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死神のとどけびと  作者: 花
森のピアノ
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9 狭間

9 狭間


「ずっとそうしてるの?」


暗闇に閉ざされたその世界は、まるでずっと俯いたままの少年の心情を表しているかのようだ。

どこまでも続く暗い世界。

見えるものが何一つない…その場所でふさぎ込んだまま少年は答えた。


「だってぼく…やっちゃいけないことをした」

「…」


声と同じく震えた手で、少年は必死に耳を塞いでいる。

その音が、その声が。少しでも自分の中に入ってこないようにしているのだろう。

一種の防衛本能というものだろうか。


少年のいる暗い世界は色を失ってしまった代わりと言わんばかりに、様々な音で構成されていた。


主旋律を奏でるはピアノの調べ。

その間を突き抜けてくるのは…人の怒号だ。

低く低く怒りの中に怯えを含んだその声は決死に何かを叫び続けていた。


『あのピアノに触ったら呪われる。仲間が運ぼうとした時…倒れたんだ!一斉にだぞ!一斉に5人の大人が倒れたんだ!』


これは過去だ。


『…いや、死んではいない。幸いなことにすぐ目は覚ました。でも…気持ち悪いだろ!』


少年とピアノの持つ過去。


『だから…森の中に…捨てた』


現実世界での器を失い、もう忘れゆくことしかできない少年の代わりにピアノが覚えているもの。


『これ以上呪われないようになるべく丁寧に運んで…』


忘れかけ、忘れきれず、消えることなくピアノの中で存在し続けている記憶の一部。


『廃棄した』


記憶はそこで途切れた。


死者が記憶を持ち続けることはできない。

記憶とは肉体に保管されるものであり、それは魂の役割ではないからだ。

肉体を失い、魂だけの存在となった者は本来であればすぐに還る。


彼らの還る場所のことを私たちは巡りと呼んでいる。


それは全ての生きとし生けるものが還る場所であり、再び生まれるために必要な流れ、その全てを指す。

還り方は皆の本能の中に刻み込まれ、その行動はあくまで自然に行われる。


だが、例外もあるのだ。

彼らは稀に…死して尚、この世界に留まろうとすることがある。


例えば、自分の残してきた大切な者達が涙している姿を見た時。

自らが死んだことを正しく理解できなかった時。


理由は様々…魂の数だけあるのだろうが、少年の場合は後者だった。


いつものように眠り、いつものように目を覚ましたつもりだった彼は、先日交わした父との約束に胸を高鳴らせていた。


今日は体が苦しくない!どこも痛くない!


いつもの体調なら絶対に父は家から出してはくれないだろう。

けれど今日ならばもしかしたら。

まやかしだと思っていたあの約束が果たされることがあるかもしれない。


…海が…見られるかもしれない!


希望で胸を膨らませた少年は父親に話しかける。


「ねえ、お父さん。僕、今日はすごく調子が良いんだよ!」


だがその言葉に返事がくることは、ない。


「もしかしたら海にだって行けちゃうかも!」


ない。


「もうお父さんってば!」


ありえない。


当たり前のことだ、だって彼はもう死んでいるのだから。

父親が悪いわけない。

死者の声が聞こえる者など世界全体で見ても数えるほどしかいない。


「何なのさ…。もういいよ!僕一人で行っちゃうからね!」


けれど、そのことを彼だけは知らない。気が付いていない。


少し騒々しさのある室内。

次から次へとやって来る客達は少年の弔問に訪れていることをやはり彼だけは知らないのだ。

客人の対応に忙しいから父は構ってくれないのだと、本気でそう思っている。


そうして事故は起こった。


弔問客が去り、落ち着いた頃合い。

冷たい風が落ち葉達を地面に舞降ろしている中、少年の住んでいた家からは様々な物達が業者の手によって運び出されていた。


前に住んでいた家から持ってきたテーブルや椅子、ベッドに、ピアノ。

上質で、売ればかなりの値段で取引されるだろう、それら。

値段なんて関係なく、父と息子の思い出が詰まった大切な物達がどんどんと家の外へ運び出されていく。


その光景をただ虚ろな瞳で眺めている父親。


手放したくない、そんな父の想いは語らずとも変わらない真実のはずだが、そういうわけにもいかない。

息子の治療に全財産と時間を注ぎ込んだダニエルにはもうほとんど金が残っていなかった。

つまりはそういうことだ。


息子がこの世を去るまで待ってくれたのは彼らなりの恩赦でしかない。


むしろ過酷な現実を叩きつけられながらも、あの子にこんな光景を見せずに済んだことに少しだけ安堵している。

まさか隣に悲しみと怒りで震える息子の魂があるなんて思いもせずに。


僕のピアノをどこに持っていくの。

お父さんは何で止めないの。

触らないで、触らないでよ。


誰が悪いというわけでもない。

その場所に優しさが全くなかったというわけでもない。

事故だった、そう説明する他ない。


…何度訴え続けても無視され、ついに少年の怒りは爆発した。



「………!」



強すぎる想いは溢れ、干渉する。物を介してこの世界に。



「タラララン、ラン、ラン」

次に気が付いた時、少年は森にいた。

自分が何者か、どこにいるのかすら分からない。疑問にも思わないまま…


…彼はこの世界に囚われ続けている。


「だから君は還らなくちゃいけないの」


本来ならば、そうした魂の辿る末路は消滅だ。

巡りの中に還ることができなかった彼らにその先など存在しない。


「自分の名前を思い出して、ちゃんと還らなきゃ」


だが、消滅…そのような終わりを迎えるしかない彼らを哀れに思ったのか、それともただの気まぐれか。

この世界の創設者はある存在を作った。


ふさぎ込んでいる少年にその声は優しく諭す。


「お姉さんはどうしてそんなこと知ってるの?」


全ては少年の前に立つ、彼女に繋がる。


「それが私に与えられた役割だから」


恐る恐る差し伸べられた手を掴んだ瞬間、少年の中にある声が響く。


その声はとても懐かしくて。

聞くだけでとても安心して。




ルーク!



そう、ずっと呼んで欲しかったんだ。


「お父さん!!」


少年の流した涙と共に、暗闇は消えた。

二つの魂は再会した。




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