第十一話(3)
『そうか。大変だったな』
電話口には、父さんの声。
今日の出来事、それから母さんに叱られたこと。自分の反省の弁を、父さんに話した。
『お前たちには、よくしてくれる仲間もできた。春詩、お前がきっかけなんだよ。成功も失敗も、お前がやってみせろ。反面教師、よほどひどくなきゃ、それでいいじゃないか。兄妹の一番上なんて、そんなもんさ』
「うん……」
『どっちかっていうと、失敗事例の方が参考になるしな。なんでもできる兄貴なんて、マネするほうが大変だろう? 失敗の事例は、とりあえずそれを避ければ、一つ失敗が減らせるからな』
まったく、うちの親父は。
二週間の停学明け。俺は五味渕先生と父の付き添いのもと、藤原の就職先に挨拶に出掛けた。
藤原は、すでに卒業前から就職先に見習いとして出勤しており、学校へは補習授業に来ていたらしい。
暴力事件を起こせば、内定取り消しもあり得る、と。
それは藤原自身の責任では無いのか、と五味渕先生に俺は言ったけど、自分のセリフが大人の理屈に対して粗さがしをする子供の屁理屈にしか聞こえなかった。
「それは自分の責任を果たした後で考えればいい。わかってるって顔をしているぞ」
五味渕先生は俺の頭をガシガシと撫でた。
停学期間中の調査で、藤原は画像の拡散には関与しておらず、俺に忠告のメッセージを送っただけ、と結論付けられていた。五味渕先生が、最終的には藤原の言葉を信じたのだという。
そうであるならば。俺は自分でも意外なほど五味渕の判断を信じた自分に驚いた。
俺は、藤原の就職先の町工場の社長さんに、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。藤原先輩に、勝手な思い違いで暴力をふるったのは僕です。藤原先輩は悪くありません」
頭頂部がきれいに禿げて、残った髪は真っ白い社長さんは、にこにことして俺の謝罪を受け入れた。
「うんうん。そうだろうと思ったよ。藤原君、いい子だからねえ」
無遠慮に、その言葉に疑問を持った顔を、背の低い社長さんは見抜いていた。
「このくらいの歳になるとね。若い子はだいたいみんないい子なんだよ。私は経営者だからね、だめなものはだめっていうけどね。君らくらいの年の子はこれからなんだってできるし、素敵な人間になれるよ」
帰り際、社長さんが「おうい、藤原君」と作業場から作業着の若者を呼んだ。
もちろん、あの藤原だ。
「今日はありがとうございます」
藤原が、まるで別人のように俺たち三人に頭を下げた。主には、俺以外の大人二人に下げた頭だろうけど。自分自身の言葉遣いに、少し照れ臭そうではある。
「藤原君、葉月くんと少し話して来たらどうだい?」
社長さんのセリフに、俺と藤原はぎょっとしたが、仕方ない。
親父と五味渕先生と社長さんが、車の前で立ち話をしている、その少し離れた場所で、俺と藤原は嫌そうに横並びに立っていた。
「おまえ、なんか言えよ」
「センパイこそどうぞ。なんかあるでしょ」
「ねえよ」
「おまえのパンチ、効いたぜ、とか」
「あんなへなちょこパンチが効くか」
「最後、ひざに来てたくせに」
ちっ、と藤原が舌打ちする。結構自信喪失させたのかも。
「就職、決まってたんですね」
俺は、立ち話をする社長さんたちの方を見た。
「すごくいいひとみたいです」
「おまえらみたいなやつらに、俺らみたいな人種は、いらだつんだよ」
藤原のそれは、ちょっと唐突に聞こえた。
「“いつから俺たちはこうなった。なんであいつらは認められて、俺らはこうなんだ”」
頭を掻いて藤原はつづけた。
「てめえには、忠告半分、苛立ち半分であれを送った。どうだ、バカを見やがれってな。もう俺にとってはおまえらのことなんてどうでもいい。どうでもよくなってきてたってのに、最後に変なもん見ちまったせいで、余計なことをした」
藤原は、喋りすぎた、という顔をして、口元を押さえていた。が、もう一度口を開いた。
言わずにはいられない、ということだろうか。
「きれいで波もない池とか深い水たまりがあると、石を落としたくなるだろ」
ああ、なんとなくわかるかも。
「それがわかるってのは、お前も俺に近い人種かもしれねえぜ。気をつけろ」
あれ、俺って顔に出やすいのかな。
「社長は、すげえんだよ」
藤原はせいせいした顔をしていた。知らないところで、藤原にも大事な一年間があったのかもしれない。
最後に藤原が言った。
画像は、おれじゃない、と。俺はなんとなく、それを信じた。
季節は冬から、やや春めいた日を交える三月。
青陵学園の卒業式の日を迎えていた。
卒業証書の授与に、ひとりひとり呼び出される。
顔見知りの名前が呼ばれると、少しぐっとする。知人は少ないけど。
授与が終わり、卒業生の退場に移る前に、生徒会長が登壇した。
「卒業生である皆様も含め、聞いていただきたいことがあります。卒業式には関わりないことかもしれません。でも、とても大切なことです。卒業して立ち去るからと目を背けず、聞いてください。また、残る生徒たち、自分には関係ないと切り捨てずに聞いてください」
真白が場を譲る。そこに立ち代わったのは、莉緒だった。
莉緒が、壇上にいる。俺は驚いていた。動揺といってもいい。なにも聞かされていなかったのだ。
莉緒は、静かに語り始めた。
「兄は、とある理由があって、卒業生である先輩に、暴力をふるいました」
(え、なに? だれ?) (あれだよ、美少女男子新入生) (なんかあったの?)
卒業式の場に遠慮した、かすかなざわめきが広がる。
「とある理由というのは、僕の、身体的な問題を写した画像をネットに晒したという理由です。
藤原先輩の名誉のために言いますと、兄の誤解で、藤原先輩は画像を流出させた当人ではありませんでした。藤原先輩には、心からお詫びします」
小さなざわめきは、小さなまま、しかし治まらない。卒業式にやることか? そんな批判もあるかもしれない。
「このきっかけになった画像のことを、まだ知らない人も大勢いると思います。知っている人は、わざわざそんな画像のことを知らしめるようなことを言わなくてもいいんじゃないかって、思うかもしれません」
莉緒が言葉を区切る。その瞬間に、勇気をたくさんためて吐き出す。
その告白は、莉緒にとって重大な秘密なのだから。
「でも僕は言わなければならないと思いました。僕は男子です。御覧の通り、と言っても説得力がないと思います。女の子みたいな見た目で、怖い目にも遭いました。自分自身でも、男か女かよくわからない時があります。悩んで、とても苦しい時があります。
そんな見た目なんて、問題じゃないって、ずっと言い続けてくれる人がいます。
ぼくの味方だって、ずっと言ってくれる人がいます。
その人のおかげで、大切な友達もできました。
その人はずっと僕を心無い言葉から救ってくれました」
莉緒は、ともすると震えてしまいそうな声を、押さえるように、はっきりと一言一言伝えた。そして息を吸うと、続ける。
「その人は……ここにいる兄は、ずっと戦ってくれました。僕を……“私”を守るために」
「リオくん……」 「りお……」
「今度は僕が、兄や友達が傷つかないよう、戦うべきだと思いました。だから、あえてここにいます。これは僕の問題だから。兄がいままで立ち向かってくれていた分、これからは自分で言わなくてはいけないから。
画像を見た人、もらった人。興味本位で見てしまうでしょう。見ないでほしい。どうか、見ないでください。他の誰にもあげないでください。悲しい思いをしている人がいるって、思い出してください。卒業式という場を借りてしまい、申し訳ありません。先輩方の未来が輝かしいものになるよう祈っています」
莉緒は、ぺこりと頭を下げる。ぽかんと状況もわからず聞いていた者、事態を知っていた者、認識はばらばらなはずだ。
拍手が、まず少しだけ起こった。それはまばらに広がり、同調の波に押し流されて拍手は広がった。けして莉緒の言葉に共感したものばかりではない拍手だろう。
だけど、莉緒がすっきりとした笑顔で俺を見たのだ。俺には、それだけで十分だった。
四月になった。あんなことがあったのに、俺たちの心は晴れやかに春休みを楽しんだ。
問題は解決しないまま、時間が過ぎていく。
そして桜の花びらが舞う日。
「はる兄、りお兄! 早く~!」
青陵学園の坂道を駆け上がるりこの背中を追って、俺たちも歩く。
合格発表を確認した時のりこの狂喜乱舞ぶりは、一生の思い出だ。
ようやく、兄妹三人がまた同じ学校に通う一年が来た。
「慌てんなって。新入学生の出番は、ずっと後だぞ」
そんなことより、りこのスカートが跳ねるのが気になる。坂の下からだと、ほんとに見えちゃいそうだ、とは言わないでおこう。
「りこ、ころんじゃだめだよ。制服新しいんだから」
「わかってる~!」
りこが、登山で頂上を制覇したかのように、坂のてっぺんで手を振っている。
やれやれ、楽しい一年が始まりそうだ。
第三部に続きます。




