エピローグ
エピローグ ―夢見るままに―
クトゥルフとの戦いの後、荒井純が目を覚ましたのは、四日後だった。
エインセルの旧支配者の力を扱う機能による体力の消耗と、クトゥルフとの戦いによる体の傷とストレスは、彼にそれだけの休養を必要とさせた。
ベッドに寝かされていた純が目を開け、体を起こすと、そこは見知らぬゴシック様式の部屋であった。
「おはようございます。純」
それから、ベッドの隣で椅子に座って、純に優しく微笑むエインセルの姿。実際は椅子に座っているように端末義眼に映しているだけだが、純は見慣れたエインセルの姿と、その柔らかな雰囲気にほっとした。
「おはよう。エインセル。どこだ? ここ」
「ルルイエの館ですよ。壊れてなくて、一番立派なお家です。ジョルドさんたちがここまであなたを運んで、介抱してくれたんです。純ってば、四日も寝てたんですよ?」
「四日? そんなにか……。お礼言っとかないとな。その間、お前もずっと一緒にいてくれてたんだろ?」
純がからかうように言うと、エインセルは顔を赤くした。
「それはまあ……。当然です」
「ありがとな。お前がいてくれると、安心する」
「もう……。なんですか? そんなこと言ったって、なんにも出ませんよ?」
困った風に笑うエインセル。純も一緒になって笑っていると、その声を聞きつけ、部屋の中に入って来た者がいた。ジョルドだ。
「目を覚ましたのか!? フォマルハウト!」
「ああ。お陰様で、助かった。ありがとう」
「お礼を言いたいのはこっちだよ! いや、君が無事でよかった。みんなに知らせてこよう。みんな君を心配していたから」
ジョルドが部屋を出ていくと、エインセルがにやりとして純を見た。
「あなたが寝てる間に、いろいろすごいことになってますよ?」
「すごいことぉ~?」
報せを聞いて部屋に飛び込んで来たのは、大量のディープワンズを引き連れたルイスだった。
「お目覚めになりましたか! 我がルルイエ王、荒井純様! お前たち、ルルイエの民に知らせろ! 純様のお目覚めだ!!」
「すごいことになってるぅ!?」
「おっと。これは失礼。先日より、銀の腕の参謀からあなたの臣下となりました。ルイス・ダンドルム・リム・ロスティック・ノーマンズです。以後、よろしくお願いいたします。ルルイエ王、荒井純様」
やたら興奮した様子のルイスに戸惑う純。部屋に戻ってきたジョルドが、気を利かせて説明してくれた。
「ルイスさんは銀の腕を抜けて、君の補佐をすることに決めたんだ。ディープワンズの殆どは、海の底に姿を消してしまったよ。クトゥルフを倒した君に報復する機会を窺ってるのかもしれない。けど、ディープワンズの何割かは、君を認めて人類に協力してくれてる。彼らの思考を覗いてくれたノーデンス様によれば、信用していいとのことだ。しかし……、君がクトゥルフを倒した時の、ルイスさんの泣き顔は酷かったよ……」
「道を拓くため、自ら命を捨てたフォマルハウト荒井の勇姿! そして、親から息子へと受け継がれた魂が、邪神を打ち破ったのです! あの光景を目にして、私は自分のやるべきことを理解しました! 銀の腕を抜けたことに、何の後悔もありません!! フォマルハウトの星の元に、新たな世界を創造していこうではありませんか!!」
「純、この人やっぱり気持ち悪いです」
「そうか……。俺がやらなきゃいけないことを、代わりにやっててくれたんだな……。ありがとう。ルイス」
純の言葉にルイスは震えだし、涙を流し始める。それを見て、純たちはちょっとした恐怖を覚えた。
「ありがたきお言葉……! 銀の腕の方々やノーデンス様とは、しっかり別れを済ませてきました! これからは、あなたのために尽力したく存じます! 純様!」
ルイスの後ろで、ディープワンズたちがはしゃいでいる。
「ルルイエ王だ! 我らをお救いくださったルルイエ王!」
「イア! イア! 荒井純!」
「我らが王のお目覚めだ! かのクトゥルフとの戦いで、我らを救ってくださったこと、忘れてはおりませぬ。どうか、我々とルルイエをお導きください。荒井純様!」
ルルイエに残ったディープワンズは友好的な態度を見せてくれている。けれど、ジョルドの言っていた通り、こういった友好的な者ばかりではないのだろう。
敵対するディープワンズと和解する。そういったことも進めていかなくてはならない。
「これから大変だね。純くん?」
そして、やはり彼女は突然に。踊り子、ハスターが姿を現した。
「あー! あー!! 出た出た! 純! 嘘つき女が出ましたよ! えんがちょ!」
「……、すみませんね。こいつ、失礼なことしか言えない馬鹿なんで」
「いいのいいの。本当のことだしね。私は嘘を吐いた。けど、あなたはそれも乗り越えて、信じる未来を掴み取った。本当に、ごめんなさい。それと、私が言うのもなんだけど……、おめでとう」
「あんたもノーデンスも必死だったってことでしょう。実際、クトゥルフはそれぐらいの相手だった。ノーデンスのやつはともかく、あなたはずっと謝ってくれてますし……。もう、いいです」
「あーまーいー! 純はこの人にあまーい!」
エインセルを華麗にスルーして、ハスターは純に寄り添い、頬に口づけをした。エインセルが憤慨して何か喚いていたが、少しばかり思考停止していた純の耳には届いていなかった。
「ありがとう。純くん。これから困ることもたくさんあるだろうけど、私も相談に乗るから、何でも聞いてね」
「あ、ありがとうございます……」
(そうか。これからは、みんなをちゃんと幸せにできるように、俺が自分で考えて、ルルイエを導いていかないといけないんだな……。俺次第で、多くの人の人生が決まっちまうんだから……)
純は覚悟を決めた。これから先、世界平和への第一歩として、問題が山積みのルルイエを平和に治めていくことを。
ディープワンズに向け、純は言う。
「これから、よろしく頼む。絶対に、みんなが幸せになれるように頑張るから。でも、俺はまだ未熟だ。だから、みんなの力を貸して欲しい。……、頼めるかな?」
「おお……! 勿論ですとも! おい、皆に知らせろ! 純様が、正式にルルイエ王になられるぞ! 急げ急げ!」
ディープワンズたちはどたどたと部屋を出て、廊下を走っていった。
ディープワンズと入れ違いに部屋に入って来たのは、神宮と茜であった。
「先輩! もう大丈夫なんですか? どこか痛い所ありませんか?」
「よかった、純くん……。心配したよー。全然起きないんだもん」
「悪い悪い。もうなんともないよ。それより、お前らの方が無事で安心した」
純は茜の首に包帯が巻かれていないことに気が付いた。それに、首にエラがなくなっていることも。
「茜……。お前、体元に戻ったのか?」
「うん。クトゥルフがいなくなったら、ディープワンズになりかけの人はみんな、元の体に戻ったよ。神宮ちゃんも」
「先輩のお陰です。あの、先輩……」
「なに?」
言葉に詰まりながらも、神宮は頭を下げて必死に謝った。
「ずっとクトゥルフのことを隠してて、本当にすみませんでした……」
下げたまま動かない神宮の頭に、純はそっと手を乗せて。
「言っただろ。悪いのはお前じゃないって。気にしてないから、いつもの神宮でいてくれ」
純の手が離れると、神宮は頭を上げて純を見つめる。その顔は真っ赤に蒸気し、神宮は照れて身をよじりながら、純に言った。
「先輩……。もし、お時間があったら、その……。また、私とお出かけ……、してくれますか……?」
「はい、ダメー。ダメでーす。許しませーん。裏切者には罰を!! 今後、純に近づけない刑に処します!!」
スマホからエインセルの怒涛の拒否が聞こえたが、純は無視した。
「いいよ。行こう」
「純ー!?」
「あ……。ありがとうございます……!」
エインセルが視界の隅に収まり、不満そうにしているのを見ながら、純はなんだか懐かしい感覚に、思わず笑いをこぼした。
外に出てみた純は、ルルイエにある高台から復興の始まった街並みを見渡していた。
人間とディープワンズが、互いに協力しながら瓦礫を片付け、建物を再建する準備をしている。まだ人間はディープワンズを怖がっているようだったが、中にはもう打ち解けている者もいるようだ。
純がクトゥルフとの戦いの中で見出した理想の景色が、一部であれ、段々と現実になっていた。
「きっと上手くいきますよ。ディープワンズの多くは、元々人間として暮らしていたんですから」
端末義眼に、エインセルが純の隣に立っているように自分を映し、純に話しかける。
「ああ。暴動も起こさずに、よくここまでまとめてくれたもんだ。ルイスと銀の腕の連中に感謝しないとな」
ジョルドの話では、銀の腕がドリームランドの本部から復興支援をしてくれているのだという。他にも、地球に残ったムー大陸以外の陸地で、生き残った人々がそれぞれ独自のコミュニティを築いたり、物騒な所では盗賊やら海賊も現れているのだとか。
やることは山積みだ。純は考えに考えを重ね、己に課せられた役目の大きさに焦りを感じてしまう。
「ルルイエが復興できたら、今度は地球の生き残った人をルルイエに呼んでやらないとな。あと、暴れてるやつらは捕まえて、それから……」
「純」
エインセルがそっと純に顔を近づけ、言葉を遮る。
「大丈夫。思い詰めないで、今は休んでください。脳に大きなストレスがかかってますよ。深呼吸して、落ち着いて。あなたは一人じゃありません。協力してくれる人を、ちゃんと頼りましょう」
「あ、ああ……。ありがとう」
エインセルの言う通りに深呼吸をして、純は動悸を落ち着けた。
「純は頑張りすぎな所がありますから、ちゃんと私が見ていないといけませんね」
「お前は俺のおかんかなんかか?」
ふと、純は父の最期を思い出して。もう父がこの世にいないのだと、思い出して。胸が苦しくなった。
思わずこぼれた涙を隠し、純は手すりに寄りかかり、顔を両腕で隠す。
エインセルは純が泣いているのを分かっていても、あえて言及することはなかった。その代わり、彼女自身のことを口にした。
「私、昔ラバン教授に言われたんです。“君もいつか、生きる意味を見つけなさい。それこそが、君を幸せにするのだから”って」
「……?」
「私はずっと、純とただ一緒にいられればいいと思ってました。でも、今は違うんです」
純は少しだけ顔を上げ、エインセルを見た。エインセルは純に優しく微笑んだ。まるで、母親のような、慈しみに溢れた表情だった。
「今は、ずっと純の側で、純のことを支えてあげたいって思うんです。それが、私の見つけた、生きる意味。なんにも分からずにこの世界に来た私が出した、ラバン教授への答えです」
「お前……」
純はまた涙が出てきて、慌ててもう一度顔を伏せた。
「これからも、よろしくお願いしますね。純」
返事をするのも一苦労なくらい、純は泣いてしまっていて。
「……。よろしく……。エインセル……」
頑張って返した言葉は、みっともないくらいにひどく震えていた。
「――――誰か! 誰か助けてくれえええええ!!」
助けを求める声が聞こえてきて、純は顔を上げた。
ルルイエの上空に、一匹の奇怪な巨鳥が飛んでいる。馬のような頭をした、全身が鱗で覆われた、全長五メートルはある鳥だ。
「あれは……、シャンタク鳥ですよ! 純! 人をさらったり、食べたりすることもある、危ないやつです! 急いで退治しましょう!」
シャンタク鳥は大きな荷物袋を足で掴んでおり、それを地面に落として中に入っていた食料を食い荒らし始めた。ドリームランドへの入り口が開いているのを見るに、そこから入って来て、銀の腕が輸送中だった支援物資を奪ったのだろう。
「泣いてる暇もないな。……、エインセル!」
「はい! 純!」
「一緒にいろよ! 俺、頑張るから! お前のことも、絶対守るから!」
「私も、あなたを守ります! 約束ですね!」
空に羽ばたこうとするシャンタク鳥の方へ、純は高台から飛び出した。
目の前に飛び降りてきた純に、シャンタク鳥は威嚇の声を上げる。
助けを求めていた人やディープワンズたちが、駆けつけた純を見て、その表情から不安の色を消した。
「さて、いっちょやったるか!」
荒井純は戦い続ける。何度でも、その魂に着火して。
混沌渦巻く世界に抗い、世界平和の夢を叶えるために。
――――着火せよ。魂を。魂に火を点けて、煌々と燃やすのだ。やがて、世界中の人々の魂に燃え移る、その日まで。
――――全ての人が、己の魂を燃やす時。
――――世界は明るく照らされ、真の平和が訪れるのだから。
「俺の名はフォマルハウト! いや……、呼び方は好きにしな! だが、これだけは覚えとけ!」
――――さあ。
――――燃やしたまえよ。魂を。
「ふざけた野郎は、誰が相手でもこの俺がぶっ潰す!!」
チャカチャカチャッカ!! 完




