第23話 エンバークロウとの戦い②
「モブ、くん。立てるか?」
背後のカーラが問う。
肩越しに俺は彼女を見た。
彼女の煤を帯びた頬に残るのは、乾き切った汗の跡。
琥珀色の瞳が、俺の目を捉えていた。
〈転輪の写盾〉の持ち手を互いに握り合っている。
彼女の空いた片手が俺の肩を支える。
カーラに包み込まれるような格好となり、俺は気恥ずかしさと安心感を一挙に覚えた。
俺はうなずいた。盾の持ち手をカーラに譲る。
立ち上がって、炭化した外套の裾を払った。
焦げ臭いにおいが鼻をかすめていく。
ブレスを吐き終えた〈エンバークロウ〉が、俺たちの頭上で翼を張る。
一度の羽ばたきで黄塵が吹き飛ぶ。
喉袋が脈動し、嘴の先へ溶岩色の光が集束――二度目のブレスを撒き散らそうとしていた。
「来るぞ!」
カーラに短い警告を送る。
俺は彼女の後背に回る。焦げた背鎧に肩を預けた。
〈エンバークロウ〉の口から火炎の息が放たれる。
灼熱の奔流が地面を舐める。そのまま広域に伸びて、俺たちに襲い掛かった。
「はぁああああ……!!」
カーラが盾を突き出す。水位相ルーンがきらめいた。
俺とカーラの二人を隠すように、水の透明壁がそびえ立つ。
〈転輪の写盾〉の水位相ルーンが生み出した膜が噴気と化す。
俺が握った時と明らかに違う。
カーラの盾スキルの高さが、魔力盾の大きさとして表れていた。
カーラを起点に火束は左右へ割れた。
俺の横を走る火炎が土を焦がす。
焦りはない。タンク職が稼いだわずかな間に、俺は魔法の携帯袋へ手を突っ込んだ。
半月弓と氷矢筒を引き抜く。
矢羽についた霜が即座に蒸散し、白煙となって舞い上がった。
【モブ、仕掛けるぞ! シモンの動きを見ろ!】
「――!」
こめかみに鈍痛。
脳裏にレンの声が突き刺さる。
通信魔法で短く、彼は意図を伝えてきた。
素早く左へ視線を振る――霧と熱の揺らぎ越し、シモンが片腕で顔を覆っている。
そして空いた右手で、俺が初手に示した狐の印を形づくった。
「カーラ、左側に移動! 閃光準備!」
張り上げる声が山頂を抜けていく。
呼応したカーラが走り出す。足元の焼けたつぶてを蹴飛ばしながら彼女は駆けた。
俺もその背へ貼りつくように並走。
焦げた外套が擦れ、炭の粉を撒いた。
滞空する〈エンバークロウ〉が赤金の双眸でこちらを追う。
羽ばたき一度、灼熱の気流が地表をなぎ払い、黒砂が砂嵐のように舞い上がる。
熱気が頬を打ち、鼓膜の裏で血流が脈打った。
風切り音をまとい巨鳥が滑空に転じる、その瞬間――。
シモンの手から離れた白い球体が光を放った。
カーラはそれに合わせて盾に隠れ、俺は腕で目を覆う。
〈閃光弾〉の白い閃きが山頂の闇を裂く。
〈エンバークロウ〉が顔を背けるも、黄金瞳に白膜が走り、羽ばたきが失速した。
炎羽から熾火がこぼれ、雨のように地へ落ちる。
シモンが稼いだ数秒。
十分すぎる時間だ。
俺は弓を半弧に構える。
氷属性の矢を二本、指の股で挟む。
レベル2スカウトスキル――〈二本打ち〉。
溶けた岩盤が不規則に灯るなか、弦を引き絞る。
肺に残った熱風を吐き捨て、狙いを定めた。
氷矢の一つは左翼の根元、もう一つは胸部を狙う。
手先がわずかに震える。
指を離すと蒼い双閃が火花を切り裂き、巨鳥の影へ吸い込まれていった。
その反対側では、レンが〈エンバークロウ〉にめがけて魔法を放つ。
『――氷の矢!』
「ギャアァアアアアアアアアアッ!!!??」
魔法の氷矢と共に、俺の矢も命中する。
放った矢は一本外れ、もう一本は腹部に突き刺さっていた。
氷花が咲き、灼けた羽軸に青霜が爆ぜる。
巨鳥の悲痛な金切り声は山頂の岩壁を震わせた。
(一本は外れた……けれど)
赤い目でステータスを走査――〈エンバークロウ〉の生命力は二割を切った。
畳みかけようと、残りの矢をつがえようとした時。
俺は視界の端で走る銀の流星を視認した。
□
(――カナメ!?)
炎熱と灰煙しかなかった空間に、突如ひらめく銀の流星。
一呼吸の間に、藍の小袖をまとう影と、巨鳥との距離が目に見えて縮む。
着地の音はほとんど無かった。
溶岩の照り返しが銀髪を撫で、残り火の中で刃紋のように輝く。
和装の侍は膝を沈めると同時に前へ疾走する。
草鞋の裏が黒曜片を踏み砕く。舞い上がった橙の火粉が後方へ光の尾をひく。
左手は赤鞘を握り締め、右手はまだ柄頭に触れていた。
この場にいる人間は五人。
モンスターの保有するスキル〈群衆補正〉は機能しない。
〈群衆補正〉でヌシにバフがかかることを嫌ったのだ。――まさに、最後の一撃をかっさらおうとする動きだった。
アリスとの賭けの条件はヌシを先に撃退した者の勝ち。
ルールルーの魔法〈中転移〉でカナメが単騎でこの場に跳んできたと、俺は確信する。
カナメの姿勢が一拍で消える。
白い残像を残して高く跳躍――銀の弧が溶岩色の大気を横切り、天頂で一度脈動する。
レンも、シモンも反応が遅れる。
俺自身も、飛び上がったカナメを視線で追うだけ。
――間に合わない。
静止しかけた時間のなか、俺の正面――カーラだけが動いていた。
「はあああぁぁぁああっ!!」
カーラが盾の縁を片手で掴み、焦げた靴裏で黒曜の岩床を蹴る。
焼けついた腕を振りかぶり、全身の慣性を載せて盾ごと放つ。
“ゴゥッ”
レベル2盾スキル〈盾投げ〉。
水位相ルーンが藍光を噴き、鏡面に薄蒼の水膜が走る。
〈転輪の写盾〉は円盤状に高速回転しながら火粉の海を裂く。
蒸気の尾を引いて、弾丸のように射出される。
「行けぇええええええっ!」
カーラのしゃがれ声が黒土を震わせる。
焦げたつぶてがわずかに跳ねた。
溶岩の照り返しを鏡面が拾い、橙と藍のストロボが山頂の闇を走る。
〈エンバークロウ〉の頭上の位置。
上段に構えたカナメが目を見開いている――。
降り注ぐ流星と飛翔する銀盤の軌道を、俺は両の目に焼き付けた。
□
カナメが黒曜の岩床へ膝をしずめて着地する。
ゆっくりと刀を払う。
音もなく、彼女は赤鞘に刀を納める。
一瞬の静寂。
息を荒げながら、カナメは言い放つ。
「お見、事」
カーラが投げた盾が〈エンバークロウ〉の胸元にめり込んでいる。
血の華が破裂。
鳴き声が噛み潰れた金属音に変わった。
巨大な影は裂けた岩棚へぶつかる。
砕けた羽根を撒き散らしながら、〈エンバークロウ〉は崩れる。
カナメは先に盾が絶命させるのがわかったのだろう。
彼女が途中で刀の軌道を変えたのを、俺は見た。
数拍の沈黙のあと、黒焦げの尾羽がぱさりと落ちる。
〈エンバークロウ〉が赤い粒子に姿を変えた。
〈転輪の写盾〉がこぼれ落ちる。岩肌で音を立てた。
赤い粒子は焔立つ気流に乗り、無数の火の蛍となって天へ昇っていった。
熱風が凪ぎ、山頂に柔らかな光が射し込む。
薄灰の雲間から澄んだ青空が覗く。
空域を支配していたヌシがいなくなり、魔素が霧散したのだ。
〈転輪の写盾〉のひび割れた鏡面に空の蒼光と、ダンジョン核の橙の光と、〈固有品〉の黄金光が映る。
盾を囲うように〈固有品〉とドロップアイテムが散らばっていた。
俺は息を止めたまま、立ち尽くしていた。
燃え残る羽根がぱちぱち弾ける音だけが、終幕を告げる余韻として耳に残る。
前に立つカーラが、ゆっくりとこちらへ振り返る。
琥珀色の瞳が茫然と揺れている。
俺と目が合った途端、彼女は唇をぎゅっと内へ噛み込み、肩を小さく震わせる。
「う゛う゛ぅ……」
煤で汚れたカーラの頬に、涙が白く筋を引いている。
俺は衝動にかられ、地を蹴った。
手放した弓と矢が、音を立てて岩肌を跳ねた。
「っしゃぁあっ!!」
「っ!?」
「やったなカーラ!」
俺はカーラの背へ飛びついた。
両腕を首に回す。
カーラのささやかな抵抗も、すぐにやんだ。
俺の抱擁を受け入れ、彼女はさめざめと泣き続ける。
パーティを勝たせたい――カーラの願いを俺は思い返す。
鼻の奥がつんとする。
彼女の肩に顎を乗せ、俺はそっと囁いた。
「ほんとに、ありがとう、カーラ。勝ったのはカーラのおかげだ。君が、勝たせたんだ」
「……っ」
カーラの喉がひく、と震える。
肩が上下するだけで声が出ていない。盾を投げた腕がだらりと落ちていた。
「モブ、カーラ!」
「皆様っ」
掠れた呼び声と同時に、軽い足音が重なる。
レンとシモンが横合いから俺たちに抱きついてくる。
俺とカーラの腰に、彼らはそれぞれ腕を回していた。
「う、うぅ……」
二人はこらえ切れない嗚咽を漏らす。
肩伝いに伝わる鼓動は速く、泣きじゃくる声が俺の鼓膜に響いた。
「う゛~」
カーラもまた、声にならない声をあげる。
俺もつられて涙ぐむ。
仲間たちに揉まれ、張り詰めていた緊張は一気にほどけていく。
にじむ視界の端に、俺はもう一つの気配を捉えた。
斜光を反射する銀髪、藍の小袖。
唇をとがらせ、黙然とたたずむカナメの姿を、俺は確かに見た。
微かな山風が吹き抜ける。
しばらくの間、俺は勝利の余韻をいまの仲間と共に味わった。
そしてひとしきり感情を絞り切った後。
山頂の奥で明滅する橙色のクリスタル――〈ダンジョン核〉に俺は目を向けた。




