私の……
愛里ちゃんは、何かに驚いたように息を呑んだと思ったら、そのまま気を失ってしまった。武史兄さまが彼女に触れたけれど、祐輔さまが兄さまの手を邪険に振り払い、そのまま愛里ちゃんをお姫様抱っこして保健室へ連れて行った。
倒れる直前の顔色は真っ白で、陶器の人形みたく生気が感じられなかった。普段、元気いっぱいな愛里ちゃんなのに大丈夫かな?祐輔さまは、昨夜遅くまで起きていたから寝不足だろうと仰っていたけれど……。
鹿子おばさまは狼狽えていたけれど、祐輔さまに指摘されて、先生へ説明してから車を回すために立ち去った。母も鹿子おばさまを心配して付き添って行った。
「あ~あ、お姫さまは騎士さまに連れてかれちゃったなぁ」
武史兄さまの呑気な声が響く。
「愛里ちゃんは、祐輔さまの妹だもの。当然でしょ?」
何かが、ちくり、と胸を刺したけれど、気付かないふりをして言葉を返した。
「確かに妹だけれど、血は繋がってないよねぇ。僕なら、あんな可愛い女の子と一緒に暮らしてたらどうにかなっちゃうかもねぇ」
うんうんと独り納得して頷いている兄さまの頭を、実南ちゃんがスパーンと叩いた。スイカを叩いたような、よく響く音だった。
「何言ってるのよ!祐輔さまは玲菜お姉さまの彼氏なのよっ!愛里に恋愛感情を持っているなら付き合う訳ないじゃないのっ!」
実南ちゃんの言葉に、味方を得た気がしてほっと息を吐く。けれど、今日の武史兄さまは悪魔のように執拗だった。
「でもなぁ、愛里ちゃんは恋愛に疎そうだろ?一方的に祐輔君の片思いだったらどうなるのかなぁ?同じ屋根の下、まして両親もいるから強引に手が出せない。だったら、手近にいる女の子で代用するって手もあるんじゃね?」
て、手近って。(;´Д`)
再び、実南ちゃんの平手打ちが炸裂した。み、実南ちゃん、余り叩きすぎては中身が壊れてしまうわよ?!
「玲菜お姉さまを代用って!そんなこと、あるはずないじゃない!どこからどうみても立派な淑女であるお姉さまが代用って!」
庇ってくれるのは嬉しいけれど、そんな大声で代用代用って連呼しなくても。武史兄さまが気づいてニヤニヤしているけれど、実南ちゃんは頭に血が昇って気付かないみたい。
「まあ、玲菜は代用じゃないかもしれないな、俺の可愛い妹だし?代用されてるのは、馨の方かもな?」
「……なんで馨が出てくるのよ?!」
馨って誰だろう?もしかして、橘家の次男である馨君のことかしら?そう言えば、実南ちゃんたちと同じカトレアクラスだったわよね。でも、実南ちゃんの言う通り、どうして馨君の名前が出るのかしら?
「八雲夏彦の代用、だもんな?」
あ、実南ちゃんの顔が赤くなったけれど、次の瞬間、普通の顔色に戻って、おまけにニヤッと笑ったわ。なんだか、その笑顔って悪女っぽくてカッコいいかも。
「まるっきり見当違いですわよ。馨は代用ではないし、そもそも夏彦のことなんて何とも思っていませんからっ」
馨君が代用ではないって言うことは、もしかして、もしかして?
「実南ちゃん、馨君と付き合ってるの?」
あ、今度こそ実南ちゃんの顔が真っ赤になった。トマトみたい。恋愛初心者って感じで初々しいな。私と祐輔さまには、通り過ぎてしまった感情だからちょっと羨ましい。
「れ、玲菜お姉さま、な、何を仰っているのか……」
動揺して噛みまくりの実南ちゃん。武史兄さまが形勢逆転を察して、実南ちゃんの頭をぐりぐり撫でていらっしゃるわ。最近、沈着冷静といった感じで、お澄ましさんだった実南ちゃんだけど、焦っている姿もすっごく可愛い~~っ!( *´艸`)
「なんだ、玲菜に言ってなかったのか?隠すことねえじゃん!こいつ、橘馨ってヤツと付き合うことになったんだよ、な?!」
「そうなの?!いつから?!何で教えてくれなかったの~っ?!」
矢継ぎ早に問い詰めると、実南ちゃんは、付き合うようになったのは最近で、色々あったというような話をしどろもどろに答えた。やっぱり可愛くて思わず立ち上がって抱きしめてしまったわ。
けれど、どうして武史兄さまが知っているのかしら?
「馨の兄貴が俺の同級生でさ、まあ、馨も俺らとつるんでいるて、最近、どうも素行が怪しいと思ったら案の定ってヤツ?!ケケッ!!」
そうなんだ。でも、武史兄さま、最後の笑い方は品がないです、と返した私の言葉は2人には届かなかったみたい。揶揄う武史兄さまと恥ずかしがる実南とで馨君の話で盛り上がっている。
私は、顔と名前を知っているくらいで、馨君と直接話した事はない。ただ2人の話に相槌を打つだけ。
そういえば、武史兄さまも実南ちゃんも交友関係が広い。さっきから会話に出てきている八雲夏彦君も、祐輔さまにお会いするために道場へ出かけた際、少し見かけただけだから個人的なことは何も知らない。
祐輔さま情報によると、愛里ちゃんに従う忠犬って仰っていたけど、夏彦君という人は、精巧な作り物みたいに端正な顔立ちをしていて、女の子たちにもてそうなのに全然笑わない人だった。愛里ちゃんたちは普通に接していたけれど、怖いというか、人間離れして近寄りがたい印象を受けた。
私だったら断然、夏彦君より祐輔さまに好意を抱くけれど、愛里ちゃんはどうなのかしら?今は恋愛に興味なさそうだけれど、いつか恋をしたら?目の前にいる祐輔さまを好きになってしまうんじゃないかしら?
祐輔さまも愛里ちゃんに告白されたら?祐輔さまは紳士だから間違っても二股なんてしないもの!……そうね。でもその代りに、私が振られてしまうのかも。
私の将来設計は、片山家の令嬢として恥じぬ淑女になること。そして、祐輔さまの役に立つ存在になること。
もしも、祐輔さまに捨てられたら?
想像しただけで、目の前が暗くなり、寒気が襲う。さっきは気にも留めなかった『代用』という言葉が、否定しても否定しても浮かび上がってくる。
どうしたら消えるのかしら?




