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少し時間は戻り、純が空きビルに辿り着く前。
純がエインセルに案内され、ベンのいるビルへ行くまでの間、純はエインセルからベンという人間の人となりと、彼の持つ装備と能力について、説明を受けていた。
「ベン・ロブリー。三十六歳。銀の腕という組織の元A級エージェント。主な任務は敵対する超越者や、超越者に協力する人間の暗殺。ある日突然、組織の人間を殺して逃亡。組織を抜け、組織に追われる身となったようです」
「なんでお前がそんなこと知ってる?」
走りながら、純が手に持ったスマホに映るエインセルに尋ねた。
「今、インターネット経由で銀の腕のデータベースにアクセスしています。他にも知りたいことがあれば、ネットで繋がっているどこの記憶媒体でも覗けますよ」
「……。それ、要するに今ここでハッキングしたってこと? そんな一瞬でできるもんなの?」
エインセルは当然のようにうなずいた。
「私にとって、人間のプログラムするセキュリティは全て無意味です。一瞬で解除して入り込むことができますよ」
純は絶句した。今、この手の中にあるスマホが、どれだけとんでもない代物か、理解できた気がした。
「その銀の腕って組織が戦ってる超越者ってのは、なんな訳?」
「物凄く分かりやすく言うと、人間からすれば神に等しい力と科学技術を持つ、宇宙人のことです。地球にもともといる者もいますが」
「宇宙人~?」
途端に胡散臭くなってきたと、純は馬鹿にしたような口調になる。
「少し具体的に言うと、表社会ではクトゥルフ神話という形で知られる存在のことですね」
「“クトゥルフ神話”……。なんか聞いたことあるような……。ゲームとかで」
「そのクトゥルフ神話です。今は詳しい説明は省きますが、クトゥルフ神話とは、人類に超越者たちの脅威を伝えるための物で、実際、今世界はクトゥルフの復活を目前にして、滅亡の危機にあります」
「……。冗談であって欲しいね」
純の表情がひきつった。本当なら、とんでもないことが、自分の周りどころかこれから世界中で起ころうとしているのだから。
「その辺も……、詳しくは後で聞く。そのベンってやつの装備、どんな武器なんだ? そいつの弱点とかは?」
「ベン・ロブリーが銀の腕から抜けた時に身に着けていた装備は、ファイアスターターと呼ばれる手袋と、左目に移植された端末義眼の二つです」
「は? 手袋と……、義眼? 目ん玉? それのどこが武器な訳?」
「ファイアスターターは旧支配者の一柱、クトゥグアの加護を受けているとのことです。契約によってクトゥグアの特殊な炎を操る力を持っています。恐らく、人間程度ならどれだけ離れていようと一瞬で焼き尽くせるでしょう。それに、クトゥグアの炎は酸素のない宇宙空間でも燃えることができ、焼く対象を自在に選択できるようです」
「周りが燃えてても、自分は燃えない。みたいなことか。……、ありえねぇ……」
自分で言ってみて、純はあまりの馬鹿らしさに笑ってしまった。そんなでたらめなことがあり得るとは思えないのに、今はそれを信じるしかないのだ。
「次に、端末義眼ですが、この義眼は小型化された、より高度なパソコンのような物という認識でよさそうです。ベン・ロブリーは戦いで目を潰された後、敵から奪ったこの義眼をその場で移植して自分の物にしたようです。裏側には触手が生えていて、眼孔に入れれば視神経や傷を治して繋がり、使えるようにしてくれるんですね」
「グロいな……。ってか、パソコンが目に入ってんの……? オーバーテクノロジー過ぎないか……?」
「注意すべきは、この義眼は“ブリンク”と呼ばれる能力を装備者に与えることですね」
「“ブリンク”?」
「要は瞬間移動能力です。視界に映っている場所なら、好きな場所へ自身を瞬間的に移動させることができます。端末義眼には、超越者から盗んだ透視技術が備わっているため、壁越しに瞬間移動することも自在だそうです」
あまりに無茶苦茶な話の数々に、遂に純の足が止まった。
「おいおいおい……。いくらなんでも、そんなぶっとんだ奴にどうやって勝てばいいんだよ……。お前には、なんか強い能力とかないの? ビームみたいな」
「今お役に立てることは、特にありません。ちなみに、私の入っているこの機械にも刻まれた“旧き印(エルダー・サイン”は、倒した超越者の力を吸収し、あなたの身体能力を強化することができます」
純は完全にイラついていた。確かにエインセルのインストールされているスマホには、五芒星の中に目のような模様が付いた印が刻まれている。だが、その刻印も今はまだ意味がない。
つまり、これから化け物のような殺人鬼と戦いに行くというのに、その戦いに特に役立つ物がないのである。
エインセルは純の眉が寄った顔に、首を傾げる。
「俺、まだその超越者とかいうの倒すどころか、見たこともないんだけど?」
「そうですね。ですので、まだあなたの身体能力は通常の人間そのものです。ちなみに、ファイアスターターにも旧き印が付いているようなので、ベン・ロブリーの身体能力は人間のそれを遥かに超えているでしょう。気をつけてください」
思わず純は、このスマホをぶん投げてやろうかと思った。恐らく無駄に丈夫で、壊れはせずともいい音くらいは立てて、この怒りを和らげてくれるのではなかろうか。
急に黙ってしまった純に、エインセルが声をかける。
「純……? 大丈夫ですか?」
「……」
純は何も言わない。何かを真剣に考えているようだ。
エインセルは、どうしようどうしようといった様子で、困った顔をすることしかできない。
「……。ちょっとコンビニ寄ってくわ」
「はい?」
「まだ時間は二十分くらいあるよな? ここからならその空きビルまで、走って三分くらいで着くし……。いけるか」
「純? 純!? どういうことですか? 戦わないんですか!?」
「ベンなんとかを殺す準備だ。正直、不安だが……。賭けに出るしかない」
エインセルの顔がぱっと明るくなった。純は彼女の期待を裏切らなかった。それが嬉しくて、エインセルはついはしゃいで、純に抱きしめて欲しそうに両手を伸ばして、ぶんぶんと振った。
「純!! じゅーん! やっぱり、あなたは私の思った通りの人ですね! あなたは本当に面白くて、素敵な人です!」
純はコンビニに向かって走り出した。そして、エインセルに一つ、作戦の要となる、重要なことを尋ねた。
「その前に、エインセル。一つ確認したいことがある」
「はい? なんでしょう?」
「さっき言ってた、その旧き印ってやつのことなんだが――――」




