第17話 男子班対女子最強班 対決開始
春シーズン第二週の四日目、午前。
アルディナ山脈の麓――幾筋もの雲がゆっくり溶ける峰の足元に、一年一組の生徒が集まっていた。
朝霧を吸った冷たい山風が袖口を滑る。
湿った土と若草の匂いが俺の肺の奥をひんやり満たした。
濃緑の樅と楢が幾重にも梢を重ねる林道を抜け、灰白の巨岩が鎮座する広場へ出る。
メイリーナから指定された集合場所。
巨岩を通り抜けると異界ダンジョン〈試しの山〉の内部へと繋がる。
既に集まっていた班は、革紐を締め直したり、採掘道具の点検をしたりと、出発前の最終チェックに余念がない。
鞘から短剣を抜いた金属音が重なり、湿った空気に鋭い余韻を残す。
少し離れた倒木の前で、魔導板帳を開いていたカーラに俺は話しかけた。
「カーラ?」
「うひゃいっ!?」
カーラが勢いよく魔導板帳を閉じる。
亜麻色の房が跳ね、革細工の携帯袋へ板帳を慌ててしまい込む。
琥珀色の瞳がぱちりと揺れた。
「あ、アイカータくん」
「真剣な顔してたけど、どうした?」
「な、なんでもないんだ、なんでも……。ただ、ちょっとした決意表明を、していただけで」
言い終える頃には、カーラの耳先は桃花のように薄紅を帯びていた。
「決意表明?」
「ほ、本当になんでもないっ! ……ちょ、ちょっと、花摘んでくる!」
逃げるように彼女はダッシュする。
甲冑の擦れる音が響く。
カーラの姿はすぐ林の奥へ溶けた。
残された静けさの中、俺はふと気になって自分の魔導板帳を取り出した。
一学年の学内共有型魔導板帳に魔力を通す。
自動執筆が始まる。魔力が走り、黒文字が面に浮かび上がってくる。
最後の書き込みに「絶対、勝つから」と刻まれているのを、俺は確認した。
本をそっと閉じる。
俺はカーラが走り込んだ先をじっと見つめた。
「……さすがにないか?」
俺は気を取り直して――カーラ、レン、シモンを待つ。
遠くで鳴いた山鷹の声が、これから始まる実習の空気を高く張りつめさせた。
□
「集合!」
メイリーナの号令が林にこだまする。
俺たち一年一組の面々は班ごとに縦に並んだ。
誰かの胸当てを正す微かな音が、全体に緊張を走らせる。
左隣にはアリス班の面々。
若草の香りが漂う中、アリスがちらと俺を流し目で見やった。
黄金の瞳が陽をはじく。
長い金髪を微風がひと筋揺らし、朝露を帯びた糸のようにきらめかせた。
彼女は右手に黒革の輪を持ち、見せつけるように指で弾いている。
先週話していた犬用の首輪を、わざと朝露の光にかざしてちらつかせた。
俺はぺろりと舌を突き出し、すぐに口角を吊り上げた。
鼻で笑う彼女をにらみ返す。
「今回のダンジョン探索は二日間に及ぶ! それぞれの班で計画を立て、自由に採掘・採取・狩りをしてこい! 持ち帰ってきた素材や物品がそのままお前らの評価となる!」
メイリーナが高らかに話す。
緊迫で周囲の空気が一斉に引き締まった。
「なんなら、ヌシを狩って来ていいぞ――狩れるならな。許可はもらっている。間違っても複数班であたるなよ? ――ヴェスター! 理由はわかるな?」
三列目先頭、水色おさげの〈直情槍娘〉──エレナ・ヴェスターが地面に突き立てた槍を強く握りしめる。
槍の穂先が朝日を受けて白く瞬いた。
張り上げた声が広場に行き渡り、鳥影を散らす。
「は、はいっ! 対峙する人数が五人を超えると、モンスター側が〈群衆補正〉でパワーアップするからです! 先週の授業で習いました!」
「なんでわざわざこんな常識的なことを私が言ってるか、わかるかヴェスター!?」
「うえぇ!? わ、わからないですっ!」
「毎年、誰かしらやらかすからだ! いいかお前ら、他班と固まっているところにモンスターが来たら、ちゃんとバラけろよ!? スタンピード※1が起きた時と一緒だ!」
注意事項の説明を終えたメイリーナが俺たちを見回す。
赤毛が風になびき、陽を帯びて焔のように揺れた。
一拍置いて、彼女は言葉を放つ。
「最後に! 全班明日の正午にこの場に集合しろ! わかったな!? 何か質問は?」
「あ、あのー。うちの班、一人来てないんスけど、しかもヒーラー……」
五列目の〈鷹使い〉ノエリア・シェリダンが挙手し、声を震わせた。
肩に止まる鷹が落ち着かない様子で羽音を立てる。
五班の班員たちは顔を青ざめさせ、担任の言葉を待っていた。
「ヒルダなら病欠だぞ。朝連絡があった。あいつ、かなり重い方らしい」
「ま、まじっスか!? ……うちら、さ、三人のままっス!?」
「当たり前だろうが! 欠員が出るのなんてとっとと慣れておけ! 支給品は追加で渡してやるから安心しろ!」
「とほほ~っス……」
「他にないな!? では最後に十分間、準備時間を与える! 一班から順に私の後ろにある巨岩の中に入れ! 空間のひずみから中に入れるからな!」
メイリーナの声が広場にこだまし、梢を揺らす風を呼んだ。
「お先に失礼、アリス」
「お先にどうぞ、モブ。──カナメの隣はもう、手放さないわよ?」
隣のアリスと短く言葉を交わす。
彼女の指先で回る黒革の首輪が朝日を拾い、鏡のような光芒を散らした。
「モブ……」
アリスの後ろから、カナメが一歩前に出るのを俺は見かける。
藍色の瞳と視線が交錯する。無言の時間が続いた。森のざわめきが遠くなるほどの静寂が落ちた。
「――すぐに取り戻すさ。それじゃ、いい旅を」
カナメの応えを見ずに、俺は前へ出る。
視界の端で、鞘を握る指先が震えたのが、かすかに映った気がした。
□
俺は大岩に刻まれた『薄紫の紋様』から放たれる脈動を背に受けた。
前回のダンジョン攻略で手にした〈兎の盗賊の手袋〉〈不動の跳躍する兎の足〉の具合を俺は確かめる。
その後三人の前に立ち、一人一人の顔つきを確認した。
レンは視線を落とし、細身魔杖〈雨の杖〉の柄を掌で撫でる。
袖口を握る指先がわずかに震え、レンが呼吸を整えるたびターコイズ色のローブの裾が波立った。
その隣で、灰緑を基調にしたシャツに軽革ジャケット、同色のロングスラックスを合わせたシモンが背を正して立つ。
多機能ベルトポーチを持ち上げ、シモンは薬瓶の並びを何度も確認していた。
最後に俺は、水鉄鉱プレートのハーフアーマーを着込むカーラを見た。
家紋を削ったハーフタワーシールドを右腕で小さく振り、カーラは慎重にバランスを測っている。
甲冑の合わせ目が軋み、淡い緊張の震えが空気に混じった。
「今度は、守る……。絶対、勝つ……。今度は……」
「カーラ?」
ぶつぶつと暗示のようにカーラは独り言を繰り返す。
カーラの隣に立つレンが、彼女を見上げながら嘆息した。
「残り五分!」
巨岩の隣に立つメイリーナが、懐中時計片手に叫ぶ。
第一班のみならず、カーラたちの後ろに控える面々の顔もいささかこわばっている。
場に緊張が伝播していた。
誰もかれもが、俺たち一班の動向を窺っている。
かくいう俺も胃の奥が焼けるような重みを喉に感じる。
俺は前世での小学生時代のことを思い起こし、自身と味方を同時に鼓舞することにした。
「──うひゃあっ!?」
俺が近寄って、カーラの左肩に腕を回した瞬間、列にざわめきが走る。
『──はあっ!?』『え──っ!!』『ざけんなッ……!!』といった言葉が飛び交った。
レンとシモンですら目を見開く。
カーラにいたっては耳まで紅潮させている。
俺は気に留めず、シモンを招き肩を組む。
革ジャケット越しに、彼の鼓動が俺の手に伝わった。
「レン、二人の肩に手を回してくれ」
「こ、こうか?」
「そうそう。みんな、そのまま足元を見る感じで」
そうっとレンがカーラとシモンの肩に手を回す。
円陣が完成すると、黄色い声がさらに大きくなった。
俺は並んだ緑頭二つと亜麻色の頭に向かい、語りかけた。
「──この一週間、みんな本当によく耐えてくれた。感謝してる」
俺の謝辞に感じ入ったのか、三人が肩を震わせたような気がした。
「特訓中、何度お前に魔力弾を叩き込んでやろうと思ったことか」
「ふふっ、まったくです」
レンが苦笑しながら答えた。
シモンが同意する。
「わ、私も特訓のおかげで、盾を持つまでは取り戻せた。──もうひと息は、足りなかったが……」
「大丈夫。それについては、なんとかなるさ。俺を信じろ」
俺はカーラの背中をポンと叩くと、彼女は安堵したかのように息を吐いた。
「俺たちは最短ルートを行く。カーラ、着いて少し経ったら作戦通りに頼む。レンは予定地点で風魔法と通信魔法、シモンは周囲警戒。……一秒たりとも無駄にしない。いいな?」
計画の振り返り――三人が頷く。
最後に、俺はこそこそと三人に耳打ちし、復唱を依頼した。
「残り一分!」
時間を通告される。
「見せつけおって」といらだつメイリーナの小言を背に、俺は叫んだ。
自分と仲間を奮い立たせるように、腹から声を出す。
「──絶対勝つぞっ!!」
「「「おーっ!」」」
広場中に俺たちの気合が轟く。
俺は両隣の背を叩き、顔をあげた。
正面を見ると、他の班の面々が胸に手を当てて立ち尽くしていた。
この世界にない文化を見て、何を思ってくれたのか。
間もなく、班員同士で顔を合わせ、彼女らはもじもじと目配せし始める。
その中で藍の瞳と一瞬交わる。
短いながらも勇気をもらった。
俺は両頬を叩き、背を向ける。
「よし行くぞっ!」
ざわり、と空気が揺れた。
戸惑いと興奮でざわめくクラスメートを背に、俺たちは大岩へと歩き出した。
◆□◆
異界ダンジョン〈試しの山〉内部。
身の丈ほどの『薄紫の紋様』が刻まれた大岩を抜け、亜空間内の黒土を踏みしめる。
一歩踏み出した途端、熱気と鉄錆の臭いが肌を刺す。寒暖差で、顎先から汗が滴った。
全員揃ったところで、俺は周囲を確かめる。
(森林の端。ってことは転送点③の位置だな……)
原作記憶を頼りに位置を掌握し、正面の木立を仰ぎ見る。
葉の合間から覗く赤い稜線が、薄闇の向こうで燃える刃のように屹立していた。
「よしっ。まずは……」
言いかけた瞬間、転送点の岩影にうごめく巨影を捉える。
湿った地面を擦る低い摩擦音。
熱気が鼓膜をふさぎ、呼吸音さえ曇らせた。
巨大な胴体が脈動を放つ岩壁に沿ってうねり、苔むした岩が音を立てて割れる。
俺は息を呑み、レンとシモンを後ろへ下げさせた。
背中越しに二人の鼓動が早まる気配が伝わる。
喉奥で苦いものがこみ上げる。今日だけは遭遇したくなかった。
だが、忌々しい運命は目の前で舌を這わせている。
特殊徘徊魔物〈無垢なる大蛇〉。
全長三十メートル超、レベル5の耐久型モンスター。
沼藍の鱗が湿気を呑み込み、油膜のような鈍光を放つ。
岩塊ほどの頭部がゆらりと持ち上がるたび、熱気が渦を巻き、落ち葉が舞い上がった。
黄色い目玉が、無機質なきらめきを宿して俺たちを捉えた。
その瞳孔が狭まり、鈍い金切り音にも似た呼気が周囲を震わせる。
カーラが前に出る。
〈無垢なる大蛇〉をにらみ返しながら、彼女は盾を構えた。
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〈用語解説〉
※1 スタンピード=生命体としてのダンジョンの機能の一つ。
ダンジョン内の魔素・聖素といった必要エネルギーの供給が不足すると、モンスターの活動が活発化し、近隣集落への襲撃が発生。
スタンピードを止めるには、ダンジョン内部のヌシを討伐する他ない。
スタンピードは「人を殺す」のではなく「捕らえてダンジョンへ運ぶ」ことを目的とする。モンスターたちは、熟成した魂やレベルの低い人間を積極的に狙う。




