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「昔の話をしよう」
純が落ち着くと、ノーデンスは話を再開した。
「一九四七年に、ラバンはクトゥルフが眠る海底都市ルルイエに核爆弾を投下した。クトゥルフが復活するには、宇宙に漂う星々が一定の位置に揃わなくてはいけない。一定の周期で訪れる、復活の星辰と呼ばれる物だ。核爆弾はクトゥルフ自体に傷を負わせることはできなかったが、復活の儀式を妨害することには成功した。クトゥルフは復活の準備を再び整え、次の復活の星辰が揃うまでに、七十年を要することとなった」
「もう復活は止められないんですか? もう一回核をぶち込むのは?」
「今までのクトゥルフは眠っているも同然だった。しかし、ラバンの攻撃より遥か以前から、幾度となく私のような敵対する超越書に復活を邪魔されてきたクトゥルフも、今回ばかりはほぼ覚醒状態に近い。核を撃とうとしようとすれば、すぐに精神干渉で発狂させられるだろう。全人類はクトゥルフに見張られているのだ。やつは我々、最上級超越者の動向にさえ、常々世界中の眷属を通して目を光らせている」
純とエインセルは押し黙った。クトゥルフの脅威はすでに、世界を侵食している。
ノーデンスの話は、もう一つの昔話に移っていく。
「そしてクトゥルフが休息している間、五十年前から十年間、最上級超越者たちの間で大きな戦争が起きた。宇宙中の星々がとある位置に揃うのが間近になり、多くの外なる神や旧支配者が、己の望む世界を作り上げるため、地球を手に入れようとそれぞれ戦いを始めたのだ」
「なんで地球? よくある美しい地球を~、的な?」
純の質問に、ノーデンスは答えるのを一瞬ためらった。ほんの一瞬であったが、ジョルドやルイスも身構えたのを、純は確かに見た。
「星々の位置、つまり星辰が揃う時、超越者を超越者たらしめる、宇宙に散らばっている全ての力がとある場所に収束する。その場所が、地球だ。星辰が揃う時、地球の特定の位置に立っていた者こそが、宇宙を支配する力を手に入れるのだ。私も含め、最上級超越者の多くがその星辰を目的として地球を狙っている。クトゥルフの復活とは関係のない、もう一つの星辰。“究極の星辰”をな。そして、究極の星辰が揃う時は、もうすぐそこにまで迫っている。正にその日こそ、クトゥルフが復活する日だ。やつは自分が目覚める復活の星辰が揃う日を、究極の星辰が揃う日と重ねたのだ」
「なんだそれ……。クトゥフルはそこまで計算してるってんですか?」
「計算している。間違いなく。己の封印を逆手に取って戦争を避け、他の最上級超越者を戦争で消耗させて眠りにつかせた。クトゥルフには、それだけの狡猾さがある」
ノーデンスが手の平を広げると、周囲の景色が星空に変わった。純は自分の足元に地球を見つけ、思わず後ずさった。
「まだ人類が誕生する遥か昔、三億と五千年前にクトゥルフは眷属と共に地球へやって来た」
頭上を通り過ぎる巨大な何かが、地球に向かっていくのが見える。純はノーデンスの語りから、それがクトゥルフであると理解した。
「地球に本来生息していた“古の者たち”を退け、ムー大陸にルルイエという都市を作り、支配の準備を始めた。しかし、ルルイエは地殻変動によりムー大陸ごと海の底へと沈むことになる。地球を支配するために他の超越者と戦い、弱まっていたクトゥルフはルルイエと共に海の底へ堕ち、深い眠りについた」
「ムー大陸って……。嘘くさ……」
よく見ると、純はノーデンスの見せる地球が、自分の知っている地球とは少し見た目が違うことに気が付いた。太平洋に一つ、見たこともない巨大な大陸が存在しているのだ。それこそが、ムー大陸であるのだろう。ムー大陸はノーデンスの語りに合わせ、徐々に海の底へ沈んでいった。
「クトゥルフは眠っている間にも、ディープワンズという自分に奉仕する種族を増やし、他の超越者たちとの戦いを避け、星辰の揃う時まで身をひそめ続けていたのだ」
地球の周りに無数の巨大な影が群がり、激しく宇宙を揺らす戦いを繰り広げる。その中には、ノーデンスの姿もあった。どの影も地球より遥かに大きく、純は想像を超えた強大さの最上級超越者たちの戦いに、腰を抜かしそうになった。
「今思えば、あの大戦自体、偶然に皆の確執が戦争へと結びついたのではなく、クトゥルフが根回しをして焚き付けた物だったのかもしれん。結果として、クトゥルフ以外の最上級超越者は傷つき疲れ果て、究極の星辰を迎えることができなくなってしまった」
「ってことは、あなたも……」
ノーデンスの体は一見なんの傷跡も見られないが、その動きや声にはどこか力が入っていないように見える。
「その通り。今の私では、クトゥルフを止めることはできないだろう。だからこそ、私はこの“銀の腕”という組織を作ったのだ。人間の力を借りるために。かのラバン・シュリュズベリィのように、人間は超越者と戦うだけの力があると信じて」
ラバンの名が出て、純とエインセルは思い出したようにノーデンスに尋ねた。
「純! ほら、ほら!」
「分かってるよ。えぇっと……、偉大なるノーデンス。あなたにこいつのことを聞きたいんですが……」
純がエインセルの入ったスマホをノーデンスに見せる。ノーデンスは快く了承した。
「よかろう。ラバンの切り札に選ばれたお前になら、あらゆる質問に答えるだけの価値はある」
「じゃあ、こいつ。エインセルは一体なんなんですか? ラバンからこいつを受け取ったんですが……」
ノーデンスはエインセルをじっと見つめ、少し考えた後、答えた。
「恐らく……。“外なる神の宝物庫”からラバンが盗み出した物の一つだろう。人間が外なる神の宮殿に忍び込めるのは、あそこぐらいのものだ。少し、見させてもらおうか」
純がノーデンスにエインセルのスマホを渡す。すると、ノーデンスは驚きに目を見開いた。
「これは……! この箱の中には、このAI以外にも潜んでいる者がいる……!」
「私自身、それは把握しています。ノーデンス。ただ、一体それが何者なのかが分からなくて……」
ノーデンスがエインセルのスマホに意識を集中させる。数分後、ノーデンスはスマホに潜む者の名を言った。
「“ハスター”。この箱の中に封じられているのは、旧支配者ハスターだ……!」
「あのハスターがですか!?」
ジョルドとルイスがざわついた。
「ハスターもまた、大戦で傷つき死にかけているようだ。ラバンはハスターをこの箱に封印することで保護したのだろう。クトゥルフと敵対関係にあるハスターは、ラバンに常々加護を与えていた」
「――――そういうこと」
そして、いつものように突然、“彼女”は純とエインセルの前に現れた。
砂漠色の長髪。黄色のシースルーの布をまとった、踊り子だ。
「うわっ。出た」
「あんた……。“そういうこと”って……。まさか……」
踊り子はいつだって笑顔だった。けれど、その時の笑顔だけは、寂しそうな雰囲気を漂わせていて。
「私は旧支配者“ハスター”。クトゥルフの復活を止めるために、ラバンと一緒に戦ってた。超越者戦争で死んだ“星の戦士”が残した“呪い”の影響で、他の最上級超越者たちと同じように、人間の姿にされちゃったの。まあ、割と気に入ってるけどね。この体も。戦争で大分やられちゃったから、今はその機械の中で療養中。だから、あんまり外には出られないんだよね」
純はしばらく、ショックで思考が停止していた。ただ者ではなないと思ってはいたが、まさか、クトゥルフと同じ旧支配者だったとは。
「ごめんね。純くん。私、人間じゃなかったんだ」
謝るハスターを、ノーデンスが嘲る。
「なんなら、メスですらなかろう」
「元々、私たちにメスもオスもない。呪いで封印されてこの体にされたから、どうせだし女として生きるのも悪くないかなって思っただけ。“星の戦士”に気に入られてたからって、呪いの対象から外されたあなたには分からないと思うけどね」
純は混乱する頭で、ハスターに尋ねる。
「その、“星の戦士”ってのはなんなんだ?」
「ノーデンスと同じ、旧神の一柱。星の戦士は、宇宙の平和を守るために戦っていた。人間を守ることも多かったみたい。炎を操って戦って、旧支配者を封印する力を持ってたの。究極の星辰が欲しい私たちにとっては、邪魔者でしかなかったけど」
「星の戦士……。なんだか、純みたいですね」
「は? 俺?」
エインセルの言ったことに、ジョルドが賛同した。
「僕も同じことを思ってたよ。炎を操り、世界平和のために戦う。君はまるで、星の戦士の再来だ」
「故に、フォマルハウト。お前は銀の腕でも、多くの者に期待されている」
ノーデンスが新しい幻を空中に映し出す。炎をまとう、巨大な人間の姿。星の戦士だ。
「星の戦士は死んだ。最上級超越者の誰にも究極の星辰を渡さないために、力を発揮できない人間の体に変わる呪いを残して。だが、彼が死ぬにはまだ早すぎた。復活の星辰と究極の星辰を同じ日に手に入れるであろう、肝心のクトゥルフが残っている。もし、クトゥルフが究極の星辰を手に入れれば、何もかも終わりだ」
「そんなこと言って、あなたが手に入れるつもりなんじゃないの? ノーデンス」
ハスターの指摘に、ノーデンスは「どうだろうな」と笑う。ノーデンスも、完全に人間の味方という訳ではないのかもしれない。ジョルドやルイスの複雑そうな表情を見て、純にはそう思えた。
緊張で固まる雰囲気を壊したのは、エインセルの質問だった。
「あの、ラバン教授のことについて聞きたいことがあるのですが……。ラバン教授は、まだ生きていらっしゃるのですか? この前、私と純の前にラバン教授が現れたのですが、こちらの呼びかけに反応してもらえなくて……」
ハスターの顔色が変わった。あり得ないといった顔だ。
「ラバンは死んでるよ。間違いなく。あなたを純くんに渡した後、ラバンが死んだのを感じたもの」
「でも、俺もつい最近見たぞ? 俺にエインセルを渡した爺さんだった」
純からもそう言われると、ハスターは考え込んだ。
「うーん……。私の力も弱まってるから、単にラバンを感知できなくなっただけなのかなぁ。ずっとラバンに力を貸してたけど、超越者戦争で大分やられちゃったし……」
「じゃあ、やっぱりまだラバン教授は生きてるかもしれないんですね!?」
「まあ、あいつなら可能性はあるんじゃない?」
エインセルは嬉しそうだ。彼女はきっと、またラバンに会いたいのだろう。彼女はラバンを、自分の面倒を見てくれていた恩人のように思っていた。
踊り子の姿をしたハスターを改めて眺めて、純がつぶやく。
「あんたが、ラバンと一緒に戦ってきた旧支配者か……。正直、驚いた。クトゥルフも旧支配者なのに、旧支配者同士で争うこともあるんだな」
「まあ、別に仲良しな訳じゃないしね。むしろ互いに邪魔って感じ? 私はクトゥルフが嫌いだから、ラバンに力を貸してた訳だし」
“力を貸す”。純はエインセルについて、聞きたいことをもう一つ思い出した。
「あ、そういえば……。エインセルが言うには、旧支配者とコンタクトを取って契約すれば、そいつの力を使える機能がこいつの中にあるそうで……。それでハスター……、“さん”の力を俺が使えるらしいんですけど、他にも契約できそうなやつっているんですか?」
「あれ? 私だけじゃ不満なの? 傷つくなー」
「え? いや、そういう訳じゃなくて……。戦力は多い方が良いかなって……」
「純……。あなた、なんかその人に甘くないですか……?」
純たちを他所に、王座に深く座り、考え込むノーデンス。心当たりを探しているようだが、表情を見るに思い当たる節はなさそうだ。
「そもそも、超越者にとって他者に力を貸すという行為は、己の命を預けることと同意なのだ。普通に考えて、超越者より遥かに能力が劣る人間にわざわざ命がけで力を貸そうとする者はいないだろう。そもそも、超越者は皆気難しい連中ばかりだ。加護を求めてあっさり殺される人間は多い。契約の代償も、相応の物となるだろう」
「そうか……。ちなみに、あなたは確か旧支配者じゃないんですよね?」
「私は旧神と呼ばれている。旧支配者とは別だ。しかし、契約に応じそうな旧支配者か……。もし、お前との契約に応じる可能性があるとすれば……」
ノーデンスが指差したのは、純の左手にはめられたファイアスターター。ジョルドとルイスが驚嘆の声をあげた。
「まさか……!? クトゥグアが……?」
「狂ったあの旧支配者が、彼に興味を……? あり得ません……」
「だが、クトゥグアはベン・ロブリーには興味を示した。だからこそ、やつはファイアスターターを操ることができたのだ。同じくファイアスターターを操っているこの少年になら、あるいは……」
皆が半信半疑な心持ちでいる中、ハスターは確信を持って言う。
「多分いけると思うよ。私、あいつとは同盟関係だから、それなりにあいつのこと知ってるけど、純くんのことは結構気に入ってるんじゃないかな。まあ、問題はあいつとコンタクトを取る方法が今はないってことかな。最近は、召喚の儀式にも応じないみたいだし」
純はファイアスターターを注視し、軽く炎を出して手の上で踊らせる。今となっては簡単に操れるその炎が、クトゥグアに興味を持たれている証だとは思えなかった。
「クトゥグア……、ねぇ……。特に興味持たれた実感はないけど……」
炎と戯れる純をじっと見つめ、考え込むルイス。
「まさか……、ベンが伊須升市にいたのは……」
ルイスは何か思いついたようにはっとした顔を見せ、何かを言おうとしたが、あり得ないと思い直したのか、すぐに口を閉じて元の真面目な顔に戻ってしまった。
場が静まり、ノーデンスは純に尋ねた。
「他に聞きたいことはあるか?」
「えっと、あとは……。正直なところ、クトゥルフに対する勝算ってあるんですかね? 復活を止めるのか、復活は止められないにしても、殺すとか」
ノーデンスは純を指さし、答えた。
「勝算はある。それには、お前の協力が必要だ。フォマルハウト」
「……、は?」
「元々は私がクトゥルフと相打ち覚悟で戦うはずだった。しかし、今日お前と話すことで新たな道が見えた。ハスターはクトゥルフやディープワンズたちと相反する力を持っている。クトゥルフにも、優位に戦うことができるに違いない。フォマルハウト。決戦の時が来たなら、必ずハスターの力を使え」
「私の力でよければ貸すよ。クトゥルフに勝てるかどうかは、君次第だけどね」
「……、分かりました。俺が、必ずクトゥルフを倒します。絶対に……、やってみせる……!!」
話はまとまった。クトゥルフへの戦いに向け、各々が決意を固める。
「……。クトゥルフを甘く見ることのないようにな」
ノーデンスは一呼吸置いて、クトゥルフとの戦いについて、具体的なことを純に伝え始めた。
「お前の友人に起こったことは、世界中でも起こっている。ここ数日、ディープワンズの血を引く人間が、次々とディープワンズの姿に変わっていっている。これは、クトゥルフの目覚めが近い証拠に他ならない」
「今のうちにやっておけることは?」
「できることはもう全てやった。クトゥルフの眷属であるハイドラとダゴンを討伐し、クトゥルフ以外の戦力は殲滅済みだ。ルルイエの浮上地点も予測できている。だが、深海にあるルルイエに乗り込めるのは私だけしかおらん。クトゥルフがどんな罠をしかけているか分からん以上、先手も打てぬ。クトゥルフの力は未知数だ。やつは慎重で狡猾。実際の所、クトゥルフの力をよく知る者は誰一人としていない。やつはずっと己の実力を隠し続けているのだ」
「なら、あとはもう本当に、クトゥルフが目覚めるのを待つしかないんですか……」
「いいや。お前は決戦の日まで、クトゥグアへの呼びかけを続けろ。儀式などではなく、そのファイアスターターを通して、クトゥグアの魂に直接語りかけるのだ。そのためには、ドリームランドではなく、現実の世界にいなくてはならん。護衛に夜鬼をつける。お前とお前の家族を守ってくれることだろう」
「助かります。もうあの町は……、危険ですし。親父を連れて、早いとこ別のどこかに移ります」
「それがいい。だが気を付けろ。クトゥルフは常に我々を殺す機会をうかがっている。お前の周りを取り囲む、やつの手足となって動くディープワンズや、やつに洗脳された人間たちを使ってな」
洋吉のことを思い出し、純が顔をうつむかせる。エインセルはそんな純を励ますように、明るく言った。
「純! 純には怪しいやつが近づかないよう、ちゃんと私が見張ってますから! 安心してください!」
健気に純を元気づけるエインセルの声は、ハスターやノーデンス、ジョルドやルイスに微笑ましい気持ちを与えた。
「なんとも元気な妖精よ。作ったのは外なる神かラバンか分からぬが、良き関係を結んでおるようだな」
「いらんこともよくしますけどね……」
「お転婆な子だもんね」
「してませんー! お転婆でもありません! 私は賢いんです!」
普段、厳かな雰囲気で埋め尽くされているノーデンスの玉座に、珍しく和やかな時間が流れたのだった。




