第6話
朝靄の中、プーケ王国軍の精鋭である増強旅団(プーケ王国軍には師団と言う編制単位は存在しない)1万は上陸した。
レオポルドは来たのだ。
侵攻軍司令部からの許可を徹底的に拡大解釈して配置されていたヴァレリオの哨兵はそれを察知できた。
さすがに勝手に湖に向けて進撃はできなかったヴァレリオは街道で待ち伏せをするつもりのようだった。
おそらく、ヴァレリオは勝つだろう。
王国軍が本当に上陸したという話をきいた私は、皇国軍から抜け出すことに決めた。
なんというかここを逃せば二度とレオに逢うことはできないと思ってしまったのだった。
早朝の何とも言えない清廉な空気の中、抜け出そうとする私の前に、あの大尉さんが待ち構えていたように現れた。
大尉さんは馬を連れて楽しそうに笑っていた。
「皇子のおっしゃるとおりでしたね」
「ヴァレリオの?」
「ええ」
捕まえられると身構えている私に、大尉さんは馬をさぁどうぞと示した。
呆気に取られている私を見ていた馬が呆れたように首を振った。
「皇子からの伝言です。『私の愛馬だ。必ず返しに来い』」
「そこまで読まれてるとちょっと気持ち悪いですね……」
そう言いながら私は馬にまたがった。
馬はちらりと私に目を向けると、意外なことに私の手綱の動きに素直に従った。
ヴァレリオの馬なら絶対気性が荒いと思ったのに。
「では、お気をつけて。私も皇子と同じく貴女が戻られることを祈っています」
「なぜここまでよくしてくださるのです?」
「ま、私は楽をさせてもらいましたからね」
皇子に付き合うのは大変ですから、と大尉さんは笑った。
その言葉に、思わず笑ってしまうと大尉さんはさぁ、はやく。急いだほうがいいですよ、と私を促した。
駆けだした馬の揺れる背中で後ろを振り返ると、小さくなっていく宿営地が見えた。
私は前を向くと、馬の手綱をしっかり握りなおした。
王国軍の進撃路になりそうな道を避けたせいで随分遠回りになったけど、なんとか誰とも会わずに湖畔に辿り着けた。
目当ての小さな邸宅を見つけると、そこから少し離れた目立たない場所に馬を繋ぐ。
小屋の中から桶を見つけるとそこに湖から水を汲んで馬に持っていった。
馬は耳と尻尾を動かすと、水を飲み始めた。
私はそれを少しだけ見守ると、邸宅に戻る。
邸宅の中にはつい最近人が使った痕跡があった。
王国軍が使ったのだろう。
だけど荒らされてはいない。
それはそうだろう。
ここは王家の別荘だからだ。
まだ敗けていない、つまり規律があるのに自国の王家の別荘を荒らす軍隊はいない。
王族、それも第一王子本人が指揮官なら尚更でしょう。
私はキッチンの竈に火をつける。
道具は備え付けの物が残ったままだ。
鍋に水を入れて、火にかける。
お茶の準備をしながらのんびり待つことにした。
そろそろ決着がついている頃だろうから、それほど遅くはならないだろう。
太陽が真上を過ぎたあたりで、周りが騒がしくなってきた。
そして、足音。
私はカップを温め始める。
ドアが開く。
塵にまみれた兵が幽霊でも見たような顔で私を見た。
私は笑みを作って言った。
「王子様を呼んでくださる?」
「なぜ君がここにいる」
護衛の兵を連れた、疲れ切ったような、それでいて見たことがないほど力を発散しているレオが私を睨みつけるようにしてそう言った。
私はそのことに驚きつつも平静を装って言った。
「それは追放したはずの私がここにいること?それとも私がここにあなたがいることを突き止めたこと?」
「どっちもだ」
私はお茶をカップに注ぐ。
レオに手で椅子を勧める。
護衛が、毒見をしようとするのをレオは押しとどめてお茶を呷った。
飲み干したカップを音を立てて皿に置いてから、唖然としている護衛が椅子を引かないのを見ると自分で引いて座った。
私がお茶のお代わりを注いでいるのを横目に護衛に手を振る。
それを見た護衛はなにか言いたげな顔をしながら部屋の外に出た。
扉が閉まる音がすると、レオは口を開いた。
「それで?君はなにをしにここに来たんだエリィ」
「あなたと話をしに」
決まっているでしょう?という私の顔を呆れるように見た。
「話をするためだけにわざわざ護衛の騎兵たちから逃げ出してこんなところまで?」
その言葉に私はカチンと来て言い返した。
「あなたが問答無用で追い出すからじゃない!」
「ああしないと何をしでかすかわからない、というのが皆の一致した意見だったんだ!」
「皆って誰よ!」
「皆は皆だ!父上も母上も君の御父上も御母君も!君を知っている者は皆だ!」
「え……ッ!」
王や王妃、ついでに両親からそんな評価だったの私……!?
絶句する私にレオはそれみたことか、という顔をする。
このぉ……。
「……私への評価はいいの!なんで私と婚約破棄したのよ!」
「それは……」
「ここまで来て隠す事もないでしょ」
レオは顔を伏せ、しばらくすると暖炉の火を眺め、そのあと窓の外に視線を……。
いい加減にしなさいよ……!
私がキレそうになった瞬間に、大きな溜息をついて観念したように口を開いた。
「王家と御国を守るためだ、もちろん」
その声音は打って変わって落ち着いたものだった。
「王家と国を……?」
「その恰好をしているのだから、皇国を頼ったのだろう?ならばわかるはずだ」
私の目を見つめながらレオは言った。
「皇国は我が国を攻め、服従させるために動いていた。自作自演で皇族まで殺して」
「それは……」
たしかにレオの言う通りだろう。
だって、ヴァレリオは王都まで私を連れて行くと言ったのだ。
つまり、王都を占領する……プーケ王国を征服し、よくて属国、悪くて滅亡させる気なのは間違いない。
「こうと決め、その能力がある国を交渉で止めることはできない。もう決めてしまっているからね」
レオはお茶を飲んで、唇を湿らせた。
「そうなると私たちには二つしかなかった。服従して慈悲を請うか、別の国……帝国に助力を請い抵抗するか、だ」
「それで帝国に?」
「ああ。帝国の姫君を私が娶り、婚姻同盟を結ぶわけだ」
「だから、皇国派とみられている婚約者である私が邪魔になった」
「ああ、そうだ!」
それだけを叫ぶように言うと、レオは立ち上がり背を向けて窓の外へと視線を向けた。
「でもそれだと帝国の属国になるだけじゃない」
「……一つは王家が生き残る可能性はそちらのほうが高いからだ」
私が無言で促すと、レオは乾いた笑いを漏らした。
「もう一つは……笑うなよ?皇国のせいでこうなったのだから、あいつらに頭を下げたくなかったんだよ。皆がね」
「………」
「だが帝国からは竜騎兵だけが少しだけ来ただけだ。陸軍は間に合いそうにもない」
そのまま私へ視線を向けないまま、独り言を言うように言う。
「これでわかっただろう。もう王国に君の居場所はない。どこにでも好きに行けばいい」
「あなたも、あなたもそうしたらいいじゃない!もうどうやっても変わらないのでしょう!?」
「バカを言うなよエリィ」
そういうとレオは泣きそうな顔で笑った。
「僕は王子だぜ?生まれてから死ぬまで。いや、死んだってそうだ」
私はそれでもなにか言おうとして、レオがさっき言った言葉を思い出した。
『こうと決め、その能力がある国を交渉で止めることはできない。もう決めてしまっているからね』
彼はもう決めてしまっているのだ。
私との婚約を破棄したときのように。
嫌だと思っていても。それが王子としてあるべき姿だと信じているから。
そうじゃないと彼は、きっと耐えられないのだ。
「君はもう公爵令嬢じゃない。さぁ」
私は彼を説得する言葉が思いつかなかった。
彼自身にかけられた詰みを外す一手が思いつけなかった。
ぼやけた視界の中、レオは優しく微笑んで部屋を出て行った。
私は嗚咽を抑え込みながらさっきまでレオが立っていた場所……窓の向こうを睨みつけていた。
日が傾きはじめたころ、私は外に出た。
もう王国軍側の人間は誰も残っていなかった。
湖は昔と変わらない姿で……波も穏やかに、日の光を反射して輝いていた。
繋いでいた馬の背に跨る。
レオたちが進んだ道、北に向かう王都につながる道を暫く眺めた。
馬が嘶くと、何をしているんだというように私を見た。
私は頷くと、馬首を西に……元来た道、ヴァレリオがいる方向へと向けた。
王都の南で発生した決戦においてプーケ王国軍は敗北。
皇国軍はその勢いのまま王都を陥落させた。
皇国は、今回の皇族暗殺及び戦役におけるすべての責任はプーケ王族にあるとして、即刻処刑を言い渡し実施した。
その知らせを受けた帝国軍はそのまま撤退。
プーケは共和国として存続することとなった。
その共和国政府の設立には、戦争直前に追放されたエレナ・フォン・アルブラが尽力したと言われている。
当然、そうして設立された議会では、首班や少なくとも議員として彼女を推す声は大きかった。
だが彼女はそれを固辞し、そのままプーケから姿を消した。
一部の記録では、彼女は皇国陸軍大将として名を遺したヴァレリオ皇子の愛人として生涯を過ごしたとされている。




