サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 番外編3
あれから数世代後──。
帝都の中心に位置する絢爛豪華な大演劇場。
王侯貴族や裕福な市民向けに造られた帝都有数の歴史ある優美な建物は、地元帝国市民から観光客にまで広く愛されている。
高価な魔導シャンデリアが室内を幻想的に照らす中、二階のガラスの大窓からは外界のキラキラと柔らかく揺らめく水銀灯や、街を流れる河川に架かる立派な大橋、整備され季節の花壇で飾られた道を多種多様な馬車か行き交う様がよく見える。
一幕の上演を終えた劇場では、バルコニー席に続く通路の扉から着飾ったレディ達が、絨毯にヒールの音を沈ませて興奮冷めやらぬ様子でテーブルに集まる。
皆、同じ装丁の本を大切に胸に抱いている。
天井を仰ぎ見る者、本を強く抱きしめる者、無言で俯き何かをブツブツ唱える者。
「ああ、なんて素敵! いつ見ても心躍りますわ!」
感極まったように口火を切ったのは、本を抱きしめていた令嬢だった。
「えぇ、えぇ、本当に! 一幕だけでもわたくし萌え殺されるかと思いましてよ! さすが国一番の劇場! 音響も、セットも、演出も、キャストも! ああ、理想的な舞台でしたわ! いえ、歌だけなら先日のトラットリアの流しのギターもなかなか……情熱的で捨てがたくは存じますが!」
天井を仰いでいた令嬢もグルンと首を戻し同意する。
浸っていたい、でもこの高ぶる気持ちを同志と分かち合い、迸る萌をぶつけ合いたい。
時間が足りない!
「わたくし、今夜はとても眠れません!」
「わたくしも!」
大演劇で上演されている演目は、帝国で大人気の戯曲の一編だ。
本編は数世代前の帝国を舞台にした、新聞に長期連載中の小説で超大作。陰謀やふんだんに盛り込まれたサスペンス要素のみならず、鮮やかな推理や解決、主人公たちのじれったい恋模様、手に汗握る派手なアクション、くすっと笑えるコメディ要素を随所に盛り込んだ作品は、発売された当初から身分関係なく、老若男女に人気を博した。
背景はしっかりと当時の政治経済の様子や、帝国史の史実なども描かれた、今なお世界で愛される帝国サスペンス文学の金字塔。
今宵大劇場では、本編の主人公たちを支える帝国軍人にスポットを当てたスピンオフ作品が上演されていた。
「特に、ハルトアイス様がライラ様をお助けしたシーン、本当に素敵でしたわ! わたくし、もう、もうっ!」
給仕にサーブされた果実酒をぐいっと煽り、興奮と酒精でほんのり上気した頬をうっとり押える。
「わたくしたち、お二人の出会いからハルトアイス様のもだもだした頑張りをずっと見守っておりましたもの。この幕は本当に感無量ですわ。ハルトアイス様、やっと報われましたのね……」
もはや親目線の彼女はハンカチでそっと目尻を拭う。
ハルトアイス中将とその奥方。
帝国の歴史の中で、下位の騎士から辺境伯にまで登り詰めた英雄。有名な愛妻家で、今もその子孫らが爵位を継いでこの国を護っている。
実在の人物であり、機密性の高い軍人であるせいか戯曲本編では脇役に徹し、スピンオフでも上手くぼかした表現が多い。
しかしながら、仕事中の冷徹とも言える軍人像と一途な愛妻家のギャップがご婦人方に非常に人気がある。
何よりこの男、顔が良い。とにかく良い。眉目秀麗、才色兼備……ありとあらゆる賛辞を当然のものとする男。演じる役者も誰も文句のつけられない男前以外認めん! と鼻息荒く断じる作品ファンは数知れず。
休憩のためのこのホールも、年齢に差はあれどご婦人の割合が非常に高い。
「何が凄いって、ハルトアイス様はライラ様とご結婚されるまで帝国で叙爵の一切を断り続けていたことですわ。ハルトアイス様はライラ様にとても真摯でいらしたのよ。ライラ様とご成婚された当時はお互い市井の者同士ですもの。ご結婚になんの壁もございませんでしょう? 実力のあるハルトアイス様だからこそ可能な荒業ですわ。もちろん、地位を蔑ろにされていたわけではございません。軍部や騎士団に属するからこそ、組織の酸いも甘いもお判りだったのでしょう。そこから騎士爵、男爵、子爵、領地を賜り辺境伯と長い時間をかけてライラ様とご一緒に貴族として歩まれましたの。まさに真の愛妻家。いきなり王太子妃などと宣う方々とは愛の意味も深みも違いますわ。もちろんライラ様も、公爵家との長年のお付き合いから自然に高位貴族へのご対応をご自身で学ばれましたのよ。わたくしなら無理です。優秀な女家庭教師がいても無理ですわ。本当に素晴らしい観察眼をお持ちでしたのね。我が家のメイドにそのような方がいらしたら、わたくし専属にして絶対手放しません。別邸とはいえ公爵様がご友人の高位貴族の方々の前に出しても恥ずかしくない給仕ができ、お孫様のキャシー様とのお付き合いを笑って許される程ですもの。どんなに愛らしく朗らかな方でも、マナーがなっていなければ上流階級からは容赦なく弾かれますわ。つまりライラ様は当時から公爵家に礼儀見習いに来られるメイド……下級貴族令嬢クラスの礼儀がおありになったと言うこと。これは後見人が公爵家と言っても可笑しくはごさいませんでしょう? 『公爵家が育てた』と言っても過言ではございません。流石は公爵家グッジョブ!」
「なるほど、グッジョブ! 流石の考察ですわ」
「グッジョブ! また一段と萌が捗りましてよ」
「また『上級軍人』『騎士団長』が貴族籍でなかったことは、先の歴史的に市民の地位向上に大変意味のあった出来事ですのよ」
俯き呪文を唱えていたレディが、二人に向き合うと怒涛のように喋りだした。
彼女はいわゆる歴史厨。史実と戯曲の相関性を脳内で再構築していたのだろう。
「わたくし、貴女とお友達になれたこと、生涯誇りますわ」
「志を同じくする仲間に貴女がいて、わたくし達本当に幸せですわ。あの時、思い切ってお声をお掛けして良かった」
「そ、そんな…………わたくしなど、頭でっかちなばかりで……」
先程の勢いはなりを潜め、恥ずかしげに彼女は俯いた。
出会いは、小さな劇場だった。
人気の演目ではあるが、本作が長編すぎて一会場の一公演では話が収まらず、毎回どこかしらの劇場で様々な題目がされている。
その中で、ハルトアイス中将シリーズの上演に必ず足を運ぶ二人の貴族令嬢。
最初の出合いは貴族学院の図書館から。
探り探り話せば、性癖ドンピシャな二人。
その場でがっしりと力強い握手を交わしたのは言うまでもない。
彼女らはあらゆるハルトアイス夫妻関連の書籍を漁り、些細なハルトアイス夫妻情報も見逃さず、ハルトアイス中将シリーズの演目は酒場だろうが祭りの芝居小屋だろうがどれほど遠方だろうが梯子し、現代日本のようなグッズなど無いからお揃いで金地に夫妻の瞳の色であるサファイアとエメラルドを嵌め込んだ特注のブレスレットも作成した。
上級ハルトアイス夫妻オタクマスターは瞳の色の組み合わせだけで悶ることができるのだ。
そして、足を運んだ場所には、高確率でいつも呪文を唱える彼女がいた。
オタクは同志に鼻が利く。
二人はさり気なく彼女の後ろに近付いた。
「お二人のご婚約中はライラ様は帝国のレストラン・ファインにお勤めをして、ハルトアイス様の男爵叙爵まではチーフとして騎士の憩いの店を切り盛りされて……うん、そうよ。ハルトアイス様はとても心配性でいらしたけど、ライラ様のなさりたいことには協力的でいらしたと、騎士団ロビーの展示室にある当時の巡回報告書に……男爵位は功績ある市井の方の叙爵も多かったから夫人が町で働いていても不思議じゃないもの。子爵位を授かられてからは女性向けのレストランと内輪のサロンをお開きになって、だから後年、辺境伯となられたハルトアイス様が帝都のタウンハウスの管理を爵位をお分けになった御子息にお任せになった際はハルトアイス様が新しい御領地にライラ様を伴われて……で、地元でお若い方向けにお料理とマナーの教室をお開きになられた、と。そう、その資料は確か帝国第三図書館の登記記録と、市民図書館の『領地での婦人の暮らし』に掲載された子爵令嬢のレシピと教室の様子を綴った手記で調べたから……うん、確実よ……当時の子爵令嬢、なんて羨ましい。わたくしも参加したい」
ブツブツ繰り返す彼女の肩を、貴族令嬢らしからぬ力で二人はガシっと掴んだ。
ニワトリじゃない? 貴女、まさに金の卵を産むニワトリじゃない?
「「ニワトリぃ確保ぉ‼ ですわぁぁァァァァ‼」
「キャーーーーーーーッ⁉」
最初はたかが商家の生まれの自分が、貴族令嬢となどと遠慮する彼女に、二人は強く断言した。
『ハルトアイス夫妻オタク同士に貴賎なし! 求むメンバー!』
そうしてメンバーを増やし三人はハルトアイス夫妻オタク仲間になったのだ。
彼女らの活動に『聖地巡礼』が追加された瞬間であった。
ちなみにこれ以降、歴史厨の薫陶を受けた二人の学園での歴史の成績は一気に向上した。
第二幕の開演五分前のブザーが鳴る。
この後は、原作ではライラを帝国に迎えるハルトアイスのストーリーとなるが、毎回劇場毎に趣向を凝らした新解釈や演出を入れてくる。
これだから劇場巡りはやめられないとまらない。
台詞回し一つ、主観一つで新たな萌えが滾々と尽きぬ泉のように湧いてくる。
「たった数世代前に、こんな素敵な方々が実在していらしたなんて」
「えぇ、わたくし。是非その時代のレストラン・ファインの壁になりとうございました」
ほぅ、と息をつく二人に友は提案する。
「なら、帝国美術館の常設展示の『晩年のハルトアイス夫妻』の肖像と、ミズヒルダのサロン一般開放で個室廊下に飾られた顧客の肖像の『記念日のハルトアイス家』『母の日・子らとともに』を拝見し、レストラン・ファインで伝統のサンドウィッチとライスコロッケを頂き、辺境伯のタウンハウスの周囲を巡礼いたしましょう」
「「まあぁなんて素敵」」
「それと、あの、これは皆様のご家族様からお許しが頂ければなのですが……一ヶ月後に開催されるハルトアイス辺境伯御領地の花祭に参りませんか? ご成婚当時は王室の離宮だった建物を改装した博物館で特別展示される食器などを拝見して、街でご成婚時にライラ様が当時の市井のご友人らに贈られた直筆記念絵葉書の閲覧ラリーをお二方とできれば、わたくし幸せですわ。ライラ様のお勤めされたお店跡地も特定しております。リストはこちらに」
迸るパッションはすぐに同志と共有したい。
三人で聖地を巡れば、それは心もお腹もいっぱいの旅になるだろう。
「「は? 神ですかしら?」」
「お父様とお兄様に必ずやレッスンのお暇を頂きます! ホリデー前に成績表で横っ面を叩けばよろしいのでしょう? なんなら山沿いの湖にある我が家の別荘を宿として提供致しますわ!」
「なら、わたくしは馬車と従者とコックを! ランチにはライラ様が当時提案されたレストランメニューを再現してご用意いたします!」
「是非、わたくしの実家の工房で推し色の靴を作りましょう、歩きやすいローヒールで。聖地巡礼は足が命ですもの。なんなら職人に硝子の靴を作らせますので三人で叩き割りましょう!」
「発想が神! わたくし、ハルトアイス様になりきりますわぁ!」
「絵師を、絵師も同行させましょう! 衣装も当時のものを!」
「我が商会にお任せください!」
二人の貴族令嬢は手刀で硝子を払う仕草をする。キレッキレである。
あの隣国は結局、王室一家揃って郊外の屋敷で蟄居することとなった。
息子可愛さに湯水のように無駄金を使い、平民のみならず側近の貴族たちからも、この王室では厳しい土地を統べるには相応しくないとの総意だった。
このまま王子が王位に就こうとも、元々が内気で社交一つ熟せなかった彼。此度の騒ぎでさらに女性不振に陥り部屋から出れなくなったとある。
継いだところで、次代の世継ぎは望めまい。
結果、あの侘びに来た公爵が公国として引き継いだ。
そして公爵亡き後は、国はあっけなく帝国に吸収された。そも、公国としたのも引き継ぎの為の準備期間だったのだ。
古い魔女とその呪法が関わった土地の管理は、とても難しい。
最終的に、魔力対策としてハルトアイスが新しく辺境伯の地位を賜り領主として着任した。
領地と帝都を短時間で翔け抜ける従魔と、主の留守を奥方と護れる猫貴族がいたことも大きな決め手だっただろう。
「ライラ様とハルトアイス様がダンスなさった王室時代の晩餐カトラリーを拝見できるなんて」
「ライラ様とキャシー様がお使いになった物かもしれませんわ! テラスでお食事されてましたでしょう? ひ、一つくらい! あぁっ、わたくし耐えきれますかしら……」
「わかります。わたくしもリスト作成時だけで、何度本と資料を読み返したかわかりません。家業の仕入れで参加したオークションでも王国時代の貴族向けカトラリーが流れていないか見てしまいます。辺境伯邸の備品は現在も厳重に管理されておりますもの。針一本たりとも流出しませんわ」
「わかりますわ、推しを匂わせる物はなんとか手に入れたいもの。あの時代のあの地はまさに激動期ですもの、あわよくば……」
「いっそ、同工房で作成された二級品でも構いません。たとえエンブレムがなくともお二人に思いを馳せるレプリカとしてなら収集するに値します……どうせ尊くて使えませんもの」
三人は仲良く並んで会場へと足を運ぶ。
今から始まる第二幕も楽しみだが、終劇後の友との熱い語らいも、先にある聖地巡礼も楽しみすぎて本当に生きるのが辛い。時間が足りない。
ハルトアイス中将シリーズは既に世代を超えて、手を変え品を変え上演されている。
つまり、この作品と友人達とはこれから一生の付き合いとなるだろう。
三人の手首には揃いの金のブレスレットが輝いていた。
バルコニー席へ続く扉に吸い込まれる三人の姿を、あの日、同志を見つけた貴族令嬢二人のような目をした数人のお嬢様方が見つめていた。
お互い声をかけたそうに目配せしたり、無意味に手を上げ下げしていたことは、大劇場に長く従事してきたベテラン給仕にはもはや見慣れた日常の一コマなのだ。
こうして宝石のように煌めく夜は、帝国レディたちの背を底なし沼へと優しく突き飛ばしながら静かにゆっくり更けてゆく。
これにて完結。
最後まで目を通していただきありがとうございました。




