第56話 聖騎士との遭遇
春シーズン第十一週五日目、夕方。
授業終わりの足で、俺は制服姿のまま交易都市ミカの南東──聖堂外苑へ出向いていた。
明日の午後、マリーの外出を見守るための下見である。平たく言えば尾行。現場の周辺を見て、潜みやすい場所を俺は探そうとしている。
西日が巡礼者用長屋に城壁の影を落とし、白ローブの少年修道士や寄進箱を抱えた子どもたちが石畳の端に並び立つ。
俺は箱へ銀貨を一枚入れてから目的地へ向かう。手を振って少年たちと別れた。
雑踏を進み、女神教小教会〈聖滴の庵〉にやっとたどり着く。
屋根の上では、指を組んだ白い女神像が通りを静かに見下ろしていた。
女神像を眺めつつ、ルールルーとのやりとりを俺は思い起こす。
『マリーはよく教会に行く。ルーも道案内で着いてくことがほとんど』
『敬虔だなあ。あの信仰心はどこから湧いてるんだか。血筋が血筋だから、女神教とはあまり関わらないほうがいいだろ』
『ルーもそう思う。でも、マリーには事情がある』
『事情?』
ルールルーとの面談のあとにマリーに尋ねると、魅了事件の被害者への仕送りと、教会への寄進について申し訳なさそうに話してくれた。まとまった金が入った後、六日目の午後にマリーはこの小教会へ顔を出すことが多いらしい。
普段ならルールルーが同行していてもおかしくない用事だ。
そこで俺は、カナメにルールルーを誘ってくれるよう頼み込んだ。
ルールルー不在の空きを、マリーが誰で埋めるか俺は見たかった。ひとりで頑張って向かうのか、それとも人を伴っていくのか。同伴にカーラを選ぶなら、連携だけでなく信頼も進んでいる証になる。
よし。俺はさっそく小教会前の探索に取り掛かる。歩きながら頭の中で、マリーの行動線を予測した。
表通りは人目が多い。裏道は狭い。石柱の位置、路地の幅、前庭の見え方。割って入るにせよ、離れて見守るにせよ、今日のうちに足で測っておきたい。
一周して、ひととおり辺りの様子を見終える。俺はもう一度女神像を見上げた。
ひと息吐いて、俺が踵を返しかけた時だった。
背後に、何者かの足音が近づいてくるのを俺は察する。
俺は気づかないふりをして歩き出す。
だが、すかさず後ろから声が届いた。
「青年、少しよろしいかな?」
しぶしぶ俺は足を止め、振り返る。
灰まじりの髭をたくわえた長身の男が、俺を見つめていた。
灰色の瞳。白の外套の下へ仕込んだ鎧。
片肩の具足が夕陽を鈍く返している。
顔にそこかしこに刻まれた深いしわが、男の経験を物語っていた。微動だに揺れない体幹、そして恰幅のよさはこの辺りの日常からは浮いている。
男の目が、俺の制服の上から下へと短く走る。
確認は一瞬だった。
俺の三歩先まで近寄って止まる。彼は低い声で俺に尋ねた。
「急に呼び止めて申し訳ない。少しだけ、あなたの時間をいただけますかな」
「……いいですけど」
「おお、助かります。女神の導きに感謝を」
男は軽く頭を下げた。
笑みは穏やかだが、目だけがこちらを測っている。
白い外套の下の具足に、俺は見覚えがあった。週頭に見た地元新聞の巡礼記事だっただろうか。聖女候補の護衛を務める聖騎士の装いと同じもの。
「では、手短に。あなたはこの街の上級冒険者学校の生徒で、あっていますかな?」
「ええ」
「おお。では、この女性について知っていることはありませんか」
そう言って男が差し出したのは、厚手の画紙を張った小さな画板だった。人相書きというより、持ち歩き用の似姿に近い。
実家の離れに住む叔母が、客へ見せる下絵もこういう形で持ち歩いていたのを思い出す。
青のシスターヴェール。淡い水色の髪。頬の薄い朱まで、叔母の絵の具棚で見慣れた色が丁寧に重ねられている。
捜し人の似姿にしては、ひどく丁寧な筆致だった。
見慣れた顔を見た瞬間、俺の胸の奥はすっと冷えた。
似姿の下には『マリー・バッドガール』の名。
一瞬だけ視界を赤く染め、目の前の人物の名前を俺は〈第四の目〉で確認する。
そしてやっと気がつく。
マリーの個人クエスト『過去からの刃』──それが始まってしまったのだと。
目の前の男性、聖騎士カイウスの灰色の瞳を、俺はじっと見返した。
□
マリーの個人クエスト『過去からの刃』。
原作ゲームではマリーとの好感度が一定値を超えた後のお出かけ時に発生する、襲撃クエストだ。
この事件を通して、原作主人公はマリーの正体を知り、関係性が深まるという流れだった。
正体を知ったうえでマリーを守るという選択をした主人公に、かつて好感を覚えたことを俺は懐かしむ。
西日が差し、互いの影が石畳の上に細く伸びる。
老騎士の灰色の瞳を、俺は見つめた。
ひと呼吸の合間に考えを巡らせ、俺はカイウスの問いによどみなく答える。
「うーん……。隣のクラスにいたような……。有名な方ですか?」
俺がそう答えると、カイウスは白髪交じりの髪に右手を乗せた。
篭手の上から頭をかいて、彼は視線を落とす。
ぱっと顔を上げて申し訳なさそうに首を振った。小さな画板を腰の袋に彼はしまう。
「いえ。有名ではないかもしれません。いや、そうですか、お手をわずらわせました」
「いえいえ、お力になれずにすみません」
「なんの、こちらこそお時間を……おや?」
そう言ってカイウスが俺の胸元に目を留める。
まずい。なにかやらかしたか?
そう思う間もなく、突然にカイウスは俺に近寄る。手を伸ばせば届く距離で彼は立ち止まった。
「その羽ペンと開いた本を象った金バッジ……まさか、ゴールドランク冒険者?」
「は、はい?」
カイウスが、俺の制服に付けているバッジをまじまじと見る。冒険者ギルドから取り寄せた証明バッジ。俺は上級冒険者学校の制服とならんで、こいつを魔除け替わりに使っている。実際、観光客からナンパされる回数は目に見えて減った。
カイウスの手が伸びる。ついには、俺の手を持ち上げ、自身の手で包み込んだ。革と鉄の匂いに、香がかすかに混じり、俺の鼻をかすめる。
近いなこの人? 実家の商店でよく開催する握手会の女性たちのようだ。
厚い革手袋が手を包み、篭手の縁が手首にひやりと触れる。がっしりと手を握っては、放さないという意思を感じた。
「も、申し訳ない。ひとつお聞かせください。あなたはレベルが下がった経験はおありですか?」
そこまで言われて、俺は理解する。目の前の老人が、俺のことを女神教がうたう英雄と勘違いしてるのだと。
驚かせないで欲しい。
俺は大きく横に首を振って返した。
「いえいえっ。下がったこと、あります。前も、レベル2に落ちましたし」
「なんと……っ。これは、失礼しました」
カイウスが一歩下がった。ようやく握手から解放される。
彼が再び顔をあげた時には、焦りの色は表情から消えていた。
細めた眼差しを俺に向けているのは、まだ疑念が残っているからだと察する。
「ですが、ゴールドランクでしょう? レベルは4が必要となるのでは?」
「え~複雑な事情がありまして。レベル3でも、特例を認めてもらっています」
「なんと。時代は変わったのですね……。それでも、レベル3はあると。お若いのに大したものだ」
そう言って、カイウスは胸元を払った。背筋を伸ばしてから、顎先を包む。俺を上から下まで、また眺め始めた。
途中で視線が合う。俺が見下ろし、カイウスが見上げる形となった。
カイウスは口角を上げる。夕焼けがえくぼに濃い影を落としていた。
「よく鍛えられたいい体だ。大樹のように分厚く、力強く、たくましさすら感じさせる」
たくましいという表現に、俺は面食らう。
たいていは、女性に向けて使われる言葉だからだ。
「……どうも?」
あいまいに感謝すると、カイウスはわずかに目尻を下げた。
「失礼。思わず、口走ってしまいました。男性をほめる言葉ではありませんでしたな」
そう言ってから、カイウスはすぐに表情を引き締める。
灰色の瞳の奥にあった柔らかさが引き、代わりに静かな決意を瞳にたたえていた。
「レベルを高く保ち、なお鍛えを捨てぬ男性は稀です。だからこそ、目についた」
ほめられているのか、観察されているのか。
たぶん両方だ。
この男はもはや俺をただの学生とは見ていない。
そして俺もまた、この老騎士に抱いていた感情を、改める。
作中ではマリーを付け狙う復讐者として登場した、カイウス・オルフェン。
交易都市ミカ内で主人公たちを襲撃してくる危険人物だと、先ほどまで思っていた。
……が、原作とは異なり、いまや好好爺のように、俺の目には映っている。
最初は、知らないふりのまま別れるつもりだった。
学校に戻ってマリーに当面外出を控えるよう忠告し、カイウスに対抗するための準備を万全に整える気でいた。
だが、歩み寄る可能性があるのであれば、探ってみる価値はある。
交渉で戦闘を回避し、クエスト解決できるのであればそれに勝る成果はない。
俺はリヴィエ村で事件を解決した時のことを思い出す。
スタンピード対応と〈闇の華〉を討伐したことで、偉業を達成したと見做され、経験値を獲得していた。
今回のクエスト──『過去からの刃』も作中では解決した際に経験値を得ることができていたことから、同じように入手できる可能性が高い。
俺は打算的な思いから、もう少しこの老人との探り合いを続けることにした。
「……立ち話もなんですから、よかったら場所を変えませんか? 近くの喫茶でどうです?」
俺がそう返すと、カイウスは一拍だけ沈黙した。
路地の向こうを白ローブの修道士が横切り、石畳を打つ足音だけが小さく残った。
「よろしいので? 私としては願ったりです」
低い声が、夕暮れの空気へ落ちる。
値踏みするような冷たい視線が肌を撫でるのを、俺は感じ取った。
──原作どおり殺し合うのか、別の道はあるのか。
目の前の影はどこまでも伸びていく。黄昏を背に、俺たちは歩き始めた。




