2/第一の試練 -9 女子更衣室
「みさおちゃん、行こう?」
「あ、うん!」
五時間目の数学が終わってすぐ、体操着袋を手にしたほのかちゃんが僕を呼びに来てくれた。
六時間目の授業は体育だ。
時間割は知らなかったけど、いちおう体操着を持ってきて正解だった。
「え、と。体育って、なにやってるの?」
「たぶんだけど、今日も卓球じゃないかな。みさおちゃん、卓球得意?」
「あはは……」
僕は、基本的にどんくさい。
ドッジボールではいつも最後まで残っていたけれど、そのくらいだ。
僕の乾いた笑いですべてを察したほのかちゃんが、くすくす笑う。
「大丈夫。私も苦手だから」
「そうなんだ」
「卓球、球が速くって。私、どんくさいから」
「あ、ぼ、僕も! 僕も、どんくさい……」
「じゃあ、どんくさい仲間だね」
「そ、そうだね。えへへ……」
僕たちの周囲にいたクラスメイトたちが、互いに顔を見合わせて微笑んだ。
嘲るような嫌な笑い方じゃない。
動物や赤ちゃんのかわいい映像を見るときのような、優しい笑顔だ。
ほのかちゃんが、そっと僕の手を握る。
「わ」
「体育館、案内するね」
「う、うん」
わ、わ、女の子と手を繋いで歩くなんて、初めて──ではないか。
歌音が小さいころ、よく手を引いて歩いていたっけ。
懐かしいなあ……。
「?」
遠い目をする僕に、ほのかちゃんが小首をかしげる。
「あ、手繋ぐの嫌だった?」
「や、やじゃない!」
離れかけた手を、慌ててぎゅっと繋ぎ直す。
「えと、その……。な、慣れてなかっただけ、だから。嬉しいから」
「……そっか」
慈しむように微笑むほのかちゃんに手を引かれ、教室を出る。
ああ、女子同士の距離感だなあ。
繋がる体温に、心がぽわぽわする。
「ふへ……」
思わず変な笑い声だって漏れてしまう。
「みさおちゃんの体操着って、前の学校のやつ?」
「あ、ううん。たぶん違う、と、思う……」
用意されていたのを、そのまま持ってきただけだからなあ。
「じゃあ、新品だね。いいなあ。私のジャージ、このあいだ、膝のところが溶けちゃったんだ」
「えっ。ジャージって溶けるの?」
「摩擦でね、溶けるみたい。私もびっくり」
「あ、そっか。化繊だから」
「かせん?」
「化学繊維のことだよ。ジャージなら、たぶんポリエステルかな。化繊は全体的に熱に弱いんだ。ポリエステルは耐熱温度が高いほうだけど、摩擦熱がそれを上回ったんだね」
「へえー……」
ほのかちゃんが、感心したように頷いてくれる。
「みさおちゃん、とっても詳しいんだね」
「あ、うん。服飾は、その。好きで……」
つい、僕の内なる服飾デザイナーが顔を出してしまった。
大丈夫かな。ニチャってなかったかな。
「そうなんだ。素敵だな……」
「そ、かな」
「好きなことがあるのって、羨ましいな。みさおちゃんは服飾。さえちゃんは陸上。でも、私にはなにもないから」
「だ、大丈夫! 僕も──」
僕も、服飾に本格的に興味を持ち始めたのは高校からだから。
そう続けようとして、言葉を詰まらせる。
言えるかそんなこと!
「……あ、そ、その。僕も、最近だから! ほのかちゃんも、すぐ見つかる……と、思う。たぶん……」
「ふふ、ありがとう。好きなこと、したいこと、なにか見つかったら、真っ先にみさおちゃんとさえちゃんに報告するね」
「う、うん!」
でへでへと頬が弛むのがわかる。
いいなあ、友達。
友達って、こういう感じなんだ……。
短い渡り廊下をくぐり、体育館へと辿り着く。
「広い……!」
「そう? みさおちゃんの学校、体育館小さかったのかな」
いや、違う。
体育館が広いんじゃなくて、僕が小さいんだ。
まるで小人にでもなったような気分だった。
「こっちが女子更衣室だよ」
「あ、うん。女子──」
更衣室。
「──…………」
女子更衣室?
そっか。そうだよね。ジャージに着替えないといけないもんね。
でも、いいのか?
大勢の女子中学生が生着替えをする空間に、僕がいていいのか?
罪状は重くならないか?
「みさおちゃん?」
急に足を止めた僕の顔を、ほのかちゃんが不思議そうに覗き込む。
「あ、ううん! うん、うんうん。うん? うん」
「……大丈夫?」
「だ、大丈夫……」
なんてことないさ。
女子トイレにだって入れた僕だろう!
胸中で自分を鼓舞し、女子更衣室へと侵入する。
ああ、ダメだ。自分で侵入するとか表現してる時点で犯罪を自覚している。
更衣室に入ると、古びた木の香りに混じって、ほのかな汗臭さと制汗剤の芳香とが鼻腔をくすぐった。
「わ、わ……」
クラスの女子が着替えてる!
慌てて視線を逸らす。
「ひゃあ!」
そこにも半裸の女子、女子、女子!
ど、どこを見ればいいんだ!
「み、みさおちゃん。本当に大丈夫? 具合、悪くない?」
「ぐ、具合は、うん。大丈夫。大丈夫だけど……」
すすす。
視線を足元に落としながら、更衣室の隅の隅へと移動する。
壁を見ながら着替えよう……。
あ、相合い傘描いてある。
「もしかして……」
ほのかちゃんが、こっそり僕に耳打ちをする。
「……着替え見られるの、恥ずかしいの?」
それだ!
「う、うん。ちょっと。僕、ちんちくりんだし……」
僕の発育は、クラスメイトの女子たちと比べて明らかに遅れている。
身長も小さいし、胸も平たい。生えてもないし……。
「わかった。じゃあ、私の陰に隠れて着替えてね」
「あ、あ、ありがとう……!」
ああ、ほのかちゃんの優しさが心に染みる。
君は僕の天使だ……。
よし、ささっと着替えてささっと出よう。それがいい。
幸い、ほのかちゃんが僕の視線を遮って──
「あ」
遮ると言うことは、ほのかちゃんが僕の間近で着替えるってことじゃないか!
「うしょ、と」
ほのかちゃんの足元にスカートがぱさりと落ちる。
あ、水色──
「ご、ごめん!」
「え?」
シュババババ!
最速で着替えをこなし、慌てて更衣室を出る。
「ま、待ってるからー!」
ダメだ。女子更衣室は僕には刺激が強すぎた。
おかげで本番の授業はへろへろだった。
そして、僕は授業後に思い出すことになる。
当然ながら、ジャージから制服に着替え直す必要があるということを──
中学一年生の女子って、ほとんどブラジャーしてるんですね。
いや、僕もしてるけどさ。
スポブラだけど。




