↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春秋異聞南溟伝 -兄の真意を求め、若き王は死の国へ向かう-  作者: ペンギンの下僕
石兵の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/53

魔除けの鬼面

 翌朝、不瑳《ふさ》の邸宅に莫耶《ばくや》を迎えに行った敖虎《ごうこ》と蔿峨《いが》は、蒼白い顔をしていた。

 敖虎は目の下にうっすらとくまができていて、蔿峨は時おり、えづきそうになって胸のあたりをさすっている。


「どうしたお前たち、宿酔《ふつかよ》いか?」


 溌剌とした声で言われると、貴女と同じにしないでくれという思いが湧き上がってくる。しかし今は、少なくとも蔿峨はその言を否定できなかった。

 その沈黙を肯定と受け取ったのだろう。莫耶はからからと笑いながら、


「師たる私を差し置いて宴席か。次は私も混ぜてくれよ」


 と、二人の肩を叩いた。


「貴女は、不瑳どのに存分に呑ませていただいていたのではないのですか?」

「まあな。しかし、家宰どのは酒に弱くてな。そこまで酒精の強くないこの国の酒を、十杯と少し呑んだ程度で寝てしまったんだ」


 不瑳の家宰――申韻胥《しんいんしょ》には詫びておかなければならない。敖虎はそう思い、莫耶を蔿峨に任せて、邸宅の中へ入っていった。

 敖虎を迎えてくれた申韻胥は、明朗な顔をしている。とても先日、莫耶に酔い潰されたとは思えなかった。


 ――寝たふりでもされたのだろうか?


 そうだとすれば賢慮である。次に酒客に絡まれた時は自分もそのようにしようと、敖虎はひそかに思った。


「それで、昨日お話しさせていただいたことですが――」


 敖虎の顔色は一転して、険しいものとなった。

 不瑳と申韻胥を伴い、会稽《かいけい》山にある呉王の陵墓に赴くのに同行してほしいと不瑳に頼まれたのである。


「莫耶どのにご快諾いただき、明朝にも姑蘇《こそ》を発つとのお言葉をいただきました」


 敖虎は、胸の中で舌打ちをした。


 ――この人は、その言質を取るために莫耶どのを酔わせたな。


 先日は、莫耶としても多少の難色を示していた。もっともその理由は、ただ面倒だからというところのほうが多いようであったが、即諾を避けてくれたのは敖虎としても密かに安堵していたところである。

 ところが知らぬうちに、それは決まったこととなっていた。

 ただ酒を振る舞われた莫耶が申韻胥の要請に、酔って軽くなった首を縦に振る光景が容易に想像できた敖虎は、


「……それが師の仰せとあれば、我ら徒弟は従うまでです」


 と、諦めるより他になかったのである。




 敖虎の憂色は、宿に戻り、闘炎淑《とうえんしゅく》と養叔由《ようしゅくゆう》から申韻胥の素性を聞かされたことで深まった。

 茨《し》王室に怨恨を持つ者と羋蒼旅《びそうりょ》を同行させるというのは、狼と虎とに手綱をつけて車を曳《ひ》かせるに等しい。

 その元凶というべき莫耶は、昨日、浴びるように呑んだであろうに、まだ足らぬと言いたげに酒杯をあおっている。


「炎淑と叔由どのもですよ。せめていなくなる前に、そのことを教えてください」


 莫耶に何を言っても無駄と悟っている敖虎は、そこにいた二人に問詰《もんきつ》の矛先を二人に向けた。

 その二人は、蒼白い顔をして俯いている。昨日、蔿峨に呑まされた酒の余韻がまだ頭の中で響いているらしい。


「……仕方なかろう。そのような余裕はなかったのだからな」

「……下手な言い訳も思いつかなかったので、あの場はともかく遁走するより他にないかと思ったのは、申し訳ありません」


 闘炎淑はともかく、養叔由も妙に素直に謝辞を口にした。よほど、昨日の酒が尾を引いているようである。


「ところで我が君と蔿峨どのはどうされました?」


 二人の姿が見えぬので、気になった敖虎が聞くと、二人は顔を逸らした。

 やがて養叔由が気まずそうに、


「お二人でしたら、莫耶どのに潰されました……」


 と言った。潰すとはこの場合、酔わされたということであろう。


「そうですか。それは、話が進みそうでよいことです」


 半ば自棄《やけ》になりながら、敖虎は乾いた息を吐いた。この旅は思った以上に心痛の多い旅となりそうである。昨日、一口も呑まなかったことを、敖虎は少しだけ後悔した。


「ところで、貴方たちは申韻胥どのに顔を知られているのでしょう? 会稽山に行くときはどうするのです?」


 目下の懸念はそこにある。

 闘炎淑の剛力と、養叔由の弓術が欠けては困る。含むところは多々あれど、二人の伎倆については敖虎としても認めているのだ。

 そこへ莫耶が口を挟んできた。呑みながら、話はしっかりと聞いていたようである。


「会稽山に赴く時は、お前たちには鬼面をさせる。魔除けということにしてな」

「鬼の面、ですか?」

「ああ。あの家宰どのにも既に話を通してあるから、気にするな」

「随分と周到なことですが、また何故に?」

「そいつらがいなくなったのを見て、顔を知られているのだろうと思ったのでな。延融《えんゆう》は私のことを持ち上げて紹介してくれたらしい。それが王陵《おうりょう》に参じるときの儀礼であると言えば、すんなりと納得してくれたぞ」


 莫耶のことが、敖虎は改めてわからなくなった。

 豪放で粗雑な人かと思えば、ふと、こういった機微に通じているところを見せてくる。

 ともあれ、懸念が一つ解決したので敖虎は安堵した。本心では苦言を吐いてやりたかったのだが、成果もなくただ徒労がつもるだけだとわかっている敖虎は、それで良しとすることにしたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。