第9話 凱旋
傾き始めた陽光が、森の出口を長く染め上げる。
俺の、しっとりと汗と泥を含んだ緑色の外套が風でなびいた。
鎧を脱がしたカーラの足の下から手を通し、両手を持って運ぶ。
もう一人の二年生の怪我人は、カナメとマールの二人かがりで輸送している。
俺は一歩、木の影から石畳へ踏み出す。
柔らかな草の弾力が靴底から失われ、硬い石が身体の重みを跳ね返した、その瞬間――。
風景が切り替わる。
今まで映されていなかった群衆が、目の前に唐突に現れた。
――異界から現世へと戻ったのだ。
この世界のダンジョンの半数以上は、異界と呼ばれる亜空間内に存在する。
ようやくダンジョンを抜けることができて、俺はひと呼吸置いた。
俺たちが現れたことで、学校敷地内の、初級ダンジョン前広場がざわりと揺れた。
「――お前ら、無事だったか!?」
視線が吸い寄せられるように俺たち――特に俺の背に集中する。
担任のメイリーナが歩み寄る。大剣が肩で揺れ、刃身が陽を照り返した。
観衆のどよめきが強まる。
若葉の芳香が混じる空気の向こうで、色とりどりの冒険者装備が波を打った。
帰還済みのパーティが円形に並び、その中央ではカーラと上級生に救われた面々が落ち着かない様子で俺たちを見ていた。
女剣士の片目は真っ直ぐ俺の背後――カーラへ。
「……生きてるようだな」
「はい。なんとか間に合いました」
左肩越しに俺はカーラを見やる。
血臭が、俺の鼻孔をかすめていった。
亜麻色の三つ編みが垂れ下がり、中空で揺れる。
目を閉じ、静かにカーラは寝息を立てていた。
カーラの出血も骨折も治療済である。
回復にあたり、本人の体力をいちじるしく消耗した。
彼女の肉体は今、寝ることで体力を取り戻している最中であった。
「――羨まっ」
「? どうかされました?」
「い、いや、なんでもないぞ! なんでも!」
メイリーナがかぶりを振る。うなじで三つに編んだ赤髪の束が、ふわりと乱れた。
マール、ヒルダ、マリンも、道中カーラに強い視線を送っていた。
今、この場の同クラスの女子たちも同様に俺の背に熱視線を向ける。
校長の孫のレンやその従者シモンについては、信じられないものを見たかのように目を見開いていた。
俺は気恥ずかしさを覚える。
カーラをゆっくりと地面に下ろし、横たわらせた。
俺が立ち上がるころには、マリンが先頭に立ち、代わりにメイリーナと言葉を交わしていた。
「それで、〈激怒の兎〉は今どこに?」
「彼らが、討伐しました」
「は――?」
目を細めるメイリーナを無視し、マリンが隣に立つ俺へと視線で促す。
視線の重さが合図となる。
俺は腰の魔法の携帯袋に指をかけた。袋の口を絞る銀輪がひんやりと指先を噛む。
〈激怒の兎〉から手に入れた戦利品を、俺は掲げた。
「こ、〈固有品〉……!?」
淡く黄金の輝きを放つブーツを見て、メイリーナの瞳孔が開いたのを俺は確認した。
〈不動の跳躍する兎の足〉
装備者の跳躍力に固定値加算/着地ダメージ軽減/筋力ステータス+2する汎用性に優れた装備だった。
加えて、ドロップ時に装備にランダムで付与された修飾子〈不動〉は転倒を無効化する効果を持つ。
事態を飲み込んだのだろう。
生徒たちの期待が、一気に破裂した。
黄色い歓声が頭上で交錯する。
足元の影が波打ち、熱気が頬を撫でた。
「すごくない!? 嘘でしょ!?」
観衆の熱意が俺たちの肌を容赦なく叩く。
俺は後ろのカナメに視線を向ける。
得意げに鼻を鳴らし、カナメは腕を組んでは感慨深げにうなずいていた。
俺は肩をすくめる。
メイリーナの雷が落ちるまで、観衆は憶測を飛ばしあい、広場の喧騒はしばらくの間続いた。
◆□◆
春シーズン第一週の三日目、夜。
濃紺ジャケットのボタンを一つ外しつつ、俺は学校敷地内にある食堂二階の交流ラウンジへ上がった。
広い窓に張りつく月が皿のように白く、魔光ランタンの黄がその縁を淡く溶かしている。
学生たちの中から目的の顔ぶれを探し、見つける。
木製の長卓には湯気を立てるトマトシチュー、バター香るパン、焼きたてのハーブソーセージが並び、脂の香気があふれていた。
濃紺ジャケットの袖口をまくり、椅子に座る。
内側の白シャツがわずかに緩む。
鳩尾の汗を布が吸い、革張りの椅子がぎし、と低く鳴った。
向かいにはヒルダとマール、右隣にカナメ、左隣にマリン。
彼女らも制服姿で、冒険後の疲れと汚れを落としたのか、ほのかにシャンプーの残り香が漂う。
カナメはこの国――水の王国式の丈の短いスカートにまだ慣れていないようだ。
裾を握り、肩をすぼめては頬を染め、居心地悪そうにしている。
「窓口で換金済ませてきたぞー」
「ありがと♪」
卓中央に置いた布袋から換金済みの銀貨を滑らせる。
カラン、と硬貨の転がる軽い鈴音。
四等分の山は小さくとも、今日一日で稼いだ証だ。
証票となる〈魔導紙レシート〉も各個人に手渡した。
俺たちは各々自分の魔法の携帯袋に金とレシートをしまった後、杯を掲げた。
「それじゃ、まずはお疲れー♪」
マールが水の王国産の琥珀色ワインを満たしたガラス杯を高く掲げた。
澄んだ拍子に、ヒルダとマリン、そして俺の杯が次々重なり、小さな鈴のような音が跳ねる。口に含むと花蜜と柑橘がほどける甘酸っぱさの奥に、青草を思わせる辛味が残った。
隣ではカナメが和国産の白陶盃を一息にあおる。
透明な米酒を飲み干した瞬間、彼女の頬がたちまち桃色に染まり、瞳に炎の光が宿っていた。
「む、むむ……! これはッ!」
縮こまっていた肩がぱっと開き、カナメは盃を卓に打ち付けんばかりの勢いでおかわりを所望した。湯気の代わりに米麹の甘い香が立ちのぼり、彼女の声も一段張りを増す。
「店員殿! もう一杯!」
店員の男性が苦笑しながら応じる。
マールは目を丸くし、マリンは苦笑しつつもワインを傾ける。
ヒルダが手を合わせて笑い、カランと卓上には杯を打つ陽気な音が増えていった。
「……そ、それで、固有品の靴ですけど」
ヒルダは瞳を伏せ、指先で杯の縁をなぞった。
話題が皿に落ちた脂のように重く沈む。
マールがヒルダの代わりに、身を乗り出しながら言葉を継いだ。
「私らは辞退させて。その、さ。私ら、最初、モブっちのこと不信がってたから……。隠し宝箱のも貰ってるし、ちょっと気が引けるかな、ってさっき話してたの」
二人は肩を落として、俺の表情をうかがっている。
免罪符のつもりなのだろう。
俺はワインを持つ杯を左右に揺らした。
「気にしてないよ。レベル1の知らない人間に自分の命を預けるんだ、慎重になるのは不思議なことじゃない」
「そうだぞ~。気にするでないぞ~」
隣のよっぱらいが顔を突き出して目を細める。
店員が運んできた和国酒をもう一度、一息に飲んでは言った。
「まあ、我は最初から気づいておったがの! おお、こやつはただものではない! 我はこやつの厚い手を取った瞬間に気づいたのだ!」
「おお、すげーすげー」
「あはは♪ でも、カナメっちも、モブっちもほんとすごかったよ? レベル差あるのに、立ち向かってさ……。ダンジョン出た時、私、みんなが驚いてるの見て、すっごい誇らしかった!」
「私も、です。今日のこと、忘れないです、きっと」
「うむ! ゆめゆめ忘れるな! 我らは苦難を共にした同胞ぞ! 困ったときは頼るがいい!」
演技めいた口上を述べるカナメを見て、マールとヒルダが笑い立てる。
出来上がっているカナメに、俺は視線を向けた。
「カナメはどうする? 刀壊れたし、金大丈夫か?」
カナメの手がぴたと止まる。
目尻から滂沱の涙を流しては、わめきだした。
「ううぅ……、我の愛刀が、あんな無残な最期を……」
「おかげで助かった」
本当は自分のものにしてしまいたいが公平性に欠ける。
俺は念を押して、カナメに確認を続ける。
カナメは杯を長テーブルに力強く置く。
首を振っては、仰々しく答えた。
「我も辞退だ! 刀はなんとかなろう。足も、我には瑞霊山から発掘した草履がある! モブ、お前が持っておけ!」
「売ったら金になるぞ?」
俺が茶化すと、彼女は口をとがらせる。
「お、男に二言はない!」
「カナメっち、それ“女は”でしょ~」
「そ、そうとも言う!」
マールの茶目っ気に卓が弾けるような笑いで揺れた。
蒸気が舞い上がり、窓ガラスを曇らせる。
「マリン先輩はどうです?」
俺は静かにワイングラスを傾けていたマリンに声をかけた。
先輩は首を振ると、柔らかくはにかんで、携帯袋からものを取り出して卓上に出した。
「私は今日、みんなからいろいろもらった身だから、何もいらないと思ってたけど……。連絡先だけは、欲しい、かなー」
卓の端で蒼い光が瞬く。マリンの魔導板帳だった。
黒革の表紙に刻まれた一意の魔法陣が、淡く浮かんでいた。
「えぇ!? ま、魔導板帳!?」
「?」
「あれ? これ、個人用のです?」
「うん。交換日記、駄目かな? ペアのは用意してるから」
「いや、オーケーです。ありがたく受け取っておきます」
「わ、私も、いいでふか!?」
「私もお願い!! 明日絶対準備するから!」
「???」
「おっけい。じゃ、みんなで、交換しよう」
首をかしげるカナメを脇に俺は杯を傾ける。
薄明りがワインに溶け、ほんのり金色ににじんだ。
◆□◆
俺は自室のベッドの上で、今日の冒険のことを振り返る。いろいろと難儀はしたが、初めてのダンジョン攻略は、十分な成果をあげることができた。
賭けに勝った結果、計画よりも進捗している。
この調子で行くことができれば、三年時冬までのレベル10到達も夢物語でなかった。
勝って兜の緒を締めよという言葉もある。
俺は油断しないよう、自分に言い聞かせながら寝支度を終わらせて、ベッドに潜り込んだ。
その日俺は、カナメやマール、ヒルダ、マリン、カーラに囲まれる夢を見た――。
◆□◆
実に清々しい朝だった。
なにか溜まりに溜まったものが排泄され、自然な状態になった気がした。
起き上がった俺は洗濯場に移動した。
穿いていたものを脱いで、俺は汚れた召し物を変える。
自分の手のひらを『視る』。
ゆっくりと、ふらついた足取りで俺はベッドの中に戻った。
もう一度、俺は自身の手のひらに〈ステータスチェック〉をかけた。
レベルが2へ転落しているのを確認する。
俺は声も立てず、ひっそりと泣き始めた。




