなんて選べない。

 ただ俺は、これ以上誰かが傷つくのが嫌なだけだ!

「落ち着いて話し合おう。確かに魔族にとって人間は敵かもしれない。でも魔族にいろんな奴がいるように、人間にだっていろいろいるんだ。なかにはいい奴だって、」

「ロン! 邪魔よ、どけっ!」

「いっでえ!」

 突然、後頭部に激痛が走る。う、後ろは完全に無防備だったぜ……

 痛みにもだえながら振り向くと、狂気めいた笑顔を見せるソニアの姿。

 その右手はシィドとは対照的な白い光に包まれていた。下から照らされる光によって、余計に禍々しく見えるソニアの笑み。

「ふふふ……戦い? 上等じゃない。もとよりこっちだってやる気満々なのよっ」

 そして輝きを放つ指をビシッとシィドのほうへと向けながら、

「あたしの結婚式で新郎の血を流させた罪! 万死に値する!」

 結婚式で新郎流血? うわ、シィド、そんなことしたのかよ。そりゃソニアが怒るのも無理はない。無理はないとは思うが……

「なぁ、過去の過ちは水に流してさ、どうせ争いは何も産み出さな……」

「面白い、人間の小娘風情が! 魔王の力を思い知らせてくれる!」

「そっちこそ! 稀代の天才魔道士ソニア様の力を見せてやるわ!」

 聞いちゃいないよ、この二人。話し合うという概念はないのか?

 二人の狂戦士は同時に詠唱に入り、同じタイミングで高らかに呪文を唱えた。

「サンダガーッ!」

「マハラギオンッ!」

 解放された魔力がお互いに向かってほとばしる。まるで黄金色に輝く二匹の竜。その神々しさに恐怖も忘れて見とれてしまいそうだ……

 と、急に肩をぐいっとつかまれ、俺の体は後ろに引きずられた。

 直後、耳をつんざくような爆音とともに、俺の視界が真っ白に染まる。

「うわっ!」

 轟々と部屋中を吹き荒れる嵐にさらわれて、自分の叫び声も聴こえない。爆ぜた石畳のかけらがビシビシ体に当たっていく。

「いで、いでっ!」

「大丈夫か、勇者」

 ようやく視力と聴力が戻ったとき、隣から聴こえてきたのは穏やかな低い男の声だった。

「あ、魔王」

 まだ少しぼやけた視界の中で、魔王が呆れたように立っている。やれやれとため息をつきながら、

「まったく、何をどうしたらこうなるのだ? 貴様は状況をかき乱す天才だな」

「そんなつもりはないんだけど……」

 むしろ平和を守る側のつもりだったんだけど。

 部屋の中央に目を移す。ソニアとシィドがお互いに両手から魔力を放ち合って対峙している。ぶつかり合った魔力は真ん中で巨大な線香花火のようにバチバチと白い火花を発していた。二人とも相手の圧力に汗ばみながらも、一歩も退く様子を見せない。

「やるな、人間風情が……っ!」

「ま、まだまだ……これからよ!」

 闘志をパワーに変えて戦い続ける二人。

 二人の女の子が俺を取り合って争い合っている、と考えれば、これはかなりおいしいポジションかもしれないが、そんな呑気なことも言ってられない。そもそも二人が求めてるのはかたや勇者、かたや大魔王であって、決して『ロン』ではないのだから。

「おい、呆けるな。もっとさがらぬと危ないぞ」

 魔王に腕を引かれて俺は後ろに下がる。直後、俺のいた場所を飛び散った魔力の一波が直撃する。危ない。このレベルの戦いになると、こんな飛沫ですら大やけどだ。

 このエネルギーを平和のために有効利用したら、とてもいい世の中になると思うのに。なんで、こんな……

「ところで、魔王。お前、助けに入らなくていいの?」

 俺が問いかけると、魔王は困ったように「むぅ……」とうなった。

「助けたいのは山々ではあるが、片方は妻。片方は娘。どちらを助けていいのか分からん」

 ああ、その気持ち、すっげぇ分かる。

「あ、妻って言えば……魔王、ソニアと結婚したんだって? おめでとう」

「うむ、ありがとう」

 律儀に頭を下げてくる魔王。こんな状況だというのに、嬉しそうに頬が緩んでいた。

「貴様も結婚式に呼んだのだぞ? しかし、消息がつかめなくてな」

「ああ、俺は冒険の旅を……っていうか、お前を探してたんだよ!」

「そうだったのか? それは悪いことをしたな」

「いや、もう今さらだし、いいけど」

 結婚式で魔王に会ったとしても、どうにもならなかったろうしな。さすがに式の最中に新郎に斬りかかるような無粋な真似はできない。新婦……ソニアがかわいそうすぎる。

「しっかし、魔王とソニアが結婚ねぇ……」

 言っちゃ悪いけど、趣味がわかんねぇな。まぁ、こういうのは他人が口出しするようなもんでもないんだろうが。しかしよりによって、なんでこんな相手を……

 暴力的で、非常識で、情緒のかけらもない。

 そんなソニアのどこを好きになったんだろうな、魔王は?

 俺、一緒に冒険した仲だけど、一度もそんな気にならなかったけどなぁ……

「一度新居にも遊びに来てくれ。一軒家を購入したのだ。先々のことを考えて、ちょっと広めのやつをな」

 この迷子になるほど大きな魔王城に住んでたやつが、一軒家を広めとか言うか?

 さすが魔族。ここらへんが人間の常識とはかけ離れてるぜ。ソニアに惚れた理由もそこらへんにあるのかな。

「ま、そのうちな。でも、その前に……」

 俺は再び視線を部屋の中央に戻す。

「こっちをなんとかしないとなぁ」

 二人の戦いはさらに熾烈を極め、さらにヒートアップし、そしてそのレベルは究極的なまでに、低くなっていた。

「いだだだだっ! くそ、この!」

「ひゃっ! ひゃなひぇ!」

 シィドの手がソニアの髪をつかみ、ソニアの手がシィドのほっぺたを引っ張る。

 もはや子どもの喧嘩だ。どうやらお互いに魔力を消耗しきってしまったらしい。だったら、やめりゃいいのに。

「戦いとは……愚かなものだな」

 ポツリと呟く魔王に、俺はうなづき返した。

「うん。何も産み出さないよな」

 俺たちは同時にため息をつき、そして顔を見合わせ、同時に笑った。

 皮肉なもんだ。最後にようやく意見の合った相手が、昔の仲間でも今の仲間でもない、敵である魔王だったとはな。

「ま、なんつーか、あれだ、お前ら……幸せにな」

 それは俺の心からの願い。結局魔王を倒すことも世界を救うこともできなかった俺だけど、一組の夫婦の幸せに貢献できたんだと思えば、まだ救いがあるから。もしかしたらそれは世界平和よりも大切な……いや、世界平和そのものなのかもしれない。

「うむ。勇者も、あ、大魔王だったか? とにかく、いろいろあるとは思うが、頑張れ。応援しているぞ」

「おう、サンキュー」

 どちらから言い出すでもなく、俺たちは自然と握手をしていた。無言のまま交わされた握手は、どんな言葉より雄弁だったと思う。

 何度も何度も引き分けを繰り返してきた俺と魔王の戦いは、こうして幕を閉じた。

 最後の最後まで引き分けだったけど。

 でも、幕は閉じたのだ。



(11)


「やれやれ……」

 ようやくと元の町に到着です。なんか、もう疲れました。体力的にというより、精神的に。

 私は視線を地面に落とし、その下にいるはずのソニアと魔王さんに想いをはせました。もう戦いは終わってる頃でしょうか?

 さすがに責任を感じます。魔王城ではぐれたときにドサクサ紛れで一人帰ってきちゃうなんて。

 まぁ大丈夫ですよね。人間界最強の妻と魔界最強の夫。もともと私は必要なかったんです。戦力的にも……ポジション的にも。

「……何やってるんでしょうね、私は」

 そりゃ私はシスターですし。世界が幸せで愛にあふれているのは喜ばしいことなのですけど。

 な~んか、ここまでくると微妙~っていうか……複雑な気分ですね。女友達が自分より先に結婚するというのは。

 ハァ……と思わずため息が漏れてしまいます。

 あ~あ、どこか遠くに行きたい気分。ソニアの結婚により、あたしもフォロー役からお役御免です。本当に旅に出ちゃいましょうか。巡礼の旅とか適当な理由つけて。

 どうせ私がいなくなっても、誰も困らないし……

「あれ?」

 教会まで戻るとなぜか黒山の人ごみ。結婚式のお客さんがまだ残っているというわけでもなさそうです。ざわざわとあわただしく、殺伐とした雰囲気。

「メリー殿!」

「はい?」

 そのうちの一人が私を見つけて駆け寄ってきました。ドレスの裾を持ち上げ、慌てていながらも上品さを保ったその仕草。

「ちょうどいいところに戻ってきてくれました、メリー殿!」

「王女様! えっと、この騒ぎは一体?」

「実は怪我人が出たのです。並みの回復魔法では役に立たぬほど、重傷で!」

 王女様が私の手を握り締めます。全幅の信頼とともに。

「メリー殿がいてくれてよかった! さぁ、助けてやってください!」

「ま、任せてください!」

 おお、神様はやっぱり見ていてくださいました! こんな活躍の場を与えてくれるなんて!

 これですよね、これ! 傷を癒し、弱きを救う! これこそ私のポジションであり、役目ですよ! ソニアには悪いけど、私の居場所は向こうではなく、こっちですね!

「で、その怪我人というのは、どういう?」

「はい、実は二代目の勇者殿で……魔王との決戦に敗れ、傷を負ってしまったのです。一度は気絶もしたけど、隙を見て逃げ出したとか」

 高揚する心が一気に冷めました。

 ま、魔王が相手? それって、まさか……

「あの、ちなみに、その魔王って……性別は?」

 おそるおそる問いかけると、王女様は不思議そうに首をかしげながら、

「はい? もちろん、男といってましたよ? 女の魔王などいるのですか?」

 あっちゃ~! つまり、シィドとかいう新魔王ではなく、エルニードさんにやられたってことですか……

 勇者を半殺し。さすが魔王さん。でも、もうちょっと手加減してあげてくださいよ。

「さぁ、急いでください! 勇者殿は依然やる気満々で! 満身創痍のまま再戦に向かうと言ってきかないのです! 今度こそ魔王を打ち倒すと!」

「ええ~っと、何と申しますか……」

 王女様がぐいぐいと私の手を引きますが、私は一歩も前に踏み出せません。

 困ったことになりました……その二代目の勇者さんを回復させて再び魔王さんと対峙させたら、今度はどうなるか分かりません。次は半殺しじゃなくて全殺しかもしれませんし、万が一勇者さんのほうが勝ったら、それこそ最悪です! ソニアがいきなり未亡人に!

「え~っと、あのですね、か、回復は、その、ちょっと、できかねる、といいますか……」

「できない? ど、どういうことですか、メリー殿?」

 問い詰めるように私の肩をつかむ王女様。私は必死に目をそらしました。

 本当の理由は話せません。「魔王さんに死なれたら困るから」なんて言ったら、私は国賊ですよ! シスターとしてあるまじきことですが、ここは適当な嘘で切り抜けるしか!

 はうぅ~、なんで私がこんな目に~! これが義理と人情の板ばさみですか! 

「そのですね、実は私も魔界から戻ってきたばかりでして、そこでいっぱい魔法を使いまして、もう魔力からっぽというか……」

 神様、ごめんなさい、ごめんなさい。後半は大嘘です。実際には魔法なんて一度も使ってません。なにしろ一緒にいたのはソニアと魔王さんですから。回復魔法なんて使う機会なかったんです。

「な、何とかならないのですか?」

「すみません、こればっかりはどうにもこうにも……」

 すみません。本当にすみません。

 そりゃ私だって人間としてシスターとして助けてあげたいとは思いますけど、でもソニアを裏切るわけには……

「お願いします! メリー殿にしかできないのです!」

「……私にしか?」

「はい! メリー殿が必要なんです!」

 ヒツヨウ……

 それを聞いた瞬間、心臓がドクンと高鳴りました。

 たった四文字の単語が、胸に直撃します。

 魔王さんに頼まれ、二人と同行することになりました。でも最強の二人が仲間では、回復役の私が役に立つはずもなく。むしろ新婚夫婦にくっつくただの邪魔者。馬鹿馬鹿しくなってこっそり帰ってきてしまったけど、気づかれてすらいないかもしれない。

 冒険も終わり、結婚も終わり、もう私が必要とされる場面なんてないと思ってたのに……

 そんな私が……必要?

「か……回復……やってみましょうか?」

 思わず口にすると、王女様が嬉しそうに私の手を握ります。

「本当ですか! ああ、さすがはメリー殿! あなたがいてくれて助かりました! まさに聖母です! 救世主! シスターの鑑ですね!」

 はぅあ! や、やめてください! そんなに褒められたら、私……!

「ま、任せてくださいっ!」

 力強く叫び、どんと力強く自分の胸を叩きます。

「どんな大怪我だろうが、ちょちょいのちょいですよ! 私は世界最高のシスターですから!」

「ありがとうございます! では、さっそくお願いしますね!」

「は、はい……」

 安心したような王女様の笑顔と、私の引きつった笑顔。

 し、しまった……つい調子に乗って、選んじゃいけない選択肢を選んじゃったような……? だって、こんなにも人から必要とされることって久しぶりで~!

 教会に向かって走る王女様。その背中を追いかけながら、私はふっと空を見上げました。静かに小さく胸の前で十字を切ります。

「アーメン」

 願わくば、魔王さんが負けたりしませんように……

 大丈夫だとは思うんですけど。いや、絶対大丈夫ですよね。大丈夫に決まってますよ!

 勇者に負けたりしませんよね! 魔王さんは強いし、それに……

 それに、一緒に戦ってくれる人がそばにいるのですから!

「はぁ……」

 人間の真の敵って、魔族でも悪魔でもなく、己の心の弱さなのかもしれませんね……ってことで、納得してください、ソニア。



(12)


「ぶわっ!」

 突然発生した煙幕に俺はむせかえる。部屋中が真っ白な煙で充満し、自分の鼻先も見えない。

「な、何事だ!」

 すぐ隣からゴホゴホと咳き込むシィドの声。

「ええいっ、卑怯者め、姑息な手段を! どこにいる! 姿を現せ!」

 白い視界の向こうで、シィドの影だけがおぼろげに見えた。ブンブンと手当たり次第に腕を振り回して暴れている。下手に駆け寄ったら、俺が殴られかねない。代わりに俺は手探りで壁をたどり、窓を開けることにした。

「ふぅ……」

 窓を開けた瞬間、部屋に吹き込む一陣の風。魔界特有の湿った風だが、それでも十分。部屋の中の空気を一掃し、煙を外に吹き払ってくれる。徐々に視界もクリアになっていった。

 ボコボコに荒れ果てた部屋。その中央で立ちつくし、キョロキョロと辺りを見回すシィド。ソニアと魔王の姿は……ない、と。

 よしよし、無事逃げ出してくれたか。

 あ? 気がつけば、二代目勇者もいなくなってるぞ。俺に気絶させられて、そこらへんの床に転がっていたはずなのに。自分で目覚めて脱出したのかな? 魔王が気をきかせてソニアと一緒に連れ出してくれたとも思えないし。ま、いっか。あいつとの勝負はついたんだ。もう戦うこともないだろうし、関係ない。

「くそっ! 逃げられたか!」

 シィドがギリッと唇を噛みしめながら床を叩く。

 どうせあのまま戦い続けても決着はつかなかったと思うが……まぁ悔しい気持ちは分からんでもない。「魔王城からは生きて帰れぬ」とか言ってたのに、ソニアに魔王に二代目勇者。全員が生還しちゃってるんだからなぁ。

「大魔王ロンよ!」

 俺の姿を見つけると、瞳に悔し涙をたたえながら、力いっぱい頭を下げてきた。

「すまぬ! 私が不甲斐ないばっかりに、人間の女一人に遅れをとるとは!」

「あ~、まぁ気にするな。あいつ、人間の中では一番強いから」

 正直言って俺でも勝てるかどうか。戦闘力もさることながら、闘争心が並みじゃない。あいつ、なんで魔法使いなんかやってたんだろう。もっとふさわしい職業があったと思うが。戦士とか。勇者とか。魔王とか。

「お」

 窓の外に目をやると、地平線スレスレの位置に、まさにその最強少女の姿。遠すぎて小さな点にしか見えないけど、白いドレスを着ているのは分かる。隣には同じく白服の男。どんな魔法を使ったか知らんが、よくも一瞬であそこまで。さすが魔王だ。

 最後に手でも振ってやるか。シィドと一緒に。シィドだってもう魔力空っぽなんだし、さすがに追いかけようとは言わないだろう。

「おい、シィド。あそこに……」

 振り向いて、俺はぎょっと言葉を止めた。

「く、ううぅっ!」

 床にうずくまりながら、ボロボロと涙を流すシィド。俺は慌てて駆け寄った。

「ど、どうした? 大丈夫か? 怪我でもしたか?」

「ちが、うっ……!」

 泣きじゃくりながら、強く首を振る。その勢いで涙が雫となり、床に小さな染みを作った。

「やはり……駄目なんだ、私は。私ごときの力では敵一人倒すこともできない。もう駄目だ……駄目魔王なんだッ!」

 駄目魔王、か……

 それをいうなら、あいつ、エルニードのほうがよっぽど駄目魔王だろう。なにしろ敵を倒すどころか結婚してしまっているのだから。

「でも、あいつは……」

 思わず独り言を漏らしながら、再び視線を窓の外に移す。

 はるかかなたに見えていた二つの白い点は、いつの間にか重なり合って一つになっていた。薄暗い空と赤茶けた大地の中で、その一つの点はどこまでも白く、輝いて見える。まるで暗黒の夜空に光る一番星のように。

「あいつは……敵一人倒すこともできなかったけど、一人を最後まで守りとおした」

 もしかしたら、それが一番正しい方法なのかもしれない。

 俺は今まで世界平和のために戦いながらも、その具体的なところを何も理解していなかった。

 もしも世界中の人間全員が誰か一人を守れれば、理論上世界中の人間が幸せになれるってことじゃないか。

「シィド……」

 自分の無力さを呪いながら泣き崩れるシィド。まるで過去の自分を見ているようだった。ただ強大な力を求め続けていた昔の俺。それが世界を救う唯一の手段だと信じて。

 誰か一人。たった一人を守れれば、それでよかったのに。

「あ」

 ふと床の上に転がる花束を見つける。

 ソニアか魔王が結婚式で使った物だろうか? ドタバタしている間に落としていったらしい。

 十輪ほどの花で彩られた白くて小さなブーケは、このボロボロの部屋にはあまりに不釣合いで。それでいて、用意されたようにぴったりだとも感じた。

 俺はブーケを拾い上げ、そっとシィドに差し出す。

「ロン?」

 涙でぐしょぐしょになった顔で、不安そうな声をあげるシィド。

「泣くな」

 俺も魔王エルニードのように恋人や妻を守れればそれが一番よかったけど、残念ながら俺にはその運も才能もない。

 だからせめて、一人ぼっちで泣く目の前の少女を救ってやりたいと思った。

 それが俺の冒険の目的につながっていると、今は信じられる。

「大丈夫。シィドは俺が守るから」

「あ……」

 シィドはしばらく俺の言葉に戸惑ったあと、おずおずとブーケを受け取る。花束をぎゅっと胸に抱きしめながら、

「……ありがとう」

 かすかにだけど、ようやく微笑んでくれた。ただそれだけのことが、今は何より大切だと感じられる。

 世界を救う冒険の旅を、俺はここから始めてみよう。

 この小さな花のような笑顔を守るところから――



(13)


「あれ?」

 あたしは声を上げてキョロキョロとあたりを見回した。

 部屋が消えている?

 さっきまであったはずの壁が消え、場所は荒涼とした大地に変わっていた。頭上には天井の代わりに曇り空。

 地平線の近くに魔王城の姿が見える。あれほど巨大なお城がここから見ると手のひらサイズ。あれ? あたし、今まであそこで戦ってたはずよね? それが突然白い煙に覆われたかと思うと、こんな遠くに……

「ふぅ、何とかうまく逃げ出せたな」

「ま、魔王!」

 振り向けば魔王が地面に足を放り投げて、座り込んでいた。

 逃げ出せたって……まさか!

「あんたがやったの? あの煙は!」

「うむ。緊急逃走用空間歪曲魔法といって、いだだっ!」

 そんな説明はどうでもいい! あたしは魔王の耳をつねりあげる。魔王ともあろう者が敵前逃亡なんて情けない!

「余計なことしないでよ! もう少しであの新魔王にとどめをさしてやれたのに!」

 キッと顔を上げ、かなたにそびえる魔王城を睨む。

 ちくしょう、魔王シィドめ。今ごろは逃げ出したあたしたちをあざけって高笑いしているに違いないわ! 待ってなさいよ! 何度だって立ち上がり、戦ってやるんだから!

 歩き始めたあたしの右手を、魔王が後ろからつかんで引き止めた。

「待て待て。シィドなら放っておいても大丈夫だ」

 根拠があるんだかないんだか、自信満々に断言する。

「なにしろ勇者が一緒だからな」

「余計、不安よ!」

 何度も戦っているくせに、あんたロンを過大評価しすぎ! ロンと美人の新魔王。考えてみたらこれほど最悪の組み合わせもない。

「どうすんのよ、あいつらが魔王軍を再統率して攻め込んできたら!」

「ああ、それも大丈夫だろう」

 魔王は再び自信たっぷりに胸を張りながら、

「ソニアのことだけは、余が命に代えても守る」

「ば、馬鹿! そういうことを言ってるんじゃなくて……!」

 世界を守る、くらい言えないのかしら、この甲斐性なしめ! まぁ、正直……

 視線をおろすと、強く繋がれたあたしの右手と魔王の左手。

 そんなに悪い気は、しないけど……

「しょ、しょうがないわね!」

 あたしはフンと鼻を鳴らし、方向を百八十度転換する。そのまま家へ向かって歩き出した。そのまま……二人の手は繋いだままで。

「じゃあ、今回は帰るけども! いずれは攻め込んでって、ぶっ倒すわよ! あのエセ魔王とエセ大魔王に真の魔王が誰かってことを教えてやるんだから!」

「真の魔王って……ソニアか?」

「あんたでしょうが! 馬鹿!」

 こいつはどうしてこう能天気なのかしら。転職するのとは訳が違う。自らのアイデンティティーの危機だというのに。

 あたしの思考が通じたのか、魔王は何でもないことのように、

「ああ。もう余は魔王という役職に未練はない。それ以上に大切な、ソニアの夫という役職ができたからな」

 そう言って、照れもせず満足そうに微笑む魔王。

 いや、もう、魔王、じゃなくて……

「エルニード」

 小さく名前を呟くと、魔王……エルニードが驚いたように目を丸くする。

 ただ名前を呼ぶだけなのに、やけに恥ずかしい。あたしは大慌てで弁解した。

「な、なによ! 文句あるの? あんたが魔王なんて肩書きどうでもいいって言ったんでしょ!」

「ああ……うむ、構わん。むしろそちらの方がよい。今後職業がどうなろうと、名前は変わらないからな」

 変わらない。

 ただそれだけの言葉が、急にあたしの心を落ち着かせる。

 変わらない。

 エルニードも。繋いだ手も。あふれるこの想いも。

 結婚する前も、結婚した後も、未来永劫変わることはない。

 不安に揺れたこともあったけれど、今は確かに信じられる。

 この手を離さないかぎり、何があってもきっと大丈夫。

「む。灯がついたな」

「え?」

 エルニードの視線を追って振り返ると、魔王城がほのかに明るく輝いていた。

 あのシィドって娘がつけたのか。城の窓から漏れる柔らかな灯。まるで周りを取り囲む暗黒に負けまいというように、健気に光っている。なんだか、せつなくなるくらいに。

 繋いだ手からエルニードの温もりを感じつつ、あたしは呟く。

「あたしたち、あそこで出会ったんだよね」

「ああ、懐かしいな」

 魔王城。最終にして最初の決戦の場所。

 全てはあそこから始まったんだ。

『余の仲間になれ。世界の半分をやろう』

 今でもはっきりと覚えている魔王エルニードの問いかけ。あのときはうやむやになってしまったけど、今なら自信を持って答えられる。

『いいえ』と。

 世界の半分をもらったって、その半分にあなたがいなければ意味がない。

 分け合わなくていい。境界線も必要ない。

 あたしたちはずっと一緒なんだから。

 二人の生活。二人の人生。二人の……

「エルニード」

「ソニア」

 お互いの名前を呼び合う。それはあたしたちにしか聴こえない小さなささやき。

 でも、それで充分。

 だって、他には誰もいない。

 ここは、あたしたちだけの世界。

 二人の、世界――



<最終話 終>

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