閑話 泥沼の思い出
銀色の浜辺に、鈍い白刃の音が轟いた。
頭上には凍てついた夜を飾る、圧倒的な星屑の海が広がり。
潮が引き剥き出しになった海底は、時を止めたように静まり返っている。
辺り一面、どこまでも続く鏡張りの世界。
そんな世界で、彼らは戦い合っていた。
力は互角。
勝敗はつかず。
長きに渡る戦いを繰り広げていた二つの影は今、どさりと濡れた地面へ倒れ込んだ。
月光を鈍く跳ね返す泥沼は徐々に彼らの体を受け入れ始め、彼らの体はじきに静寂の闇の一部となった。
薄れゆく意識の中、自身の熱が冷たい泥に吸い取られていくのを感じながら、まだ少年と青年の狭間を行き来している年頃の彼は、眼前に広がる数多の星々を眺めた。
雲一つない夜空からは、無慈悲なほどに澄み切った満月がこちらを覗き込んでいた。
『カイ。今日からお前が【月夜見様】のお付きになる』
その命は彼の直属の上司より下された。
『お前が来る前から、これは問題になっていたんだ。…神様がいつまで黙って言う事を聞いてくれるのかなんて分からないからな』
忘れもしない。
そう言われて開いた扉の先。
そこに。
不意に何か温かくて柔らかなものが肌に触れた。
朦朧としていた意識が掬い上げられる。
「…ミ…ツキ?」
ちょうど思い出していた彼女の姿がそこにはあった。
――何故、ここに
危ないから隠れていろ、とあれほど言ったはずなのに。
叱らなければならないのに声は出なかった。
命の終わりが近づいていた。
彼女の頬を伝う雫が、彼のもとへと零れ落ちる。
能面をつけているかのように動かない表情の下に、実は多くの感情を隠していたことに気が付いたのは、つい最近の話。
本当は泣き虫の彼女。
久しくその顔は見ていなかったのに。
彼はその涙を何とか止めようと、抱えられた姿のまま彼女の顔へと手を伸ばす。
――泣くな
あなたに泣かれると、どうしたらいいか分からなくなる。
その涙を拭ってやるだけじゃ駄目だと、そういう気持ちにさせられる。
守るべき人、守らなければいけない人、守りたいと願った人。
その全てに当てはまる人に出会ったのは、きっと初めてだった。
――大丈夫だから泣くな
死の運命が間違いなく目の前にあるはずなのに、そう言ってやりたい気持ちになる。
『あなたを守り切ることこそ、俺の人生の全てだった』
後悔など何もない。
――だから
だが、伸ばした手は彼女のもとへ届くことなく、地へ落ちた。
瞼が閉じる。
呼吸が止まる。
この世界よりまた、一つの命が巡りの中へと還る。
自身の亡骸を抱きしめて、泣いている彼女の姿を見つめながら、此度の彼の人生は終わりを告げた。




