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死神のとどけびと  作者: 花
5章『ミツキとカイ』
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10 壊れた世界

 本土への帰路につくため、人々が渡り板を歩いている。

 波に揺れて、たゆたう観光船。

「姉…上!」

 日を跨ぐと共に徐々に本来の静けさを取り戻していく島を背景に行列の最後尾にて、『弟』から貰った紅椿の簪を嬉しそうに眺めていた女性は、つい先刻別れたばかりのその弟の声に驚いた様子で振り返った。


「カイ?どうしたの…って怪我してるじゃない!」


 弟の衣服の至る所に付着している血液を見て、姉は顔色を蒼白に染めた。

 けれども、

「返り血です、それより今はこの人を」

 己の現状に顧みることなく、先ほど再会した時とはまったく別人のような弟の姿に困惑した表情を浮かべる。

「この子は?」


 少年の背中には、一人の少女が眠っていた。


 いや眠っているというよりも、かろうじて意識を保っているとでも言うような。

「何があったの?」

 姉からの問いに対して、弟の首は横に振られた。


「言えない」とただそう一言呟いた弟は、姉にはまったく知らない少年のように見えた。


「お願いします、この人も一緒に連れて行ってください」

「カイは?」

「俺はここに残らなきゃいけません」


 ――この少女を守るために


 少女を抱きかかえ船内へと入り込んでいく姉の後ろ姿を見送って、少年は二人に別れを告げるように振り返った。

 視力は良い。

 遥か彼方より、シバが歩いてきていたのがカイの目には映っていた。


「カイ、行っちゃ駄目。行ったら…あなたは」


 背中から降ろした時、そう呟いてカイの袖を引いた少女には、これから先起こるかもしれない未来が全て見えていたのかもしれない。

 ――それでもいい


 少年は今、死のうとしていた。


 もちろんただで死んでやるつもりはないが、少女と姉がこの島から脱出するための時間を稼ぐには自分の命くらい賭けなければ足りない。

 何といっても相手はこれまでの勝負で一度も勝てるどころか、先ほどの一撃をのぞいて、剣が届くことなどなかった己の師、シバだ。


「この世界で生き残るには何も知らないふりをしろ。そうしなきゃすぐに死ぬぞ、お前みたいなやつは特にな、教えたはずだ」


 ――カイ


 少年の前に、男が立っていた。

 どこまでも冷たい目をした男は沖へ出た船を一瞥しそう言うと、徐々に白みを帯び始めた有明の空を仰ぎ見た。


「守るべきものを見定め、そのために命を賭けろと教えたのはあなただ」


 そう呟くように言った少年の声色は怒りに震えていた。

 男は嗤う。

「お前にとって、あれが命を賭けるに値するものなのか?」

「…」


「【とどけびと】なんぞ、死ぬのが世界のためだ」


 そう言った男の瞳にはどこまでも深い憎悪が浮かび上がっていた。


「やっぱり若いな、カイ。お前が大人になれば我々の脅威になり得ることは、やはり間違いなかった。だがお前はまだ分かっていない、環境はどうあれ人に恵まれたな」


 シバが呟いた瞬間、カイの背後が真っ赤に燃え上がった。

 冬なのに熱い。

 寒いはずなのに体を包む熱風。


 守れた、と思っていた。

 何百人という人間が乗った観光船。

 船に奴らの仲間が乗っていたとしても、人目がある。

 狙撃するにしても距離がある。

 少女だけを殺すなんて不可能だ。

 そう思っていたのに。


「タガが外れた人間に常識を問うほうがどうかしている」



 振り向いた瞬間、人々の悲鳴が耳を刺した。

 ――なんで、そんなことができた

 どくどくと鳴る心臓に対して、冷え切っていく体。


 観光船が音をたてて燃えていた。


 姉と少女以外の人間も全て、平等に。

 その炎は彼らを襲う。


 叫び声が聞こえる。

 それが己の声だと自覚した時には既に、カイは海の中へ飛び込んでいた。

 冬の海は容赦なく、少年の体温を奪っていく。

 重たい服を、刀を身に着けた体は徐々に深い海の底へと引きずり込まれていく。


『この子には海の神様の祝福があるんだって』


 もがきながら泳ぐ少年の中では、とある日の姉の言葉が反芻していた。

 根拠もなく助けられた、そう思った理由はきっとここから。


 ――何が祝福だ

 ――そんなものがあるなら、今すぐ助けてくれよ

 ――そんな熱い炎の中に閉じ込めずに。冷たい水の中に引き摺り込まずに、助けてくれよ



 ――神様



 世界でたった一つ、姉さえ幸せであればよかった。

 そう思っていたのに。

 願ってしまったのが、駄目だったか?

 もう一人。出会ってしまった少女の幸せを。

 それが駄目だった?


「あああああああああああああ」


『カイ、大きくなって』

 そう言って泣きながら笑った姉はもういない。


『またね』

 そう言って手を振っていた少女も、もういない。



「カイ・キサラギ。あいつはどうしますか」


 もう誰も。


「殺せ、それがあいつのためだ」



 誰も、いない。


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