第2話 え、俺が主人公の代わりに!?
「なるほど、事情はわかりました……」
「はい……」
光と影の境目で、上級冒険者学校の校長リンダ・リーダが細い眼鏡を押し上げた。
俺は静かにうなずきを返す。
男子寮廊下──木造の空間には、朝の冷気が漂う。
鳥のさえずりが耳に触れ、樹脂の香りが鼻をついた。
リンダの傍らには担任兼寮監のメイリーナ・タンニーン。
その背後に、寮に住む男子生徒と職員たち。
俺たちは野次馬に囲まれていた。
性別転換したカナメは、濃藍の甚平のまま護身用の刀を抱きしめ、喉の奥で嗚咽をこらえている。
俺もまた、木綿のパジャマのまま立ち尽くしていた。
「こちらの部屋は封鎖しましょう。学校の方で調査します。カナメ・ビゼン。あなたにはつらいでしょうけど、しばらくの間、その姿で過ごしてもらわないといけないわ……。かなり強固な呪いで、私の手でも解けなかった」
「うぅ……」
(レベル8の魔法職でも解けない呪い、か。原作どおりではあるけど……)
校長のリンダは御年六十歳の賢者で、世界最高峰の魔法職である。
そしてゲームのラスボスを倒すのに推奨されるレベルは10。
俺は内心頭を抱えていた。
「モブと言いましたか。あなたも部屋を移ってもらいます。新しい部屋はメイリーナが後ほど案内しましょう。本日の授業も二人は休んでよいです。では頼みましたよ、メイリーナ」
「はっ! お任せください」
赤毛の隻眼剣士が勇ましく答える。
「はいっ、みなさんも授業があるでしょう。早く部屋に戻りなさい」
リンダの一声で野次馬は退散する。リンダは転移魔法で姿を消し、残された俺とカナメは、大人しくメイリーナについていく。
「いつまで泣いてるんだ! 女だろう!」
「わ、我は男だっ! 我を誰と……!」
「今は女だ! 将軍家の子息だろうがこの学校に来たからには冒険者だろう! だったら呪いのひとつやふたつでうだうだ言うな! とっとと歩け!」
「うゔぅ……」
周囲の男子が一斉に目をそらす。
メイリーナの叱責の余韻が壁で反響し、天井の乾いた梁を震わせた。
性別が変わったことでこうまで扱いが雑になるのか。豹変した担任の態度に、俺は息を呑んだ。あまりの落差に、胸の内側がざわりと波打った。
「大丈夫か、カナメ?」
喉の奥で鼓動が跳ねるのを感じながら、カナメの肩をそっと支える。
「──っ」
「カナメ……」
カナメは唇を強く噛み、うつむいていた。
目は血走ったかのように充血し、今にでも決壊しようとするものを、カナメは必死にこらえている。
何が言えようか。
今なら、どんな言葉も安っぽく聞こえてしまうだろう。
震える肩をぽん、と叩く。
しばらくの間、俺はただただ、カナメと歩調を合わせて歩いた。
□
寮の玄関口の前、フリースペースに備え付けられたソファで俺たちは待機することになった。
目の前の元男子は刀を抱きしめながら、涙を指で拭っている。
「もうずうっと、このままなのか……?」
(はい、そのままです)
俺はとっさに言葉を飲み込んだ。
原作では結局解呪されず、モブ・アイカータは女性のままであった。
「ずうっと、ずうっと、女子に負けまいと頑張ってきたのに、我が女になるとは……」
原作でも主人公は〈女神の祝福〉の影響から並みの女子よりも腕っぷしが強かった。
カナメは男でありながら、和国の将軍を目指していた。
放蕩息子とそしられながらも研鑽を積み、入学時点でレベル3。
一年生女子の上位層に並ぶ実力者だ。
……反面、俺はレベル1。
入学前に鍛えてきた一環で、冒険者としての知識も戦闘技術もある。が、肝心のレベルは低いままだ。
俺は嘆息する。
原作を意識するあまり、俺は原作のモブ・アイカータとレベルを揃えた。
そのため、俺は少しばかり退廃的な生活を送っていたのだった。
(趣味の自家発電が、ここに来て最大の足枷になるとはちくしょう……!)
人生に後悔は付きものというが、今以上に後悔したことは、前世含めてなかった。
俺はひと呼吸置く。
かぶりを振ったのち、落ちついた口ぶりで、カナメに言葉をかけようとした。
その際一瞬だけ、彼女のはだけた胸元が視界に入った。
「──バストはちじゅう……せぇいっ!!」
「!?」
俺は慌てて自身の右頬をぶっ叩いた。
頬が熱い。鈍い痛みが走った。
「ど、どうしたモブ」
「なんでもない。正気を失いかけただけだ」
「大丈夫ではないような……」
「気にするな」
無意識での言葉がまろびでそうになる。
なにを計算してんだと己を叱りつけた。
非常に危ない。目の前にぶらさがったふくらみから必死に目を背け、改めて言葉をつづった。
「なあ、カナメ」
「う、うむ」
「カナメはなんのために、ここに来たんだ? 女子になったら、それはできなくなることか?」
「……む?」
カナメが俺のことをまっすぐ見つめる。
指を組んだ俺は、落ち着き払った声で言ってのけた。
「冒険者学校に来たってなら、強くなりに来たんだろ? 歴代の生徒たちも高難度ダンジョンを踏破し、格上の強敵を倒してレベルを上げた。それは、女の身でもできることだろ? くよくよしてる暇なんてないって」
「……」
「偉業を成したいなら、落ち込み続けるな。男に戻る方法は、一緒に探そう。俺も手伝う。まずは、冒険者学校生活、互いに頑張って行こうぜ」
「……ふっ」
カナメの頬が緩むのを見て、俺は目を細めた。
花のかんばせ(顔)から繰り出される笑みというのは、こうも心中をかき乱すものだろうか。
俺は心臓が高鳴っていくのを感じた。
「確かに、お前の言うとおりだモブ。──我には野望がある。その野望を果たすために、我は必ずや男に戻らねばならん。……が、その野望を果たすには、実力も必要だ。ここで立ち止まっている暇は、ないな」
「元気が戻ったようで、よかったよ」
「ふふっ、礼を言うぞモブ! お前は、なかなか見どころのある男だ。褒めてつかわす」
「そいつぁどうも」
「……先ほどの、手伝うという言葉、男同士の約束だからな? 違えてはならんぞ?」
「わ、わかったよ」
「ふふっ、ならばよし!」
カナメが柔らかい微笑みを俺に見せる。
頭をひとかきして俺はうなずいた。
◆□◆
男子寮に空き部屋がなかったため、俺は講義棟裏の平屋に引っ越した。
本来、原作主人公にあてがわれるはずであった木造のセーフティハウスの中。
俺はベッドの上、天井を眺めながら、朝の出来事を振り返った。
(俺が眠ったベッドも、原作で見たとおりだった。それなのに呪われたのは俺じゃなくカナメだ。どこかで条件を読み違えたのか……? もしかしたら、昔のあの時の行動が? くそっ、心当たりはある……)
完全にモブ・アイカータの生涯をトレースして生きてきたとは言いづらい。
原作設定資料や原作描写にない部分で起こした行動が、めぐりめぐって呪いの対象を変えた可能性は大いにあった。
──原作設定資料集どおりならば、カナメを男性に戻す手段はなかった。
女性になったカナメは淫魔王を倒すことはできるのか?
答えは、否だ。
(淫魔王は女性特効のスキル持ち。範囲内の女性を一瞬で腰砕けにして無力化する)
淫魔王を倒すには、男がレベル上げに励むしかない。
レベル10は、メインクエストを進めていく+いくらかの超級ダンジョン、神級ダンジョンを踏破してようやく到達するレベルである。
しかも、それは主人公たるカナメであればの話。
「女性のアプローチをかわしつつ、欲望を抑えながら、男の誰かがレベル10まで上げる、か……。ははっ……」
無茶苦茶な難題である。
事情を話しても、レベル10に至る苦行を耐え抜く男はこの世界にはいないだろう。とうに絶滅している。
世界は魅力的な女性にあふれており、そのうえで子孫繁栄の理に逆らい続けねばならない。
俺がやるしかない。
そんな気持ちに、させられる──。
(生前、ノーリセットでの低レベルクリアは、結局達成できなかったな)
それなりに原作ゲームをやりこんだ自負はある。この世界がゲームと類似した世界であるならば、原作知識を持った俺なら勝ち目はあるかもしれない。
だが、簡単な話ではない。
今のこの世界は現実なのだ。やり直しはきかない。
どうしても慎重になる必要がある。
すでに原作主人公が女体化しているのだ──原作知識がどこまで通用するのやら……。
俺はベッドの上で丸まって、膝を抱えた。
息を殺し、目をつむる。
俺はひたすらに世界に溶け込もうとする。
なにもかもを忘れて、迫りくる未来すらも、俺は考えないようにした。
幸せな現在に、ずっと浸る。
──十五分ほどそうした後、俺はゆっくりと首を横に振った。
(……俺は、淫魔王が勝った後の世界を知って、いる)
原作のバッドエンドが、脳裏に浮かぶ。
人類は魔物や魔族の苗床や家畜となり、女神の光も消え失せ、魔の時代の到来が描かれていた。
『……カ、ナ、メェ』
『あ、ああっ……!!』
女体化したモブ・アイカータが首だけになって主人公に語りかける瞬間。
それをまるで昨日のことのように思い起こしたのは、なぜだろうか?
ただの錯覚?
それとも、転生体の記憶なのだろうか?
首元に触れ、俺はまだ首から下が存在していることを確かめる。
(俺は……)
俺はゆっくりとベッドから降りる。
部屋を出て少し歩く。スリッパから靴に履き替え、玄関のノブに手をかけた。
外に出る。
冷たい外気を吸い込んでから、開いた手で俺は頬を張った。
空には青白いまん丸月が浮かんでいる。
俺は月光をにらむ。
拳を掲げ、力を込めた。
「やるか」
俺が主人公の代わりになれるかは、わからない。
けれど、あがけるだけあがこう。
俺はそう、月に誓った。
──まずは最初のダンジョン実習で、無理やりレベルを上げてみせる。




