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第六話(10)

 風呂上がりでくつろいでいると、親父がみんなでラウンジに行こうと誘ってくれた。夜間は宿泊客オンリーで、浴衣もOKなのが楽でいい。湯上りのまま、俺たちはラウンジのコーナー席に座った。薄暗くて、他人の目が気にならないのも尚いい。兄妹三人はジュース、親父と母さんはアルコールで。

 くつろぐなら部屋でもいいんだけど、豪華なホテルの雰囲気を満喫しておかないとな。

 ラウンジ内は、ピアノがおかれ、盛況な時間には生演奏の時間もあるみたいだけど、いまはスピーカーから小さくジャズが流れている。上品な客が多いのか、声は低め。音楽が混じりあい、会話を言葉から、聞き取れない音へと変換して、静かな賑わいを演出していた。

 みんなのお喋りと、父さんへの近況報告。ジュースを二度お替りするころ、春詩、進路指導だ、と親父が別の席に俺を連れ出した。

 親父はウィスキーをロックでちびちびやっていた。

「おまえも飲むか?」

「いやいや……」

 親父……父さんはふだん真面目なタイプだと思っているが、時おりお茶目なことを言いだす。テレビで映画を見ているとき、濃厚なラブシーンで気まずい雰囲気になると、春詩、あれ何やってるかわかるか? とニヤニヤしながら少年心をいじってきたり、とかだ。

「まあ、酒なんて飲まないに越したことはないからな」

 カラン、と氷を鳴らしてグラスを傾ける。

「莉緒は、なにか言ってたか?」

 やはり、進路指導なんて出まかせだったか。問いかける親父の顔から、内心を読み取れるほど俺の人生経験は深くないけれど、心配してくれているんだと思う。

「あ、自分の進路のこともちゃんと考えとけよ。父さんたち、お前のこともしっかり見てるからな」

「わかってるよ……」 俺はため息を挟む。 「りおはね……ごめん、風呂は軽率だったよ」

 親父はテーブルに置いたグラスを、またゆっくりと傾けて戻す。口は挟まずに俺の言葉を待った。

「りおは、昔よりずっと女の子みたいで、一緒に風呂はまずかった……」

 いくつかの光景を思い出して、顔が熱くなる。恥ずかしくて、俺は手で顔を覆った。

 はははっ、と親父は面白そうに笑った。

「ちょっとくらいお兄ちゃんがバカでエッチでも、莉緒もりこも怒らないと思うぞ」

 ちびりと口にやったグラスを手にしたまま、俺を指さして味のある笑みを浮かべる。目じりのしわが、ちょっとカッコイイ。

「俺の考える兄貴像と激しく異なるんだけど」

「昔の漫画なんて、みんな主人公はエッチだったぞ」

 ああ、親父殿だいぶ酔ってるだろ。早いとこ大事なことも伝えておかないと。

「りおは、まだ自分の治療のこと、決められないって言ってたよ」

 ちょっとだけ、俺には困惑があった。莉緒は、男として在りたいわけではない、のだろうか。

「……ん、そうか」

 ウィスキーの琥珀色を眺める親父を真似て、俺も視線を落とす。ラウンジのわずかな明かりが、そこにだけスポットライトを照らすようにきれいな色を浮かび上がらせていた。

 どれくらい、俺たちは沈黙を嗜んだだろう。

「春詩な」

 親父はちょっと考えて語りだした。

「莉緒のことは、ゆっくり待ってやろう」

「それは、そう思ってるよ」

「幸いに健康面は問題ないってわかった。父さんと母さん、うれしかったよ」

「……うん」

「それとな、春詩」

「うん……」

「莉緒だって、成長してる。それは、りこもな。もちろんお前が一番先頭で風を切って歩いてくれてるからだ。ふたりはおまえの背中を信じてついてきてくれてる。だから、ふたりの成長を見てると、お前の成長が俺はわかる。よくやってる。がんばってるな、春詩」

「ちぇ、褒め殺しか」

「まあな。小遣いは増やせないけどな」

 ちぇ、と俺は苦笑い。敵わないな、父さんには。

 だが、そろそろ部屋に戻らないと、父さんが酔いつぶれそうだ、と母さんに報告。親父殿、酒は嗜むけど、限界量はほどほどなのだ。

 母さんが会計をして、皆で部屋に戻る間も、おしゃべりは止まらない。親父は気分良さそうだ。楽しかったな。

「そっちは何を話してたんだ?」

 りこに聞いてみる。

「女子会だもん、ひみつだよぅ」

 莉緒もいるじゃないか……。そういうことを、まったくりこは気軽に言うんだから。なあ? と莉緒を見るが、莉緒も母さんも笑って別の話をしていた。

 ま、いいか。




 翌朝。といっても、まだ夜も明けきらない。オーシャンビューの窓から、薄明かりが入り込む。洋室のベッドを占拠した俺だったが、朝日に起こされるのは、夏の時期だと朝が早すぎて失敗だった。むにゃむにゃと起き上がろうとすると、また背中が暖かい。

 胴体に弦のように巻き付いている手をどかす。

(りこ、そろそろ兄貴のベッドに間違えてもぐりこむのはやめろよ)

 小声で抗議するが、返事は寝言が返ってくるだけだった。

 まったく、朝は女子にはわからない問題があるというのに。

 一旦トイレを済ませて、もう一度ベッドに戻ろうとして、家族風呂の脱衣所が目に入った。昨夜の、莉緒との会話がまざまざと思いだされてしまう。

 それから部屋にもどり、りこを抱きかかえて隣のベッドに寝かすと、俺は寝直しに掛かった。気を静めよう。二度寝はよく眠れるのだ。それこそ、一瞬で時が過ぎ去ったと錯覚するほどに深く。

 瞼を閉じると……次の瞬間には、ほら。朝日がすっかり昇り切っている。

 再びの目覚め。

 なぜか、またりこが背中に引っ付いている。

 再び抗議すると、今度はりこが目を覚まして答えた。

「だって、トイレ行ったあと、寝ぼけて間違えちゃうんだもん」

 やれやれ……。

 呆れつつも、小学校の頃は、俺もりこを湯たんぽがわりにした負い目があるのを思い出していた。

 旅行はその日、高知県内をめぐって帰路に就いた。親父の単身赴任先のマンションでもう一泊。三泊四日の家族旅行は終わった。


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