第66話 地下通路を巡る攻防(カナメSide)
-カナメ Side-
階段を下りてすぐの、少しばかり開けた一室──地下通路手前の部屋。
ここが、我らの戦場だった。
「しっ!!」
灰髪の聖騎士が体をねじる。右腕を振り、我を柄で打ち付けようとする。
青く細い柄がしなる。我の頬を狙っている。
我は膝を曲げる。
髪をかすめ、青き短槍の柄は頭上を過ぎ去った。
地下通路の入口の壁に柄は叩きつけられる。鈍い音を返す。
好機。
左指で小太刀〈黒狐〉の鯉口は切ったまま。
跳ね返る穂先を背に、我は半歩詰める。
右手で刀の柄の根元を握り込む。青筋が手の甲に浮かんだ。
刀を引く。
銀の刃が鞘の内を走る。
「はぁあああああっ!!」
ビゼン流の御業──〈居合・一閃〉。
狙うは、槍の柄。此度は殺傷が目的ではない。
無力化してやる──!
「ッ!」
灰髪の聖騎士が目を見張る。すかさず自身の手もとへ視線を落とした。
我の狙いに勘づいたか! だが遅し!
銀線が糸を引く。
彼の者が、柄を持つ手を緩める。
我が刃はそのまま走る。かすかな抵抗空しく。刀は柄を両断した。
「むっ!?」
判断が早い。短槍が空に浮かぶ間にも、目前の聖騎士は左腕の小盾で、我を押し込んでくる。
鋭き打擲──小盾が我の胸に触れようとする。
青絹の小袖のうちに帷子を着込んでいるとは言え、呼吸を潰されかねぬ。
とっさにつま先に力を込める。
我が身を引くのと、盾が押し込まれるのは、同時であった。
「ぐぅっ!」
すんでのところでかわしきれず。
息が詰まった。鈍痛が胸に広がる。顔が歪む。
地面から浮いて、後方に体が流れた。
我は両脚を折りたたむ。勢いのまま、宙返りする。視界が急に巡る。着地。なんとか踏み止まった。
左手と左膝を、冷たき石床に立てる。
ルールルーの手前の位置まで、我は退いてしまっていた。
カラン。
一室と地下通路を繋ぐ接続口の上に、真っ二つになった槍が落ちる。
「いまっ!」
「──ッ!」
灰髪の聖騎士が勝機を逃すまいと叫ぶ。
我の位置は、地下礼拝堂の扉まであと二歩ほど。
加えてしゃがんだまま。
灰髪の聖騎士が前線をあげんと、我めがけ、盾を構えて突っ込んでくる──。
地面の槍には見向きもしない。ただただ我、いや我の背後に続く地下通路を見据えている。
このままでは通路を守ることができぬ!
我は左手で太ももを叩く。急いで立ち上がらんとする。小太刀を持つ右手に力を込める。
その時、左隣から力ある言葉が届く。
『〈波動衝撃〉』
紫色の光が肩口に差す。
我の前方に影が伸びた。正面の、聖騎士ふたりの目つきが瞬時に変わる。
ルールルーの杖先から、濁流にも等しい水が生じる。
接続口にたどり着いた、灰髪の聖騎士を巻き込む。
半身を包む水流の勢いに耐えきれず、灰髪の聖騎士は半歩、さらに一歩と押し戻される。
灰髪の聖騎士は、やがて亜麻色髪の施療騎士に後ろから支えられる。ようやく踏み止まった。
「ぐぅっ!?」
「くぅううっ!」
一秒か、二秒か。ルールルーの杖先の光が消える。
騎士ふたりの具足は水に塗れる。
両者の髪先から雫がしたたり、足元へ水たまりを広げていく。
「助かったぞ、ルー!」
「ん」
ルールルーが再び魔力光を灯す。暗めの通路に紫色の光があふれた。
相手を水浸しにしたなら、やることはひとつ。
ルールルーは雷を放つ準備に取り掛かっている。
「!? リディア!!」
「ええ!」
リディアと呼ばれた亜麻色髪の施療騎士が、すでに短槍を握っていた。灰髪の聖騎士を支える前から、取り出していたのか。あまりにも素早い準備に、我は瞠目する。
灰髪の聖騎士が短槍を受け取るや否や。
流れるように槍を手から放していた。
気づけば、彼女の腕は振り抜かれ、散った雫が壁を打っていた。
我の目でも追うのが難しいほど、洗練された動きだった。
こちらが本業か。
急ぎ小太刀を斜めに振り上げるも、槍を止めることはできず。
そのままルールルーの胸に、突き刺さった。
「ルー!?」
「……ッ」
横目で追う。小柄な体が、槍の勢いに押されて扉近くまで吹き飛ぶ。
ルールルーの体から、血は噴き出ていない。
代わりに胸元の服と肌が、槍の周りでぐにゃりと歪む。
半透明の紫が一瞬だけ滲み、すぐに人の肌の色へ戻ろうとする。
白い煙が上がっている。
穂先が、ルールルーの体表を焼いている。
聖の気が帯びているせいか。ルールルーの無表情が歪む。
杖先に灯る魔力光は霧散──しない。
倒れ込みながらも、ルールルーは杖を離さない。槍は体に刺さったまま。
なのに力ある言葉を、なお紡ごうとしている。
「なんだとぉっ!?」
我の背後から、驚愕に満ちた灰髪の聖騎士の声が届く。
おそらくは、術師の魔法を阻害するための投擲だったのだ。
ひるまずに、槍が刺さったまま行動を続けるなど、思いもよらなかったのだろう。
太い幾条もの紫電が、杖先からほとばしる──。
『〈雷撃〉』
「セリューぅうううううううッッッ!!!!」
稲妻の向かう先を、我は目で追う。
施療騎士のリディアが、灰髪の聖騎士を突き飛ばしていた。
と同時に、リディアの手から、乾いた白砂を詰めた瓶が投げられる。セリューと呼ばれた女の足元へ転がった。
リディア自身は稲妻の射線に入ったまま。
紫の光が、リディアの体を貫く。
ビクンッ。
リディアの背が反る。
濡れた石床を紫電が這う。
祈祷衣の裾と鎖帷子の継ぎ目で白い火花が弾ける。
悲鳴は出ない。
喉も、胸も、指先までもがひと息に硬直する。
噛み合った歯だけがガチリと鳴る。
焦げた布と、熱せられた金属の臭いがした。
リディアの膝が落ちる。
それでも、彼女の手だけはセリューの方へ伸びていた。
「り、リディアッ!?」
「砂、を……」
リディアが指で示すは、セリューの足元。
乾いた白砂を詰めた瓶。
おそらくは、水濡れを解除するための魔道具と我は推測する。
灰髪の聖騎士セリューがこちらをうかがいながら、濡れた鎖帷子には触れず、リディアの肩布をつかんだ。
セリューの目が一瞬だけルールルーへ飛ぶ。
倒れたままであることを確認したのか、セリューはリディアをもう片方の手でつかむ。
ばち、と小さな火花が散る。
セリューの指が一瞬こわばる。
それでも力は緩まない。
濡れた床から、セリューはリディアの体を引き剥がす。
我はその隙に、ルールルーを顧みる。
槍を受けたまま倒れ込んだルールルー。いまも我の後背で、身動きせずに天を仰ぐ。白煙はいまだ上る。
我はすぐに近寄った。
槍を引き抜く。そのままルールルーの脇に置く。
灰髪の聖騎士セリューを片目の端に映しながら、ルールルーに問うた。
「ルー、具合は?」
「……行動不能。形態維持難度上昇。休憩要」
「合点!」
地下通路を照らすは、天井に埋め込まれた聖素結晶の淡い光と、ばちばちと帯電する魔力の水たまり。
我は正面に向きなおる。
右手で小太刀の柄を握り込む。
帯電だまりを避け、我は前へ進んだ。
残るは灰髪の聖騎士セリューのみ。
白砂を具足と肩にまぶし、リディアの剣を手にした彼女が、一室の中に立っていた。
我から見て、部屋の右手側の位置だ。我が来るのを待ち構えている。
その顔には憤怒が満ち、射殺さんばかりの気迫を孕んでいる。
部屋と通路の接続口の一歩手前で、我は歩みを止める。
刀を、正眼に構える。
応じて、灰髪の聖騎士セリューは盾を前に突き出す。右手の剣は、体で隠す。
互いの足元には、紫色の帯電だまりが残る。
ひと息で跳びかかることができる距離。
この帯電だまりが魔力切れや時間経過で、消えるのを待つこともできる。
「そちらのものを連れて退け。いまなら追わぬ」
我は待つことを選択する。
右の壁の前で横たわった施療騎士リディアを示し、退く道を残す。
ぎらついた視線は、それでも我から外れなかった。
セリューが吠える。
「──我々は女神教の盾! セレスティーネ様を救い出せずして、何が聖騎士か!? そこを通してもらうぞ、異端者ども!!」
「ならばよし。こちらも退けぬ。このカナメ・ビゼンが、全霊をもって相手致そう」
怒りを抱くはこちらも同じ。
熱を帯びた我の頬を、地下の冷涼な空気がさらう。
我の技量不足が、ルールルーを行動不能に陥らせた。
お婆様であれば、母上であれば、あの飛来する槍を斬って落とすことはできたであろう。
己の未熟を恥じる。
悔しみを燃やす。全身の毛が逆立ち、全霊が目の前の敵の隙を探り続ける。
灰髪の聖騎士セリューの顎先から、水とも汗ともつかぬ雫がしたたり落ちる。
まばたきもせず、セリューは我の動きを見ている。
強いものの動きだ。恐れず、焦らず、入念に機をうかがっている。
先に動き出したほうが負けだと、そう思わせる凄みがある。
息が止まるかのごとき時間。
来るか、来ないか。来るか、来るか、いや、来ないか。
心の臓の音が、どくりどくりと、耳の裏まで響いてくる。
さあ、来い──。
カツン。
その時、階段の上から足音が降りてきた。
ひとりではない。
石段を踏む硬い音が、規則正しく重なる。
灰髪の聖騎士セリューの視線は、我から外れなかった。
だが、盾の角度がわずかに階段側へ流れる。
倒れたリディアを庇うためか。右足が半歩だけ、外へ開いた。
いざ。
我は通路口の左手側の壁石を蹴る。
濡れた床と帯電だまりを越え、身体が宙へ躍り出た。
身をひねりながら、宙で半身を返す。視界が巡り、乱れる。
蒼き瞳を見開いたセリューの顔が、一瞬だけ我の目に映った。
「ッ!」
セリューが盾を引く。下段からそのまま剣を振り上げた。
なめらかな動き。
怒りに呑まれてなお、技は乱れていない。
紙一重。
ほんの、紙一重であった。
斜めに斬り上げられた剣の腹を、我は草履の縁でなぞる。
乗るのではない。
刃に逆らわず、刃を足場に、身を流す。
ビゼン流──〈木の葉〉。
視界が反転した。
空中で、我の身体が木の葉のようにひらりと返る。
刃が流れ、体が泳いだセリューを我は見下ろす。
右手に握り込んだ小太刀を、我は内側に持ち上げる。
刹那。
小太刀〈黒狐〉の峰が、セリューの顎先を跳ねる。
鈍い音が響いた。
「が……ッ」
セリューの膝が崩れる。
白砂にまみれた靴が、濡れた石床を滑った。
なおも踏み止まろうと、盾を持った側の腕が、支えを探してさまよう。
蒼い瞳が宙にいる我を追い続ける。
敵意か、使命か、あるいはただの執念か。
だが、体はもう追いつかない。
床に転がる。
その頬が、紫電の残る水面を叩く。
ばちり、と火花が散った。
灰髪の聖騎士の身体が一度だけ大きく跳ねる。
指から剣が零れ、石床に鳴った。
階段前に、我は着地する。
しゃがみ込んで、すかさず階上に顔を向けた。
踊り場にいたのは、よく見知った顔であった。
親指を立てて不敵に笑うアリスを、我は見つめる。
赤外套の下、細身の体を壁際に寄せたまま、彼女は金髪をかき上げていた。
先ほどの足音は──。我は納得する。
アリスに向けて、我も親指を立てて返した。




