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――――暗い世界。
何も見えない。何も聞こえない。何もできない。
エインセルはずっと一人で、そんな世界にいた。
「純……。純……」
エインセルは大好きな人の名前を呼んだ。もう何度も呼んだけど、一度だって返事はなかった。クトゥルフに取り込まれたのは彼女自身、理解できていた。恐らく、もう自分が助からないということも。
エインセルは静かな世界で、そっと目を閉じ、純の言葉を思い出す。それだけが、彼女の心を孤独と不安から逃れさせてくれるから。
――――エインセル。お前と出会えて、よかった。
(本当ですか? 本当に、私でよかったんですか? 私、純に何かしてあげられたんですか?)
――――お前……、さっき言ったよな? “俺の夢を叶えられるくらいの力が手に入る”って。
(ああ、そういえば……。純……。私の言ったこと、嘘になってしまいましたね……。あなたは信じてくれたのに。私は、あなたの敵がどんな相手か何も知らずに……。無責任なことを言って……)
――――俺の夢、なんだか知ってて言ってんだろうな?
(知ってますよ。何よりも素敵で、優しい夢。他の人が諦めて捨てていくその夢を、あなただけは持ち続けていた)
けれど、その夢が叶うことはもうない。
エインセルはクトゥルフの体内にいながら、外の世界が崩壊してしまったのを知った。クトゥルフが放った膨大なエネルギー反応。そして、クトゥルフが彼女に言ったのだ。
世界は滅びた、と。
(ごめんなさい。純。あなたの夢、叶えさせてあげられませんでした。あなたの役に立つと決めたのに。何があっても、あなたの側にいるって言ったのに……)
「――――ル! エイ……セル!!」
「純……。……、純……?」
大切な人の声が聞こえた。
静かで寂しい世界に、彼女を呼ぶ騒々しいけれど、心地よい声が響き渡る。
「――――ンセル! エインセル!!」
エインセルに元気が戻る。自分の心に、不思議な力が湧き上がるのを感じた。こみ上げてくる温かな想い。暗闇の世界が恐くなくなる程の、膨らむ希望。
エインセルは名前を呼んだ。大切な人の名前。大好きな彼の名前を。
「純……! 純!!」
「――――エインセル!!」
暗闇を映し続けたスマホの画面に、エインセルの姿が映る。
クトゥルフに閉じ込められていたエインセルが解放され、純の手の中に帰って来た。
「ごめんなさい、純……。私、あなたの夢……」
「バカ。お前の責任じゃねえよ。何もできなかったのは、俺だ」
暗闇から解き放たれたエインセルが見た純の姿は、傷つきボロボロになっていた。それでも、彼に感じる輝きは強く、強く彼女の心を照らす。
「私は……。私は、なんにもあなたの役に立てませんでした……。ごめんなさい、純……」
「何言ってんだ。お前がいなきゃ、俺は何にもできねえよ。お前の力を貸してくれ。俺だけじゃ、ダメなんだ。エインセル」
「純……。純ーーーー!!」
エインセルは泣き出してしまった。
純はスマホの画面に指を滑らせ、エインセルの頭を撫でる。純の顔に、ようやく少しの笑顔が戻った。
「えーん! 純ー!」
「よしよし。怖かったな」
エインセルが元に戻ったことで、ノーデンスに希望が生まれる。クトゥルフに対抗する最高の一手が、戻ってきたのだ。
けれど、それでもまだ――――
「大事の前の面倒は……、なかなか片付かない物だな」
クトゥルフの余裕は、失われてはいなかった。