第3話~第4話
◇(3/6) 未来のオレ様英雄とパーティを組んだ私◇
──あの出会いの後。
私はダークに気に入られ、初心者同士でパーティを組むことになった。
ダークは隣のアギラ地方からの流民らしい。
村は去年、スタンピードによるダンジョンモンスターの襲撃、そして人類を滅ぼそうとする淫魔族の追撃に遭って壊滅。
身一つで火の帝都近郊に逃れてきたとのことだった。
『わ、私が前に出てダークを守るよ!』
『いらん。脆いから却下。盾の才能ないよ、お前。でかぶつを囮で釣りだせ』
『え……? あ、足の速さも、そんなには……』
『うるさい。体力つけろ。死ぬ気で走れ阿呆』
「ひぃいいいいいいっ!!」
マンモスほどの大きさの〈火炎ムカデ〉を背に、私は走っていた。
後ろでまとめた黒髪が薄藍の外套共に尾を引く。
革ブーツが岩肌を叩き、けたたましい足音が響いた。
氷耐性ポーションを片手に握り締め、私は一心不乱に黒岩の廊下を駆ける。
ちらと後ろを見ると、暗赤の光が石壁の縁を舐めている。
焼けた空気が褐色の頬を打ち、金属を焦がす匂いが鼻を刺す。
無数の脚が岩肌を擦る。甲殻の継ぎ目が素早くうねり、私に近づいてくる。
わき腹が痛い。
ふくらはぎはつりかけで、肺がつぶれそう。
喉の奥は砂を飲んだみたいにざらつき、舌に鉄の味が広がる。
「だ、だぁあああああああくぅぅううううう!」
指定のポイントまで、あと少し。心の中で合図を刻む──三、二、いま。
目の前の竪穴が口を開ける。私は踏み切る。空気が一瞬軽くなる。
岩肌に肩をぶつけ、背で転がって受け身を取った。
手袋越しに感じる石の温かさが、さらに身体から水気を奪う。
──はやくはやくはやくっ!
氷耐性ポーションの蓋を歯で引く。
苦い薬草と薄い甘さの混じった液を口に流し込む。喉の内側を冷気が駆け下り、胃の底で小さく弾けた。
飲み干すと同時に、私を見失って地上で右往左往するムカデの身体に、白い霜が降りていた。
『氷の牢獄』
ダークの声が遠方から届く。
空気が一拍だけ凪ぎ、次いで、白い霧が〈火炎ムカデ〉の足元から生えるように立ち上がった。
霧は石壁の光苔まで凍らせ、甲殻の稜線に沿って氷が走る。
透明な柱が幾本も芽吹き、紅い体躯を格子状に抱きとめる。
「うぅ……!」
私は穴の底で薄藍の外套に顎まで潜り込み、膝と胸をくっつけて身を縮める。
皮膚の上を冷えが針の群れになって走った。
奥歯が勝手にカタつく。
耐性ポーションの膜を、ダークの規格外の魔力の寒気が易々と貫いてくる。
いつの間にか、大仰な氷の花がそびえ立っていた。
下から見上げるそれは、洞窟の天井に届こうとする塔。
氷の表面に走る細かな文様が灯りを拾い、青白い光の筋が私の頬を横切った。
『氷の破壊』
短い詠唱が、刃の背で叩いたみたいな音を残す。
氷華に蜘蛛の巣状のひびが走り、私の目の前で、包まれていた〈火炎ムカデ〉ごと塔は崩れた。
──ぱりん。
砕けた破片は光を孕んだ粉となり、洞の気流に乗って舞い上がる。
マンモスほどの大きさだった虫は、ダイヤモンドダストへ変わり、手を伸ばせば溶ける距離で消えていった。
頬に触れた粒が、一瞬だけ夏の雪みたいに冷たい。
私はそうっと穴から顔を出す。
さっきまでムカデがいた場所に、まばゆい光を宿す核晶と、火晶珠、甲殻片、それから巨岩サイズの白い肉塊が一つずつ落ちている。
ダークが銀髪を揺らしながら、粉雪の向こうから歩いてくる。
黒外套の留め具が小さく鳴る。
筋肉質な両腕を組んで彼は立ち止まる。
霧氷の粒が肩に降り、即座に溶けて、黒外套に濃い色の斑を作る。
短く、彼はつぶやいた。
「ふん、雑魚が」
「ざ、雑魚って……。レベル4の〈特殊徘徊魔物〉じゃん……。レベル4のプラチナランクのパーティでも逃げ出すレベルじゃん……。シルバーランクの私たちじゃ、本当は相手にしちゃいけないじゃん……」
「うるさい。他のより、こいつのほうが稼ぎがいいだろうが。オレ様には雑魚だったぞ?」
「そんなこと言うの、ダークだけだって! ……あ」
「む」
「また、レベルあがったね」
私が氷魔法の残滓に身を震わせていると、ダークの身体を黄金色の光が覆った。
レベルアップを果たした光。
──私が見ている範囲だと、これで三回目だった。
「そろそろムカデの味も飽きてきたな」
坑道に、低い声が反響した。
氷の粉がまだ空に残っていて、坑道内に備えられた火晶ランタンの光を受けて銀砂みたいに流れる。
ダークが長い波がかった髪をかき上げる。
昔は泥や煤で汚れていた髪は、今や白銀のように輝きを放つ。
肌にもつやが戻り、うっすら赤みを帯びた薄橙を取り戻していた。
碧眼が〈火炎ムカデ〉の遺した戦利品──主に白い肉塊を、興味なさげに捉えた。
彼は無造作に、私の頭へ大きな手をのせた。
力みはない。髪が押されて、私は眩しそうに見上げる。
見上げた先で、彼の眉が動いた。
「今日は別の料理を頼むぞ、ちび。飴玉もそろそろ新しいのがいい」
「誰がちびよ! 私は平均身長ですぅ、たぶん! この意地悪男! わがまま! オレ様! 注文多すぎ!」
「前みたいに牛乳って呼ばれたほうがいいのか?」
「んなわけないじゃんド失礼なやつね!」
「うるさい。オレ様のおかげで、お前もレベルあがったし、生活よくなっただろ? 黙って従っておけ」
「むぅ~~っ!」
言い方ってもんがあんでしょこのドS男!
頬をふくらませてにらみ上げても、彼は気にも留めず私の髪をくしゃりとなでつける。
そのまますれ違い、ダンジョンの入り口へ向かって彼は歩を進めた。
熱気で空気が揺らぎ、彼の外套の裾が波みたいに揺れる。今日はもう、潜る気分じゃないのだろう。
「ちょ、ダークっ! 待ちなさい!」
「早くしろ、先行くぞ」
私は慌ててしゃがみ込み、魔法の携帯袋の口を開く。
革の口は小さいのに、落とした白い肉塊や甲殻の破片、赤い結晶まで、呑み込むみたいにするする入っていく。紐を引いて封を締め、立ち上がって彼の広い背中を追う。靴裏に砂つぶてがきしみ、冷えた汗がうなじを伝った。
──魔法を学んでから、ダークはみるみるうちに強くなった。
実家から持ち出していた初級の魔導書だけでは足りず、私は防具屋の重い扉を何度も押した。
家から持ち出した装備を一つ、また一つ。手放しては、ダークのために魔導書を揃え、彼に読み方を教えた。
その甲斐あって、私たちの暮らしは安定した。
今は城壁近くの二階建ての小さな家。
台所には火晶石のオーブンが据え付けられていて、青白い火が石窯の奥で絶えず脈打つ。
夕暮れどき、鍋で糖蜜を焦がすと、部屋じゅうが甘いにおいで満ちた。
私は飴玉を包み紙に落とし、彼は本を片手に窓辺で呪文を口の中でそらんじる。
そんな夜が、もう何夜も続いている。
天性の魔法使い。
おそらく、ダークは魔法関連の才能を持っている。
──それに。
私はまだ、彼のレベルが下がるのを見たことがなかった。
父も従兄弟も、数え切れないほどダンジョン探索に付き添ってようやくレベル2。
しかも母たちの機嫌を取った晩にはレベルが下がることもあった。
市井の一般の男性は、ほとんどがレベル1だと聞く。
この世界の男性は異性と愛し合ったり溜め込んで暴発した際に、経験値を失う。
男性は神に呪いをかけられている──そのためレベルが下がるのだと、子供の頃教わった。
……けれど、ダークは今日で4。
歩幅に合わせて揺れる彼の横顔を見上げ、私は胸の前で指をきつく握り込んだ。指先が汗ばみ、包帯の縁がきゅっと鳴る。
あの日、掲示板で見た紙片を思い出す。
赤い封蝋が押され、黒い文字が石壁に冷たく貼り付いていた。
『女神教より告示──“レベルが下がらない男子”は保護・収容の対象とする』
◇(4/6) 好きを知る私◇
私たちは荷を軽くして、また次の街へ向かう準備をしている。
火の帝国を西へ東へ。
冒険者ギルドの印章を頼りに、初級から中級のダンジョンで日がなモンスターを狩る生活を続けている。
同じ街に長くいると、空気が重たくなる。
掲示板の前でささやきが厚みを増し、視線がこちらの背中に張り付く。
ダークの冒険者札に刻まれた銀のランクより、彼の討伐記録の数字が抜きん出るたびに、帳場の女書記の眉がわずかに跳ね上がるのを、私は見逃さない。
だから、私たちは動く。
ちょうど今も、通りを白布の腕章に青いシスターヴェールを被った検査官が横切った。女たちの声が一瞬だけ細くなる。
赤黒い溶岩石の街、香辛料の屋台が並ぶ市門の街。街を渡り歩いて、人々の記憶に残らないように努める。
ただ、隠せないものがひとつある。
三年も経ち、十五歳を迎えたダークは道行く人が立ち止まって息を呑むほどの美丈夫になっていた。
彼の見た目──日差しにほどける銀髪、氷を思わせる碧眼、陽で少し濃く見える薄橙の肌。旅の塵を払っても払わなくても、目立つものは目立ってしまう。
──火の帝国の女たちの声はまるで香辛料みたいに強い。
「ねえ、坊や。そんな荷物持ちと組むの止めて、お姉さんたちとパーティを組まない?」
「あ、あなたが、あのダーク? 嗚呼、なんて美しいのかしら……。私の側夫に加えてもいいわ」
鉄槌を軽々しく担ぐ赤毛の女性、香油の匂いをまとった商家の娘など、様々な女性がダークに色目を使う。
女が誘い、男がうなずく──それがこの世界の呼吸だ。
女性たちに誘われるたびに、ダークは私が教えた魔除けの言葉を振りかざして断っている。
「お前ら家事はできるのか? 言っとくが、オレ様はやらんぞ」
「は?」
「え?」
「オレ様が稼ぐから、お前らが料理・洗濯・掃除をしろ。話はそれからだ」
「男のくせに……!」
「ほ、他の夫にやらせるわ! それでいいでしょう?」
「嫌だね。なんで他の男の手料理なんぞ食わなきゃならんのだ? オレ様の料理番はもう決まってるんだ。ああ、噂に聞く『風土珠』『霊狼の鎧』『神翼の羽衣』『火焔のマント』を持ってきたら、考えてやらんでもないぞ」
「ど、どれも伝説のアイテムじゃない!? 『風土珠』は行き方も分からない仙島の!『霊狼の鎧』『神翼の羽衣』はレベル8のレアモンスターのドロップ品! 『火焔のマント』に至ってはこの国の守護精霊サラマンダーに認められたものが得られる伝説の品! む、無理難題が過ぎるわ!」
「そういうことだ。──行くぞ、ちび」
「う、うん」
そう言ってダークが難題を口にすると、誰も食い下がることはなかった。
決まって彼は何事もなかったように歩き出し、私は肩紐を握り直して後に続く。
──ダークと過ごす日々は、私にとってかけがえのないものとなっていた。
異世界の常識に馴染まない私に、ダークの存在は大きすぎた。
彼は容赦なく私の手を引っ張っていく。無茶苦茶に付き合わせないでほしいのに、手を引かれるのは嫌じゃない。そんな矛盾が、私の内側を温かくする。
彼の横顔を眺めるのが好き。
頬骨の影に一日の疲れが落ちる瞬間も、笑うときだけ目尻に皺が寄るのも、全部。
私の作った飴玉を舌で転がす姿が好き。
無言で差し出したときの、ほんの一拍の“ありがとう”みたいな沈黙も。
ベッドの上で、彼に頭を撫でられるのが好き。
指先が髪を梳くたび、考え事がほどけて、かわりに不安が顔を出す──この時間は、いつまで続くのかと。
たくさんの“好き”で、胸がいっぱいになる。
甘さで満ちるたび、どこかがきゅっと痛む。飴が小さくひび割れて、舌先に鋭さを残すみたいに。
いつまでもダークとの暮らしが続けばいい──。
そう、私は願っていた。願いは祈りより静かで、告示の黒い文字よりも弱い。それでも、歩幅を合わせるたび、心の中の小さな灯は少し明るくなる。
そんな夢のような時間も。
街に溢れる炎と共に、終わりを告げた。




