魔除けの鬼面
翌朝、不瑳の邸宅に莫耶を迎えに行った敖虎と蔿峨は、蒼白い顔をしていた。
敖虎は目の下にうっすらとくまができていて、蔿峨は時おり、えづきそうになって胸のあたりをさすっている。
「どうしたお前たち、宿酔いか?」
溌剌とした声で言われると、貴女と同じにしないでくれという思いが湧き上がってくる。しかし今は、少なくとも蔿峨はその言を否定できなかった。
その沈黙を肯定と受け取ったのだろう。莫耶はからからと笑いながら、
「師たる私を差し置いて宴席か。次は私も混ぜてくれよ」
と、二人の肩を叩いた。
「貴女は、不瑳どのに存分に呑ませていただいていたのではないのですか?」
「まあな。しかし、家宰どのは酒に弱くてな。そこまで酒精の強くないこの国の酒を、十杯と少し呑んだ程度で寝てしまったんだ」
不瑳の家宰――申韻胥には詫びておかなければならない。敖虎はそう思い、莫耶を蔿峨に任せて、邸宅の中へ入っていった。
敖虎を迎えてくれた申韻胥は、明朗な顔をしている。とても先日、莫耶に酔い潰されたとは思えなかった。
――寝たふりでもされたのだろうか?
そうだとすれば賢慮である。次に酒客に絡まれた時は自分もそのようにしようと、敖虎はひそかに思った。
「それで、昨日お話しさせていただいたことですが――」
敖虎の顔色は一転して、険しいものとなった。
不瑳と申韻胥を伴い、会稽山にある呉王の陵墓に赴くのに同行してほしいと不瑳に頼まれたのである。
「莫耶どのにご快諾いただき、明朝にも姑蘇を発つとのお言葉をいただきました」
敖虎は、胸の中で舌打ちをした。
――この人は、その言質を取るために莫耶どのを酔わせたな。
先日は、莫耶としても多少の難色を示していた。もっともその理由は、ただ面倒だからというところのほうが多いようであったが、即諾を避けてくれたのは敖虎としても密かに安堵していたところである。
ところが知らぬうちに、それは決まったこととなっていた。
ただ酒を振る舞われた莫耶が申韻胥の要請に、酔って軽くなった首を縦に振る光景が容易に想像できた敖虎は、
「……それが師の仰せとあれば、我ら徒弟は従うまでです」
と、諦めるより他になかったのである。
敖虎の憂色は、宿に戻り、闘炎淑と養叔由から申韻胥の素性を聞かされたことで深まった。
茨王室に怨恨を持つ者と羋蒼旅を同行させるというのは、狼と虎とに手綱をつけて車を曳かせるに等しい。
その元凶というべき莫耶は、昨日、浴びるように呑んだであろうに、まだ足らぬと言いたげに酒杯をあおっている。
「炎淑と叔由どのもですよ。せめていなくなる前に、そのことを教えてください」
莫耶に何を言っても無駄と悟っている敖虎は、そこにいた二人に問詰の矛先を二人に向けた。
その二人は、蒼白い顔をして俯いている。昨日、蔿峨に呑まされた酒の余韻がまだ頭の中で響いているらしい。
「……仕方なかろう。そのような余裕はなかったのだからな」
「……下手な言い訳も思いつかなかったので、あの場はともかく遁走するより他にないかと思ったのは、申し訳ありません」
闘炎淑はともかく、養叔由も妙に素直に謝辞を口にした。よほど、昨日の酒が尾を引いているようである。
「ところで我が君と蔿峨どのはどうされました?」
二人の姿が見えぬので、気になった敖虎が聞くと、二人は顔を逸らした。
やがて養叔由が気まずそうに、
「お二人でしたら、莫耶どのに潰されました……」
と言った。潰すとはこの場合、酔わされたということであろう。
「そうですか。それは、話が進みそうでよいことです」
半ば自棄になりながら、敖虎は乾いた息を吐いた。この旅は思った以上に心痛の多い旅となりそうである。昨日、一口も呑まなかったことを、敖虎は少しだけ後悔した。
「ところで、貴方たちは申韻胥どのに顔を知られているのでしょう? 会稽山に行くときはどうするのです?」
目下の懸念はそこにある。
闘炎淑の剛力と、養叔由の弓術が欠けては困る。含むところは多々あれど、二人の伎倆については敖虎としても認めているのだ。
そこへ莫耶が口を挟んできた。呑みながら、話はしっかりと聞いていたようである。
「会稽山に赴く時は、お前たちには鬼面をさせる。魔除けということにしてな」
「鬼の面、ですか?」
「ああ。あの家宰どのにも既に話を通してあるから、気にするな」
「随分と周到なことですが、また何故に?」
「そいつらがいなくなったのを見て、顔を知られているのだろうと思ったのでな。延融は私のことを持ち上げて紹介してくれたらしい。それが王陵に参じるときの儀礼であると言えば、すんなりと納得してくれたぞ」
莫耶のことが、敖虎は改めてわからなくなった。
豪放で粗雑な人かと思えば、ふと、こういった機微に通じているところを見せてくる。
ともあれ、懸念が一つ解決したので敖虎は安堵した。本心では苦言を吐いてやりたかったのだが、成果もなくただ徒労がつもるだけだとわかっている敖虎は、それで良しとすることにしたのである。




