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「君は考えたことあるかい? この世界は、本当に平和なのかって」
ベン・ロブリーはうすら笑いを浮かべ、部屋の中を逃げ回る純に、ファイアスターターの力で炎の塊を飛ばす。
「貧しい人がいる。戦争はどこかでいつも続いている。夢に溢れる子供も、いつか金を稼ぐだけの生き物になる。それって、平和かな? みんな、幸せなのかな?」
ベンが炎を飛ばすのをやめ、気が抜けたように立ちつくす。
「何の話だボケ!!」
ベンの気が抜けた隙に、純はベンに向かって駆け出し、体重と勢いを乗せた拳をベンの頬にぶち込んだ。
けれど、ベンの体はぴくりとも動きはしない。純の拳を受けてなお、平然と立ったまま、喋り続ける。
「人間に創りだせる世界なんてのは、そんな物が限界ってことさ。けど、やつらは違う。あの、無数の超越者たちの頂点に君臨する、最上級超越者共は」
急いで距離を取ろうとした純の腹を、ベンが拳で軽く叩く。ほんの、軽く。なのに、純はまるで丸太で突かれたかのような衝撃を受け、後方に吹き飛んだ。壁に当たり、床に転がって激しく咳き込んだ。
「純! 大丈夫ですか!?」
ズボンのポケットからエインセルが心配そうに尋ねてくる。純ははっきりと答えた。
「問題ない……。静かにしてろ」
ベンは純を、水に落とした蟻を指で沈めるかのように、いたぶって殺そうとしていた。その証拠に、ベンは自分の絶望を余裕しゃくしゃくに語り続ける。
「やつらは人間より遥かに強靭な体を持ち、高い頭脳と科学力を持っている。そんなやつらが、本気で地球を征服しようとしているんだ。どうしようもない。いや、どうしようもなかった」
純は立ち上がり、一気に距離を詰めてベンに拳を乱打した。
ベンはあえて、それを片手で全て受け止めて見せた。
大人であろうと殴り倒してきた拳が、ベンには一切通用しない。純の額に驚愕の汗が流れた。
再び距離を取った純。しかし、純は信じられない事象を目にした。
五メートルは離れていたはずだった、ベンとの距離。けれど、ベンの顔が突然、自分の目の前に現れたのだ。
(“ブリンク”……! これが――――!)
「少しは分かったかい? 君は、踏み込んでは行けない領域に、足を踏み入れた」
ベンが純の額にデコピンをした。その途端、純の体は急速に後ろに倒れた。だが、純の体が床に着くことはない。ベンはブリンクで倒れる純の背後に移動し、純の後頭部を軽く叩いた。純が今度は前にブチ飛ばされ、さらにその先にブリンクで移ったベンに胸を小突かれ、再び弾き飛ばされる。
「はっはははは! そらそらそらそら!!」
普通の人間の純に反応できるはずもなく、ベンにひたすらお手玉にされるしかない。
満足するまで純をいたぶると、ベンは純の頭を足で踏みつけ、コートのポケットから煙草を取り出した。
ファイアスターターで煙草に火を点け、体中傷だらけになった純と、そこら中が焼け焦げた部屋を、うっとりと眺める。
「ああ……。この焦げた匂いが落ち着く……。嗅いでごらんよ、少年。あらゆる汚らわしさは、焼却されて消え去るのさ。何よりも清らかな香りだ」
「くせえだけだ……。むせるくらい、くっせえ臭いしかしねえよ……」
ベンは煙草の煙と共に、ため息を吐いた。リラックスした様子で、純を踏む足の強さを強める。
「どこまでも反抗的だな。もっと大人になれ。世の中、どうしようもないことで溢れてるんだからな」
ベンが純の顔を蹴り飛ばそうと、その足をどけた瞬間だ。
「どうしようもねえのは……、お前だろ!!」
純は体を転がし、ベンの拘束から逃れ、部屋の出口へと走った。
「おいおい。あれだけ大口叩いて、逃げるのか? そりゃないだろ」
ブリンクを使い、ベンが部屋の出口に瞬間移動して道をふさぐ。純は突然目の前に現れたベンに、慌てて立ち止まった。
「可哀そうになぁ……。怖いだろ? どうしたらいいか分からないだろ? 僕も同じなんだよ。一緒だねぇ、僕たちぃ」
ベンのデコピンが、再び純にかまされた。純の体はぶっ飛ばされ、窓際の壁に後頭部からぶつかってしまう。
純の頭から血がだくだくと流れ出し、純は動かなくなってしまった。
「あー。強くやりすぎたか? 力の加減ってやつは難しい。まあ……、そろそろ殺そうとは思ってたし、ちょうどいいか」
ファイアスターターをはめた左手の指をこすり、ベンが純に近づいて来る。だんだんと、足音が大きくなる。
足音がすぐそばで止まり、ベンの左手が純に掲げられた。
「それじゃ、終わりね」
ベンが炎を出す直前、純は飛び起き、背後の窓を開けて外に飛び出した。二階の窓から、地面へと飛び降りたのだ。
地面に着地し、よろけながらも走り出す純の姿に、ベンは笑った。
「おいおいおい。あれだけ痛めつけたのに、元気あるねぇ。しーかーもー……」
ベンは端末義眼の透視機能を使い、床を透視した。床がガラス張りのように透明になり、一階の様子が一望できる。
透視できても、透視している場所の明るさは変わらない。暗い部屋は暗く見えるし、灯りの近くなら明るく見える。
ベンは煙が立ち込める、薄暗い一階の廊下を走る純の姿を見つけた。
「どこかに逃げたと思わせて、またこの建物に戻って来てるときた。僕を出し抜いて逃げ切ろうなんて、なかなか考えたね」
一階の真っ暗な倉庫らしき部屋に純が隠れたのを確認し、ベンはほくそ笑む。
「獲物を追い詰める瞬間だ。ああ……、ぞくぞくするよ。この感覚だけが、僕を終末の恐怖から逃れさせてくれるんだ……」
そして、ベンは純の隠れた倉庫へと、ブリンクで移動した。