18
アメリカの現地時刻、夜十時。アメリカ合衆国ニューヨークの景観には、「眠らない街」と称されるのも納得の喧騒。
夜でありながら、人や車が行き交う街並みは電灯に照らされ、まばゆく輝く。
しかし、光の届かぬその地下では、不気味な混沌たる生物が蠢いていた。
ニューヨークの地下に広がる、地下鉄鉄道網。暗澹たるトンネルは冷たく生臭い空気に埋め尽くされて、暗闇の中では何か気味の悪い、うめき声のような物が聞こえてくる。
そんな身の毛もよだつ暗闇の中に、ジョルド・カーターは一人、歩を進めて入り込んでいった。
地下鉄のホームから歩いて数分。ホームの光が完全に途切れ、暗闇に包まれ始めた頃、ジョルドは暗闇の中に潜む食屍鬼たちの気配を確かに感じ取った。大量のうめき声と、微かな息遣いが聞こえる。
(多いな……。トンネルに穴を掘って、そこに潜んでいるらしいが……。数は五百匹を超えている可能性があるというのも……、間違いではなさそうだ)
ジョルドは身を震わせた。トンネル内に張り詰めた冷たい空気のせいではない。闇に潜む怪物たちへの恐怖。それこそが、ジョルドの体をその場に縛り付けている。
無数の息吹が近づいて来るのが分かる。ジョルドは慌てて、右目と取り換えに移植された端末義眼の透視機能と暗視カメラを使い、闇に潜むグールたちの位置と数を確認した。
ゴム質の灰色の肌と、黒目が薄くなったような白い瞳。本能のままに人の肉を食らい、汚れきった体は鼻がイカレてしまいそうな臭いを放つ。
今まで見えていなかった、壁や天井に張り付く異形の生物のシルエットが、はっきり確認できた。それも、壁と天井を埋め尽くすほどの数が。
「まずい……!」
ジョルドは右腕の義腕をグールたちにかざした。ノーデンスの加護を受けた、鋼鉄の腕。
その銀の腕は、旧神ノーデンスと同じく雷を操る。
雷光がジョルドの銀の掌から弾け、正面のグールを五匹焼き尽くす。一瞬だけ雷光が照らした暗闇の中には、ジョルドの背後に周るように天井を這う多数のグールの姿が見えた。
「しまった! 周り込まれ――――!」
ジョルドは急ぎ、端末義眼の透視機能の焦点を地上に合わせ、ブリンクで逃げようとした。けれど、恐怖してしまったジョルドの心は平静を欠き、焦点が上手く定まらない。背後から跳びかかって来たグールの牙が、彼の肩に突き刺さる。
「ぐっ……! が……、ぁ……っ!」
噛みついてきたグールを雷で焼き殺し、体勢を立て直そうとするも既に時遅く、ジョルドは無数のグールに体を掴まれ、その食欲の糧になろうとしていた。
「嘘だ……。こんなところで死ぬなんて……。嫌だ……。嫌だ……! 誰か、助け――――!!」
グールに牙を突き立てられ、痛みの余りに心折れ、叫ぶジョルド。その胸中からは既に勇気など消え去って、あるのは情けなく来るはずのない助けを求める臆病さだけ。
振り払おうとしても、グールたちはジョルドの体を掴んで離さない。人間の肉を喰らった口から吐き出される、生暖かく血生臭い息が、自分がこれからどうなるのかジョルドに想像を掻き立てさせた。
「う……、うう……、うわあああああああああああああああああああああ!!」
自分は死ぬのだと、ジョルドは確信した。恐怖は彼を蝕んで、抵抗するという考えすら捨てさせる。
自分に期待してくれている人のことも、大切な妹の信頼も裏切るのだと、分かっていても。
「助けて! 誰か……! 僕は、僕は……!! ――――死にたくない!!」
――――しかし、ジョルド・カーターは絶望と暗闇のトンネルの中に、赤々と輝く光を見た。
それは、炎だ。
あらゆる物を焼き尽くす、物理法則すら凌駕した冒涜的な炎。
自称するはフォマルハウト。炎の仮面を被る、荒井純の操るクトゥグアの炎だった。
「着火着火着火ぁ!!」
「チャカチャカチャッカー!!」
純はジョルドに群がるグールたちを一気に焼き殺していく。恐怖など微塵もせずに、むしろ笑顔で無数の超越者たちを相手に暴れていた。
そんな純の姿は、とても眩しく、希望に満ちている存在であるかのようにジョルドの目に映る。
危うくグールに体を食いちぎられる所だったジョルドに、純の手が差し伸べられた。
「おい、大丈夫か!? 立てるか!?」
ジョルドは不意に、泣きそうになった。(助かった)と感じて。自分は死なずに済んだのだと、もう大丈夫なのだと思って。
「ああ。ありがとう……」
ジョルドは純の手を借り、よろよろと立ち上がる。
まだふらついているジョルドを守るため、純は襲いかかるグールたちを次々に殴り飛ばしていった。
「なんだこいつら……。ぶよぶよしててゴムみたいだ。ゾンビみたいな見た目のくせに」
「グールは人間を食べるようになってしまった人間が変異した生物です。超越者の力を吸収している純なら、打撃でも充分倒せます。ファイアスターターで燃やすのも効果的ですが、致命傷を与えるだけの炎を出すには溜め時間が必要ですし、打撃で蹴散らしながらファイアスターターをチャージしていくのが最善ですね」
「あ、こいつら元々人間だったの……? なんかホラーっぽくなってきた。怖い」
「だったらさっさと倒しちゃいましょう。数が多いから、囲まれて不意打ちされる危険が高いので気を付けてください」
「あいよ!」
ジョルドは、エインセルと話す純に驚きの目を向けていた。
純が最近話題になっているフォマルハウトであるということにはすぐに気づいた。しかし、彼の持つスマホにインストールされているあのAIはなんだ? 超越者に関する知識を持つあのAIは。それに、元銀の腕のエージェントであったベン・ロブリーに与えられた装備であるファイアスターターと端末義眼を、フォマルハウトを自称するこの男はなんと巧みに操っているものだろう。
純はブリンクを慣れた様子で使いこなし、グールの包囲を上手くかわしている。それも、グールへの打撃とジョルドの防衛を同時にこなしながら。
「純! ファイアスターターチャージ完了です!」
「オーケー! 邪なる者共よ、我が獄炎に飲まれ灰燼に帰せ!! “冒涜獄炎波”!!」
「中二病やめてください」
純が左手を前にかざし、ファイアスターターから一直線に炎の柱が噴き出す。トンネルに巣くうグールたちを、一気に五十匹は焼き殺した。
だが、グールたちは次々とトンネルに空いた穴から這い出てくる。端末義眼の透視機能を使って、まだまだ壁の中にグールが潜んでいることを確認した純は、面倒くさそうに舌打ちする。
「まだあんなにいんのかよ! めんどくせ!」
流石の純も、多勢に無勢な状況だ。純としては、一旦その場を離れて形成を立て直したい所で。
「おい、エインセル! そこのやつを一緒にブリンクで連れていけないのか!?」
「可能です! あなたが触れている物を一緒に移動させることができます! 一旦体勢を立て直しましょう!」
ジョルドの腕を掴み、純がブリンクをしようとした途端、グールの一匹が純の脚を掴んだ。
「こいつ……!」
純がグールを振り払う。けれど、グールは次々に純へ襲いかかる。純は腕や足を噛まれ、痛みに叫ぶ。
「邪魔だ! クソったれ!」
どれだけ傷ついても、どれだけ追い詰められても、純は戦う意思を決して捨てない。
グールに恐れを抱かぬ純の毅然とした戦いぶりは、ジョルドの胸に熱い感情を生み出した。
(なんだこいつは……。なんで、こんな風に堂々と戦えるんだ……? 死ぬかもしれないのに、怖くはないのか? しかも、見知らぬ他人の僕を、当たり前のように守りながら……)
純はどんどんグールを叩きのめしていく。けれど、それでも追い付かないほどの数のグールが純に群がり、純は次第に追い詰められていった。
純の戦う姿を見ているうちに、ジョルドは自分が恥ずかしくなってきていた。何をあんなに恐れていたのか。おぞましい相手の姿に恐ろしい想像ばかりして、勝手に身をこわばらせて。
(僕も……、あんな風に戦いたい。あんな風に、ヒーローみたいに誰かを守りたい!)
ジョルドは銀の腕の本部で帰りを待っている、妹のエレナのことを思い出した。エレナが今の自分の姿を見たら、一体どう思うだろう。
(そうだ……。エレナ……。僕はエレナを守らなきゃいけない。変わるんだ。おどおどした臆病者のジョルド・カーターは、今日限りだ!!)
ついに、ジョルドの目が戦う意思を宿した。
純の戦う姿が、ジョルドの魂に火を点けた。
「フォマルハウト! このジョルド・カーター、加勢する!!」
震えた声だった。ジョルド自身、情けないと思うくらいに。
けれど、純はジョルドのそんな震えた声に、どこか勇ましさを感じた。
ジョルドの銀の腕から、青く眩い雷光が放たれた。雷光は純にまとわりつくグールを焼き殺し、純を解放する。
「あんがとさん!」
ジョルドの手を借りて純が起き上がり、二人は背中合わせになってグールの包囲に立ち向かう。
「まだまだいるな。根性出してこうぜ。誰だか知らないけど」
「今名乗ったのに!? ジョルドだよ! ジョルド・カーター! 聞いてくれ、フォマルハウト。このグールたちは、ニューヨークの市民を食い荒らしている。協力して殲滅しよう」
「あいよ。よろしく、ジョルドくん」
二人は同時に駆け出した。グールに向かい、炎と雷撃を携えて。
一人では相手にしきれなかったグールの大軍も、二人になれば処理が追いつく。ジョルドがグールを雷で吹き飛ばすことで時間を稼ぎ、純がファイアスターターをチャージする。
炎がグールたちを灰の山に変えれば、今度は純がグールに炎を振りまいて注意を引き、その間にジョルドが雷をチャージする。
つい先ほどまで、恐怖に囚われブリンクを使えなかったジョルドも、今では落ち着きを取り戻し、自在にブリンクで自分に有利な位置を取れるようになっていた。
純とジョルドの連携によって形勢が逆転し、グールたちが巣穴に逃げ込み始めると、ジョルドが純に提案した。
「やつらの巣穴を、君の炎で埋め尽くしてくれ! 逃げ出てきたやつらを、僕が仕留める!」
「任せな!」
純がファイアスターターをチャージし、巣穴に手を突っ込んで、透視機能で巣穴の中の全体像を把握。そして、チャージが終わると共に炎を噴き出し、中に潜むグールたちへ襲いかからせた。
炎に仲間が焼き消され、グールたちの生き残りがたまらず巣穴からトンネルへ飛び出してくる。
「すごいな……。もうそこまでファイアスターターを正確に操れるのか……。本当に尊敬させられるよ。君の努力と、その勇気には」
純を称えるべく、神妙な声でそう言って、ジョルドは飛び出してきたグールたちに銀の腕を伸ばす。
そして、その腕から放たれた雷光によって、ニューヨークを脅かしていたグールたちが遂に、死に絶えた。