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【連載版】ドアマット王女は静かに扉を……吹っ飛ばした! 旧作4万PV突破  作者: 猫が寝転んだ
第一章 扉を吹っ飛ばす

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第一話 ドアマット王女

3万8千PV突破の短編の連載版です!


第一章は旧前後編に加筆・修整したものです。

読み飛ばしていただいても、旧作をご存知の方は話の展開が解ると存じますが、どこが違っているか、楽しんていただければ幸いです。

「……たす、けて……」


 かすれた声は、自分でも聞き取れないほど弱かった。

 

 ユリは冷たい床の上に横たわったまま、なんとか体を起こそうとした。


 しかし、少し肩を動かしただけで激しい痛みが走り、思わず息を呑む。


 胸の奥がずきずきと痛み、呼吸をするだけでも苦しい。


 口の中には血の味が残っていた。

 どれだけ時間が経ったのか分からない。


 窓のない物置は薄暗く、人の気配もない。


 助けを呼びたかった。

 けれど、大声を出せるだけの力が残っていなかった。


 このままでは死んでしまう――


 九歳の少女にも、そのことだけは分かった。


 だからといって、どうすることもできない。


 ユリは重くなる瞼を必死に開きながら、ぼんやりと天井を見つめた。



 ◇



 アンジファー王国。


 豊かな平野と穏やかな気候に恵まれた王国である。


 周辺諸国との関係も安定しており、長らく大きな戦争は起きていない。魔物による被害も少なく、騎士団が総動員されるような事態は何年も発生していなかった。


 王都には各地から商人が集まり、人々は明日の暮らしを心配することなく日々を送っている。


 王家もまた同様だった。

 危機に追われることなく繁栄を続けた結果、王宮は平和に慣れきっていた。王や重臣たちは政務に追われてはいるものの、国家の命運を左右するような難題に直面する機会は少ない。


 それは幸せなことだったが、一方で目の届きにくい場所への関心を薄れさせる原因にもなっていた。


 そして、その王宮では多くの使用人が働いている。

 広大な王宮を維持するためには、人手が欠かせないからだ。


 料理人は毎日の食事を用意し、庭師は庭園を整える。掃除係は廊下や部屋を磨き上げ、洗濯係は山のような衣類を洗う。 


 華やかな王宮を支えているのは、そうした人々の日々の働きだった。



 ユリも、その一人だった。


「ユリ、その桶を厨房まで持っていって!」


「はい!」


 呼ばれると、ユリは即座に返事をした。


 井戸から汲み上げた水が入った桶は決して軽くない。それでも両手でしっかりと抱え、何度も厨房まで運んでいく。


「ほら、もたもたしてるんじゃないよ。洗濯場で手が足りないってさ。さっさとお行き!」


 一息つく間もなく、今度は洗濯場へ向かった。


 洗濯場では、布巾やハンカチなどの小物が次々と運び込まれてくる。


 言われるままに干し続け、ようやく片付いた頃には日も高くなっていた。


 すると今度は、エプロンやシーツといった大物を取り込む作業が待っている。


 だが、ユリはそれを不満には思ったことはない。


 働かなければ食べていけない。

 幼い頃からそう教えられ、実際にそうして生きてきたからである。


 物心ついた頃には、使用人部屋の近くにある物置で一人で暮らしていた。


 食事は粗末で量も少なかった


 昼食は最初から与える気などないようで、忙しい日には夕食すら忘れられることがある。


 空腹に耐えきれず、厨房で処分される残飯を漁ったことも一度や二度ではなかった。


 そのため栄養状態は良いとは言えず、九歳になった今でも五、六歳ほどにしか見えない。


 細い手足に、小さな体。淡い銀色の髪は手入れもされないまま背中へ流れ、窓から差し込む光を受けると白銀にも見えた。長い前髪の奥には、晴れた空を思わせる青い瞳が静かに覗いている。


 母親は幼い頃に亡くなったと聞いている。


 三歳頃までの記憶は曖昧だった。


 それ以降は使用人たちの支度部屋で寝起きし、その場にいる誰かが気の向いた時だけ世話をしていた。


 物心が付く頃には雑用を任されるようになり、成長するにつれて仕事は増えていった。


 誰かに育てられたという実感はない。

気付けば下働きとして働くことが当たり前になっていた。


 父親については何も知らない。


 文字の読み書きもほとんどできなかった。


 だが、それを不思議だと思ったことはなかった。


 周囲の使用人にも孤児や貧しい家庭の出身者は多い。自分もその一人なのだろうと、疑うことなく受け入れていたのである。


 もちろん、それは事実ではない――


 ユリの本当の名前は、ユリアナ・ド・アンジファー。


 彼女はアンジファー王国の第十三王女だった。


 本来なら王族として教育を受け、宮廷作法や学問を学びながら育つはずの立場である。


 しかし、母である第七側室はユリアナを産んだ後に亡くなった。


 さらに養育を任された侍女頭が教育費や生活費を横領した結果、ユリアナは王女として育てられる機会を失ったのである。


 王宮の記録から名前が消えたわけではない。


 ただ誰も確認せず、誰も気に留めなかった。


 その結果、ユリアナは王宮の片隅で下働きの少女として成長していた。


 そして本人だけが、自分の本当の身分を知らないまま九歳になっていたのである。


 ◇


 昼過ぎのことだった。


 与えられていた仕事をひと通り終えたユリは、中庭近くの廊下を歩いていた。


 次の呼び出しまで少し時間がある。


 厨房へ行けば、捨てられるはずだったカビたパンの切れ端くらいはもらえるかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていると、前方から数人の人影が近づいてきた。


 豪華な衣装に身を包んだ少年と少女。

 その後ろには護衛や侍女が付き従っている。


 高位貴族であることは一目で分かった。


 ユリは慌てて廊下の端へ寄り、ひざまずいた。

 余計な存在として目に留まらないようにするためである。


 だが、足音はそのまま通り過ぎてはくれなかった。


「ねえ――」


 少女の声が響く。


 ユリは顔を上げない。


 相手が誰であれ、自分から視線を向けてよい立場ではなかったからだ。


「その子、見慣れない顔ね」


 王女はユリアナを見て眉をひそめた。


「ずいぶんとみすぼらしい格好をしているけれど――」


「おそらく下働きの者かと」


 侍女が答える。


「この辺りを通ることはあまりありませんが、立ち入りを禁じられているわけではございません」



 第五王女はその返事を聞きながら、黙ってユリを見下ろした。


 着ている作業着は何度も繕われている。

 身体つきは年齢より幼く見え、頬も痩せていた。


 王宮の雑用を担う子供としては、決して珍しい姿ではなかった。


 だが、その日の第五王女は機嫌が悪かった。


 隣に立つ第四王子も同様である。


 春の宮廷夜会を目前に控え、二人は連日のように教育係から作法や振る舞いについて指導を受けていた。


 社交界デビューへの期待はあったが、そのための地道な訓練は退屈でしかない。


 積み重なった不満は行き場を失っていた。

 そして、その矛先がたまたまユリへ向いただけだった。


「顔を上げなさい」


 命じられ、ユリは恐る恐る顔を上げた。


 第四王子が鼻を鳴らす。


「なんだ、その顔は」


 ユリには意味が分からなかった。

 呼ばれたから従っただけである。


「……申し訳ありません」


 ユリが頭を下げると、なぜかそれが気に入らなかったらしい。


「誰も謝れとは言っていないだろう」


 第四王子は眉をひそめた。


 ユリは慌てて口を閉ざす。

 何が正解なのか分からなかった。


 だが、そのおどおどした様子すら、今の二人には癇に障った。


「まったく、どういうつもりよ」


 第五王女が呆れたように言う。


「まるで私たちが何かしたみたいじゃない」


「本当だな」


 第四王子が鼻で笑う。


「なら、望み通りしてやろうじゃないか」


 ユリは困惑した。

 何が悪かったのか分からない。


 だが、考える時間は与えられなかった。


 次の瞬間、第四王子の足が腹部へ突き刺さった


「っ――!」


 息が詰まり、小さな身体が床へ転がった。


「殿下――」


 護衛が声を上げる。


 だが第四王子は気にしなかった。


「立て――」


 命じられ、ユリは震える腕で身体を起こそうとする。


 その肩を今度は第五王女が蹴りつけた。


 ユリの身体は横へ弾き飛ばされ、体勢を立て直すこともできず石畳の床へ叩きつけられる。


 頭部を強く打った衝撃で目の前が揺れる。

 何が起きたのか理解するより早く、痛みだけが全身へ広がっていった。 


「殿下、もうおやめください」


 今度は侍女も口を挟んだ。


 ユリの額からは血が流れている。

 顔色も急速に悪くなっていた。


 第五王女はその様子を見て顔をしかめた。


「服に血が付いたわ。汚らしい」


 興味を失ったような声だった。


「どうせ、立てるだろう。放っとけ――」


 第四王子は興味を失ったように言い捨てる。


 二人はそのまま踵を返した。


 護衛と侍女たちは顔を見合わせたが、結局は主人の後を追う。


 廊下にはユリだけが残された。


 小さな身体は床に倒れたまま動かない。


 石床へ広がる血だけが、ゆっくりとその場に残っていた。

お読みいただきありがとうございました。

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