2 どうやら異世界のようです。
「スティアっ! 私のこと分かる!?」
「父だぞ、スティア。お前の大好きな父だぞ!」
―――分かりません。すみません。
ベッドに腰掛けた私を取り囲み、身なりのいい男性と女性をはじめ、使用人っぽい人やらなんやらが口々に名前を呼んでいる。
どうも記憶がない、と言う見解をしたようで、周りの人は皆青白い顔をして私を見下ろしていた。
その見解、正解です。付け加えるならば、見た目は10歳ですが、中身は20歳の江戸っ子です。……なんて言っても信じてはもらえないんだろうなあ。
「……なんてことだ……くそ、あの占い師め! 見つけ出して殺してやるッ!」
憤るお父様は大変物騒なことを口にしているが、止める者はいなかった。
でもそうだよな、こうなったのはあの占い師が原因っぽいし、捜して元の私に戻してもらうのも手だよな。
そんなことを考え込んでいたとき、突然お母様とやらが倒れてしまわれた。
「ああ……っ」
とか言いながら、額に手を当てて崩れる様は漫画だけかと思ってたが、まさか現実でお目にかかれるとは。
使用人に支えられたお母様は、「なんてこと……」と震えている。
「あんな、可憐だったヴァスティアが……足を広げ、腕を組むなんて……っ」
「え?」
言われ、自分が祖父がいつもしているような格好をしていることに、今更ながらに気付いた。
考え込んだときの癖だ。
『女らしくないからやめなさい』なんて父に言われたこともあるが、太っ腹な母曰く『親子代々の癖だろ? じゃあどうしようもないよ』と血の濃さを思い知らされただけで、直すには至らなかったのだ。
だけど、そこまで卒倒するほどのことだろうか。
仕方なしに足を閉じれば、お母様はほっと安堵したように胸を撫でた。その直後、問答無用で爆弾を投下する。
「あのさあ、全然状況が飲み込めないんだけど……とりあえずここなんて国? フランス? イギリス?」
困ったように頭を掻きながら問いを投げかければ、今度こそお母様は意識を手放してしまわれた。
***
「いいですか? お嬢様」
先程とは打って変わって静まり返った室内に、ノイドの厳格な声が響く。
気絶したお母様が退場され、『しばらくヴァスティアは養生させる』というお父様の命で使用人たちも出ていってしまった。取り残されたのはノイドと、騒ぎの元凶である私だけだ。
そして二人っきりになるやいなや、すぐにノイドは私に話しかけてきた。
「貴方はヴァスティア・D・ゼダグリー様。我が国インディグリア王国で貴族の御三家とも言われる筆頭家のひとつ、ゼダグリー家のご息女であらせられます」
「……インディグリア王国? イギリス?」
「イギリス、などという国名は存じ上げません。ここは間違いなくインディグリア王国です」
名前がそれっぽいのに違うとは。
私が知らないだけで、世界地図に小さく載ってるどっかの国か? 地理は苦手だったんだよなあ。それにしてもイギリスを知らないって、どんだけだよ。
「じゃあさ、日本は?」
「ニホンという国も存じ上げません」
「アメリカは知ってるでしょ」
「そのような国も知りません」
「……」
―――あれ?
なにか嫌な予感がする。なんだろう、この感じ。まるで世界がひっくり返ったような。太陽が昇って『夜です』と言われたような。
冷や汗がだらだらと流れる。
ちょっと待て。ちょっと待てよ。イギリスじゃない、アメリカも知らない、日本なんて国も知らない。じゃあこの国は、地球上のどの場所にあるっていうんだ。
「あの……いま、西暦……何年? あ、ああいや……ちょっと待ってくれよ」
西暦とは? とでも言いそうに首を傾げるノイドに、慌てて質問を変える。
もし、もしもだ。過去にタイムスリップなんかしていたら『西暦』という言葉も通じないかもしれない。できることなら今の現状も分かって、ここが過去か未来か分かる質問がいい。
こういうときはどうすればいいんだ。
『バック・トゥ・●・フューチャー』はどうしたっけ。『J●N-仁ー』とかどうだっけ。
「……そうだ、教科書! 参考書とかでもいいや、なんかそういうのってない!?」
「歴史書のことでしょうか? それでしたら、お嬢様が使われていたものがそこに」
立ち上がったノイドが、机から一冊の本を持ってきてくれた。
受け取ると、手にずしっとした重量感がある。百科事典みたいな厚さだ。だが不思議とそのおかげで信用性が高まった。
いつ、どんなときでも抜群の信用性を誇る教科書様。なんとありがたき存在か。
この本を見れば、あらかた何世紀のどの国にいるかくらいは分かるだろう―――そう思って表紙を開いた私は、数分後には目を点にしていた。
歴史も地理も苦手な私だって、最低限知ってる有名な出来事。歴史が動いた幾つもの戦争。同盟。
だがそんな記述はどこにも無く、見たことも聞いたこともない国の名前が飛び交っている。インディグリア王国だのアナムス皇国だの、はたまた王帝の騎士だの―――。
これでは、まるでファンタジックなゲームの世界だ。
ノンフィクションの二次元の世界だ。
「お分かり頂けましたか? 貴女様は紛れもなくヴァスティア・D・ゼダグリー様なのです」
ええ、お分かり致しましたとも。
私はどうやら―――地球ではないどっか違う世界に、迷い込んでしまったらしい。