第2話:サクラピンクの少女
「ひっ、ひいいいっ!? 来るな、来るなぁぁ!」
大森林の静寂を切り裂いたのは、残された刺客たちの情けない悲鳴だった。
一撃で仲間を肉片寸前まで叩き伏せられた彼らは、もはや戦意など塵ほども残っていなかった。尻餅をつき、泥にまみれながら、必死に四つん這いになって森の奥へと逃げ出していく。
「……やれやれ。追いかけるのも面倒だし、放っておくか」
俺は追撃する気も起きず、大きく息を吐き出した。
ものぐさな俺にとって、逃げる者を追いかけるほどのエネルギーは持ち合わせていない。それよりも、これからこの大森林でどうやって寝床を確保するかのほうが重要だった。
「さて、どこか雨風をしのげる洞窟でも探すとするか……」
そう呟き、鬱蒼と茂る木々の中へと歩みを進めた、その時だった。
(──ッ。……今度はあっちか?)
並外れて敏感な俺の五感が、風に乗って微かに届いた「異変」を察知した。
複数の人間の足音、金属が擦れ合う不快な音。そして──幼い少女の、押し殺したような泣き声。
状況把握の早い俺の脳内が、瞬時に大森林の現状を弾き出す。
帝国がわざわざ追放先に選ぶほどの危険地帯だ。まともな人間がいるはずがない。いるとすれば、それは──。
「奴隷狩り、か。本当に、胸糞悪い連中だな」
昔から宮廷の歪んだ常識には辟易していたが、外の世界も大して変わらないらしい。
いつもなら「面倒ごとには関わらない」のが俺のモットーだ。だが、どうにもその少女の泣き声が、耳の奥にこびりついて離れなかった。
「……はぁ。寝床探しの前に、少し寄り道するか」
自分の甘さに内心で苦笑しながら、俺は音のする方向へ、音もなく疾走した。
◇
大森林の開けた一角。
そこでは、下卑た笑い声をあげる五人の男たちが、一人の少女を囲んでいた。
男たちが身に纏っているのは、帝国の正規兵ではなく、裏社会で生きる「奴隷狩り」の荒くれ者たちの装備だ。
「おいおい、見ろよ。極上の『綿羊族』じゃねえか!」
「この柔らかそうなサクラピンクの髪、それにこの上質な魔力……! 人間の貴族どもに売れば、一生遊んで暮らせるだけの大金になるぞ!」
男たちの下劣な視線の中心に、その少女はいた。
ほんのりカールした、美しいサクラピンクの髪。
華奢な身体を震わせ、ボロボロになった衣服を必死に抑えながら、少女は地面に蹲っていた。その瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちている。
彼女の一族の村は、ほんの数日前、人間の理不尽な襲撃によって焼き払われた。
家族も、仲間も、すべてを奪われ、命からがらこの大森林の奥へと逃げ延びた。魔力はあっても魔法の使えない、戦う術を持たない彼女は、ただ優しく平穏に暮らしたいと願っていただけなのに。
(……ああ、やっぱり、世界はどこまでも理不尽だ)
少女は絶望の中で、ぎゅっと目を閉じた。
人間に捕まれば、待っているのは地獄のような奴隷生活。誰も助けてくれない。誰も、自分たちのような亜人を守ってはくれない。
「観念しな、お嬢ちゃん! 俺たちの魔法で、大人しく眠ってもらうぜ!」
リーダー格の男がニヤニヤと笑いながら、手にした杖を少女に向ける。
杖の先端に、怪しく輝く捕縛の紫電が収束していく。
「いや……っ! 誰か……誰か助けて……!」
少女が届くはずのない救いを求めて、天を仰いだその瞬間。
「おい。多人数で寄ってたかって、一人の女の子をいじめるなよ。見ていて退屈極まりない」
頭上から、信じられないほど緊張感のない、けだるげな声が降ってきた。
「あ……?」
奴隷狩りの男たちが驚愕して一斉に見上げた先──巨木の太い枝の上に、一人の黒髪の少年が、ものぐさそうに頬杖をついて座っていた。




