第25話 商会令嬢との秘密
山頂から緩やかに下る尾根道をたどると、小さな踊り場に出た。
昼の陽はまぶしく、稜線の向こうには高い雲がまばらに浮いている。
原作ゲームでは、この場所で道は左右に分岐し、右手は行き止まりの袋小路となっている。
俺がカーラに指示して、罠を仕掛けてもらった地点だ。
迷わず右へ踏み込む。
ザラつく砂利を踏むたび、靴底に小石がはねた。
やがて切り立った岩壁が行く手をふさぐ。
その下で、アリスが膝を抱えて体育座りになっていた。
赤い外套は埃と石粉でくすんでいる。
金の髪は肩口でほどけ、淡く光を透かす。
アリスの左隣に、罠に使った白ファーのハーフブーツ――跳躍靴があった。
俺は眉を下げ、跳躍靴を見つめた。
足音をできるだけ殺し、アリスへ近寄る。
彼女が顔を上げることはなかった。
彼女の隣にたどり着き、腰を下ろして両足を放り出す。
太陽を背にした岩肌はまだ温かく、背中に穏やかな熱がじわりと伝わる。
「座るぞ?」
問いかけると、アリスは小さく肩を揺らし、横目でこちらをうかがう。
泣き腫らしたまぶたがわずかに赤く、日に透けてかすんで見えた。
彼女の褐色の頬に、雫が艶めいてきらめく。
「……もう座ってるじゃない」
「まあね」
「笑いに来たのね」
鼻声まじりの低い呟き。
澄み渡る空を仰いでも彼女の声は晴れず。
「笑いに、来たのかもな」
端的に答える。
俺は手のひらで転がした指先ほどの小石を遠くへ弾く。
転がった石が乾いた音を残し、崖へと転げ落ちた。
高原を渡る風が、俺たちの間に草の匂いを運ぶ。
「──笑えばいいのよ。あなたが、勝ったんだから」
アリスは声を強める。
やがて顔を上げると、彼女は膝を崩し、俺に近寄っては問い詰め始めた。
黄金の瞳が、まっすぐに俺を見上げている。
「ねえ、どうやって私たちより先に山頂に行けたの?」
「それは……」
問いは静かながら、声の芯が震えを帯びている。
彼女は下唇を噛み、細めたまなざしを寄こす。
緩やかに、俺は言葉を継いだ。
「ひとつ上の先輩から、〈飛行術〉や跳躍靴でショートカットできるポイントを教えてもらってたんだ。だから、そっちより余裕をもって山頂に行ける見込みだった」
原作知識によるものだと、俺は告げないでおく。
〈第四の目〉と原作知識――この二つがある限り、負ける気はしなかった。
──結局は、アクシデント続きでぎりぎりの勝利となってしまったが。
「……そんな始めから、差がついてたのね」
苦笑する唇が、かすかに震えていた。
「レベルによる体力差を埋めるには、やるしかなかったからな」
「でも〈飛行術〉は普通、レベル3じゃないと使えないはずよ?」
「レンだよ」
俺は目元に指を寄せ、自身の目を指差した。
その仕草一つで、アリスは理解したようだった。
アリスたちの才能や素性を知っているということは、レンの才能※1も俺は知っている。
察したアリスは細い吐息と共に伏し目がちになり、腕を組むのでもなく力なく垂らす。
「……完敗、ね」
「惜敗だろ? 事実、カナメに最後の一撃を取られそうだった。ルールルーは、移動に〈中転移〉を使わなかったんだな?」
使ったのは最後だけだったのだろう。
アクシデントに加えて、ルールルーが始めから〈中転移〉を使っていれば俺たちは負けていた。
俺の問いに対し、アリスは自嘲めいた声をこぼす。
「ふふ……。あの子が転移を使えるなんて、私は知らなかった。『どうして使えるって言わなかったの』って聞いたら、あの子、なんて言ったと思う?」
俺の返答を待たず、アリスは言葉を継ぐ。
「”詳しく聞かれなかったから”、ですって。……教えてもらわなきゃ、分かるわけないじゃない。レベル3の魔術師が転移魔法を使えるだなんて、普通思わないでしょう?」
「……それはそう」
転移魔法はレベルが低くても習得可能ではある。
だが、制御の難しさ・消費魔力の多さから実質高レベルの魔術師が習得する魔法と世間では認識されている。
俺はルールルーに内心で感謝を送る。
彼女の物ぐさな一面が俺たちに勝利を呼び込んだ。
「──ふふっ、とんだ道化ね、私。私のせいで負けた。私が〈飛行術〉を覚えていたら。私がほんの少しでも仲間の信頼を得て、情報を共有してもらっていたら。私が自分の才能を過信してなかったら。――私の実力があなたに近かったなら、カナメの剣が届いていた。私、自分の価値をずっと見誤っていたのね」
アリスは首を横に振り、晴れ渡る空へ短く視線を泳がせた。
そして、再び正面を見据え、俺を見る。
黄金の瞳がわずかに潤み、目頭から涙がこぼれた。
平静を装いながら、俺は革手袋を外す。
彼女の目頭に素肌を伸ばし、涙をすくい取ってやった。
アリスは泣きながらも微笑み、さらにこちらへ身を寄せる。
吐息がかかるような距離で、彼女は俺の顔を見上げた。
こうやって甘えられると、アリスが年下の女の子であると実感させられる。
この世界の女性が本当に求めているものを、俺はいまの彼女の中に見出した。
(この世界の女性は内心、甘えられる存在を求めている、か)
千六百年前に女神が性差をなくすために、男性に成長阻害の呪いをかけて以降。
女性たちは責任を負う立場に無理やり立たされた。
だが、女性の中に眠る本能は、長い時を経ても忘れられるものではない。
アリスのような強い女性であっても、自分を導く・保護する存在に無意識に惹かれるのだと、原作の設定資料集には書いてあった。
俺はそのことを肌身で理解する。
きれいな異性に迫られ、心拍は速まっていく。
思わず喉が鳴る。逸らしかけた視線を、俺はなんとか正した。
アリスが、黄金の瞳を瞬かせながら言葉をつづる。
「──あなたの価値を、測りたかった。あなたより私のほうが優れていると、示したかった」
「……出会った時から、ずっと言ってるな」
「嫌じゃない、一人だけ価値がわからない存在がいるなんて。しかも男」
かつて、王都迎賓館で開催された商会連合・黎明の社交会※2。
──あの時もアリスは俺を見るなり『測定不可能』と肩を落とし、シャンパンの泡をにらんでいた。
俺が転生者ゆえか、それとも別の因子か。
答えはいまもわからずじまいである。
「負けるって、こんなに悔しかったのね。すっかり、忘れちゃってた」
「心配したよ。みんなして、すごい落ち込んでるって言ってたから」
「──その心配は、婚約者として?」
問いと同時に、アリスはそっと俺の片肩へ額を預けた。
薔薇の香りを残す金髪が頬をくすぐる。
俺は激しく高鳴る心拍を抑えつつ、空に漂う薄雲を一度だけ仰いだ。
□
原作ゲームでは、モブ・アイカータはアリス・マーケッタと婚姻関係にあった。
本来は、モブ・アイカータが女体化したせいで婚約は破談──契約を反故にしたと見なされ、違約金の支払いでアイカータの経営が傾くイベントが発生する。
ただ、この世界では俺は男のまま。
アリスとの婚約関係は何一つこじれることなく、続いている。
「その婚約。あくまで名目上はって、言ってなかったか? 在学中は秘密にして互いに不干渉。君は自由に遊んで、俺は君との婚約をいざという時の魔除け替わりに使う。そう取り決めたはずだ」
視線を外し、俺は足元の石片を靴先で軽く弾いた。
石がカラリと音を立て、乾いた砂埃が舞い上がる。
「前まではね。……いまの気持ちは、違う。それで、どうなの?」
アリスは金の前髪を揺らし、変わらずこちらへ体を傾ける。
柔らかさを肩越しに感じる。
俺の体熱は上がる一方だった。
彼女の翡翠の耳飾りが光をすくい、小さく揺れる。
「……学友として、かな」
俺は拳を固く握る。
社会の規範に反し、レベル上げに励む俺は、後継を求める立場に相応しくない。
口にしてみれば、それがいまの自分に背負うことができる限界だと痛感した。
「そっけないのね。そこは、『愛する愛する貴女が心配で、居ても立っても居られなかった』じゃない?」
「行動では示したろ」
「……っ」
アリスの肩が小さく震えた。
彼女は唇を噛み、頬の朱を隠すように視線を斜め下へ逸らす。
この場にいることが答えである。
俺は肩をすくめ、軽く笑いをまぜた。
「──あなたには、適わないわね」
ややもして、アリスは無言のまま腰の携帯袋へ指を差し入れた。
黒革の輪を取り出す。
彼女は両手で包むように俺の手のひらへそれを乗せた。
指先が触れ合い、微細な震えが伝わった。
「ア、アリス?」
「……本当は、それであなたの所有権をアピールしたかったんだけど」
熱を帯びた革の感触が手のひらに残る。
アリスは瞳を閉じ、小麦肌の喉を晒すように顎を突き出した。
「おい、待て。まさか」
「女に二言はないわ。負けたら、あなたの犬になる……そういう約束だったでしょう? ――あ、髪が邪魔だったかしら?」
彼女は自ら金糸をすくい、指先でふわりと持ち上げる。
透ける光が髪を薄金に染め、肩先で宝石のようにきらめいた。
俺の戸惑いも焦りも置き去りにして、アリスは褐色の首筋をさらし、輪がかかるのを待ちわびる。
「ね、ねえ、早くして?」
「ちょ、ちょいっ! 落ち着けって! 俺は別に望んでないっ!」
「商人が契約を反故にする気?」
「ぐっ」
「さあ、どうぞ」
胸奥で鼓動が一拍、強く跳ねた。
なぜ俺が追い込まれているのだろうと、胸中で愚痴る。
契約を反故にする気かと問われ、俺は逡巡した。
十秒ほど考える。
利を天秤にかけた末、アリスの望みを叶える方が得策だと悟る。
俺は大きくため息を吐いた。
手元の金細工の留め具を外す。
爪弾く金属音が乾いた空気を裂き、間近のアリスのまつげがピクリと震えた。
「い、行くぞ」
「ええ、来て」
アリスは小さくうなずいた。
いったい俺は何をやっているのか――。
そんな疑問を飲み込み、革を彼女の首にそっと巻きつける。
「ひゃっ♡」
「だ、大丈夫か? 止めるか?」
「大丈夫。ちょっとひんやりして、驚いちゃった。続けて」
唾液を飲み干す。
『エロい声出すなバカもん』と、喉奥まで言葉が出かかった。
アリスのうぶ毛に触れぬよう注意しつつ、俺は指先で長さを微調整する。
耳元で彼女が何度も小さく喉を鳴らし、呼気が甘く温かい霧となって頬へかかった。
俺の脳内で強風波浪警報がけたたましく鳴る。
理性くんは、田んぼを見に行ったっきり帰ってこない。
わずかに残された良心だけが俺を踏み止まらせている。
俺は感情を必死に殺す。
無心で手を動かし続ける。
最後に金具へ革を通してカチリと留めると、微かな振動が指を通じて伝わった。
締め具合を再確認し、そっと手を離す。
陽光の下、黒革の輪が金髪と小麦肌の境で映える。
細い鎖骨の陰に柔らかい影を落とした。
アリスは首輪正面の装具――金のリングにそっと指を当てた。
頬どころか、耳の先まで朱に染める。
おそらく俺も同じ状態だろう。
とにかく全身が燃えるように熱かった。
「ねえ、大変」
アリスが目を細める。
声を弾ませながら、彼女は言った。
「私、あなたの犬になっちゃった♡」
うっとりとアリスは笑みを浮かべる。
俺はヌシに火を浴びせられた時よりもずっと疲れを覚えていた。
あぐらをかいては、眉間をつまむ。
「勘弁してくれ……」
吹き抜ける山風だけが、俺の火照りをさらっていった。
□
その後――山頂で合流した途端に、アリスの首輪について俺はカナメたちに詰問された。
そして翌日正午には、集合場所に集まったクラスメート全員から、俺は畏怖とも興味ともつかぬ視線を浴びる羽目になった。
「く、『首輪かけ』のモブ……♡」
「あのマーケッタ商会の令嬢に首輪生活を強要するなんて、げ、激やばっス……!」
(……はあ)
俺の悪評はさておき。
こうして二度目のダンジョン実習は、無事に幕を閉じた。
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〈用語解説〉
※1 レンの才能=
〈大魔導士の資質〉
(知力ステータス大幅+、筋力ステータス-、取得魔法レベル上限+1)
※2 商会連合・黎明の社交会=
王都商工連合(通称・商会連合)が、マーケッタ商会を幹事に一年前の夏至祭前夜に開催した次世代交流イベント。
前半は壇上挨拶と後継者候補紹介、後半は立食形式の懇談会で、王都三大商会に諸侯家・地方商会を合わせ四十五家が出席した。
アイカータ商会の招待客として参加したモブは、低レベルながらも鍛え抜いた筋肉と巨体で女性陣の注目の的に。
その騒ぎに目を留めたアリスがモブの価値を計測し『測定不可能』となったことから、後の縁談へ発展した。




