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冤罪で断罪された令嬢は旅をする  作者: 月森香苗


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04 冒険者二人は山を越えようとしていた

 朝日がまだ昇る前、自然と目が覚めたティナは大きな伸びをするとロープに掛けていた服の具合を見る。ちゃんと乾ききっているそれらを畳み、ワンセットは今日着る分として避けておく。綺麗になった大きめのシャツとトラウザーズ、ブーツを履いて髪の毛を括る。

 荷物は出来るだけ纏めやすいようにしておくのが大事で、野営道具も女の力で運べるくらいの量だ。それらを一か所に纏めると、部屋を出て宿屋の一階にある食堂に向かう。朝食がついており、パンとスープに幾つかのおかずがついている。それらを食べているとアヴィが降りてきて当たり前のようにティナの前に座る。


「良く寝れた?」

「うん。流石に久しぶりのベッドだからね、熟睡出来たよ」

「そりゃ良かった」

「アヴィはまだ眠そうだね」

「まあな。でも、出来るだけ早めに出ないと、山を越えるのに苦労するだろ」

「うん」


 一日で越えられるものではないが、野営をするにも場所がある。中途半端な場所で野営をしてしまうと魔物が出るので、基本的に夜は山頂付近辺りが好ましいとされる。

 腹ごしらえを済ませると、二人は食器を洗い場の方に渡し、部屋に戻る。必要な食料品などはアヴィが既に購入してくれているというのでそれに甘える。荷物を背負い、幾つかは抱えると受付に声を掛ける。

 部屋を確認してもらい問題がないと判断されると二人は厩舎に赴き馬房からそれぞれの愛馬を出す。

 厩舎の担当者に餌をもらったセリウスは上機嫌だ。アヴィの愛馬のリュリュも機嫌が良いらしい。この宿屋は当たりで、また何かあれば世話になろうと思いながら、セリウスに荷物を括りつけていく。その合間に食料品の入った袋を受け取り中を確認する。これは大事なことで、配分を考える必要がある。慣れているアヴィだから大丈夫だとは思うが、自分の目で確かめておくのは必要だ。

 事実、ティナが苦手な辛みの強いものがあり、交換を願うとアヴィは悪い悪いと言いながら甘さの強いものと変えてくれた。

 直ぐに食べられるもの、野営をするときに食べるもの、等に分けると準備が終わる。


「行くか」

「うん」


 町を出るまでは乗馬は出来ないので綱を引いて歩く。朝も早いので人は少ない。しかし旅人や冒険者向けに店はいくつか開いている。


「あ、ちょっとだけ待ってて」

「おう」


 食料品取り扱いの店で飲料になるものを買い足しておく。途中で沢があればいいのだけれども、無い時の為のものだ。魔法で水を集めることは出来るが、魔力は温存しておきたい。

 小さな瓶に入った酒も買っておく。体を温めるのにも使えるし、気付けに使うこともある。

 元々荷物が少ないので多少増えてもセリウスの負担にはならない。腰に付けたポーチに酒を入れ、肩から斜めにかけている鞄に購入した飲料を入れるとアヴィの元に戻る。


「お待たせ」

「悪いな、酒のこと忘れてた」

「山を越えない限りはあんま必要ないからね」


 ある程度道が整えられている為、数日もあれば山越えは出来るが、それまでの間鬱蒼とする樹々の合間を行かなければならない。しかも、山脈の為高さもそれなりにあり上に行けば行くほど寒くなる。防寒対策の一種として酒は必須品だ。

 町を出ると馬に乗り、並んで進む。馬上で会話をしながら、時折周囲を確認する。山脈のこちらの国は平和だ。とはいえ、噂によると山を越えてアドトレドの民が流れてきているという。

 逃げてきた民によると、山のあちらこちらには帝国の軍人がいて、平民であれば見逃されるが貴族は全て捕らえられるという。アドトレド国の貴族は平民を見下している為、平民を装うことなどしない。優雅に馬車を使ったりすれば、当たり前だが目立つ。その様子を眺めながら逃げ出す平民はアドトレド国の貴族の愚かしさを痛感したことだろう。

 あの国を真に真っ当にしようとしていたのは王妃と一部の貴族だけだ。生粋のアドトレド国の貴族は、他者を貶め平民を見下すばかり。その中にいたクレメンティナは追い出されて良かったと思っている。


 夕暮れの頃に野営の準備を始める。日が落ちてしまうと魔物が現れる可能性が増える。その前に魔除けを施し、焚火を作り、寝る場所を確保しなければならない。アヴィと二人で準備をすればあっという間だ。それぞれの天幕を並べ愛馬達は近くの樹に綱を括っておく。逃げ出すとは思わないが盗まれる可能性だってある。盗賊避けを施すと、食事を済ませる。魔法を使えるティナが火をつけ、調理道具を持っているアヴィが簡単な調理をする。お互いが出来ることをするだけで、山越えの旅の中で温かい食事が出来る。

 それなりに腹が膨れたところで片付けをすると、先にアヴィが寝る。その間ティナが周囲を警戒する。数時間後にアヴィが起きるとティナが寝る。これは冒険者であろうが旅人であろうがすることだ。平地で条件が良ければ一人でも問題ないが、山越えの場合はこうして交代で警戒をする。魔物だけでなく盗賊だって現れることもあるのだ。特に夜明け前は危険なので男性が起きていることが多い。


 何事もなく朝を迎えると簡単な朝食を済ませ、再び先を進む。この調子だと夕方位には麓にまで降りれるだろう、というところでアヴィが何かに気付く。

 帝国の軍人だ。アドトレド王国には騎士団や王国軍はあったが、騎士は作法に則った綺麗な戦い方を好み、王国軍は多少は荒っぽくなるがそれでも何らかの見栄えを重視されている。それに対して帝国は軍を有し、その戦い方は生きる為にはどんなことでもするというものだ。名乗りを上げて作法を大事にする騎士の名乗りの時点で軍人は銃弾を撃ち込む。卑怯だというものもいるが、争いの最中に作法を大事にする方が可笑しいのだ。生きるか死ぬかの戦場はどれだけ汚い戦い方をしても生き残ったほうが勝ちとなる。

 その軍人がアヴィとティナに気付き止まるように指示する。二人は逆らうつもりなどないので、馬の歩みを止めると降りて軍人の到着を待つ。少しばかり興奮気味のセリウスの首を撫でながら軍人が近寄るのを待つと、二人組でやってきた。


「アドトレドに行くのか?」

「はい。そのつもりです」

「今は我らが帝国による進軍が行われており危険になっている」

「争いが、始まるのですか……?」

「既に王城は抑えられているが、一部の貴族が反乱を起こそうとしている。それを抑える為だ」


 王城の占拠は知っている。しかし、帝国に恭順することを望まない貴族が反乱を起こしているとは想定していなかった。ティナは王妃とニーナのことが気になって仕方なくなる。


「あの、王城を抑えたそうですが……ミスティア様は、王妃様は、御無事ですか?」

「……名を伺っていいか」


 王族の名を平民は知らないことが多い。国王、王妃、王子、王女のようにその立ち位置を示す単語でしか言わない。何故ならば、王族の名は尊いものだからだ。貴族であっても、親しくない限り名を呼ぶことはない。その名を呼ぶことが許されるのはかなり近しい立場となる。特に国外から嫁いできた王妃の場合は正式名称で呼ばれることはあれども愛称を知るのは極一部だけだ。

 王妃の正式名称は、ミスティリアリアという。帝国でもその名を呼ぶことが許されていたのは王族だけで、貴族であれば知っているがアドトレドの平民が知るはずもない。

 自然と出てくる呼び方はそれだけその名を呼んでいたということ。それだけ王妃に近い存在だったということ。

 ティナは思わず自分の口から出してしまった迂闊さを呪いたくなった。アヴィを見上げるとアヴィは小さく頷く。嘘を吐いてはいけないし、誤魔化してもいけない。

 ティナはマントを外し、髪の毛を括っていた紐を外し軽く手櫛で整えると久しぶりに己の正式の名を述べる。


「わたくしは、クレメンティナ。元はブレガ侯爵家の娘でしたが、五年前に王子より婚約の破棄をされ、家を出されたために平民になりましたものです」


 背筋を伸ばし、真っ直ぐと前を見る。

 ――淑女は仮面を被り、どんなに辛い時でも笑みを浮かべる。内心を悟られては半人前。どのようなことに直面しても優雅さを忘れてはならない。

 叩き込まれた淑女教育。ドレスでもワンピースでもない為、摘まむものはない。本来であれば美しい礼を一つするべきだろう。しかし、ティナは平民と同じように頭を下げた。


 一方、告げられた軍人の二人は視線で何やらやり取りをしている。そして年嵩の男性の方が一歩前に出ると、手を胸に当て軍人の礼を返す。


「ミスティリアリア様より、クレメンティナ様の捜索依頼が五年ほど前から出ておりました。今もなお、その捜索は継続しておりました。一度こちらの軍本拠地にお越しいただいてもよろしいでしょうか」

「かまいませんが、こちらのアヴィもよろしいですか?」

「そちらの、男性もですか」

「はい。わたくしの冒険者仲間ですの」

「冒険者をされていたのですか!」


 非力な侯爵令嬢が冒険者をするということはない。貴族の令嬢が何か問題を起こすと神の下で罪を償い修行をする為に修道院に入ることになるし、犯罪行為を犯せば貴族でも刑務所に入る。ティナの場合は彼女本人に問題はなかったが、周囲の環境が悪かった。当初考えられたのは修道院に自ら行く。もしくは伝手を頼って他の貴族の元に身を寄せる。それが無いと分かれば国外に出た等が想定され、最悪の場合攫われたり売られたりなども考えられた。まさか冒険者になっているとは誰も思ってもいなかったはずだ。

 それにしても、とティナの隣に立つ男を見る。周囲を警戒しながらそれを悟らせない雰囲気。確かに冒険者だろうが、何処かただのそれとは思えない。


「貴殿の名を伺っても?」

「構いませんよ。俺はアーヴィング。ネノモ国のワトリング伯爵家の三男で、冒険者として活動してます」

「アヴィ、貴族なの?」

「まあ、三男なら平民と変わんないよ。でもまあ身分照会するなら全然大丈夫ですよ。一応冒険者ギルドの発行してるカードの方にも貴族身分を証明する印はありますし」


 ギルドカードには、平民と貴族では少しばかり異なる所があり、貴族として登録する場合は家紋を魔力で刻む必要がある。裏面の隅にひっそりと施すので余り気付かれないものだ。しかし、ギルドに依頼がある中で、時には貴族である方が便利な時もある。その時にこの家門が役に立つのだ。

 確認が終わると軍人二人はティナとアヴィを軍本部へと連れていくことになった。

 馬に乗ることを許されたため、二人は並び、その二人を挟むように前後の二人ずつの軍人という配置となっている。

 余程大声でなければ会話をすることは許されており、ティナはじぃ、とアヴィの顔を見る。アヴィはティナが貴族であるとすぐに気付いたそうだが、ティナはアヴィが貴族であることに気付かなかった。所作が洗練されているかと言われたらそこまでとは思えない。しかし、よく観察してみると、髪の毛に隠れて小さなピアスがあるが、そこに嵌めこまれた石は貴石だった。何故気付かなかったのか分からない程に少しずつ彼が唯の平民でないことを示していた。

 違う。無意識にティナは彼から貴族である物から目を逸らしていただけだ。貴族であった自分が貴族に関わると碌なことにならないと、心の奥底で恐れていたのだろう。両親も祖母もティナを捨てた。王子も国王も他の多くの貴族も、ティナを犠牲にした。

 平民の中に混じって生きていく内に漸く自分の足で歩くことを覚え、出来なかったことを出来るようにして、傷付いた弱い自分を守っていた。

 セリウスと共に旅をして、冒険者として活動をして行く中で出会った人々は善良な人ばかりではなかった。こちらを騙そうとしたり傷つけようとする人だっていた。だけどそれが世界の全てではないと知っている。


 薄汚い貧民街を、豪華さを見せびらかすような貴族街を、ありふれた平民の生きる場所を見た。

 暗く重い雲が覆う空から降り注ぐ雨の中をどうにか凌いだことがある。

 雲から地面に向けて降り注ぐ雷を見たことがある。

 一面に真っ白の花が咲き誇る花畑を、煌めく太陽の光を反射する海の水面を、青く輝く夜空に君臨する月を、見たことがある。

 争いの中で巻き上げられる土煙、飛び交う弓矢、呻く傷付いた人の声、失われた命、流れる赤い血を見たことがある。

 寄り添い合いながら祝福された新郎新婦を、喧嘩別れをした恋人たちを、最愛の妻を亡くして落ち込む老人を、杖を突く夫を支える老婦を見た。


 限られた中でしか生きられなかったクレメンティナがただのティナになり、広がった世界。

 五年の間に巡った国は多く、平民は生きるだけで必死だった。

 他国の貴族には祖国の貴族のような傲慢な者もいたが、領民の中に混じって笑って泣いて怒って、そして前に進んでいる領主もいた。

 美しい衣を身に纏い酒場で澄んだ声を響かせる歌姫がいた。

 家族の為に小さな体で荷物を運ぶ少年がいた。

 大型の魔物を討伐する為に危険地帯に赴く冒険者一団がいた。

 陸はこりごりだと笑いながら酒樽を船に運び込む海の民がいた。

 己の体を売ることで借金を返してるんだよと苦笑した娼婦がいた。

 あかぎれを隠す余裕もない花売りの少女がいた。


 ティナはアヴィを見る。彼はどんな生き方をしてきたのだろう。優れた剣士であることはティナだって知っている。彼が揮う剣は騎士とは違う、確実に魔物を屠る為の剣だ。それは人間が脅かされないようにするための、守る為の剣。

 貴族として生まれた彼が冒険者の道を選んだ理由をティナは知らない。

 知りたいと、思った。

 彼がティナに好意を寄せてくれていると教えてくれた日から、少しずつ彼のことを考えた。会話の中でアヴィがどんな人なのかを少しでも知りたくて、少しずつ問いかければ彼は答えられるものは答えてくれたし、言えないことは言えないと伝えてくれた。


 ぽこり、ぽこり。

 心の水面に浮かぶ泡が増えていき、波となり、心の穏やかさが揺れ動く。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >事実、アヴィが苦手な辛みの強いものがあり、交換を願うとアヴィは悪い悪いと言いながら甘さの強いものと変えてくれた。 辛味が強いのが苦手なアヴィが甘さの強いものと変えてくれた?
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